第33話:噂の翼は、想像以上に速いらしい〜王太子殿下、燃料投下から着火まで華麗なるノンストップ作業〜
翌朝。
私は教室の扉を開けた瞬間、背筋に走った妙な違和感に足を止めた。
(……あれ?)
妙だ。
なんだか、妙に視線を感じる。
いや、「妙に」なんて生易しいものではない。
――めちゃくちゃ見られている。
ひそひそ。
ひそひそ。
女子生徒たちが扇の陰で何かを囁き合っている。
(えっ、何!? 怖い、すごく怖いんだけど!)
私、何かした!?
昨日は足を捻って、後から戻ってきた医務室の先生から念の為安静に、と言われ早退しただけなのに。
恐る恐る自分の席へ向かおうとすると、すれ違った令嬢が頬を上気させ、友人の耳元でこう囁いたのが聞こえてしまった。
「まぁ……あの方が、昨日の『略奪』の……」
「なんて情熱的かしら……」
(略奪!? 誰が誰を!?)
大混乱のまま席に着くと
「おはようございます、リアンナ様」
という聞き慣れた救いの声が響いた。
振り返れば、そこには我が友、アリシュナ様。
「アリシュナ様ぁ!」
すがりつく私に、彼女は
「はしたなくてよ。……お足はもうよろしいのかしら?」
と優しく微笑んでくれた。
「はい! 歩ける程度には大丈夫です! それよりアリシュナ様、皆様の様子がおかしいんですけど……」
必死に訴えると、彼女は一瞬だけ沈黙した。
それから、同情三割、呆れ七割といった絶妙な割合の、なんとも言えない顔になる。
「……リアンナ様。もしかして、何も聞いておられませんの?」
「何を、です?」
「昨日の件ですわ。貴女が足を痛められた『後』のお話です」
確かに昨日は大変だった。足を捻り、セドリックにお姫様抱っこをされ、お礼としてコスモス畑ピクニックの約束をした。
思い返すだけでも情報量が多いのだが、アリシュナ様の口から出たのはさらなる衝撃の事実だった。
「昨日の件、学園中で『噂』になっておりますわよ」
「……噂!?」
思わず声が裏返った。
待ってほしい。私はあの後すぐに早退したのだ。現場にいたのは殿下とセドリックと、ぶつかった男子生徒だけのはず。
「殿下がいらっしゃったのですもの。ならないはずがありませんわ。……もっとも、私は最初、信じておりませんでしたけれど」
「信じてなかった……?」
「ええ。『セドリックがリアンナ様を両腕で抱きかかえて連れ去った』などという話、流石に誇張が過ぎると思いましたもの」
「連れ去った!? 運ばれただけです!」
表現! 尾ひれの付き方がエグい!!
しかし、アリシュナ様は優雅に扇を動かし、追い打ちをかける。
「ですので、念のため殿下に直接確認いたしましたの」
「殿下に直接!? なんでそんな余計なことを……っ」
「そうしましたら殿下、『本当だよ』と随分楽しそうに仰っておられましたわ。……それから、『怪我をした時は、抱き上げるのが一番確実だからね』とも」
「なんですか、その新説……」
アリシュナ様は困ったように微笑んでいるが、なぜか彼女の耳がほんのり赤かったのは気のせいだろうか。
「というか! そこじゃないんです! なんで、ただの怪我人が運ばれただけで、学園中が盛り上がるんですか!?」
すると、アリシュナ様は心底不思議そうな顔をして私を見つめた。
「リアンナ様。以前から、セドリックと手を繋いでいた件も噂にはなっておりましたけれど」
「……えっ?」
「自覚、ありませんでしたの?」
「まさか噂になるなんて……思ってなかったです」
悶絶する私をよそに、アリシュナ様は慈悲のない事実を突きつける。
「今回はそれ以上ですわ。何より、あのセドリックが抱きかかえるなんて、貴女が初めてなんですもの」
「なんでそこ重要なんですか!?」
「重要ですわ。皆様、それはもう大変な熱狂ぶりですこと」
「……盛り上がらないで、ほしいです……」
私の悲痛な叫びに、アリシュナ様は最高に穏やかな笑顔でこう告げた。
「それは……難しいと思いますわ。だってセドリックったら、貴女を運ぶとき、それはもう大切そうに抱きかかえていたそうじゃありませんか」
(……は!?)
「目撃した方々は皆、あんなに甘やかな顔をした彼を見るのは初めてだと、うっとりしておられましたわよ」
「甘やかな顔って……。昨日は黙り込んで、私と目も合わせてくれませんでしたよ!? 絶対に怒っているんだと思って、私、生きた心地がしなかったんですから!」
私が全力で反論すると、アリシュナ様は「あら、あら」と優雅に首を傾げた。
「それは、貴女に見せるのが気恥ずかしかっただけではなくて? 殿下も仰っていましたわ。『あんなに必死になって、大事そうに抱き抱えてる姿、学園の令嬢達ににあんな姿見せたら一発で落ちるだろうね』と」
(殿下、余計なことしか言わないわね……!)
私はガクリと机に突っ伏しながら、賑やかすぎる教室で一人頭を抱えるのだった。
その時だった。
教室の扉が勢いよく開く。
――ざわり。
一瞬で空気が変わった。
先ほどまでアリシュナ様と私の周りで小声で囁き合っていた令嬢たちが、弾かれたように入口へ視線を向ける。
(え、何? また何か起きたの?)
嫌な予感しかしないまま振り返ると、そこには燦然たるオーラを放つライオネル王太子殿下。
そして、その後ろに控える、件の「騎士」セドリックの姿があった。
(ヒィッ! 注目の中心人物、増量キャンペーン中!?)
「おはよう」
殿下はいつもの、全方位にキラキラを撒き散らす柔らかな笑みを浮かべて教室へ入ってくる。
その視線が、定規で引いたように真っ直ぐこちらへ向いた。
……逃げたい。今すぐ床に穴を掘って埋まりたい。
「リアンナ嬢」
「は、はひっ……はい!」
「足は大丈夫かい?」
一瞬にして、教室中の視線がレーザーポインターのように私へ集まる。
やめてください、殿下。怪我人の生存確認なら、放課後にひっそりとしていただければ十分ですから!
「だ、大丈夫です。もうほとんど痛みもありませんので……」
「そうか。それは良かった」
殿下は満足そうに頷いた。
ああ、良かった。これでこの話題は終わり――。
「セドリックが昨日、とても心配していたからね」
(殿下ぁぁぁぁぁぁ!! 余計な情報を付け足さないでください!!)
教室の空気が、一段階どころか三段階くらいボボボッ!と燃え上がった。
後ろから聞こえてくる、「まあ……」「やっぱり……」「セドリック様がそこまで……」という溜息混じりの声。
(やっぱりじゃない。何が「やっぱり」なんだ! 私はただの怪我人だ!)
「殿下」
見かねたようにセドリックが苦笑して口を開いた。
(そうよ、セドリック! あなたからも何か言って! 騎士として当然の配慮だったとかなんとか!)
「心配くらいしますよ。私の『一番』が傷ついたのですから」
(……裏切り者ぉぉぉぉぉぉぉ!! )
肯定した。どころか、なんかさらに重い言葉を乗せてきた!
私が心の中で血の涙を流しながら絶叫している横で、アリシュナ様が扇で口元を隠し、顔を真っ赤に染めて視線を逸らしているではないか。
「アリシュナ。おはよう。顔が赤いようだけど大丈夫かい? 医務室まで……また、抱きかかえて連れて行ってあげようか?」
「で、殿下……! お戯れはおやめくださいませっ」
何故か顔を赤くして狼狽えるアリシュナ様と、それを見て楽しそうに目を細める殿下。
……待って。昨日、私が運ばれた後、この二人にも絶対何かあったでしょう!?
これで話しが逸れたと歓喜したのも束の間、殿下の猛攻は止まらなかった。
「それで?」
殿下は、逃げ道を塞ぐように一歩踏み出し、最高に楽しそうに言葉を継いだ。
「コスモス畑の件、聞いたよ。二人で行くんだろう?私達もたまにはどうかな?アリシュナ」
――ピキィィィィィン!!
世界が止まった。
私の思考も止まった。
(あ、終わった……)
「殿下」
「うん?」
「それ以上は」
「……失礼。……アリシュナ。この件はまた後で、ランチの時にでもゆっくり話そう」
セドリックが「やれやれ」といった様子で殿下を嗜めるが、その顔は全然「失礼」だなんて思っていない。むしろ、狙い通りと言わんばかりに端正な笑みを崩さない。
だが、もう遅い。
静まり返った教室に、数秒の沈黙が流れる。
そして。
――ざわぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
本日、最大級……いや、学園創立以来ではないかと思われるほどの轟音が教室を包み込んだ。
「コスモス畑って……デートですわよね……!?」
「セドリック様が誘ったのかしら……!?」
私は、満足げな笑みを浮かべる殿下と、どこか涼しい顔で私を見守るセドリックを交互に見て、静かに悟った。
(……この学園に、私の居場所はもうないのかもしれない……)
こうして、「お礼」のつもりだったピクニックの約束は、「デートイベント」へと華麗に昇華されてしまったのだった。




