いらっしゃい
放課後、6人は凛馬が元の世界へ帰る方法を探していたが、見つからなかった。だが確かに得られるものはあったようだ。
「絶対見つけるにゃ!凛馬が帰る方法!」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
帰る方法を探してくれている。それが嬉しいはずなのに、少しだけ苦しかった。
「じゃあ、今日はここで解散ね」
コハクが立ち止まる。
「私はこっちだから」
「僕も帰るね!」
アオが元気よく手を振った。
「また明日!」
「はい。また明日です」
ミナも丁寧に頭を下げる。
「……じゃあな」
ヒョウカは短く言って、背を向けた。
「また明日」
凛馬が返すと、ヒョウカは振り向かずに片手だけ上げた。
(あっ……返してくれた)
それぞれが別の道へ歩いていく。ついさっきまで賑やかだったのに、人数が減るだけで急に静かになる。
残ったのは、凛馬とミケだけだった。
「……みんな、普通に帰るんだな」
凛馬がぽつりと呟く。
「にゃ?」
「いや、なんでもない」
家に帰る。それは当たり前のこと。でも今の自分には、それが少しだけ遠かった。
ミケはそんな凛馬の顔を見て、にこっと笑った。
「じゃあ凛馬も帰るにゃ!」
「どこに?」
「私の家にゃ!」
「いや、そんな当たり前みたいに言うなよ」
「当たり前にゃ!」
ミケは胸を張る。
「凛馬は今、私の家のペットにゃ!」
「だからペット扱いやめろ」
「にゃは!」
ミケは楽しそうに笑いながら、凛馬の手を引いた。
「今日はうちでご飯にゃ!」
「いや、悪いよ」
「悪くないにゃ!」
「いや、普通に迷惑だろ」
凛馬はまだ抵抗があるようだ。
「迷惑じゃないにゃ。お母さんも凛馬が来るの楽しみにしてるにゃ」
「……そうなのか?」
「そうにゃ!」
そう言われると、断りづらい。それに——
ぐぅぅぅぅ。
妙に大きな音が鳴った。
「……」
2人は顔を合わせる。正直なところ、腹は減っていた。
図書館で何時間も本を読んでいたせいで、思った以上に疲れている。
「……じゃあ、少しだけ」
「にゃは!決まりにゃ!」
ミケの尻尾が嬉しそうに揺れた。
しばらく歩くと、ミケの家が見えてきた。庭には小さな花壇があり、窓からは暖かい光が漏れている。
「ただいまにゃー!」
玄関を開けるなり、ミケが元気よく声を上げた。
すると奥から柔らかな声が返ってくる。
「おかえりなさい、ミケ」
現れたのは、ミケの母だった。穏やかな笑みを浮かべ、凛馬を見る。
「いらっしゃい、凛馬くん」
その言葉に、凛馬は少しだけ固まった。
“いらっしゃい。”
ただの挨拶なのに、妙に胸に残った。
「お、お邪魔します」
慌てて頭を下げる。
「ふふ、そんなに緊張しなくて大丈夫よ」
ミケの母は優しく笑った。
「今日はたくさん作ったから、いっぱい食べてね」
「ありがとうございます」
「にゃ!お母さんのご飯はすごいにゃ!」
ミケが得意げに言う。
「そっか……楽しみだな」
凛馬がそう言うと、ミケは嬉しそうに笑った。
そして2人がリビングに入ると——
「うぉぉ……」
夕食は想像以上に豪華だった。
大皿に並んだ魔獣肉料理。温かいスープに焼き野菜。そして山盛りの白米。
「すげぇ……」
思わず声が漏れる。
「育ち盛りでしょう?」
ミケの母が微笑む。
「いや、育ち盛りって年でも……」
「凛馬はもっと食べるべきにゃ!」
ミケが皿に肉を乗せてくる。
「増やすな増やすな!」
「食べるにゃ!」
「食べるけど!」
無理やり口に運ばれる。だが——
肉汁が口の中に広がる。そして柔らかい。噛むたびに旨味が溢れ出してきた。
凛馬の動きが止まる。
(待て待て待て……)
もう一口。
(美味っ!!!)
さらにもう一口。
(あーこれあかん……)
もう箸が止まらない。
(五つ星レストランや……)
そこにご飯をかき込む。
(いや六つ星やわ)
そして、気付けば皿が空になっていた。
「……うまい」
その一言に、ミケの耳がぴんと立った。
「にゃ!今うまいって言ったにゃ!」
「言ったけど!」
「お母さん!凛馬がうまいって!」
「聞こえてるわよ!」
ミケの母が楽しそうに笑う。
「たくさん食べてね?」
その言葉に押されるように、凛馬は食べ続けた。
一杯目。二杯目。三杯目。気付けば、かなり食べていた。
「まだまだ行けるわよね?」
凛馬は茶碗を見る。そしてミケを見る。
ミケはキラキラと期待の眼差し。ミケの母親は断れないほどの優しい笑顔。
(断れる空気どこ……?)
「いただきます」
そして——
「苦しい……」
夕食後、凛馬はリビングのソファに沈み込んでいた。
「にゃはは!」
ミケが大笑いする。
「お腹ぱんぱんにゃ!」
「誰のせいだよ……」
「いっぱい食べた凛馬のせいにゃ!」
「それは……そうだな。」
ミケの母も苦笑しながら、お茶を置いてくれた。
「無理しなくていいのよ?」
「すみません……美味しかったので」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
その声が、とても柔らかかった。
凛馬は湯気の立つお茶を見つめる。茶柱が立っていた。
「あっ……茶柱」
「ほんとにゃ!凛馬ラッキーにゃ!」
そう言って背中をバシバシ叩く。だが不思議と痛くなかった。
温かい食事、柔らかい声、誰かが待っている家。
それが妙に現実味があった。だからこそ、少しだけ苦しかった。
夜。食器も片付き、リビングは静かになっていた。
テレビの音だけが小さく流れている。ミケの母親は台所で片付けをしている。
ミケは凛馬の隣へ座った。
「今日、楽しかったにゃ?」
「……ああ」
凛馬は素直に答えた。
「図書館も飯も楽しかった」
「本当に?」
「当たり前だよ」
そう言うと、ミケの表情がぱっと明るくなる。
「良かったにゃ」
しばらく沈黙が流れた。不思議と気まずくはなかった。
その静けさが、逆に心地よかった。
その時だった——
「なぁ、ミケ」
「にゃ?」
凛馬は少しだけ視線を落とす。ずっと胸の奥にあったことを言おうと思った。
「俺さ」
言葉が喉まで出る。元の世界のことも、自分のことも。
「元の世界ではさ――」
そこまで言って、凛馬は口を閉じた。
数秒の沈黙、テレビの音だけが流れている。
「……いや」
小さく首を振る。
「やっぱなんでもない」
ミケは凛馬をじっと見ていた。けれど、何も聞かなかった。
ただ少しだけ耳を伏せて、優しい声で言う。
「いつでも話したくなったら聞くにゃ」
「……」
「今じゃなくていいにゃ」
その言葉に、凛馬は何も返せなかった。追及されないことが、少しだけ嬉しかった。
無理に踏み込まれないことが、少しだけ救いだった。
「……そっか」
凛馬は小さく笑った。
「ありがとな」
「にゃ!」
ミケは嬉しそうに笑う。
その時、台所からミケの母の声が聞こえた。
「凛馬くん」
「はい?」
「ここでは無理しなくていいのよ」
凛馬は振り返る。ミケの母は、洗い終えた皿を拭きながら微笑んでいた。
「帰る方法は、きっとみんなで探せるわ」
「……はい」
「でも、それまでの間はちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと笑ってね」
その言葉は、当たり前のように差し出された優しさだった。
凛馬は少しだけ俯く。
「……はい」
それ以上は言えなかった。言えば、不意に何かがこぼれそうだった。
ミケはそんな凛馬の横顔を見て、少しだけ笑った。
「じゃあ今日はちゃんと寝るにゃ!」
「急だな!」
「健康第一にゃ!」
「なんだそれ」
「お母さんもよく言うにゃ!」
「ふふ、そうね?」
ミケの母も笑った。つられて凛馬も笑ってしまう。
リビングに、小さな笑い声が広がった。
窓の外には夜空が広がっている。帰る方法はまだ見つからない。自分のことも、まだ話せない。
それでも、この家は温かかった。不思議なくらい、居心地が良かった。
異世界2日目。今日だけは、少しだけ安心して眠れそうだった。
そして、明日が来るのを少しだけ楽しみにしている自分がいた。
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