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元OL令嬢リアンナの受難 {悪役令嬢と仲良くなったら、王子の護衛騎士に逃げ場を塞がれた件}  作者: ねこまる


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第38話:本題に入る前の問題が大きすぎる ~心臓から苦情が出ています~

 放課後を告げる鐘が鳴り響くや否や、私は教室を飛び出し、競歩並みのスピードで中庭のガゼボへと向かった。


 ベンチに滑り込むのと同時に、そそくさと鞄から例のミステリー小説を取り出す。

 もちろん、セドリックとの約束はこれっぽっちも忘れていない。

 忘れているわけではないのだ。

 ただ、彼が王太子殿下の護衛の引き継ぎを終えてやって来るまでの間、ほんの少し、本当にほんの少しだけページを捲るくらいなら、何の問題もないと思うのだ。

 せいぜい一ページ。長くても二ページ。

 そう。そう思っていた。思っていたのだけれど――。


(さてさて、昨夜ベッドでゴロゴロしながら読んでいた時に確信した、あの怪しい人の動機は一体何かしら……!)


 ガゼボのベンチに腰を下ろした私は、意気揚々と本の続きを開いた。

 秋風が心地良く肌を撫でていく。空は抜けるように青く、まさに絶好の読書日和。最高、ロケーションとしてはこれ以上ない完璧さである。

 そうして、ワクワクしながら数ページを読み進めた、その時だった。


(……えっ?)


 私の指先が、ピタリと止まった。

 信じられない記述を目にして、脳が一瞬フリーズする。いやいや、そんなはずは。私は慌てて、さらに数ページをガサガサと捲った。


(えええっ!?!?)


 待って。待って待って、嘘でしょう!?

 この人じゃなかったの!? 昨夜、「犯人は絶対にコイツだわ!」と一人でドヤ顔をキメていた私の推理は何だったのよ!?

「そんなバカな……っ!」


(一体誰が犯人なのよーーー!?)


 まただ。またしても私は、作者の掌の上で綺麗にゴロゴロと転がされていた。悔しい。非常に悔しい、元OLの名が泣く。

 しかし、悔しいけれど……めちゃくちゃに面白い。

 私はいつの間にか、自分がガゼボで誰かを待っているという事をすっかり脳内から完全にシャットアウトし、本へと没頭していたのだった。


「――そんなに面白いのか?」


「面白いです!!」


 背後から降ってきた低い声に、私は一切の迷いなく即答した。

 だって本当に面白いのだから仕方ない。

 ……と。

 そこでようやく、私の錆びついた思考回路が現状を把握した。

 あれ? 今の声。


「…… 」


「……」


 恐る、恐る。私は錆びついた首をギギギと動かすように、顔を上げた。

 そこには、いつからそこに佇んでいたのか、腕を組んで私を見下ろしているセドリックの姿があった。


「ひゃあっ!?!?!」


 変な悲鳴が上がった。心臓が跳ね上がる。


「やっと気付いたか」


 セドリックは、はぁ、と深いため息を吐き出した。完全に呆れ果てた声音だ。

 けれど、その綺麗な形の口元は、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。


(全く気付かなかったどころか、夢中になって変な声しちゃった……)


 私は両手でバッと自分の顔を覆い隠した。

 恥ずかしい。羞恥心で爆発しそうだ。本に夢中になりすぎて、周りが一切見えなくなっていた醜態を、フルコンボで見られてしまった。


「……すみません、お待たせしてしまって」


 恥ずかしさのあまり、両手の中にこもった声でそう謝る。

 すると、私の顔を覆っていた右手の甲に、大きくて温かい、少し無骨な掌がそっと重ねられた。


「え……?」


 驚いて指の隙間から目を見開いた瞬間、セドリックは私の右手を優雅に、けれど拒めないほどの優しさで包み込むように握り、そのままゆっくりとテーブルの上へと降ろした。

 強制的に視界が開け、至近距離で彼の端正な顔と視線がぶつかる。


「謝る必要はない。待つのは慣れている」


 セドリックはそう短く言うと、私の片手を握ったまま、流れるような自然さで私のすぐ隣へと腰を下ろした。

 それはあまりにも当たり前のような動作だった。

 けれど。


(ち、近い……っ!! しかも、手はこのまま!?)


 同じベンチに並んで座ると彼の肩や体温がすぐそこに感じられる。

 何より、テーブルの上に降ろされた私の右手には、未だにセドリックの手がしっかりと重ねられたままだ。

 引き剥がす様子もなければ、力を込めて繋ぎ止める風でもない。ただ、そこに重ねておくのが当然だと言わんばかりの自然さで、彼の温もりが私の肌に伝わってくる。

 私は空いている方の左手でパタンと未練がましく本を閉じ、パニックになりそうな心臓を必死に宥めた。


「それで?」


「え、ええと、何がですか……?」


 重ねられた右手から伝わる熱のせいで、まともな語彙力がどこかへ吹き飛びかける。

 セドリックは長い足を優雅に組み替えると、覗き込むように視線を落とした。


「面白いのか、その本」


 どうやら、先ほどの私の「即答」の続きを促してくれているらしい。

 私は今度こそ、隣にいる彼の端正な顔を真っ直ぐに見つめて、熱弁を振るった。


「面白いです! 犯人候補だと思って、絶対にこの人だって目をつけていた人が、今さっき全然違うってことが判明したんです!」


「そうか」


「しかも、今まで一番怪しくないって思っていた無害な人が、急に怪しくなってきて!」


「そうか」


「でも、それすらも作者の罠な気がして、もう誰を信じていいのか分かりません!」


「そうか」


 うん。一ミリも内容を読んでいない人間の、完璧に聞き流しているタイプの相槌だ。

 けれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、私の支離滅裂な熱弁を、セドリックは静かに、けれどとても心地よさそうに拾ってくれている気がしたからだ。


「それで、結局犯人は分かったのか?」


「……全く、これっぽっちも分かりません!」


 私が胸を張って(?)お手上げ宣言をすると、セドリックの喉が「くくっ」と小さく鳴った。

 ほんの少しだけ、本当にわずか。けれど、彼は確かに優しく笑ったのだ。

 その、いつもよりずっと柔らかい笑顔を見た瞬間。

 なぜだか胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるようにくすぐったくなった。


「っ……!」


 私は慌てて、逃げるように手元の本へと視線を落とした。頬がじわじわと熱くなっていくのが分かる。重ねられた手からも、相変わらず熱が伝わってきて、余計に逃げ場がない。

 駄目だ。最近、やっぱり本当におかしい。

 セドリックの私に対する距離感も。そして、それにいちいち過剰反応してしまう、私の心臓も。


「さて」


 不意に、セドリックがふっといつもの引き締まった表情に戻り、姿勢を正した。


「そろそろ、本題に入るか」


「あ……」


 しまっ――、と心の中で叫んだ。

 そうだ。今日は、これからのコスモス畑へ行く日程を決めるための約束だったのだ。犯人探しに脳の全リソースを割いていたせいで、完全に忘却の彼方に追いやっていた。


「……忘れていただろう」


 私の分かりやすい硬直を見逃さず、セドリックの目がスッと細められる。繋がれたままの右手から、心なしか少しだけいたずらっぽく圧がかかった気がした。


「……ほんの、ちょっとだけです」


「忘れていたんだな」


「……はい、すみません」


 じろりと見つめられ、私は観念して蚊の鳴くような声で素直に認めた。

 セドリックは再び、はぁ、と呆れたように息を吐き出す。

 けれど、私を見つめるその切れ長の瞳は、呆れを含みつつも、どこか温かく、とても優しかった。

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