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獣界の異邦人  作者: 凛k
17/19

家族みたいなもの

 「ちゃんと話、聞くにゃ」


 扉越しに聞こえたその一言が、胸の奥へ静かに突き刺さる。


 「……」


 返事ができなかった。

 何を話せばいいのか分からない。


 帰還のこと?

 学園長のこと?


 それとも、さっき鏡で見た”あいつ”のことか?


 何故かどれも違う気がした。


 コンコン——


 もう一度、小さく扉が叩かれる。


 「凛馬?」


 「……」


 「返事だけでもしてほしいにゃ……」


 優しい声だった。


 責めるわけでもなく、

 無理に聞き出そうとするわけでもない。


 ただ、俺を心配してくれている声。

 その優しさが、今は少しだけ苦しかった。


 「……いるよ」


 ようやく、それだけ返す。


 扉の向こうで、小さく息を吐く音が聞こえた。


 「よかったにゃ……」


 その声を聞くだけで、ミケがどれだけ心配していたのか伝わってきた。


 「……ごめん」


 思わず口からこぼれる。


 「謝らなくていいにゃ」


 ミケはすぐにそう返した。


 「私、待つにゃ」


 「……」


 「話したくなるまで、待つから」


 静かな沈黙が流れる。

 その沈黙は、不思議と嫌じゃなかった。


 「でも——」


 ミケが小さく続ける。


 「一人で抱え込むのだけは、ダメにゃ」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 こんな風に言われたことなんて、今まで一度もなかった。


 「……分かった」


 気付けば俺はそう呟いていた。

 ゆっくりと鍵を外し、少しだけ息を吸い込み、扉に手を掛けた。


 そして扉を開けると——


 目の前には、ミケが立っていた。

 いつもみたいに笑っていない。


 今にも泣きそうな顔で、ただ真っ直ぐ俺を見ていた。


 その表情を見た瞬間——

 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 「……ひどい顔にゃ」


 「……え?」


 思わず聞き返した。


 「そんな顔、初めて見たにゃ」


 ミケは心配そうに耳を伏せる。

 俺は何も言えず、その場に立ち尽くした。


 そんなにひどい顔をしていたのか?


 自分では、いつも通り笑っていたつもりだった。


 なのに——


 俺の作った笑顔は、誰一人騙せていなかったらしい。


 「そんなにひどい顔か……?」


 思わず苦笑してしまった。


 ミケはただ、小さく頷いた。


 「見てるこっちまで苦しくなるくらいには」


 その一言に、俺は何も返せなかった。


 「……」


 静かな時間が流れる。

 廊下の窓から吹き込む風だけが、二人の間を通り抜けた。


 「……聞かないのか?」


 気付けば、俺の方から口を開いていた。


 「何があったのか……とか」


 ミケは少しだけ首を傾げる。


 「聞いてほしいにゃ?」


 「……」


 その問いに、言葉が詰まる。

 

 話したい。

 でも——話したくもない。


 そんな矛盾した気持ちが胸の中でぐるぐると回る。


 「分かんない——」


 ようやく出た言葉は、それだけだった。


 「話したいのか、話したくないのか……自分でも分かんないんだよ」


 少し黙った後、ミケは少し困ったように頭を掻いた。


 「なんて言ったらいいか、分かんないにゃ……」


 「……」


 「私、難しいこと苦手だから……」


 照れくさそうに笑う。


 「だから……上手く言えないんだけど」


 一度言葉を切り、俺を真っすぐ見つめた。


 「話せるようになったら、その時聞かせてほしいにゃ」


 ミケは少しだけ笑う。


 「だから、一人で無理だけはしないでほしいにゃ」


 「……」


 「私じゃ何もできないかもしれないし……

  何も解決できないかもしれない」


 「でも——

  隣にいる事はできるにゃ」


 その言葉は、真っすぐ胸に届いた。


 「……敵わねぇな」


 思わず小さく笑う。

 今度の笑顔は、少しだけ自然に出せた気がする。


 それを見たミケも、安心したように笑った。


 「でも、なんで——」


 思わず口からこぼれた。


 「なんで、そこまでしてくれるんだよ」


 「……?」


 ミケは少しだけ目を丸くする。


 「俺は人間だぞ?この世界の奴ですらない」


 言ってる自分の心が苦しくなってくる。


 「それなのに、なんで……」


 結局最後まで言葉にならなかった。


 ミケは少し照れくさそうに頬を掻く。


 「えっと……」


 少しだけ考え込む。

 そして、照れ笑いを浮かべながら口を開いた。


 「私、最初は凛馬の事ペットだって思ってたにゃ」


 ミケが苦笑する。


 「でも——今は違うにゃ」


 ミケが照れくさそうに苦笑する。


 「でも、一緒に過ごしてるうちに、それは違うなって思ったにゃ」


 「朝起こして、一緒に学校行って、一緒にご飯を食べて。

  そんなことしてるうちに、気付いたら——」


 ミケは少しだけ照れたように笑った。


 「……今は、家族みたいなものなんだって思っちゃったにゃ」


 「……家族?」


 思わず聞き返す。

 ミケは少し恥ずかしそうに笑った。


 「だから——家族が苦しそうにしてたら、放っておけないにゃ」


 「……」


 言葉が出なかった。


 “家族”。

 その言葉が、胸の奥へ静かに落ちていく。


 俺は今まで、その言葉をそんな風に向けられたことがあっただろうか?


 そんなふうに呼ばれたことなんて——

 多分、一度もなかった。


  「……」


 少しだけ沈黙が流れる。

 廊下には生徒達の笑い声が聞こえてくる。


 そういえば、ここはトイレの前だ。

 立ち止まって話すような場所じゃない。


 ミケも辺りを見回すと、小さく苦笑した。


 「……ここじゃ、落ち着いて話せないにゃ。」


 「え?」


 「誰か来るかもしれないし……」


 ミケは少し困ったように耳を揺らす。


 「こんな所で大事な話するの、なんか違うにゃ。」


 「……」


 確かに、その通りだった。

 昼休みだから、生徒も頻繁に通る。


 誰かに聞かれるような話じゃない。


 ミケは俺を見上げ、小さく笑う。


 「少しだけ、付き合ってくれるにゃ?」


 「どこ行くんだ?」


 「凛馬が、ゆっくり話せる所にゃ」


  そう言うと、ミケは俺の手首をそっと掴んだ。


 「行くにゃよ?」


 それだけ言って歩き始める。


 強く引っ張るわけでもない、

 ただ置いていかないように。


 なんだか、心地よい優しい力だった。


 「……」


 俺は何も言わず、その後を歩いた。


         ◇◇◇


 ミケに手を引かれるまま、校舎を離れて歩いていく。


 「こんな所あったんだ……」


 木々に囲まれた細い石畳の道を抜けると、小さな広場が姿を現した。


 真ん中には一本の大きな木。

 木陰には古びた木製のベンチが置かれている。


 風が葉を揺らし、木漏れ日が地面へ優しく降り注いでいた。


 昼休みだというのに、人の姿はどこにもない。


 「ここ……私のお気に入りにゃ」


 ミケは少しだけ得意そうに笑う。


 「みんなあんまり知らない場所にゃ」


 「授業サボる時に来てるとか?」


 冗談半分で聞いてみた。


 「違うにゃ!」


 ミケはぷくっと頬を膨らませた。


 「眠くなった時とか、考え事したい時とか……

  一人になりたい時に来る場所にゃ」


 そう言うと、ベンチへ腰を下ろした。


 「ここに来ると、なんか落ち着くんだにゃ。

 だから、凛馬も少しは楽になれるかなって」


 俺は思わず笑みが溢れた。


 「……ありがとう」


 ミケは嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ていると、不思議と少しだけ肩の力が抜けた。


 俺も静かに、その隣へ腰を下ろした。


 「……」


 静かな時間が流れる。

 風が木々を揺らす音だけが、二人の間を通り抜けていった。


 「……さて」


 思わず苦笑する。


 「何から話せばいいんだろうな……」


 ミケは何も急かさなかった。

 ただ、小さく頷くだけだった。


 「ゆっくりでいいにゃ」


 その一言に、少しだけ肩の力が抜ける。


 「……ありがとう」


 一度深く息を吸い込む。

 そして——


 「今日さ、学園長に呼ばれたんだ」


 「学園長先生に?」


 ミケが少し驚いたように聞き返す。


 「最初は、帰還の話をするって言われてさ」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥がまた少しだけ痛んだ。


 「帰還……?」


 ミケはその言葉を小さく繰り返した。


 「俺……

  元の世界に、帰れるかもしれないんだ」


 「……え?」


 ミケは目を丸くした。


 「帰れる……にゃ?」


 俺は小さく頷く。


 「この世界には、人間の世界へ繋がる門があるらしい」


 「門……?」


 「二百年前、この世界へ来た人間がいてさ。

  その人が帰らなかったせいで、その門だけが残り続けてるらしい」


 ミケは静かに聞いていた。

 どれだけ時間もかけても、口を挟まずただ俺の言葉を待ってくれている。


 「でも——」


 胸がまた忙しなく跳ねる。


 「その門が、もう閉じかけてるんだ」


 「……!」


 「いつ閉じるか分からないらしい。

  だから早く決めなきゃ行けないんだよ」


 「……」


 「こうしてる間にも……もう閉じてるかもしれない」


 ミケは少し俯いた。


 「だから、あんなに苦しそうだったにゃ……」


 俺は苦笑する。


 「ちょっと前の俺ならさ——

  帰れるって聞いた瞬間、喜んでたと思う」


 ミケの耳が分かりやすく垂れる。

 

 「あっちには、凛馬の家族がいるもんね……」


 「そう。突然いなくなった俺を、今も探してるかもしれない。」


 一度言葉を切る。


 「だけどさ——」


 自然と視線がミケへ向いた。


 「四日しか経ってないのに……

  もう、切り捨てられないんだ。」


 「……」


 風だけが静かに吹き抜けた。


 「みんなさ——

  人間の俺を、何の迷いもなく受け入れてくれた」


 ぽつりと呟く。


 「俺なんかのために笑って、心配して、怒ってくれて……」


 これまでの日々を思い出すと、自然と拳に力が入った。


 「みんなを置いて、何も返さないまま帰るなんて——」


 「そんなの嫌なんだよ」


 気付けば、それが本音になっていた。


 「せめて、俺がこの世界に来て良かったって思ってもらえる何かを残してから帰りたい。

  ……そう思っちゃう自分がいるんだ。」


 「……」


 ミケは真剣にその話を聞いていた。

 そしてしばらくしてから——口を開く。


 「……凛馬は本当に優しいにゃ」


 「……え?」


 俺は思わず顔を上げた。

 するとミケは少し寂しそうに笑った。


 「自分のことより、誰かの事を考えられる。

  だから、そんなに苦しいんだよね」


 「……」


 何も言い返せなかった。


 ミケは空を見上げ、小さく息を吐く。


 「私、本当は寂しいにゃ」


 その一言に、胸が締め付けられる。


 「でも——」


 ミケはゆっくりと俺を見る。


 「凛馬を産んでくれた家族のところへ、帰るべきだと思うにゃ」


 「……!」


 思わず目を見開いた。


 「きっと凛馬の家族は……凛馬が帰ってくるのを待ってる」


 ミケは少しだけ目を伏せる。


 「悲しいけど——

  私は、そっちの方がいいと思うにゃ。」


 「……」


 その言葉は、俺のためだけを思って口にした言葉だった。


 自分が一番寂しいはずなのに。

 それでも、俺の幸せを願ってくれている。


 そんな優しさが、胸に痛いほど刺さった。


 「……でも——」


 気付けば、言葉が漏れていた。


 「俺の家族は——」


 そこまで言って、口が勝手に止まった。


 ミケは首を傾げた。


 「家族が……どうしたにゃ?」


 「……」


 言うべきか?

 言わないべきか?


 こんなことずっと誰にも話したことがない。

 話したところで、どうにもならないと思っていた。


 でも、目の前にいるミケと話していると……


 理由なんて分からない。

 それでも今だけは——


 この人になら、本当の自分を話せる。

 そんな気がした。


 「……少し」


 俺は小さく息を吐いた。


 「昔の話をしてもいいか」


 ミケは何も言わず、小さく頷いた。


 「……ちゃんと聞くにゃ」


 「……俺さ」


 一度目を閉じる。

 思い出したくもなかった景色が、ゆっくりと脳裏に蘇る。


 「昔から——

  “ずっと、一人だったんだ”」


 そう言った瞬間、俺の中で止まっていた時間がゆっくりと動き始めた。

最後まで読んでくださりありがとうございます!


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