第42話:目的地には辿り着いた。だが出発地点にも立っている。 ~頼れる友人という名の救済措置~
月曜日の朝。
私は教室の自分の席に鞄を置くや否や、ある人物の姿を求めて鋭い視線を巡らせていた。
もちろん。
お目当ては、我が愛すべき美しき友人――アリシュナ様である。
何故なら、昨日の日曜日、セドリックへのお返しそっちのけで一目惚れして購入した、あの至高の髪飾りを一日でも早く彼女に渡したかったからだ。
とはいえ、流石に登校中の廊下で「はい、これ貢ぎ物です!」といきなり手渡すのは、前世OLとしてのマナーが許さない。
できれば落ち着いた場所で、美味しいお茶でも飲みながら、ゆっくりお話しつつ手渡したい。
そんな最高の渡し方のシミュレーションを脳内で繰り広げながら、廊下を歩いていると。
「あら、リアンナ様」
背後から、鼓膜に心地よい凛とした涼やかな声が響いた。
驚いて振り返れば、そこには非の打ち所がない完璧な美しさを纏ったアリシュナ様が佇んでいた。朝の光を浴びて神々しさすら感じる。眼福である。
「おはようございます、アリシュナ様!」
「おはようございます。朝から随分と元気ですわね」
相変わらず隙のない、絵画のように美しい佇まいだ。
私はほんの少しだけ緊張で背筋を伸ばしながら、意を決して切り出した。
「あの、アリシュナ様。もしよろしければ……近いうちに、お時間のある時にお茶でもいかがですか?」
私からの突然の誘いに、アリシュナ様はぱちりと一度、綺麗に整った睫毛を揺らして瞬きをした。
「お茶会、ですの?」
「はい! 実は、アリシュナ様にお渡ししたい物がありまして」
「……私に、ですか?」
「はい!」
フンス、と鼻息荒く頷く私を見て、アリシュナ様の細い眉が僅かに上がった。
何かを警戒するように、あるいは私の意図を推し量るように、感情の読めない沈黙が数秒ほど流れる。
そして。
「……あなた、今度は何を企んでいるのかしら」
「企んでません! 純粋な好意です!?」
あまりの直球な疑いの眼差しに、思わず声が裏返ってしまった。
すると、アリシュナ様はふっと小さく肩を揺らした。あ、今、絶対に私のリアクションを見て面白がったわね!?
「冗談ですわ」
「全く冗談に聞こえませんでした……。私の日頃の信用って一体……」
「さあ、どうかしらね」
あらぬ疑いをかけておきながら、全く悪びれた様子がない。流石は自分にも他人にも厳しい孤高の公爵令嬢、強かである。
アリシュナ様は仕草の一つ一つまで洗練された動作で、小ぶりの上品な手帳を開いた。
「そうですわね……」
予定を確認するように、すっと視線を落とする。
「明後日の放課後でしたら、少し時間が取れますわ。サロンの予約を入れておきます」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
私はぱっと顔を輝かせた。
良かった。普段から自分を厳しく律して忙しくしているお方だから、にべもなく断られたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。
そんな私の喜びようを正面から受け止めたアリシュナ様は、ふっと眼差しを僅かに和らげた。……が、すぐにまたツンと澄ました顔に戻る。
「ですが、一応言っておきますけれど」
「はい?」
「変な物や、我が公爵家に相応しくない奇妙な物でしたら、私は容赦なくその場で返却しますわよ?」
「だから違いますって! 奇妙な物なんて贈りません!」
心外だとばかりに全力で抗議すると、今度こそアリシュナ様は、氷が解けるような楽しげな笑みを零して肩を揺らした。
「ふふっ」
私は思わず、子供のように頬をぷくーっと膨らませる。
完全に、この完璧な美貌の令嬢に手のひらの上で転がされ、からかわれている。
けれど。
難攻不落と思われた明後日のお茶会の約束は、無事に取り付けることができた。
うん、からかわれたことくらい、大した問題ではない。
私は、中に大切なラベンダー色の小箱が眠る鞄を両手できゅっと大事そうに抱え直しながら、二日後の放課後が待ち遠しくてたまらなくなるのだった。
◇◇◇
それから二日後の放課後。
私は約束の時間よりも少し早く、学園内に併設された高級ホテルのラウンジさながらのサロンへと足を運んでいた。
手元にある鞄の中には、あの日一目惚れして購入した、あの美しい髪飾りが眠っている。
早く渡したい。早く彼女に身に着けてもらいたい。だって、絶対に似合うに決まっているのだ。
私は待ちきれず、鞄の隙間から小箱の存在を何度も確認しては、ふふ、と満足の笑みを浮かべてパチンと鞄を閉じた。
その時だった。
「随分と早い到着ですのね、リアンナ様」
聞き慣れた、冷徹沈着ながらも心地よい響きを持つ声に、私はハッと顔を上げた。
「あっ! アリシュナ様!」
約束の時間まではまだ少しあるというのに、彼女は一切の隙のない完璧に優雅な足取りでこちらへと歩いてくるところだった。どうやら私を待たせないよう、早めに来てくださったらしい。こういう細やかな気配りが本当に素敵な御方である。
「こんにちは、アリシュナ様!」
「こんにちは。……それにしても」
アリシュナ様は仕草の一つ一つが絵画のように美しい動作で席へと腰を下ろした。そして、私の顔をじっと見つめ、次に私が抱えている鞄へ視線を落とし、再び私の顔へと戻した。
「……随分とご機嫌ですのね」
「そうですか?」
「ええ。その様子ですと、私に渡したい物とやらに相当な自信がおありのようですわね」
「あります(キリッ!)」
即答だった。我ながら一点の曇りもない堂々たる態度である。
アリシュナ様は予想外の勢いに僅かに目を瞬かせた。
「……即答ですのね」
「だって、絶対にアリシュナ様に似合うと思うんです!」
「まったく……。どこからそんな自信が湧いてきますの」
そう言いながらも、その眼差しは驚くほど優しく細められている。私の直球すぎる脳筋な熱意に、彼女のいつもの張り詰めた心の壁が、ぽかぽかと心地よく溶かされていくのが分かった。
「そう……。とりあえず、立ったままでは落ち着いませんわ。座りましょう」
「あ、はい、失礼します!」
私は慌てて席に着いた。
ほどなくして、給仕の手によって見事な香りを放つ最高級の紅茶と、色鮮やかなお茶菓子が運ばれてくる。流石は貴族の最高峰が集う学園のサロンだ。今日も今日とて大変美味しそうである。
「それで」
アリシュナ様は、音もなく完璧な所作で紅茶へと口を付けた後、私をじっと見据える。
「その、出し惜しみされている『渡したい物』というのは、まだ見せていただけないのかしら」
その言葉を待っていました! 私はパッと顔を輝かせた。
「もちろんです! 」
私は嬉々として鞄へ手を伸ばし、大事に保管していた淡いラベンダー色のベルベット生地で覆われた小さな化粧箱を取り出して、テーブルの上へとそっと置いた。
アリシュナ様は、そのしっとりとした上品な箱を静かに見つめる。
「……開けてもよろしくて?」
「はい! ぜひ開けてください!」
細く白い指先によって、ゆっくりと蓋が開けられる。
箱の中身が露わになった瞬間――。
「……まぁ」
アリシュナ様が、ほんの僅かにその美しい目を見開いた。
私は思わず身を乗り出す。どうだろう、前世のセンスも総動員して選んだ至高の一品、気に入っていただけただろうか。
アリシュナ様は小箱の中から、繊細な細工に小ぶりの宝石があしらわれた髪飾りをそっと手に取った。窓から差し込む午後の光を受けて、きらきらと上品な輝きを放つそれを、彼女はしばらくの間、静かに、愛おしむように見つめていた。
「……綺麗ですわね」
ぽつりと零れたその呟きに、私は張り詰めていた緊張が一気に解け、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かったぁ……!」
「あら。それほど心配していらっしゃいましたの? あの自信はどこへ行ったのかしら」
「してましたよ! 似合う自信と、アリシュナ様に気に入ってもらえるかどうかの自信は別物なんです!」
私が身振り手振りを交えて力説すると、アリシュナ様は「やれやれ」と小さく肩を竦めた。
「そういうものですのね」
「そういうものなんです!」
私が大きく頷くと、アリシュナ様は再び手の中の髪飾りへと視線を落とした。その横顔はいつもの冷徹な印象とは違い、どこか柔らかい。
「……それで?」
「はい?」
「どうして、これを私に贈ろうと思ったのですか?」
私はきょとんとしてしまった。
「どうしてって……」
そんなの、私にとってはごく自然な流れだったのだ。
「実は昨日、セドリックへのブレスレットのお返しを探しに、侍女のエマと一緒に街へ行ったんです」
「セドリックへの?」
「はい」
私は少し恥ずかくなくなって苦笑した。
「でも、何を贈れば喜んでもらえるのか、私には全然分からなくて。それで色々なお店を見て回っていた時に、偶然この髪飾りが目に飛び込んできたんです」
私は彼女の手の中にある品を指差した。
「それを見た瞬間、アリシュナ様の凛とした美しいお姿がスパーンと頭に浮かんで……。これは絶対にアリシュナ様に似合う、むしろこれ以上の組み合わせはないって思ったんです。迷う余地なんてありませんでした!」
私の真っ直ぐな言葉を受け、サロンに心地よい沈黙が流れる。
アリシュナ様は手の中の髪飾りをじっと見つめていたが、やがて顔を上げると、私を真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「……ありがとう」
いつもより少しだけ低く、けれど温かい声だった。
「とても嬉しいわ、リアンナ様」
その言葉を聞いた瞬間、私の心には満面の笑みが咲き誇った。
「良かったです! 本当に!」
お返し選びに迷走した結果の斜め上の買い物だったけれど、心の底から買って良かったと思った。
「今、着けてみてもよろしくて?」
「もちろんです! ぜひ見たいです!」
アリシュナ様は立ち上がると、サロンの壁際に飾られた大きな鏡の前へと向かった。少しも無駄のない器用な手つきで、自身の美しい髪にその髪飾りを添える。
私は期待に胸を膨らませながら、その様子をじっと見守った。
やがて、髪飾りを着け終えたアリシュナ様が、ふわりとこちらを振り返る。
「……どうかしら」
私は思わず、言葉を失って息を呑んだ。
――やっぱり。思った通り、いや、想像の何倍も素晴らしい。
「すっごく似合ってます……!!」
「思った通り、いえ、思った以上です! アリシュナ様の気品が引き立って、本当に、とっても綺麗です!」
アリシュナ様は一瞬だけ、気恥ずかしそうに目を瞬かせた。それから再び鏡へと視線を向ける。
「……そうかしら」
「そうです! 絶対に似合うって信じてました!」
私が熱弁を振るうと、アリシュナ様は髪飾りにそっと細い指先で触れた。
「……そう」
確実、鏡の中の自分を見つめたまま、静かに微笑を……いや、ほんの少しだけ口元を和ませて言った。
「大切にするわ。本当にありがとう、リアンナ様」
その言葉だけで、私の日曜日の迷走はすべて報われた。本当に、これ以上ないほど幸せな気分である。
そんなホクホク顔の私へ、アリシュナ様がふと、現実を突きつけるような問いを投げかけた。
「ところで」
「はい?」
「本来の目的であった、セドリックへの贈り物は見つかりましたの?」
「………。」
私は一瞬でカチコチに固まった。
そして、ススス……と静かに視線を斜め下の床へと逸らす。アリシュナ様が、すべてを察したように片方の眉を綺麗に上げた。
「……見つからなかったのですね」
「……はい」
我ながら情けない。
「本当に、何が良いのか全然分からなくて……」
私ははぁ、と深いため息を吐き出した。
「好きな物もよく知りませんし」
「私も知りませんわね」
「趣味も分かりませんし、何をあげたら喜んでもらえるのか、完全にお手上げ状態なんです」
アリシュナ様は、少し考え込むように視線を紅茶のカップへと落とした。
「私も、最近のセドリックについてはそこまで詳しくありませんのよ。幼い頃ならともかく、殿下の婚約者となってからは共に過ごす時間も格段に減りましたしね」
「そうなんですね……」
私が納得して頷くと、アリシュナ様はそっと紅茶のカップをソーサーへと置いた。そして、私を真っ直ぐに見つめる。
「ですが――殿下なら、何かご存知かもしれませんわね」
「殿下ですか?」
「ええ。主従としてほぼ毎日顔を合わせているのですから。……私から、それとなく聞いてみましょうか?」
私はパッと目を見開いた。
「いいんですか!? アリシュナ様自ら!?」
「ええ、このくらい構いませんわ。友人がそこまで困っているのですから」
ツンとした口調ながらも、あっさりと救いの手を差し伸べてくれる。流石は私の最推し、男前である。
「ありがとうございます! よろしくお願いします……!!」
「ええ、任せておきなさい」
アリシュナ様は再び優雅に紅茶へと口を付けた。




