歴史を学ぼう
翌朝、ミケの家で朝食を済ませた凛馬は学校へ向かっていた。
いや、向かわされてただけだが。
「今日も良い天気にゃ〜」
隣を歩くミケはご機嫌だった。
「朝から元気だな」
「元気じゃないと損するにゃ!」
そんな会話をしていると、校門が見えてくる。そこにはよく知っている顔ぶれがいた。
「凛馬くーん!」
アオが大きく手を振る。
「おはようございます」
ミナも頭を下げた。
「おはよう、凛馬くん」
コハクも微笑む。
ヒョウカは壁にもたれながら、
「……遅いぞ」
とだけ言った。
「みんなおはようにゃー!」
ミケが走り出す。リードに繋がれていた凛馬はその流れに流された。
「おいスピード抑えろ!!苦しい!!」
そんなやり取りをしながら4人の元へ向かっている、その時だった——
「よう、人間!」
後ろから声が飛んできた。
「ん?」
振り返ると、そこには灰色の耳と尻尾を持った狼族の男子が立っていた。
見たことのない顔だった。
「……誰?」
「ひでぇな!?」
男子はショックを受けた。
「紅葉と席隣だぞ!?」
「あ、マジ?」
「マジだ!」
凛馬は記憶を探る。
(あー……確かにいたかも)
確かに、一際うるさいやつはいた気がする。そしてその男子は親指で自分を指した。
「牙月ギンガ!宜しく!」
そしてギンガは無理やり凛馬の手を取り握手する。その力で凛馬はされるがままに揺られる。
「俺は凛馬」
「知ってる!今一番有名だからな!」
「やめてくれよ……」
凛馬は頭を抱える。ギンガはそんなこと気にもせず笑った。
「ずっと話してみたかったんだよ!」
「俺と?」
「そりゃそうだろ!」
ギンガは目を輝かせた。
「人間なんて本でしか見たことないからよ!!」
するとアオがギンガに話しかける。
「ギンガ君は凛馬くんの事気になって仕方ないと思った」
「気になるだろ普通!」
「まぁ、気持ちは分かるにゃ」
ミケも頷く。ギンガは満足そうに腕を組んだ。
「よし!これで友達だな!」
「早くないか?」
「細かいこと気にすんなって!」
豪快に笑うギンガ。その時だった——
ギンガの視線が一瞬だけ横へ流れた。その先にいたのはヒョウカだった。
壁にもたれてスマホをいじっていた。
「……」
凛馬は気付く。ギンガも気付かれたことに気付いた。
「ギンガ君……」
「なんだ」
そして小声で囁く。
「……分かりやすいな」
「何も見てねぇよ!?」
ギンガの声は大きかった。周りも気づく。
「おい小声で言ったのに!!」
「すまん!!」
耳がぴこぴこ動いている。分かりやすすぎた。
「へぇ〜?」
コハクがニヤニヤしながらギンガに近づく。
「また見てたの?」
「違うって!」
「ギンガくんやっぱ分かりやすいね!」
アオが笑う。ミナも少しだけ微笑んでいた。
そんな中、ヒョウカだけはスマホ顔を上げない。そして一言——
「牙月、うるさい」
ギンガが固まる。
「……え?」
「うるさい奴は嫌いだ」
「……」
その言葉は何よりも重かった。
(あっ、振られた……)
凛馬も察する。ギンガはその場で膝をついた。だが誰も助けなかった。
「ガビーン……」
「じゃ、先行くにゃ〜」
「待てぇ!?」
5人は歩き出す。凛馬もリードで引っ張られていく。
(頑張れ……ギンガ君)
教室へ入ると、既に大半の生徒が席についていた。凛馬達も自分の席へ向かう。
「ふぅ……」
凛馬が椅子へ腰を下ろした瞬間だった。視界の端に、何かがおかしいものが映る。
「……」
隣の席。置いてったはずのギンガが机に突っ伏していた。
「あっ……」
明らかに生気がなかった。
「おーい」
呼びかけてもすぐには反応しなかった。
「生きてるぞ……」
しばらくしてから返事が帰ってきた。
「そうか……」
凛馬はそれしか言えなかった。失恋した男に投げかける言葉など、すぐに思いつかない。
「人生終わった……」
「また次はあるだろ……」
「俺の恋は終わったんだ」
ギンガはさらに机へ顔を埋める。
「うわぁぁぁぁぁ……」
「うるさい」
前の席からヒョウカの声が飛ぶ。ギンガの身体がビクッと震えた。
「ミケ……これは……」
「放っとくにゃ」
ミケが即答した。
「いっつもこんな感じにゃ」
「あぁ、そっか……」
その時だった——
教室の扉が開く。一瞬で空気が変わった。
入ってきたのは女性教師だった。長い茶髪を後ろでまとめ、肩には大量の資料を抱えている。
教壇へ立つと、生徒達を見渡した。そして——
「人間くん」
いきなり凛馬を見た。
「え?」
凛馬が間抜けな声を出す。
「凛馬さんですね?」
「は、はい」
先生はふっと微笑んだ。
「初めまして。私は桐生シオリです」
軽く一礼する。
「噂は聞いていますよ」
「変な噂じゃないですよね?」
「保証はできませんね」
教室から笑いが起きる。シオリ先生も少しだけ笑った。
「安心してください」
先生は教壇へ手を置く。
「私の授業は静かに聞いてくれるなら、何も言いませんよ」
教室がざわつく。
「先生、それ毎回言ってるー」
「去年も聞いたにゃー」
「聞こえてますよ?」
シオリ先生が笑顔で返す。一瞬で静かになった。
「歴史は聞いて好きになってもらうものですから」
シオリ先生は当然のように言った。
「嫌々聞いても頭に入りませんので」
「なるほど……」
「なので聞いてください。それだけです」
シオリ先生は教壇へ立ち、出席簿を置く。そして——
「……牙月くん」
教室が静かになる。ギンガはまだ机に突っ伏していた。
「何をしているんですか?」
「人生に絶望しています……」
教室から笑いが漏れる。シオリ先生は数秒だけ沈黙した。
「そうですか、席に座ったまま絶望してください」
「はい……」
再び笑いが起きた。凛馬も思わず吹き出す。
(この先生、結構好きかもしれない)
そしてシオリ先生は何事もなかったかのように教壇へ戻った。
そしてチョークを手に取る。
カツ、カツ、と軽い音が教室へ響く。
黒板には“獣界近代史”と大きく文字が書かれていく。
(歴史……か)
何か帰還の手掛かりがあるかもしれない。凛馬は集中して聞くことにした。
「さて」
シオリ先生が振り返る。
「今日は近代史の中でも特に重要な人物について話します」
そう言いながら、再びチョークを走らせた。黒板に刻まれる名前。
“獅子王レオン”
(これまたかっこいい名前だな……)
その瞬間だった——
『――』
凛馬の視線が、その名前に吸い寄せられる。胸の奥が僅かにざわついた。
今日初めて聞いた名前なのに、何かが引っかかる。
ほんの一瞬だけ、理由の分からない苛立ちが込み上げる。
(……なんだ?)
“気に入らない。”なぜそう思ったのか、自分でも分からなかった。
だが、その感覚はすぐに消えた。まるで気のせいだったかのように。
凛馬は小さく首を振る。
(疲れてるだけか……)
昨日は色々ありすぎた。そう自分に言い聞かせる。
一方、シオリ先生は気付く様子もなく話を続けた。
「獅子王レオン。約四十年前の戦争を終結させた人物です」
教室の空気が少しだけ変わる。
「南地区の王族家系に生まれ、戦乱の時代を生きた獅子族」
そして黒板に図を書く。その図は分かりやすかった。
「そして後に中央の王となった人物ですね。歴史の教科書ではまず外せない名前です」
「教科書でいっつもみるにゃ」
ミケが小さく呟く。
「テストにもよく出るね」
アオも頷いた。凛馬はもう一度だけ黒板を見る。
獅子王レオン。やはり、何も思い出せない。
それでも、なぜだかその名前だけは妙に頭へ残った。
「彼は当時の南地区をまとめ上げたのは、みんな知ってますよね」
シオリ先生が黒板へ地図を書く。
「当時の南地区は今よりも遥かに混乱していました」
「今でも物騒ですよね?」
アオが質問する。
「いい質問です、1ポイント」
シオリ先生は頷く。
(ポイント……?)
なぜ授業にポイント制度があるのか?凛馬は思わず隣のミケへ小声で聞いた。
「なぁ、あのポイントって何?」
ミケは一瞬だけ考えた。
「あー……謎の制度にゃ」
「謎なのかよ」
「貯めても何もないにゃ」
「じゃあ何のためにあるんだ?」
「シオリ先生が楽しいからにゃ」
「先生の趣味なのか……?」
凛馬は思わずツッコんだ。
「ちなみに私は12ポイント持ってるにゃ」
「多いのかそれ?」
「分かんないにゃ……」
「よく分からんな……」
前ではシオリ先生が満足そうに頷いていた。どうやら本人だけは真面目らしい。
(本人が良いならいいか……)
そして凛馬達は授業に戻った。
「レオンは今でも支持されています」
シオリ先生は教室を見渡した。
「もちろん賛否はありますが、それでも歴史へ与えた影響は非常に大きい人物です」
そして凛馬を見る。
「凛馬さん、外の世界にもこういう人物はいますか?」
突然だった。
「俺ですか?」
「あなたに聞くのがいちばん面白そうなので……」
「そうですか……」
教室から笑いが起きる。凛馬は少し考えた。
「戦争を終わらせた人とかはいますけど、でも王様って感じじゃないですかね……」
シオリ先生が興味深そうに頷く。
「つまり統治者と英雄が別なんですね」
「多分?」
「人間、面白いですねぇ」
シオリ先生は完全に楽しんでいた。そして再び授業へ戻る。
「レオンは強さだけでなく統率力にも優れていました。多くの部族をまとめ上げた記録が残っています」
「へぇ……」
凛馬は黒板を見る。彼の名はやはり妙に引っかかる。
「そして戦争終結後、中央の王となりました」
すると絶望していたギンガが顔を上げた。
「つまり一番偉かったってことですか……?」
「簡単に言うとそうですね」
「すごいですね……」
「絶望しながら質問できるのはいい事ですよ。1ポイントです」
「うわー……やったぁ……」
シオリ先生は頷く。
「ですが、時代は変わります」
話の空気が変わった。
「戦争の時代に求められる王と、平和な時代に求められる王は違います」
そして再び凛馬を見る。
「凛馬さんがレオンならどうします?」
「また俺ですか?」
「聞きやすいので」
「理由になってないですよ……」
凛馬は少し考える。
「平和になったなら、俺なら引退するかもしれません」
シオリ先生が少し目を丸くした。
「だって戦争向きの人が平和な時代を治めるのって難しそうじゃないですか」
数人の生徒が感心したような顔になる。
「実際、レオンも同じ選択をしました。時代の変化と共に表舞台から退いたんです」
「その後はどうなったんですか?」
今度は凛馬が質問した。
「分かっていません」
「え?」
「行方不明になってます」
教室が少しざわつく。
「歴史上最も有名な人物の一人ですが、引退後の記録はほとんど残っていません」
凛馬はもう一度だけ名前を見る。
“獅子王レオン”、今度は違和感だけじゃない。
ほんの僅かに、理由の分からない苛立ちが胸の奥を掠めた。
(なんなんだよ……)
だが、再びその感情は一瞬で消えた。まるで最初から存在しなかったかのように。
それでも——
知らないはずなのにその名前だけは、なぜか気に入らなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
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