第47話:楽しみな日は何故か勝手に目が覚める。 ~いざゆかん、コスモス畑!~
コスモス畑へ行く約束の日の朝。
私はいつもよりずっと、それこそ目覚まし時計が鳴るよりも遥か前にパチリと目を覚ました。
ベッドから這い出て窓を開ければ、時間はちょうど朝の五時半を回ったところ。
外はまだ、夜の名残をわずかに残しながら、朝焼けの光でうっすらと白み始めたばかりの静かな世界が広がっている。
けれど、遮る雲ひとつない東の空を見れば、今日がこれ以上ないほどの絶好のピクニック日和になることは一目で確信できた。
「よしっ!」
ひんやりとした朝の空気を吸い込んで気合いを入れると、私は両手で自分の頬をパチンと叩いた。
今日はやることがたくさんある。
まずは――そう、今回の最重要任務の一つ、お弁当作りだ。
◇◇◇
「お、お嬢様!?!?」
私が厨房へ一歩足を踏み入れた瞬間、料理長がその立派な髭を震わせ、盛大に目を見開いた。
「おはようございます、料理長」
「お、おはようございます、リアンナお嬢様……」
料理長をはじめ、朝の仕込みをしていた料理人たちが一斉にガタガタと困惑し始める。
無理もない。貴族の令嬢が、日の出まもない時間にわざわざ厨房へ現れるなど、普段の生活ではまず有り得ない、滅多にないことなのだから。
「驚かせてしまってごめんなさい。実は本日、お出掛け用のお弁当を自分で作りたいのですけれど……」
「お弁当……でございますか?」
「はい」
私がこくりと頷くと、料理長はハッと何かを察したらしい。
それまでの困惑が嘘のように消え去り、まるで恋に悩む孫を見守る祖父のような、もの凄く優しい、生温かい笑顔になった。
――やめてほしい。お願いだからその顔はやめてほしい。前世のアラサー魂が羞恥心で爆発しそうになる。
「……なるほど、そういうことでございますな! 食材は最高の物をご用意いたしますので、何なりとお申し付けください!」
「あ、ありがとうございます……」
私は料理長や、途中で手伝いに来てくれた使用人たちの全面協力を得ながら、お弁当作りを開始した。
メニューは定番のサンドイッチに、前世仕込みの甘い卵焼き、彩り豊かな特製サラダ。
そこに加えて、2品前世の知識を総動員した特別メニューをねじ込むことにした。
まずは、茹でた卵をひき肉で包んでカラリと揚げたスコッチエッグ。
半分に切ると、綺麗な黄色と白の断面が顔を出し、見た目もコロッとしていて可愛い上に、現役バリバリの騎士様のお腹もしっかり満たせるボリューム満点のおかずだ。
そしてもう一品は、秋の味覚をふんだんに活かしたさつまいもの蜂蜜レモン煮。
鮮やかな黄色と紫がお弁当の素敵な差し色になるのはもちろん、レモンの酸味で爽やかに仕上げたさつまいもの自然な甘みは、箸休めにぴったり。何より、掴んだばかりの彼の貴重な情報『実は甘い物好き』という好みに、私なりにそっと寄り添った特効薬でもあった。
「お嬢様、そのお野菜はこちらで均等に切っておきますね」
「ありがとう、エマ。助かるわ」
専属メイドのエマは、流石の慣れた手つきで次々と野菜を切り分けていく。
前世では一人暮らしこそしていなかったものの、自炊できる時は時間を見つけてはちゃんとするように心掛けていた。
だからこそ、こうした調理の手順や手際は、身体がしっかりと覚えてくれている。
けれど今回は相手がよく食べるであろう健康優良な騎士様だ。自然と量が多くなるため、彼女の手助けは正直とてもありがたかった。
「それにしても」
エマが手元を動かしながら、ニヤニヤとした視線をこちらに送ってくる。
「随分と気合いが入っておりますね、お嬢様。サンドイッチとサラダだけでも十分だと思うのですが?」
「何を言っているのエマ。ピクニックといえば、豪華なお弁当と相場が決まっているでしょう?」
「なるほど、ピクニックの定義ですか」
エマは完全に「はいはい、そういうことにしておきます」と言いたげな、全く納得していない顔をしていた。失礼である。主のピクニックへのこだわりを侮らないでいただきたい。
「せっかくのお出掛けですもの。美味しいものを青空の下で食べた方が、何倍も楽しいじゃない」
「はいはい、そうですね」
その生返事もなんだか怪しかったけれど、私の胸が弾んでいるのは事実だった。
見渡す限りのコスモス畑。美味しい手作りお弁当。配置も彩りも完璧だ。
想像するだけで、自然と頬が緩んでしまう。
「……お嬢様」
「なぁに?」
「その緩みきったお顔をセドリック様が見たら、それだけで卒倒して喜ばれそうですね」
「?」
何を言っているのだろう。セドリックが私の顔を見て卒倒する理由が、1ミリも分からなかった。
◇◇◇
「まあ!」
お弁当が完成する頃、様子を見に来たお母様がパッと声を上げた。
「とっても美味しそうね、リアンナ」
「はい、頑張りました!」
「ええ、見れば分かるわ。これほど手の込んだもの、私でも早起きして作れるかしら」
お母様は楽しそうに微笑む。
「セドリック様も、きっと大喜びされるわね」
「そう言っていただけると嬉しいです」
これは素直な本音だった。
せっかく前世の記憶を引っ張り出して作ったのだ。彼に「美味しい」と言ってもらいたい。ただそれだけである。
◇◇◇
その後、私は一度部屋へと戻り、家族揃っていつも通りに朝食を済ませた。それから、約束の時間に向けてじっくりと丁寧な身支度を整えていく。
大きな全身鏡の前で、私は仕上げにくるりと一回転した。
今日のために選んだのは、淡い水色のワンピース。
胸元には品の良い繊細なレースがあしらわれ、裾には白い小花の刺繍が散りばめられている。
動くたびにふわりと揺れる軽やかな生地は、決まりきったお出掛け着のような堅苦しさがなく、それでいて伯爵令嬢としての品格もしっかりと保っている。
夜会用のドレスのように豪華絢爛ではないけれど、カジュアルな休日のお出掛け着としては、我ながら十分すぎるほど可愛らしかった。
腰には細身の白いリボンを結び、お揃いの小さな帽子には水色の花飾りが添えられている。
鏡に映る自分は、いつもより少しだけ「可憐なお嬢様」らしく見えた。
「よくお似合いですよ、お嬢様。とても可愛らしいです」
後ろで髪を整えてくれたエマが、我が事のように満足そうに頷いた。
「ありがとう。少し気恥ずかしいけれど……」
私はふと、机の上へ視線を向けた。
そこには、丁寧にラッピングされた小さな箱が置かれている。
セドリックへのお返しとして選んだ、あの銀色の懐中時計。青い秒針が美しい、極上の一品だ。
何度見ても、これにして良かったと思う。
私はそっと箱を手に取り、小さな革の鞄の奥へと大切にしまった。
その時だった。
コンコン、と小気味良いノック音が部屋に響く。
「お嬢様。セドリック・トリスタン様がお見えになりました」
廊下の向こうから聞こえた執事の声に、私の心臓がトクンと跳ねた。
「あ、はい! 今すぐ降りますわ!」
思わず声が弾んでしまう。横を向くと、案の定エマが本日一番のドヤ顔でニヤニヤしていた。お願いだから本当にやめてほしい。
◇◇◇
バスケットに詰めたお弁当の籠をしっかりと抱え、私は軽い足取りで中央階段を降りた。
玄関ホールへ向かう途中も、どうしても自然と頬が緩んでしまうのを止められない。
今日はいよいよ、あのコスモス畑。しかも手作りお弁当付きの完璧なピクニックだ。楽しみじゃないわけがない。
一階の玄関ホールへ辿り着くと、そこには既に凛とした佇まいで立つセドリック様の姿があった。
お父様とお母様も見送りのために並んでいる。どうやら私が降りてくる前に、大人の挨拶は済ませていたらしい。
「セドリック様、おはようございます」
私が一歩踏み出し、声を掛けると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。
エントランスの大きな窓からは、すっかり高く昇った秋のまばゆい朝の光が、惜しみなく差し込んでいる。その暖かな光の中に立つ私を見て、彼は――。
「……」
なぜか、彫刻のようにピタリと一瞬だけ、その全身の動きが止まった。
「?」
私はその場で小首を傾げる。
「あの……どうかいたしましたか? セドリック様」
「いや……」
セドリックは、ハッと我に返ったように微かに瞬きをすると、耳の裏をほんのり赤く染めて小さく微笑んだ。
「その……とても、よく似合っている。美しい、な」
「あ……」
どうやら、この水色のワンピースのことらしい。
真正面からストレートに褒められ、私の頬にも一気に熱が昇っていくのが分かった。
「あ、ありがとうございます……! お気に入りのワンピースでしたので、そう言っていただけると嬉しいですわ」
私が照れ隠しに小さく微笑むと、隣でお母様が満足そうに深く頷いた。なぜかお母様の方が誇らしげなのが不思議である。
「では、リアンナ嬢。そろそろ参りましょうか」
「はい!」
セドリックがエスコートの手を差し伸べてくれたので、私は元気よく頷いた。
その、出発のまさに一歩手前のことだった。
「あまり、遅くならないようにお願いいたしますね」
背後から、お父様が少しだけ名残惜しそうな、だけど穏やかな声で口を開いた。
振り返ると、お父様は娘の可愛いドレス姿に目を細めつつも、父親としての小さなお願いをセドリック様へ向けている。
「はい」
セドリック様はそんなお父様の気持ちをしっかりと受け止めるように、至極穏やかに微笑んだ。
「重々、承知しております」
「……よろしくお願いいたします」
「ええ、お任せください」
二人はごく自然に、温かい視線を交わしながら言葉を交わす。
ただの挨拶のはずなのに、そこにはお互いを認め合う男同士の心地よい信頼関係が流れているような、そんな少しだけ特別な空気を感じた。
隣ではお母様が、若い二人の初々しい様子に、本当に楽しそうにくすくすと微笑んでいる。
「?
」
私は再度、首を傾げた。
よく分からないけれど――お父様もセドリック様も、なんだかとても仲が良さそうで何よりだ。
「ではお父様、お母様、行ってまいります!」
深く考えるのをスパッとやめた私は、元気よく二人に頭を下げた。
「行ってらっしゃい。楽しんでおいでね、リアンナ」
お母様が優しく手を振ってくれる。
私はお弁当の籠を抱え直し、セドリック様のエスコートに導かれて、屋敷の前に待機している馬車へと向かった。




