第34話:コスモス畑はまだ遠い ~元OL、噂の火消しは早々に諦めたが、希望をこめた諦めなので問題ありません〜
昼休み。
私はアリシュナ様と昼食を取っていた。
昨日の「お姫様抱っこ事件」と、今朝の殿下による「コスモス畑爆弾」で受けた精神的ダメージは、正直まだ癒えていない。
だが、人間というのは悲しいかな、一晩寝ると少しだけ立ち直ってしまう生き物なのだ。
だから私は決めた。
もう、気にしない。
噂なんて放っておけばそのうち消える。火のない所に煙は立たないと言うけれど、火を消せば煙も止まるはずだ。
そう、私が平常心を保って、放っておきさえすれば――。
「お待たせ」
……消えない火種が、向こうから歩いてきた。
顔を上げれば、そこにはキラキラオーラ全開のライオネル殿下と、その背後に控えるセドリックの姿。
殿下は当然のようにアリシュナ様の隣へ着席する。
一方のセドリックは、その斜め後ろにスッと立った。
「セドリックもたまには座ればいいのに」
「職務中ですので」
殿下の勧めに、セドリックは即答した。一ミリの迷いもない。
「真面目だねぇ、君は」
「殿下が緩すぎるだけです」
「そうかな?」
「そうです」
息の合ったやり取り。幼馴染だという二人の仲の良さが、呆れたようなセドリックの溜息から透けて見える。
「リアンナ嬢はどう思う? セドリックは真面目すぎると思わないかい?」
突然話を振られて、パンを口に運びかけていた私は固まった。
うーん、真面目かどうかと言われれば……。
「……真面目だとは思います」
「ほら!」
殿下が勝ち誇ったように笑う。けれど、セドリックは眉一つ動かさずに反撃した。
「ですが殿下、リアンナ嬢は『真面目すぎる』とは、言っていませんよ」
「……確かに」
私が頷くと、今度はセドリックが「ほら」と口角を微かに上げた。
むっ、とわざとらしく眉を寄せる殿下。……なんだか、この空気感には毒気がなくて、思わず笑いそうになってしまう。
平和な昼食。これなら噂も静まりそう――なんて思った矢先、私はずっと引っかかっていた疑問を思い出した。
「そういえば、殿下。どうして『コスモス畑』の件をご存知だったんですか?」
その瞬間、殿下の笑みが「ニヤリ」と深まった。
しまった、地雷を踏んだかもしれない。
「セドリックが相談に来たからだよ。休日の予定を調整したい、ってね」
「ああ、なるほど……」
納得だ。彼は王太子の専属騎士。休日だろうと任務が入ることは当然あるだろうし、事前の調整は社会人のマナーだ。
私が一人で「なるほど、業務連絡ね」と納得していると、なぜか隣でアリシュナ様が、天を仰ぐように一瞬だけ目を閉じた。……アリシュナ様?
「それで理由を聞いたんだよ。そしたら、包み隠さず教えてくれた。――『コスモス畑へ行く予定がある』とね」
「言ったんですか!?」
私は思わず、殿下の後ろに控えてるセドリック見た。
「聞かれたからね。事実だろう?」
セドリックは平然としている。悪びれる様子も、恥じらう様子も一切ない。
「いや、事実ですけど! もっとこう……『私用で』とか、ぼかせなかったんですか!?」
「別に隠す必要もないだろう……それに」
殿下がクスクスと肩を揺らして追い打ちをかける。
「普段の休暇申請はもっと事務的なのに、今回は声のトーンからして違ったから、相当楽しみにしているんだろう」
(……死にたい。羞恥心で消えてなくなりたい)
セドリックは相変わらず涼しい顔を崩していない。
だが。
「……楽しみですね」
その一言だけ、妙に、……本当に妙に素直な響きだった。
「っ……」
今度は私の方が、視線の置き場に困ってしまった。
お礼だから。そう自分に言い聞かせてみるものの、当の相手にそんな純粋なトーンで言われてしまったらな、なんだかくすぐったい気持ちなる。
――私の心臓が、少しだけうるさくなったのは、きっと気のせいだ。
◇◇◇
その後。
午後の授業は滞りなく終わった。
もっとも、授業中も前の席の生徒たちが不自然にこちらを振り返ろうとしたり、斜め前の席からチラチラと熱い視線を感じたりした気がするけれど、私はもう完全に気付かないふりを決め込むことにした。
何せ、私の席は一番後ろの窓際。前を向いてさえいれば、現実逃避なんていくらでもできるのだ。たぶん。
キーンコーンカーンコーン……。
待ちに望んだ終業の鐘が鳴り響く。
私は教科書をしまいながら、長いため息を小さく吐き出した。
今日は本当に疲れた。
朝から噂になっていたり、昼も噂になっていたり、なんなら今も噂の渦中にいたり。
思い返すだけで知恵熱が出そうだ。
ふと視線を上げると、少し離れた場所でライオネル殿下とアリシュナ様が何やらお話しされていた。
内容までは聞こえないけれど、二人ともトゲのない穏やかな表情をしている。相変わらずお似合いというか、絵になる二人だ。
(昨日、あの二人に何があったのかなぁ……)
なんて、他人の恋愛模様に現実逃避していた、その時。
「どうした?」
不意に、頭上から低く心地よい声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、いつの間にか近づいていたセドリックが私を見下ろしていた。
「えっ」
「何か考え込んでいただろう」
「……別に、何も」
「そう?」
「そうです」
私がぷいっと窓の外へそっぽを向くと
「ふっ……随分と機嫌が悪いな」
どこか楽しそうな、おかしそうな声が返ってくる。
その余裕たっぷりな態度に、今朝からの数々の爆弾を思い出してちょっとイラッときてしまった。
「誰のせいだと思っているんですか」
睨みつけるようにそう言うと、セドリックは一瞬だけ、本当に意外そうにパチクリと目を丸くした。
それから、ふっと口元を緩める。
「俺のせいか」
「そうですよ」
「……まぁ、心当たりが多すぎるから否定はできないな」
――そこは否定しないんだ。
あまりにもあっさりと、どこか愛おしそうに自分の「犯行」を認めるものだから、私の尖っていた気持ちが不意にほどけていく。
「ふふっ……」
私は思わず、小さく声を漏らして笑ってしまった。
すると、セドリックも満足そうに目を細めて小さく笑う。
ほんの少しだけ。
学園中を駆け巡っている噂のことも、今日一日の騒がしさによる疲れも、全部どうでもよくなるくらいに、やっぱり彼の笑顔は狡いほどに魅力的だった。
「そういえば」
不意に、セドリックが真面目なトーンに声を戻して口を開いた。
「足はもう大丈夫なのか?」
「歩く分には、なんとか……」
正直にそう答えた瞬間、セドリックの端正な眉がわずかに寄せられた。
「まだ痛むのか」
「少しだけです」
「少しでも痛むなら無理はするな」
「してませんってば」
「本当に?」
じろり、とジト目で疑われた。
心外である。私はこれでも無理はしない主義なのだ。
「本当ですよ」
「ならいいが」
本当に体調を確認したかっただけらしい。それだけ言うと、彼は小さく頷いた。
そして、まるでお天気の話でもするかのように、さらりとこう告げた。
「コスモス畑の件は、足が完全に治ってから改めて決めよう」
「決める……? 何をですか?」
私が首を傾げると、セドリックは肩をすくめた。
「まだ日程が決まっていないだろう?」
あ、確かにそうだ。
コスモス畑へ行くのが楽しみすぎて、具体的な日程がまだ決まっていなかった事を失念していた。
「そう、ですね」
「だから、焦る必要はないよ」
その言葉に、私は思わず納得して頷いた。
すると、セドリックも満足そうに頷く。
……うん、どうやらこれで決定らしい。相変わらず自分のペースに巻き込むのが恐ろしく上手い男だ。強引だなあと思いつつも、その強引さが私への配慮から来ているのがまたニクイ。
「それまでは、大人しく治療に専念してくれ」
「だから、そんな大怪我じゃありませんって」
「昨日は自力で歩けなかっただろう」
「うぐっ……」
痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。
昨日のあの無力な姿をバッチリ見られている以上、どんな言い訳も通用しなかった。
私が完全に降伏して口を閉ざすと、セドリックはフッと、声音を柔らかくして小さく笑った。
「治ったら、ちゃんと連れて行くから」
それは、まるで当たり前の義務を口にするような、あまりにも自然で優しい口調だった。
だからだろうか。
私はそれ以上深く考えることもなく
「……分かりました」
と、素直に頷いてしまったのだった。
自分の不注意で怪我をしたのに、こんなに過保護に甘やかされてしまうなんて。
悔しいけれど、まずはこの足を早く治すために、大人しくセドリックの言う通り「無理せず」過ごすしかなさそうだ。




