弱者
国語の授業が終わった瞬間だった。
「ねぇねぇ!本当に人間なの!?」
「耳ないの!?尻尾は!?肉球は!?」
気付けば凛馬の机の周りには人だかりができていた。
犬、猫、虎、狐。様々な獣人達が興味津々な顔で凛馬を囲んでいる。
凛馬は椅子に座ったまま困惑していた。
「近い近い近い!」
「人間って全員弱いの?」
「失礼だな!」
「でも身体能力低いんでしょ?」
「知らねぇよ!」
質問は止まらない。さらに——
「彼女はいる?」
「いないよ?」
即答だった。
「彼氏は?」
「いねぇよ!?」
さ質問攻めは終わらない。凛馬はすでに少し疲れていた。
そんな中——
「にゃ!」
聞き慣れた声が響く。ミケが人混みをかき分けながら凛馬の前へ出る。
「凛馬は私のペットにゃ!」
胸を張って宣言した。
「だから違うって!」
「本当だにゃ!」
「違う!」
「ペットにゃ!」
周囲は完全に面白がっていた。
「仲良いなー……」
「飼い主とペットだもんね」
「だから違うって!」
凛馬が叫んだ瞬間――
教室の扉が開いた。その場の全員の動きが止まる。
そこに立っていたのはユズル先生……ではなかった。
二メートルを優に超える巨体。分厚い腕に鋭い眼光。熊族の教師だった。
「お前ら」
低い声が教室に響く。その瞬間、生徒達の背筋が一斉に伸びた。
「次は体育だ。グラウンドへ集合」
「「「はい!」」」
返事と同時に、生徒達は蜘蛛の子を散らすように教室を飛び出していく。
さっきまでの騒ぎが嘘のように静かになった。凛馬は思わず呟く。
「今度は誰だよ……」
「あ、ゴウガ先生にゃ」
ミケが当然のように答えた。
「体育担当にゃよ?」
「なんで国語の先生より怖いんだよ……」
凛馬が引きつった笑みを浮かべたその時だった。ゴウガ先生の視線がこちらへ向く。
「お前が人間か」
「え?」
ドスドスと重い足音を鳴らしながら近付いてくる。
近くで見るとさらに大きい。見上げないと顔を見れないレベルだった。
「紅葉凛馬だな」
「は、はい」
思わず敬語になる。ゴウガ先生は腕を組んだ。
「本当に参加するのか?」
「へ?」
「体育だ」
凛馬は一瞬意味が分からなかった。するとゴウガ先生は続ける。
「お前は人間だ」
「……はい」
「怪我するぞ」
教室が少し静かになる。まだ残っていた生徒達も聞いていた。
「無理に参加する必要はないんだぞ」
珍しく気遣うような口調だった。だが——
「参加するにゃ!」
ミケが即答した。
「お前じゃない」
「にゃ……」
即座に返される。教室に笑いが起きた。
凛馬は頭を掻く。正直、身体能力の差はなんとなく想像できる。
それでも――
「せっかく学校来たんだし」
ゴウガ先生を見る。
「やります」
数秒考えてから、ゴウガ先生は小さく鼻を鳴らした。
「そうか」
そして踵を返そうとしたその時だった——
「大丈夫だよ!」
元気な声が響く。アオだった。
「お父さん怖そうに見えるけど優しいから!」
教室が静まり返る。凛馬も固まった。
「……お父さん?」
アオはきょとんと首を傾げる。
「あれ?言ってなかったっけ?」
「待て待て待て……」
凛馬はゴウガ先生をもう一度見る。何度観ても熊そのものだった。
そしてアオを見る。どう見てもか弱な女の子だった。
「親子……?」
「親子だよ!」
アオは満面の笑みで答えた。
「マジで?」
「マジ!」
凛馬の脳が処理を拒否する。周囲の生徒達は慣れた様子だった。
「似てないよな」
「それ毎年言われてるよね」
「でも仲良いんだよなぁ」
そんな声が聞こえてくる。ゴウガ先生は小さくため息を吐いた。
「アオ」
「?」
「早く行け」
「はーい!」
元気よく返事をするアオ。その姿を見たゴウガ先生の表情が、一瞬だけ柔らかくなった気がした。
でも本当に一瞬だけだった。次の瞬間にはもういつもの怖い顔に戻っている。
「遅れるな」
そう言い残し、ゴウガ先生は教室を出ていった。凛馬はようやく息を吐く。
「めちゃくちゃ怖かった……」
「でも優しい先生にゃ、毎年怪我人出るから気にしてくれてるにゃ」
その言葉に凛馬は少しだけ驚いた。
見た目は怖いが、ちゃんと生徒を見ている先生らしい。
もっとも、その後獣人達の身体測定を見て、自分がとんでもない場所に来てしまったことを知るのだが――。
グラウンドへ向かう途中。男女で更衣室が分かれる場所までやって来た。
生徒達は慣れた様子でそれぞれ更衣室へ入っていく。
凛馬はそこで足を止めた。
「そういや……」
「にゃ?」
ミケが振り返る。
「俺、体操服とか持ってないんだけど」
すると、ミケの口元がゆっくり吊り上がった。
「ふっふっふっ」
その時凛馬に過ぎった未来は——
『凛馬はこれでも着てるにゃ!』
差し出されたのは、奇抜な色の半袖短パン。そしてそれで体育に参加する自分の姿。
「……嫌な予感しかしねぇ」
ミケは鞄を開く。少しゴゾゴゾして――
「あったにゃ!」
得意げな声と共に取り出したのは真新しい体操服だった。
「……なんで持ってるんだ?」
「凛馬の分にゃ!」
「は?」
「凛馬なら参加してくれるって思ったにゃ!」
「え、いや俺は……」
「そう言うと思って持ってきたにゃ!」
「まだなんも言ってねぇよ!?」
近くにいたアオが吹き出した。
「ミケらしいね!」
「ミケったら用意周到!」
コハクも笑う。
「サイズまで準備してるんですね……」
ミナが苦笑しながら言った。
「計画的犯行だな」
ヒョウカが呟く。
(まぁ、体操服あるならやるか……)
グラウンドへ出た瞬間、凛馬は思わず足を止めた。
「広っ……」
そこは学校の運動場というより競技場だった。
何本も並ぶレーンに、巨大な投擲用のスペース。
人間界の学校とは比べ物にならない。
「今日は身体測定を行う」
ゴウガ先生が言った。
「最初は200メートル走だ」
「200!?」
思わず声が出る。周囲は当たり前の様な反応だ。
(驚いてるのは俺だけか!?)
「では名簿順に位置につけ」
(早いって!)
最初に並んだのは犬族の男子生徒だった。スタートラインに立つ姿は陸上選手のようだ。
「始め!」
その瞬間、地面が爆ぜた。
犬族の男子生徒は土煙を上げながら一瞬で加速する。
速いなんてものじゃない。もはや目で追えない気付けばゴールしていた。
「記録、6.3秒」
「……は?」
凛馬は固まった。
(200mを6秒……?)
続いてミケ。
「自己ベストにゃー!」
七秒台。凛馬は固唾を飲む。
そしてヒョウカ。
「前より遅いな」
それでも五秒台。1番遅くても十秒を切っていた。
「待て待て待て待て」
人間界の常識が音を立てて崩れていく。
「次、凛馬。走ってみろ」
「嫌な予感しかしねぇ……」
スタートラインへ立つ。
周囲の視線が集まった。人間の身体能力は、みんな興味津々らしい。
「始め!」
凛馬は全力で走った。だが長い。とにかく長い。
1周だけで、肺が苦しく、脚が重くなる。やっとの思いでゴールへ飛び込む。
「記録、32.7秒」
誰もすぐに喋らない。
「……え?」
「今ので全力?」
「怪我してるのか?」
「人間ってそんなに遅いの?」
ざわざわと声が広がる。
(俺が……おかしいのか!?)
凛馬は思わず叫んだ。
「いや普通だろ!?」
少なくとも人間界なら普通だった。
だがここは獣界だった。その後も結果は悲惨だった。
次は握力測定。周囲の生徒達は100超えが当たり前だった。中には200を超える者までいる。
(化け物なのか?)
だが凛馬の結果は――
50。その瞬間、周囲がざわついた。
(あぁ……)
続いて跳躍力。犬族も猫族も軽々と3メートルを超えていく。
中には5メートル近く跳ぶ生徒もいた。
(もう飛んでるだろそれ……)
しかし凛馬は1メートルにも届かない。結果は0.87メートルだった。
(……帰りてぇ)
そして反復運動。生徒達は100回を超えるのが当たり前だった。
(意味が分からん)
そんな数字が並ぶ中、凛馬は60回だった。
(……なんで俺だけ……)
勉強出来るし運動もどうせ行けるだろう。と思っていた自分を恨んだ。
(獣人怖っ!!!)
結果は全て最下位。しかも、ぶっちぎりだった。
「人間って弱いんだな……」
凛馬は遠い目をしながら呟いた。
身体測定が終わると、ゴウガ先生が木刀を取り出した。
「続いて戦闘訓練を行うぞ」
生徒達の空気が変わる。さっきまでの和やかさが消えた。
凛馬は目を見開く。
「体育で戦闘訓練……!?」
「普通にゃ!」
「そうなのか……?」
人間界との違いに頭が痛くなる。ミケは首を傾げた。
「むしろ人間界はやらないのかにゃ?」
「やらねぇよ」
「にゃ〜……」
不思議そうな顔をする。
「最近、またナワバリ意識が強くなってるらしいにゃ」
「ナワバリ意識?」
「獣人同士の争い」
ミケの耳が少しだけ伏せられた。
「昔よりは減ったけど、最近また増えてきてるにゃ。だから去年くらいから学校でも戦闘訓練が追加されたにゃ」
「思ったより物騒だな……」
「でも安心するにゃ!」
ミケは胸を張った。
「この地区は平和だから、訓練もかなり緩いにゃ!」
「緩いのか?」
「うん!大丈夫にゃ!」
その直後、グラウンドの向こうで木刀が真っ二つになった。
「どこがだよ。」
凛馬は真顔で呟いた。
すると、ゴウガ先生は凛馬へ視線を向けた。
「凛馬は見学だ」
「え?」
「身体能力差がありすぎるだろう」
即答だった。
(まぁさっきの結果見ればな……)
でも少し傷ついた。事実なので何も言い返せないのが悲しさを助長する。
「遠くで見ておけ」
凛馬は観客席へ移動した。最初の試合はアオと先程の犬族の男子生徒。
「うへぇ〜お手柔らかにね……?」
「行くでー!アオちゃん!」
両者構える。
「では、始め!」
二人が同時に動く。
さっきの身体測定と同じく、とっても早かった。凛馬にはまともに見えない。
その瞬間だった——
『――右』
頭の中で声が聞こえた。
「……は?」
思わず眉をひそめる。すると、犬族の男子生徒が右へ回り込んだ。
アオが反応する。
『――遅い。左』
また声次の瞬間、アオが本当に左へ動く。
「え?」
凛馬は目を見開いた。偶然だろうか。
――木刀がアオの首元で止まった。
周囲が拍手する。だが凛馬は拍手どころではなかった。
(なんだ今の……)
「もー手加減してよー……」
「あははーすまんすまん!」
次の試合は、猫族と熊族。
『――下がれ』
そういえば猫族が下がる。
『――今だ』
そういえば踏み込む。頭の中に流れる声通りに試合が進んでゆく。
凛馬の背筋に寒気が走る。
(なんだこれ)
未来予知ではない。そんな感覚ではなかった。もっと自然な感じ。
まるで“戦い慣れた誰かが隣で指示を出している”ような。
凛馬は周囲を見回すが、誰もいない。
当然だ。声は頭の中から聞こえている。
(誰だよ……)
返事はない。試合は続く。
そして最後は、ヒョウカの試合だった。
相手は虎族の大男だった。周囲の空気が変わる。凛馬にもそれは分かった。
「黒瀬〜泣いても知らねぇぞ?」
「……来い」
そして試合が始まり、木刀がぶつかる。
今までよりも速く、鋭い。その時だった——
『――死ぬ』
「はっ!?」
凛馬は慌てて立ち上がった。今までの指示とは違う、“死ぬ”。ただそれだけの言葉だけが異様に重かった。
しかし次の瞬間、ヒョウカが木刀を弾き返す。
何事もなく試合は続く。周囲も熱狂している。
ただ、凛馬だけが青ざめていた。
(なんなんだよ……)
自分の頭がおかしくなったのかと思った。
そして何事もなく、戦闘訓練が終わり、生徒達が片付けを始める。
アオ達も楽しそうに話している。だが凛馬だけはどこか上の空だった。
その時、最後にもう一度だけ声が聞こえた。
『――生きろ』
凛馬の身体が僅かに震えた。
「……なんだったんだ」
答える者はいない。ただ夕焼けだけが静かに広がっていた。
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