第39話:ご挨拶は大事らしいので納得しました ~騎士様が妙にご機嫌な理由は、ズバリ!コスモス畑楽しみだからでしょう~
問題がある。
非常に、非常に大きな問題が発生している。
それは――私の右手が、未だにセドリックの手の中に捕らえられたままだということだ。
いや、正確には少し違う。
彼は別に、私の手を逃がさないように強く握りしめているわけではない。引き留めるように力を込めているわけでもないのだ。
ただ、そこにあるのが世界の真理であるかのように当然の顔をして、テーブルの上の私の右手へ、彼の大きな手がそっと重ねられているだけ。
――ぶっちゃけ、それが一番困る。
「離してください」とあからさまに拒絶するほどではないけれど、気にならないと言えば宇宙規模の大嘘になる。
というか、気になる。めちゃくちゃ気になる。さっきから私の心臓は、完全に持ち主の制御を離れてドクドクとうるさく暴れ回っていた。
主に右側、つまり彼の温もりをダイレクトに感知している方向が、とりわけ大騒ぎしている。
(どうしよう……これ、どうやって自然に抜けばいいの……!?)
私は顔に出てしまいそうな動揺を必死に抑え込み、プロのポーカーフェイス(※元OLの営業スマイル)を装いながら脳内会議を繰り広げた。
落ち着くのよ、リアンナ。今の議案はコスモス畑よ。コスモス畑の日程を決めることなの。決して右手じゃない。コスモス畑。大事なことなので脳内で二回唱えた。
よし、まずは本題に集中するのだ。
「来週はどうだ?」
沈黙を破り、いつもの爽やかな笑みを浮かべて先に口を開いたのはセドリックだった。
「へ?」
しかし、全神経が右手方面へ全力逃亡していた私は、マヌケな声を上げて見事に話についていけなかった。そんな私を見て、セドリックがふっと楽しそうに目を細める。
「コスモス畑の話だ」
「あっ……! そ、そうでした!」
本当にそうだった。私は慌てて脳内のホワイトボードの議題を「右手」から「コスモス」へと力技で切り替える。来週、来週か……。
「日曜日なら、一日中大丈夫です!」
「そうか、それなら日曜日にしよう」
セドリックはにこやかに小さく頷いた。よし、これで無事にスケジュール決定――、と思いきや。
「ところで、土曜日は何かあるのか?」
予想外の深掘りに、私はぱちりと目を瞬いた。
「土曜日ですか?」
「ああ」
「土曜日は……お母様と出掛ける予定があるんです」
「そうなのか」
そう答えると、セドリックの声音がいつものにこやかなトーンから、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「少し前にお父様とお母様から『たまには元気な顔を見せに帰りなさい』と、手紙が届きまして。なので、金曜日の放課後から一度、お屋敷へ戻ろうと思っているんです」
「なるほど」
「それで、土曜日はお母様に連れ出されて、新しいドレスを見に行くことになっています」
「新しいドレスか」
「はい」
私は思い出し笑い混じりに、小さく肩を落とした。
「手紙の時点からお母様がもの凄く張り切っていて……」
前世の感覚からしても、ドレス選びのフルオーダーなんて一大イベント、体力が持つ気がしない。
「リアンナは?」
「え?」
「どんなドレスが好きなんだ?」
これまた予想外の質問だった。男性が女の子の服の好みを尋ねるなんて、なかなかに珍しい気がする。私は少しだけ天を仰いで考え込んだ。
「そうですね……シンプルなもの、ですかね?」
「シンプル?」
「はい。あんまりフリルやリボン、宝石などの飾りが多すぎない方が落ち着きます。色も、どちらかと言えば派手なものより、落ち着いた色合いの方が好きかもしれません」
「具体的には、何色だ?」
「具体的な色ですか?」
うーん、と私は少しだけ視線を彷徨わせた。
「そうですね、青系が好きかもしれません。空の色とか、澄んだ湖の色とか……」
「濃いロイヤルブルーのような青ではなく?」
「んー……」
私は首を傾げる。もう少し淡くて、透明感のある綺麗な青。一番イメージに近い色はないかしらと、ガゼボの周囲から目の前へと視線を戻した、その時。
彼の、吸い込まれそうなほど美しい瞳が目に入った。
「あ」
「?」
「セドリックの瞳みたいな色、すごく好きですよ」
それは、本当に何気なく言った一言だった。
深い意味なんて一ミクロンもない。ただ、自分の理想とする「淡くて綺麗な青」の最高のお手本がちょうど目の前にあったから、分かりやすい例として口にした。
すると、セドリックがほんの少しだけ、気まずそうに視線を斜め下へと逸らした。
……気のせいだろうか? 彼の耳の付け根が、うっすらと赤くなっているように見える。
(ん? どうした、どうした?? 熱でもあるの?)
私が心の中で急に体調を崩したらしい彼を心配していると、セドリックは再びこちらへと顔を向け、いつものにこやかな笑みを浮かべてみせた。
「そうか」
「はい! 本当に、吸い込まれそうなくらい綺麗な色だと思います」
お世辞抜きのおかわりのつもりで素直な感想を付け加えると、セドリックはふっと目を細め、さらに私との距離を詰めるようにして覗き込んできた。
「そうか、そうか、この色が好きか」
「っ……!?」
低く甘い声音で、じっと私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
遮るもののない至近距離で、お互いの瞳がお互いを映し出すような形で、完全に視線が固定されてしまった。
(な、なんだか恥ずかしいわね!?)
ただ「綺麗な色ですね」と例に挙げただけなのに、どうしてこんな少女漫画のワンシーンみたいな空気になっているのか。
セドリックの綺麗な淡い青の瞳から視線を逸らしたくても、なんだか目力が凄くて、金縛りにあったように動けない。さっきから重ねられたままの右手からも、じわじわと熱が上がってくる。
完全に自爆だった。私は内心で頭を抱えて大狼狽えである。
変なの。やっぱり最近の私、どこか絶対におかしい。
そう思ったけれど、私はこれ以上の自爆を避けるため、心臓の爆音を必死に無視しながら、どうにか声を絞り出して決定した日曜日の話を続けることにした。
「で、では、来週の日曜日ですね」
「ああ」
セドリックはどこか満足そうに微笑む
私はぱっと顔を明るくした。これで正式決定だ。色々あったけれど、ようやくコスモス畑へ行ける。
「朝、迎えに行く」
「はい!」
いつもの癖で、元気よく条件反射の返事をしてから――。
「……はい?」
私はスローモーションのように、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「朝、リアンナの屋敷まで迎えに行く」
セドリックは、いつものにこやかな笑顔を浮かべて、至って当然の権利を主張するように繰り返した。どうやら幻聴ではなかったらしい。
「ええと……学園の寮じゃなくて、お屋敷まで、ですか?」
「ああ」
「わざわざ、セドリックが?」
「ああ」
短い。非常に短い。短いけれど、そこには一歩も引かないという絶対的な意志が込められていた。
「でも、わざわざお屋敷まで来ていただくの、何だか申し訳ないですし……。それなら、土曜日の夕方には学園の寮に戻っておきます! 日曜日は寮の前に迎えにきていただければ――」
「いや、折角帰るんだ。土曜日はそのまま屋敷でゆっくり親孝行をするといい」
セドリックは私の提案を美しい正論で遮ると、真っ直ぐに私を見つめてきた。
「だから、日曜日は屋敷に迎えに行こう」
「う、うーん……でもやっぱり、屋敷まできていただくの気が引けるというか……」
私がなおも恐縮して口籠っていると、セドリックはふっと視線を落とし、その綺麗な眉をハの字に寄せた。
「……ダメか?」
いつもにこやかな美形騎士の背後に、たれ耳の大型犬がしゅんと項垂れている幻影が見えたのは気のせいだろうか。
あのセドリックが、まるで「置いていかれる仔犬」みたいな顔をしてこちらを上目遣いに見ている。
(ずるい!!! ギャップ萌えの過剰摂取でこっちの心臓がダメになりそうなんだけど!?)
普段がにこやかでスマートな男なだけに、こんな風に弱気な顔をされると破壊力がとんでもない。胸の奥がギュンと音を立てて悲鳴を上げる。
「ダ、ダメじゃないです! ダメじゃないですけど……っ!」
「なら、迎えに行く」
私が慌てて首を横に振ると、セドリックは一瞬でいつもの涼しげなにこやかな表情に戻った。……おのれ、はめられた気がする。
「どうしてそこまで、お屋敷に来ることにこだわるんですか?」
完全にペースを握られてしまった私がジト目で尋ねると、セドリックは少しだけ口元を緩め、今度は大真面目な顔で言った。
「リアンナを休日に連れ出すんだからな」
「……はい?」
「どんな男なのかわかった方が伯爵も夫人も安心するだろう、だから、挨拶くらいしておきたいんだ」
あまりにも当然のように言われて、私はぱちぱちと何度も瞬きを繰り返した。
「そ、そんな大袈裟なことをしなくても……!」
「大袈裟じゃない」
きっぱりと言い切った後、彼はどこか機嫌良さそうにふっと微笑んだ。
「男として、当然だろう?」
まるで常識を語るかのような口調に、私は「うぐっ」と言葉を詰まらせる。
「……貴族の男性とは、そういうもの、ですか?」
「ああ」
迷いのない、完璧な返答だった。
……なるほど。確かに、年頃の娘が男の人と二人きりで出掛けるとなれば、お父様もお母様も「相手は誰だ」と心配するに違いない。事前にセドリックのような身元のしっかりした素晴らしい騎士様が挨拶に来てくれれば、両親も大安心というものだ。
さすが、王太子殿下の専属騎士様である。どこまでも真面目で、礼儀正しくて、しっかりしている。さっきの仔犬ムーブも、きっと私の家族を気遣っての彼なりの気配りだったに違いない。
「分かりました。では、日曜日の朝にお屋敷でお待ちしていますね」
「ああ」
セドリックは満足そうに深く頷いた。
その引き締まった笑みが、妙に嬉しそうに見えたのは、きっと私の気のせいだろう。




