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境界技師の観測録 〜見えるだけの俺、なぜか世界の呪いまで剥がしてしまう〜  作者: 空乃 カナタ


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第十三話 市場に伸びる青い線

「街の中に、未帰還者がいる」


 俺がそう言ったあと、神殿地下の空気はしばらく動かなかった。


 第二未帰還者。


 杭に浮かんだその文字は、もう消えている。


 けれど、青い線だけは残っていた。


 床から壁へ。

 階段の方へ。

 神殿の上へ。


 そして街の南側、市場の方角へ伸びている。


「ミナト、歩けるか」


 レンさんが聞いた。


「歩けます」


「嘘をつくな」


「支えてもらえれば、たぶん」


「たぶんも嘘に含める」


 レンさんは俺の返事を待たず、近くの兵士に指示を飛ばした。


「担架を用意しろ。目立たない布もだ」


「担架はやめてください」


「なら倒れるな」


「努力します」


「……市場で担架は目立ちすぎるな。リナ、支えろ。兵士は左右につけ。倒れたら即担架だ」


「分かりました」


 リナさんは少し申し訳なさそうにしながらも、反対しなかった。


「市場は人が多いです。ミナトさんが倒れたら、それだけで騒ぎになります」


「俺はもう騒ぎの中心なんですか」


「かなり」


 否定してほしかった。


 階段を上がると、封印室の前にはガルナさんが来ていた。


 神殿の入口に残していた兵士が、異常発見の報告だけ先に走らせたらしい。銀髪を後ろに流したガルナさんは、厳しい顔で俺たちを見た。


「神殿の下に、神殿も知らない施設があったと聞いた。まず、それで合っているな」


「合ってる」


 レンさんが答える。


「なら、現場にいた者の口で説明しろ。下で何が起きた」


 レンさんが俺を見る。


「ミナト」


「神殿地下に、第七観測点という場所がありました。そこから青い線が伸びています」


「青い線?」


「灰色とは別です。故郷の記録端末や、地下の杭に繋がっていた線です。その線が、街の南側へ向かっています」


 ガルナさんの目が細くなる。


「危険なのか」


「青い線自体は、触れたものを侵す感じではありません。でも……」


「でも?」


「灰色が、その青い線を探しているように見えます。今も細い灰色が、後を追い始めています」


 その瞬間、ガルナさんの表情が変わった。


「放置すれば市場で呪染が出る可能性がある、ということか」


「あります」


「レン、護衛は最小人数。大人数で行けば市場が混乱する。セリア、封印布と水晶灯を持て。リナは記録とミナトの監視」


「はい!」


「俺は監視対象なんですね」


「最重要監視対象だ」


 ガルナさんに言われると、反論できなかった。


 マルド司祭は神殿地下に残った。


 聖水槽、封印室、第七観測点。

 そのすべてを神殿側で封鎖し、誰も触れさせないためだ。


 神殿を出る頃には、街は朝の賑わいを取り戻し始めていた。


 昨日、北門で何があったかを知る者は多い。


 それでも市場は動く。


 野菜を並べる商人。

 荷車を押す少年。

 香辛料を量る女。

 焼きたてのパンを買いに来た子ども。


 その全部の下を、青い線が一本、静かに通っていた。


 灰色ではない。


 だから誰も気づかない。


 でも、俺には見える。


「どっちだ」


 レンさんが低く聞く。


「南通りをまっすぐ。噴水の手前で左です」


「市場警備には声をかけてある。騒ぐな、囲むな、近づけるな。それだけ伝えた」


「十分です」


 リナさんに支えられながら、青い線を追う。


 体は重い。


 頭の奥も痛い。


 だが、青い線は灰色より見やすかった。


 敵意がない。


 けれど、こちらを呼んでいるような感じがある。


 助けを求めているのか。


 それとも、観測者を探しているのか。


「止まってください」


 俺は市場の一角で足を止めた。


 古道具を並べた小さな露店。


 錆びた燭台。

 欠けた皿。

 壊れた水晶灯。

 誰かが捨てた金具。


 その中に、青い線が集まっている。


「ここですか?」


 リナさんが小声で聞く。


「たぶん」


「また出ましたね」


「ここです」


 言い直すと、リナさんが小さく頷いた。


 露店の奥にいたのは、十二、三歳ほどの少女だった。


 黒髪。


 この街では珍しい色だ。


 服は古いが、きちんと洗われている。細い腕で木箱を抱え、こちらを警戒するように見上げていた。


「お客さん?」


 少女が言った。


 普通に、この世界の言葉だった。


 俺は少し息を吐く。


 日本語ではない。


 だが、胸の奥のざわつきは消えなかった。


 青い線は、少女の胸元へ伸びている。


 正確には、首から下げている小さな銀色の輪へ。


 指輪ではない。


 金属の輪に、割れた透明な欠片が埋め込まれている。


 見覚えがあった。


 研究室で使っていた、認証タグに似ている。


「その首飾り、珍しいですね」


 俺が言うと、少女は一歩下がった。


「売り物じゃないよ」


「取るつもりはありません。昔から持っているものですか」


「……分かんない。拾われた時からあったって、おばさんが言ってた」


 拾われた時から。


 俺は首飾りを見た。


 青い線は、そこから伸びている。


「それを持っていて、何か変わったことはありませんか」


「変わったこと?」


「光が見えるとか、知らない音が聞こえるとか。文字が浮かぶとか」


 少女の顔色が変わった。


「……夢で見る」


「夢?」


「青い光の部屋。知らない人の声。あと、変な文字」


 心臓が強く鳴った。


「変な文字って、どんな」


 少女は迷ったあと、露店の木箱の隅に指でなぞった。


 ぎこちない線。


 けれど、俺には読めた。


 ユイ。


 片仮名だった。


 この世界にあるはずのない文字。


 俺の故郷の、子どもでも読めるほど見慣れた文字。


「……ユイ」


 俺が呟くと、少女が目を見開いた。


「読めるの?」


「はい」


「誰にも読めなかったのに」


 レンさんとセリアさんの空気が変わる。


 リナさんが息を呑んだ。


「名前ですか」


 俺が聞くと、少女は首飾りを握った。


「分からない。私はミラって呼ばれてる。拾ってくれたおばさんが、そう付けてくれた。でも、夢ではずっと、その音が聞こえる」


「ユイ」


「そう」


 少女――ミラは、小さく頷いた。


 その瞬間、露店の下から灰色の線が伸びた。


 市場の石畳の隙間。


 古い排水溝。


 そこから、細い灰色が蛇のように首飾りへ向かっている。


「下がって!」


 俺が叫ぶ。


 レンさんが即座にミラを抱えて後ろへ跳んだ。


 次の瞬間、露店の足元の石が黒く滲む。


 灰色の粉が、隙間から吹き上がった。


「セリア!」


「封じます!」


 白い光が広がる。


 マルド司祭はいない。


 神殿の術で灰色を封じられるのは、ここではセリアさんだけだ。


 だが彼女は迷わず水晶灯を掲げ、灰色の粉を白い網で押さえ込んだ。


「市場の人を下げてください!」


 リナさんが周囲に叫ぶ。


「灰色の粉に触れないでください! 離れて!」


 市場警備の兵士たちが動き、人々を下げる。


 騒ぎが広がる前に、ガルナさんの指示が飛んだ。


「露店通りを封鎖! 逃げる方向を一つに絞れ! 押すな、走らせるな!」


 青い線が震えている。


 ミラの首飾りから、俺へ。


 そして神殿地下の杭へ。


 灰色はその青い線を狙っている。


「ミナト、掴めるか!」


 レンさんがミラを背に庇いながら叫ぶ。


「近いです。でも、市場の地下から来ています」


「排水路か」


「たぶん。灰色の線が、首飾りへ食い込もうとしています」


 ミラが怯えた顔で俺を見る。


「何なの、これ」


「俺にも全部は分かりません」


「それ、助ける時に言うこと?」


「嘘をつくよりは」


 ミラは泣きそうな顔で、それでも首飾りを握りしめた。


「じゃあ、助けて」


 その一言で、腹が決まった。


「首飾りを外さないでください。青い線が切れます」


「分かった」


 俺は布越しに首飾りへ触れた。


 青い線が指先に流れ込む。


 杭の時と似ている。


 だが、もっと弱い。


 眠っている線だ。


 そこに灰色が絡みつこうとしている。


「これは……固定杭じゃない」


「何だ」


 レンさんが聞く。


「たぶん、認証具です。観測者を識別するためのもの」


「ミラが観測者なのか」


「分かりません。でも、杭は第二未帰還者と言いました」


 ミラが小さく震えた。


「未帰還者……?」


 説明している時間はない。


 灰色が首飾りの青い線に触れた。


 瞬間、ミラの瞳が青く光った。


 俺の頭の奥に、知らない声が響く。


 幼い声。


 女の子の声。


 ――お兄ちゃん、門を閉じないで。


 俺の息が止まった。


 ミラが同じ言葉を、口にした。


 ただし、日本語で。


「お兄ちゃん、門を閉じないで」


 市場の喧騒が遠のいた。


 リナさんが俺を見る。


 レンさんも、セリアさんも、言葉の意味は分からない。


 でも、俺には分かった。


 その呼び方。


 その声。


 俺の記憶の奥で、白い研究室の向こうから聞こえていた声と同じだった。


 ミラの首飾りに、青い文字が浮かぶ。


 ――第二未帰還者:観測補助者・結衣。


 俺は喉の奥で、掠れた声を出した。


「ユイ……」


 ミラの瞳から、青い光が消えた。


 代わりに、排水溝の奥で灰色の線が膨れ上がる。


 見つけた、とでも言うように。


 今度は市場の地下から、複数の灰色の腕が伸びてきた。

次話、市場で見つかった第二未帰還者――結衣。ミナトの記憶に残る「お兄ちゃん」という声と、排水路から伸びる灰色の腕が街中を巻き込みます。続きが気になった方は、ブックマークと評価で応援していただけると励みになります。

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