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Company ―仕組みで戦え―  作者: 八雲 海


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第十八話 ロンドンを出る朝

出発の朝、霧はなかった。




 珍しかった。グレイに聞いたら、ロンドンで霧のない朝は少ないと言っていた。




 龍馬は窓を開けた。




 空が、薄く青かった。




 テムズ川が光っていた。




 初めて見る、ロンドンの晴れた朝だった。




――――――




 荷をまとめた。




 大したものはなかった。




 だが、紙が増えていた。




 ロンドンで書き溜めたものだった。




 地図の写し。銀行の仕組みのメモ。保険の構造。電信の路線図。航路の設計案。




 全部、自分の言葉で書いたものだった。




 グレイの言葉ではなく。




 ホルト卿の言葉でもなく。




 龍馬自身の言葉で。




 龍馬は紙の束を、丁寧に畳んだ。




 懐に入れた。




――――――




 宿を出ると、中岡が待っていた。




 「行きましょう」中岡は言った。




 「ええ」




 二人で歩いた。




 テムズ川沿いの道を、埠頭へ向かった。




 朝の空気が冷たかった。




 だが清々しかった。




 霧がない分、街がよく見えた。




 石造りの建物。煙突から上がる煙。川を行き交う船。




 龍馬はそれを見ながら歩いた。




 来た時と、同じ景色だった。




 だが見え方が違った。




 来た時は、圧倒されていた。




 今は、見えていた。




 仕組みが見えていた。




 どこで何が動き、どこに何が溜まり、どこから何が流れているか。




 全部ではない。




 でも、輪郭は見えた。




――――――




 埠頭に着いた。




 船が待っていた。




 まずシンガポールへ。そこから上海。上海から長崎へ。




 長い道だった。




 だが帰れる。




 龍馬は埠頭に立ち、テムズ川を見た。




 川は流れていた。




 止まらなかった。




 上海の黄浦江も、長崎の港も、同じように流れていた。




 全部繋がっていた。




 この川の水が、海になって、世界に広がっていた。




 龍馬は懐の紙を触った。




 書き溜めたものが、そこにあった。




 「中岡」龍馬は言った。




 「なんですか」




 「儂は今から、海援隊を変える」




 中岡は龍馬を見た。




 「どう変えるんですか」




 「船だけの組織じゃいかん」龍馬は川を見たまま言った。「情報を持つ。航路を設計する。保険を作る。日本中の港を繋ぐ」




 「大きな話ですね」




 「大きくせにゃならん」龍馬は言った。「相手が大きいけん」




 中岡はしばらく黙った。




 「龍馬さん」中岡は言った。「それは、東インド会社みたいになるということですか」




 龍馬は中岡を見た。




 「似た道具を使う」龍馬は言った。「でも、目的が違う」




 「目的は」




 「人が、選べるようにすること」




 中岡は龍馬を見た。




 「選べるようにする、か」




 「ええ」龍馬は言った。「港を選べる。航路を選べる。商いの相手を選べる。どこの保険に入るかを選べる。どこの国と商売するかを選べる」




 「今は選べないんですか」




 「選べんようになりつつある」龍馬は言った。「儂がロンドンに来る前から、少しずつ、選べない仕組みが作られてきとった」




 中岡は川を見た。




 「難しい戦ですね」




 「難しい」龍馬は頷いた。「刀では斬れん。銃でも届かん」




 「では、何で戦うんですか」




 龍馬は少し間を置いた。




 「仕組みで、戦う」




 「仕組みで」




 「向こうが仕組みで来るなら、こちらも仕組みを作る」龍馬は言った。「でも、向こうの仕組みとは、根っこが違う仕組みを」




 「根っこが違う、とは」




 「向こうの仕組みは、一箇所に集めるために動く」龍馬は言った。「儂の仕組みは、各地に残すために動く」




 中岡はしばらく考えた。




 「難しいですが」中岡は言った。「分かります」




 「そうか」




 「でも龍馬さん」中岡は言った。「そんな仕組みを、一人で作れますか」




 龍馬は川を見た。




 「一人では作れん」




 「では」




 「海援隊がある」龍馬は言った。「薩摩がある。長州がある。各藩の商人がいる。港の人間がいる」




 「まとめられますか」




 「まとめにゃならん」龍馬は言った。「それが、儂の仕事じゃ」




――――――




 船に乗る直前、龍馬は埠頭に立って、もう一度ロンドンを見た。




 石造りの建物が並んでいた。




 煙突から煙が上がっていた。




 街は動いていた。




 止まらなかった。




 龍馬はその景色を、目に焼き付けた。




 忘れないために。




 何と戦っているかを、忘れないために。




 「行きましょう」中岡が言った。




 「ええ」




 龍馬は船に乗った。




 埠頭が遠ざかった。




 テムズ川が広くなった。




 ロンドンが小さくなった。




 龍馬は甲板に立ち、遠ざかる街を見た。




 霧が出始めていた。




 晴れていた空が、また白くなってきた。




 ロンドンはいつもの姿に戻っていた。




 龍馬は東を向いた。




 長崎の方へ。




 汐のいる方へ。




 帰らにゃならん場所へ。




――――――




 船が沖に出た頃、龍馬は甲板で紙を出した。




 新しい紙だった。




 何も書かれていなかった。




 龍馬は筆を持った。




 しばらく、白い紙を見た。




 それから書き始めた。




 「仕組みで戦う」




 「だが仕組みに飲まれてはいかん」




 「飲まれそうになったら、止めてくれる者を傍に置く」




 「その者が、汐であってほしい」




 最後の一行を書いて、龍馬は筆を置いた。




 風が来た。




 紙の端が揺れた。




 龍馬は紙を押さえた。




 海を見た。




 広い海だった。




 どこまでも続いていた。




 この海の向こうに、ロンドンがある。




 この海の向こうに、上海がある。




 そしてこの海の先に、長崎がある。




 龍馬は紙を畳んだ。




 懐に入れた。




 他の紙と一緒に。




 設計図と、覚悟と、汐の名前が書かれた紙と。




 全部、同じ場所に。




 船は進んだ。




 風は向かい風だった。




 それでも進んだ。




 長崎へ。




 日本へ。




 帰らにゃならん場所へ。

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