第31話:秘密の趣味は世界を救えそうです。 ~ここから先、男子禁制につき~
あの日以来。
セドリックは、会えば当然のように私の頭を撫でてくるし、隙あらば隣を陣取ってくる。
時には、まるでお手本のような優雅な動作で、指を絡めて手を繋いできたりもする。
……うん、気のせいではないと思う。
たぶん。
いや、絶対に増えている。断言できる。
(友達って、こんなに物理的な距離が近いものなんだろうか……?)
ふとした瞬間に、そっと頭に置かれる大きな手のひら。
指先から伝わる、驚くほど高い体温。
会話をする時、肩が触れ合うほどに近寄ってくる整った顔。
冷静に事実だけを羅列してみると、少々……いや、かなり引っ掛かるものがある。
だが、いかんせん本人があまりにも「これが世界の理です」と言わんばかりの自然体なのだ。
おまけに、あの鋭い観察眼をお持ちのアリシュナ様もライオネル殿下も、これを見て見ぬふり……どころか、特に何も仰らない。
(……そういうものなのかな。貴族社会の『友情』って、意外と情熱的なのかも……?)
これが彼の親愛の証なら、それに応えるのが友人というもの……かもしれない。
よく分からないけれど。
少なくとも今のところ嫌ではないし、深く考えるのはやめておこう。
何より、最近の私は別のことで忙しい。
そう。アリシュナ様である。
あの日、彼女のお転婆な過去を聞いて以来。
私の中のアリシュナ様像は、ますます大変なことになっていた。
真面目で、努力家で、優しくて。たまに照れると、とても可愛い。
しかも、かつては木登りもこなすアグレッシブさまでお持ちなのだ。
(強い……。もはや隙がない。完璧すぎるわ、このお方……!)
そんなことを考えながら、私はお昼休みの準備をしつつ、視界の端にアリシュナ様の姿を映す。
お昼休みの合図が鳴り、教室がにわかに騒がしくなる中。
彼女は、使い終えた筆記用具を一本ずつ丁寧にケースへと収め、分厚い教本を音も立てずに整えていた。
ただの「片付け」という作業ですら、彼女がやると洗練された儀式のように見えてしまう。相変わらず、そこにいるだけで一枚の絵画のように美しい。
そして――。
(今日こそ。今日こそは誘うんだから……!)
私は机の下で、ギュッと拳を握り締めた。
なぜなら、今日は絶好の機会なのだ。
ライオネル王太子殿下は公務のため学園を欠席している。
つまり昼休みになっても
『アリシュナ、お昼にしないかい?』
という、あの爽やかなお誘いは発生しない。
当然、その後ろに佇んでいるセドリックの姿もない。
つまり。
(今のアリシュナ様は……完全フリー……!)
好機である。千載一遇の好機である。
この機を逃せば、次にいつ、二人きりでゆっくり話せるか分からない。
私は自分の机で片付けをするふりをしながら、じっと「その時」を伺っている。
ターゲットは公爵令嬢、アリシュナ・アルトゥワ。
ミッションは、彼女をランチに連れ出すこと――。
客観的に見れば、ただの友人同士の食事の誘いだ。
だが、考えてもみてほしい。相手は未来の王太子妃確定と言われる、公爵令嬢。
一方、私はごくごく平凡な(中身は崖っぷちOLだった)令嬢。
(あ、今アリシュナ様が筆記用具をしまった! チャンス? いや、でもまだ取り巻き……じゃなくて、他の方々が挨拶に来るかも……)
立ち上がりかけては座り、髪を整えては溜息をつく。
怪しい。今の私は客観的に見て、挙動不審の極みだ。
(落ち着け私。プレゼンだと思えばいい。これは、『ランチという名の親睦会による今後の円滑な人間関係構築』の提案……!)
前世で培った「それっぽい理由」を脳内で捏造し、私は意を決してガタッと立ち上がった。
勢いが良すぎて椅子が鳴ったけれど、もう引き返せない。
一歩、二歩。
アリシュナ様の放つ神聖なオーラ(に見える)に気圧されそうになりながらも、私は彼女のデスクの前へと辿り着いた。
「ア、アリシュナ様!」
「はい?」
顔を上げた彼女の瞳に、まっすぐな私が映る。
ああ、やっぱり眩しい。肌のキメが細かすぎて、背景にキラキラしたエフェクトが見える気がする。
「もしご予定がなければ、その……っ」
急に喉が渇いてきた。心臓の音がうるさい。
私はギュッと拳を握りしめ、喉まで出かかった言葉を吐き出した。
「ご一緒にランチでも、いかがでしょうか!?」
――言った! 言ってしまった!
もし断られたら、その瞬間に死んだふりをして、そのまま一週間は医務室の主になる覚悟だ。
だが、アリシュナ様は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせると――。
「ええ、喜んで」
返事は、驚くほどあっさりだった。
「本当ですか!?」
「?」
なぜそんなに驚くのか、と言いたげな顔をされる。
いや、だって。公爵令嬢をランチに誘って即答でOKがもらえるなんて、前世の徳を使い果たした気分ですよ!
◇◇◇
そして、ランチの席。
学園の喧騒から少し離れたカフェテリアのテラス席で、私たちはスープを口にしていた。
「そういえば」
私はスプーンを置き、ふとした疑問を口にする。
「アリシュナ様って、お休みの日は何をされてるんですか?」
アリシュナ様は、少し考え込むように視線を泳がせた。
「……読書、それに乗馬や刺繍。……それから、妃教育の復習ですわ」
返ってきたのは、あまりにも優等生すぎる答え。
けれど、その瞳の奥にどこか「義務感」のような冷めた色が見えた気がして、私はつい、身を乗り出していた。
「それだけですか? もっとこう、アリシュナ様自身が『楽しい!』って思えるようなことは……」
私の言葉に、アリシュナ様はまるで悪戯が見つかった子供のように周囲をキョロキョロと見回し、声を極限まで潜めて言ったのだ。
「……実家に帰った折に、こっそりと。……釣りに没頭しておりますわ」
「……はい? つり、ですか?」
予想だにしない、あまりにもワイルドな単語に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
アリシュナ様は、頬を朱に染めて「しっ!」と指を口に当てる。
「ええ。アルトゥワ公爵家の領地にある湖で、獲物との駆け引きを楽しんでおりますの。……妃教育が始まって以来、殿下もセドリックも、私がまだ『これ』を続けていることは知りませんわ。……いいえ、教えられません。王太子妃を目指す者が、泥にまみれて魚を追っているだなんて」
自嘲気味に笑う彼女を見て、胸がキュッとなった。
妃教育が始まり、殿下との距離が「婚約者」という公的なものに変わっていく中で、彼女は自分の「好き」を隠して、独りぼっちで戦ってきたのだ。
(……殿下が言ってた『池に落ちた』思い出も、彼女にとっては隠さなきゃいけない過去になってたんだ)
大物を釣り上げようとして池にダイブした、無邪気な日々。
それを「なかったこと」にして完璧を演じてきた彼女が、今、私にだけその秘密を打ち明けてくれている。
「リアンナ様は? ……貴女は、休日に何を?」
アリシュナ様にまっすぐ見つめられ、私は考える。
彼女が命がけ(?)で秘密を守っているのに対し、私の休日は……。
「お菓子を食べながら昼寝です」
――即答だった。
見栄を張る余裕すらなかった。
「……ふふっ」
その瞬間。
アリシュナ様が、吹き出した。
「あ、ははは! お昼寝、ですの? お菓子を食べながら?」
初めてだった。
彼女が、扇で口元を隠すことも忘れ、声を上げて笑ったのは。
「……リアンナ様。貴女、本当におかしな方ね。……ふふふ、今日から貴女は、私の『共犯者』です。湖で大物を狙っている私と、お菓子を食べて寝ている貴女。……ふふ、殿下たちには絶対に内緒ですわよ?」
涙目に浮かんだ慈愛の光に、私は自分の失言(?)も忘れて、ただただ見惚れてしまうのだった。




