第36話:届かない本は誰かが取ってくれるらしい ~元OL、犯人より先に気になる謎が増えました~
アリシュナ様と別れた私は、一人で校舎の廊下を歩いていた。
「うーん……」
歩きながら、先ほどのお茶会を思い返して首を傾げる。
結局、アリシュナ様は何がそんなに悩みだったんだろう。
髪の葉っぱを取ってもらったり、高い棚の本を取ってもらったり、何かと話しかけてもらったり。やっぱり、ただもっと仲良くなりたいだけだと思うのだけれど。
「難しいなぁ……」
前世はしがない一介のOL。公爵令嬢のデリケートな悩みは、元OLの私には少々高度すぎたらしい。
悩んでも分からないものは分からない! ということで、私は潔く考えるのを諦めることにした。
しかし、まだ帰るには少し早い。
「図書室でも寄って帰ろうかな」
そう思い立った私は、そのまま図書室へ向かった。
◇◇◇
学園の図書室は今日も静かだった。
高い天井に、整然と並ぶ重厚な本棚。鼻をくすぐる紙とインクの匂い。
私は本棚の前をゆっくり歩きながら、新しく読む本を探していた。
この前読んだミステリー小説が思った以上に面白かったのだ。
犯人が分かったと思ったら違ったり、違うと思ったら当たっていたり。正直、途中から完全に作者の掌の上でゴロゴロ転がされていたわけだけれど、それも含めて楽しかった。
「もう一冊くらい、同じ作者のものを読んでみようかな」
そう思いながら本棚を見上げると、以前読んだ作品と同じ作者の本が目に入った。
「あっ」
あれが良さそう。
私は手を伸ばした。――けれど。
「……届かない」
少し高い。あと少しなのに。
近くに踏み台は見当たらないし、わざわざ取りに行くのも面倒だ。
私はぐっと背伸びをした。あと少し。本当にあと少し……!
「んー……!」
その時だった。
ひょい。
頭上から伸びてきた手が、目当ての本をあっさりと抜き取った。
「これですか?」
「え?」
振り返る。
差し出された本。そして、その本を持つ人物の顔を見た瞬間。
「あ」
「あ」
二人同時だった。
そこにいたのは、先日廊下でぶつかった男子生徒だった。
「この前の……!」
「この前の方ですね」
彼は少しだけ目を丸くした後、柔らかく微笑んだ。
図書室だからだろう。自然と声が小さくなる。私は慌てて本を受け取った。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ」
気遣うような優しい声音で、彼が問いかけてくる。
「足はもう大丈夫ですか?」
「はい! だいぶ良くなりました!」
私が答えると、彼はほっとしたように表情を緩めた。
「それなら良かったです」
少しだけ、静かな沈黙が落ちる。
そういえば。私達、お互い名前を知らない。
「あの」
「はい?」
「先日は、きちんと名乗りもせず失礼しました」
彼が軽く頭を下げる。
「二年C組のエドガー・リマールです」
一つ上の先輩だった! 私は慌てて背筋を伸ばした。
「あっ、私は一年A組のリアンナ・アルヴィルです!」
「ふふ、知っています」
「えっ」
思わず固まる。
知ってる? なんで?
そんな私を見て、エドガー様は少しだけ苦笑した。
「最近、学園内で随分と有名ですから」
(ヒィィィッ!! 詳しく聞くのが怖い!!)
絶対に聞いてはいけない気がする。お姫様抱っこ事件か、コスモス爆弾のどちらか、あるいは両方のせいだ。現実逃避よ、リアンナ……!
「その作者、お好きなんですか?」
「あ、いえ」
私は慌てて首を振った。
「この前初めて読んだんですけど、すごく面白くて。別の作品を探していたんです」
「なるほど」
エドガー様は納得したように頷く。
「その作品も面白いですよ。個人的には、この作者の作品の中では二番目に好きです」
「二番目?」
「一番好きな作品は別にあるんです」
その言い方に、なんだか本当にこの作者が好きなんだなと思った。
「ですが、その作品も十分面白いですよ」
「そうなんですね!」
それは楽しみだ。
私が本を抱きしめると、エドガー様は満足そうに一歩下がった。
「それでは」
洗練された仕草で、スマートに軽く会釈をする。
「ごゆっくり」
「あ、はい!」
私も慌てて頭を下げた。
エドガー様はそのまま静かに本棚の向こうへ消えようと、その背を向け――。
「――あの!」
気付けば、私はその背中に向かって小さな声で呼び止めていた。
はっとしたエドガー様が、不思議そうに振り返る。
「はい?」
「その……」
一瞬、図書室で引き止めるなんて迷惑だったかしらと少しだけ迷う。
でも、やっぱりどうしても気になってしまったのだ。
「エドガー様が一番好きな作品って、何なんですか?」
直球の質問に、一瞬だけ、エドガー様はぱちくりと綺麗に目を丸くした。
けれど次の瞬間には、どこかとても嬉しそうに目元をふわりと和らげる。
「ふふ、気になりますか?」
「なります(即答)」
だって気になるものは気になる。
この読書家そうな先輩が、わざわざ「二番目に好き」と太鼓判を押して勧めてくるレベルの本なのだ。ならば、不動の一位に君臨する作品は一体どれほど面白いのだろう。
エドガー様は、小さく笑いながら。
「では、それはまた今度」
「えっ」
思わず、間抜けな声が漏れてしまった。
こ、今度……!? 今教えてくれても減るもんじゃないでしょうに!
「まずは、先にその本を読んでみてください」
エドガー様はそう言って、私が胸元に大事そうに抱えている本を、長い指先で軽くコンと指さす。
「君なら、きっと気に入ると思いますから」
「むぅ……」
結局、教えてもらえなかった。
焦らされたみたいで、なんだか少しだけ悔しい。
思わず分かりやすく不満げな顔をしてしまった私を見て、エドガー様はますます楽しそうに肩を揺らした。
「読んだら、ぜひ僕に感想を聞かせてください」
「感想、ですか?」
「はい」
彼は悪戯っぽく、けれど優しく頷く。
「前回の作品と同じように、今回も犯人が分かったかどうかも含めて、ね」
うぐっ、と胸が詰まる。
完全に作者の掌の上で転がされた前回の前科(?)がある私だ。今回のミステリーに勝てる気がこれっぽっちもしない。
私はしばし真剣に脳内シミュレーションを行い、そして――。
「……たぶん、綺麗に外します」
自分の推理力への信頼度ゼロなセリフを真顔で言い放つと
「ふふっ……」
今度こそ、エドガー様から声を殺した笑い声が零れ落ちた。
周囲に響かないよう口元を手で覆っているけれど、楽しそうに細められた目と、小刻みに揺れる肩がそのツボり具合を物語っている。
「では、その答え合わせを楽しみにしていますね」
どこか余韻を残すような声を残し、エドガー様は今度こそ、静かに本棚の向こうへと消えていった。
お茶目な先輩の嵐が去った後の、静かな図書室。
一人残された私は、腕の中のミステリー小説へと視線を落とした。
「……感想かぁ」
ただの暇つぶしの読書のはずだったのに。
なんだかほんの少しだけ、ページを捲る楽しみが増えてしまった気がした。
私は胸の奥が少しだけくすぐったいような、そんな不思議な気分になりながら、小さく微笑んで空いている窓際の席へと向かったのだった。




