第35話:公爵令嬢の悩みは、元OLには難しすぎる ~相手の選定は今後の左右に関わるので慎重に検討すべき~
数日後。
放課後の鐘が鳴り響く。
お騒がせした足の痛みは、ありがたいことにだいぶ引いてきている。
まだ全力でダッシュするのは無理だけれど、普通に歩く分にはほとんど問題ないレベルだ。
あの過保護なセドリックは、私がほんの少しでも足を庇って歩こうものなら、すかさず「痛むか?無理はするな、運んでやろうか」と綺麗な眉を下げて聞いてくるのだ。
私はそこまで無茶をする人間ではないというのに、完全に要注意人物扱いされている気がしてならない。
「リアンナ様」
聞き慣れた上品な声に振り返ると、そこには我が友、アリシュナ様が佇んでいた。
「アリシュナ様!」
「今日は生徒会のお仕事もありませんの」
そう言いながら、彼女はふわりと微かに微笑む。
「折角ですし、少しお茶でもして帰りませんこと?」
「行きます(即答)!」
「ふふっ、気持ちのいい返事ですわね」
「もちろんです!」
おいしいお茶とお菓子、そして何よりセドリックの過保護レーダーから逃れる大義名分ができるのだ。断る理由がどこにあろうか。
◇◇◇
学園の中庭にある、静かなガゼボ。
最近では、私達のすっかりお気に入りの秘密基地になりつつあった。
白磁のテーブルには淹れたての紅茶とサクサクの焼き菓子が並び、通り抜ける風も心地良い。なんとも平和で、癒やされる時間だ。
「リアンナ様」
「はい?」
優雅に紅茶を口に運ぼうとしたところで、アリシュナ様が「ふぅ……」と小さく、けれど深い息を吐いた。
珍しい。いつも完璧な彼女が、なんだか少し疲れているようにも見える。
「少し、お聞きしたいことがありますの」
「私にですか?」
「ええ」
私は首を傾げた。
一体何だろう。次のテストの範囲のこと? それとも、また新しい釣りのスポットについてかしら。
「――最近の殿下についてなのですけれど」
(……そっち方面だったーーー!!)
完全に予想外の角度からのパスに、カップを持つ手がわずかに揺れる。
「殿下、ですか?」
「ええ。最近の殿下は、少し『変』なのですわ」
「変……ですか?」
「変ですわ」
これまた一切の迷いがない即答。よほどの事態らしい。
「最近、妙に話しかけてこられますの。以前の殿下なら、私が何を言っても適当に流していたような些細なことにまで、一々反応なさいますし……そのせいで、どうにも調子が狂うのです」
調子。調子とは一体。
前世と今世を合わせても恋愛初心者の私にはいまいちピンとこない。
「例えば、どんなことを言われるんですか?」
「例えば……先日も生徒会室で私が書類を整理しておりましたら、突然、後ろから『今日は機嫌が良さそうだね』と言われましたの。……意味が分かりませんわ」
いや、分からないのは私と同じだった。
「あの、本当に機嫌が良かったんじゃないですか?」
「いつも通りでしたわ」
「じゃあ、いつも通り機嫌が良かったんですよ」
「そういう問題ではありませんの!」
違うらしい。うーん、難しい。
「それに先日は、髪に葉が付いていると言われて、その……勝手に取られましたし」
「葉っぱですか? 気付かなかったんですね」
「ええ」
「じゃあ、教えてもらえて助かりましたね!」
「そういう話ではありませんの!」
アリシュナ様は不満げに小さく眉を寄せた。
「そんなもの、自分で取れますもの」
「でも、わざわざ気付いて取ってくださったんですよね? 優しい人じゃないですか」
「違いますわ」
何が違うのか、凡人の私にはさっぱり分からなかった。親切、イズ、ベスト。
「あと」
まだあるらしい。王太子殿下の奇行(アリシュナ様談)。
「先日は、高い棚にある資料本を取ろうと手を伸ばしていましたら、背後から何も言わずにすっと手を伸ばして、取って渡されましたわ」
「へぇ! アリシュナ様でも届かないことあるんですね」
「ありますわよ、それくらい」
「じゃあ、背が高い人がいると便利ですね!」
「……便利?」
アリシュナ様が、紅茶のカップを浮かせたまま完全に固まった。
「はい。本、無事に取れたんですよね?」
「取れましたけれど……」
「なら便利です!」
「そういう話ではありませんの!!」
どうやらまたしても正解の斜め後ろを爆走してしまったらしい。恋愛の難易度高すぎない?
「しかも最近は、何かと理由をつけては近くに寄ってこられますし……」
「仲良くなったんじゃないですか?」
これまでの話を総合した、私の率率直かつ極めて常識的な感想だった。
しかし、アリシュナ様はさらに深く固まってしまう。
「……仲良く、ですの?」
「だって、お二人は幼馴染なのでしょう? 距離が縮まるのは良いことです」
「それとこれとは話が別ですわ!」
即座に、しかもちょっと頬を赤くして否定された。
「では……あれですかね、殿下が単純に暇なんじゃないですか?」
「殿下が?」
「殿下が」
「ライオネル殿下が?」
「ライオネル殿下が」
「そんな訳ありませんわ」
それもそうか。国を背負う王太子殿下だもの。暇なわけがない。
アリシュナ様は本当に困り果てたように、綺麗な眉を八の字に寄せた。
「あの方が、一体何を考えて私にそんなことをしてくるのか、本当に分からないのです」
「うーん……」
私は紅茶を一口飲み、真面目に考えた。前世のネット小説の知識を総動員して、脳内データベースを検索してみる。
けれど、出てくる結論は一つしかなかった。
「やっぱり、ただ仲良くなっただけじゃないですか?」
私のブレない結論に、アリシュナ様は、そっと諦めるようにゆっくりと目を閉じた。
そして静かに紅茶を一口含む。
「リアンナ様」
「はい?」
「私は相談する相手を、根本的に間違えたのかもしれませんわ」
「えっ!?」
心外である! 私はこれでも、友達としてめちゃくちゃ真面目に脳みそをフル回転させて相談に乗っていたというのに!
「どうしてですか! 的確なアドバイスだったはずです!」
「どうしても何もありませんわ。……結局、何一つ解決しておりませんもの」
アリシュナ様は、はぁ……と本日一番の大きいため息を吐き出した。
「そうですわね。仲良くなった……。いいえ、やっぱり分かりませんわ。殿下は、一体何を考えておられるのでしょう……」
ぽつりと零れた、親友の切実な呟き。
遠い目をして夕暮れの空を見つめるアリシュナ様を前に、私は「絶対に、ただもっと仲良くしたいだけだと思うんだけどなぁ」と確信しながら、サクサクのクッキーを静かに口へと運ぶのだった。




