第四話 港が死ぬ夜
「港を買うんじゃない」汐は海を見たまま言った。「人が、そこしか選べなくなるようにするんです」
「……どういうことじゃ」
「保険を変える。修繕を止める。荷を減らす。そうすると商人は困る。借金をする。借金が積もると、土地を手放す」汐は静かに続けた。「手放した土地を、誰が買うか」
龍馬は答えなかった。
「銃は要らない」汐は言った。「時間と、お金と、帳簿があれば、港は取れる」
波が来て、引いた。
龍馬はその音を聞いていた。
「なんで分かる」
「父が、ずっと言っていました」汐は初めて龍馬を見た。「でも誰も信じなかった」
その目が、龍馬には痛かった。
彼女は最初から知っていた。龍馬が長崎に来る前から。積荷目録を見る前から。
そして龍馬は笑って流した。あの日、波止場で。
――――――
夕方、徳蔵が動いた。
浜から立ち上がり、一人で歩き始めた。
龍馬は嫌な予感がした。
汐も気づいた。
二人で後を追った。
徳蔵は港の突端まで歩いた。そこで立ち止まった。
海を見た。
龍馬が声をかけようとした時、汐が龍馬の腕を掴んだ。
「間に合いません」
小さな声だった。
龍馬は走った。
間に合わなかった。
――――――
夜、龍馬はひとりで波止場に座っていた。
煙草を持っていたが、火をつけなかった。
頭の中が、静かだった。
怒りではなかった。悲しみでもなかった。
ただ、何かが、はっきりした。
港湾図。保険。査定。借金。土地。
そして徳蔵の、あの空っぽの目。
龍馬は立ち上がった。
蒸気船の黒煙が、夜空に溶けていた。
「……商いが、人を殺す」
誰にも聞こえない声で言った。
それだけだった。
まだ言葉にならなかった。
だが、もう引き返せなかった。




