言えない本音
俺が戻る頃には、教室はいつもの賑やかな空気が戻っていた。
「ミケ、さっき頭やられてたよな?」
ギンガがニヤニヤしながらミケに近づいていた。
「うるさいにゃ!」
「めっちゃ良い音してたぞ」
「ギンガぁぁぁ!!」
ミケが勢いよく飛びかかる。
「ちょ、おまっ!」
二人が教室中を追いかけ回り、生徒達から笑いが起こる。
「また始まったわね」
コハクはニヤニヤしながらそれを見ていた。
「元気ですね」
ミナはいつも通り苦笑していた。
ヒョウカは静かに席へ着き、すでに教科書を開いていた。
普段と何も変わらない。
平和な時間だった。
「……」
だけど——
俺だけは、さっきまで学園長と話していた内容が頭から離れなかった。
帰るか。残るか。
その二つの言葉だけが、何度も頭の中で繰り返される。
キーンコーンカーンコーン——
そして、チャイムが鳴った。
「よーし、席つけー」
それと同時に——
気の抜けた声と共に、ユズル先生が教室へ入ってきた。
騒いでいた生徒達も、それぞれ席へ戻っていく。
「次は国語だ、教科書十八ページ開けー」
「……あ。」
しまった。
俺、まだ教科書ないんだった。
どうしようかと辺りを見回していると——
「はいにゃ」
隣から教科書がすっと俺の机へ寄せられる。
「一緒に見るにゃよ」
ミケが当然のように笑った。
「……ごめん」
「気にしないにゃよ!」
そう言うと、ミケは少し机を寄せてくれた。
そして、俺も教科書へ視線を落とした。
「……」
文字は見えている。
でも、一文字も頭へ入ってこない。
さっき学園長から聞いた話が、それほどまでに衝撃だった。
『君は二度と元の世界へ帰れなくなる』
その一言だけが、何度も頭の中で繰り返されていた。
「……」
ぼんやりと教科書を眺めていると、ユズル先生が教壇から顔を上げた。
「さてと——」
嫌な予感がした。
(……また俺か?)
こんな状態でやりたくないんだけど……
「この続きを読んでもらうか——」
来たぞ——
俺は思わず姿勢を正した。
今のうちに読んどかないと——
「……ギンガ」
「へ?」
ギンガが間の抜けた声を出す。
「俺っすか?」
「そう、お前」
「えぇぇぇ!?」
教室中が笑いに包まれた。
「なんで俺!?」
「なんとなく」
ギンガはぶつぶつ文句を言いながら立ち上がる。
俺はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。
(……俺じゃなかった)
完全に俺が当たると思っていた。
一人だけ構えていた自分が、少し恥ずかしかった。
(ついに負けを認めたのか……?)
そんなくだらないことを考えてしまう。
ギンガが読み終えると、
ユズル先生は授業を続ける。
結局、その後一度も俺の名前を呼ぶことはなかった。
だが、時々教壇からふと視線を感じた。
そして顔を上げると、一瞬だけユズル先生と目が合った。
「……」
先生は特に何も言わなかった。
そしてすぐに視線を外し、何事もなかったように授業を続けた。
その横顔は、いつもと何も変わらなかった。
けれど——
不思議と今日は、それが少しだけ優しく見えた。
その理由を、俺はまだ知らなかった。
◇◇◇
そして授業が終わり、
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
教室は一気に賑やかになった。
「今日は教室で食べようよ!」
「賛成〜!」
アオ達が自然と机を寄せ始める。
俺とミケも、それに合わせた。
「あ! 凛馬!」
ミケはゴソゴソと机の中を漁る。
そして——
「はいにゃ!」
弁当箱を二つ取り出した。
一つは自分ので、
もう一つは俺の分だ。
またお母さんが作ってくれたんだろう。
ありがたい。
「ありがと、ミケ」
「今日は唐揚げ入ってるにゃよ!」
嬉しそうに笑いながら、ミケは俺の前へ弁当箱を置いた。
みんなで机を囲み、それぞれ弁当を広げる。
「いただきます!」
元気な声が教室に重なった。
「いただきます」
俺も静かに手を合わせた。
そして、箸を手に取り一口食べる。
……美味い。
相変わらず、本当に美味しかった。
なのに——
箸が進まなかった。
「……」
もう一口運んでみる。
それだけで、もう手が止まってしまった。
頭の中には、学園長の言葉が何度も浮かんできた。
——帰るか。
——残るか。
考えれば考えるほど、胸の奥が苦しくなった。
それでも俺は、ゆっくりと箸を動かし続けた。
せっかく作ってくれたんだから、残すのは失礼だよな?
「……ごちそうさま」
そしめようやく自分の弁当を食べ終え、
小さく手を合わせた。
すると、ミケがまだほとんど手を付けていない自分の弁当を持ち上げた。
「今日もヒョウカと勝負するにゃ?」
そう言ってニッと笑った。
すると、黙々と弁当を食べていたヒョウカが箸を止める。
「……リベンジしてみるか?」
静かにそう言って、俺に視線を向けた。
昨日までの俺なら、間違いなく乗っていた。
なんだかんだ楽しかったし。
でも——
今日は色々都合が悪かった。
「……ごめん」
小さく首を横に振った。
「今日はキツい」
「にゃ?」
ミケの耳がぴくりと動く。
「……具合悪いにゃ?」
「いや、大丈夫」
俺は無理に笑顔を作った。
「ちょっと疲れてるだけ」
そう言って、俺はゆっくりと立ち上がる。
「ちょっとトイレ行ってくる」
無理やり笑ってそう言うと、教室を後にした。
だけど——
自分でも分かるくらい、その笑顔はぎこちなかった。
◇◇◇
教室の扉が閉まる。
私はその扉を、しばらく見つめていた。
「……」
変だった。
今日の凛馬は、朝からずっと変だった。
教室に戻ってきた時から、授業中もずっとどこか上の空だった。
ご飯だってそう。
いつもあんなに美味しそうに食べる子なのに、今日は全然箸が進いてなかった。
『ちょっと疲れてるだけ』
そう笑ってたけど……
あれは、いつもの笑顔じゃなかった。
無理して笑ってる。
そんなの見れば分かる。
だって、この四日間——
朝は私が起こして。
一緒に学校へ行って。
一緒にご飯を食べて。
帰る時もずっと一緒だった。
たった四日。
でも、一番凛馬を見てきたのは、多分私だ。
だから分かる。
今の凛馬は、絶対に何かを隠してる。
「……」
胸の奥のモヤモヤが、大きくなる。
「ねぇ——」
気付けば声が出ていた。
「凛馬、今日なんか変じゃないにゃ?」
アオが小さく頷く。
「うん……僕もそう思ってた。
ずっとボーッとしてたよね」
ミナも心配そうに扉の方を見る。
「学園長と話してから、様子がおかしくなりましたね……」
コハクも腕を組んで口を開く。
「でも、何も話してくれなかったね……」
ヒョウカが短く呟く。
「何かあったな」
その一言に、誰も否定できなかった。
私はもう一度、凛馬が出て行った扉を見る。
なんだろう——
変な冷や汗が出て来た。
何か大きなことがあった気がしてならない。
「……迎えに行くにゃ。」
思わず、そう呟いていた。
「え?」
アオ達が一斉に私を見る。
「一人にしたらダメな気がするにゃ」
理由なんて分からない。
でも——
今の凛馬は、絶対一人にしちゃいけない。
「じゃあ僕達も──」
アオも立ち上がろうとした、その時だった——
「いや」
コハクがアオを止める。
「ここはミケだけで行った方がいいと思う」
「……にゃ?」
ミケは首を傾げる。
コハクは肩をすくめて笑った。
「私達がぞろぞろ行ったら、余計に話しにくくなる気がするのよ。」
「……」
「ほら、最初からずっと一緒にいるんだし……
そういうのって、意外と大きいのよ」
アオ達も顔を見合わせ、小さく頷いた。
「ミケ、お願いします」
ミナも優しく微笑む。
ヒョウカは短く一言だけ言う。
「任せたぞ」
「……分かったにゃ」
凛馬はきっと、一人で抱え込もうとしてる。
でも、それじゃダメだよね。
私は決めた。
凛馬が話せるまで、ちゃんと隣にいる。
話したくなったら、全部聞く。
もし話したくないなら、それでもいい。
でも、一人で抱え込ませたりなんてしない。
「待ってるにゃ、凛馬」
小さく呟き、私は椅子を引いた。
そして、凛馬の後を追うように教室を飛び出した。
◇◇◇
俺は誰もいないトイレへ入る。
蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗った。
「はぁ……っ」
顔を上げると——
鏡に映っていたのは、疲れた俺の顔。
呼吸が少しだけ荒くなっていた。
落ち着け。
落ち着け、俺。
そう言い聞かせても、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
「……」
帰りたい。
その気持ちは、本物だ。
家族は向こうで俺を待っている。
でも——
「これ以上……
これ以上みんなと仲良くなったら……」
“帰りたくなくなる”。
そんな気がした。
それで、本当にいいのか?
俺は人間だ。
この世界の人間じゃない。
だったら——
あまり深く関わらない方がいいんじゃないか?
別れが辛くなるくらいなら……
最初から少し距離を置いた方が——
「……違う」
思わず首を振る。
そんなこと、もうできるわけがない。
この世界は——
俺にとって、大切な存在になり始めている。
「……くそ」
小さく呟いた。
答えなんて、どこにも見つからなかった。
この瞬間——
“あの声”が聞こえてくる。
『聞こえてるか?』
鏡の奥——
自分の後ろに、赤い影が映っている気がした。
「……っ!」
勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。
『随分と悩んでるじゃねぇか』
「……お前」
『仲良くなれば帰れなくなる——
だから距離を置こうって?』
“それ”は鼻で笑う。
『笑わせんな』
「……」
『お前はそんな器用な人間じゃねぇだろ』
「黙れ……」
『どっちか決めろなんて、もう手遅れなんだよ』
その言葉で、俺の心臓は強く跳ねた。
『あいつらはお前を仲間だと思ってる。
お前もそう思ってんだろ?』
「……ッ」
『だったら——
もう認めろよ。』
『“本当は帰りたくないんだろ?”』
その瞬間——
「お前に何が分かんだよ!!!」
気付けば叫んでしまっていた。
ガァン!!
拳が鏡へ叩きつけられる。
静かなトイレに、その音だけが響いた。
「……はぁ……」
もう一度鏡へ視線を向けてみた。
するとそこには——
俺によく似た、一人の男が立っていた。
その輪郭も立ち姿も——
不思議なくらい俺に似ていた。
ただ一つ……
鏡へ差し込む光が強く反射し、その男の顔だけはよく見えない。
まるで、そこだけ意図的に隠されているかのようだった。
それでも——
一つだけはっきりと分かるものがある。
——赤い瞳。
どこまでも深く、どこまでも静かな赤。
その瞳だけが、まっすぐ俺を見つめていた。
「……誰だお前」
“それ”は俺の質問を無視して続ける。
『悪い、怒らせるつもりはなかった』
さっきまでの挑発的な感じはしなかった。
そして、どこか申し訳なさそうな感じもした。
「……」
俺は何も言えなかった。
『まぁ……
結局、その答えを決めるのは俺じゃない』
“それ”は肩をすくめる。
『帰るのか、残るのか。
それは、お前自身が決めろ』
俺が顔を上げると、“それ”はどこか懐かしそうに笑った。
『でもな、俺は——』
その赤い瞳が、真っすぐ俺を見つめる。
『お前が最後に選ぶ答えを、知ってる』
「……何?」
思わず聞き返した。
けれど“それ”は、それ以上何も言わなかった。
ただ意味深に笑うと、その姿は鏡の中からゆっくりと消えていった。
「待て!」
思わず鏡へ駆け寄り、鏡の中を何度も見回す。
だが鏡に手を触れてみても——
そこに映っていたのは、息を切らした俺だけだった。
「……なんだったんだよ」
夢でも見ていたのか、
それとも本当にそこにいたのか。
答えは分からない。
ただ一つだけ——
あの赤い瞳だけは、今も頭から離れなかった。
すると——
コンコン。
不意に、トイレの扉が小さく叩かれる。
「……凛馬?」
聞き慣れた声だった。
どこか不安そうで、優しかった。
だけど今の俺には、その優しさが少しだけ苦しかった。
「……」
だが俺は答えられなかった。
しばらく沈黙が流れる。
そして扉一枚隔てた向こうから、もう一度声が聞こえる。
「ちゃんと話……聞くにゃ」
その一言が、胸の奥へ静かに突き刺さった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
少しでも面白いと思っていただけたら、評価・ブックマークをしていただけると嬉しいです!
次回もよろしくお願いします!




