第28話:手を繋いで輪になったら丸く収まる…のか? ~元OL、騎士様の言葉を簡単に信じちゃいけないと学びました~
あれから数分たつが、まだ手は離してくれない。それどころか、彼は少しだけ声を潜めて、さらに距離を詰めてきた。
「……ねえ、リアンナ。これからは君のことを、名前で呼んでもいいかな? その方が、もっと仲良くなれると思うんだ」
あまりに直球な提案。
「もっと仲良く」なんて、そんな純粋な子供のような瞳で言われたら、元OLの防衛本能をもってしても「ダメです」なんて言えるはずがない。
「……っ、呼び方くらい、好きにしてください。……セドリック様」
私が顔を真っ赤にして絞り出すように答えると、彼はさらに一歩踏み込んできた。
「それなら……俺のことも、『セドリック』と呼んでほしいな。様はいらない」
「えっ、それは流石に……立場が……」
「いいじゃないか。この場限りじゃなくて、これからはずっと。……それとも、俺とは仲良くなりたくない?」
少しだけ眉を下げて、困ったように、けれど確信犯的に駄々をこねる騎士様。
「今だけ」という妥協すら許さない、逃げ場を完全に塞ぐようなその言い草。卑怯。卑怯すぎる。
私は熱くなる顔を伏せ、消え入りそうな小声で、けれどはっきりと彼の名前を口にした。
「……わかりました。……セドリック」
その瞬間。
「……っ!」
隣で、セドリックが息を呑む気配がした。
驚いて顔を上げると、そこにはいつもの余裕たっぷりな笑顔はなかった。
彼は片手で顔の半分を覆い隠し、耳まで真っ赤に染めて、天を仰いでいたのだ。
「……え、どうされました?大丈夫ですか?」
「……いや、すまない。想像以上に、くるものがあった。……もう一度、呼んでみてくれないか?」
「嫌ですよ!」
「お願い、リアンナ」
「んーーーっ!セドリック!はいっおしまいです!」
顔を隠して喜びを噛み締めた彼は、ようやく名残り惜しそうに手を離してくれた。
「よし、それじゃ予習をするんだったね。俺も成績は良い方だったんだ、もし、分からないところがあったら言ってくれ。教えれるところは教えよう、リアンナ」
名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。
けれど彼は一変して「有能な教育係」の顔になり、椅子を引いて私の真横に座り直した。
私は落ち着かない気持ちのまま、苦手な語学の予習に取り組むことにした。
案の定、単語の意味までは分かっても、複雑な文法で手が止まってしまう。すると、横からスッと的確なアドバイスが飛んできた。
「そこは、この動詞の活用を意識するといい。ほら、ここがこう繋がるだろう?」
「あ……本当だ。そう考えると分かりやすいですね、ありがとうございます!セド……、セドリック」
「セドリック」と呼ぶたびに彼が嬉しそうに口角を上げるのが視界の端に入って、正直勉強どころではない。けれど、彼の教え方は驚くほど丁寧だった。
不本意なはずなのに、なかなかに充実した、甘くて居心地の悪い時間が過ぎていく。
どのくらい集中して問題を解いていただろうか。
不意に、ふっと隣の気配が動いた。セドリックが時計をチラリと確認する。
「そろそろ殿下方の会議が終わる頃だ。送ろう、リアンナ」
彼は私の返事を待つまでもなく、広げていた勉強道具を素早く、けれど丁寧に片付けてくれた。
「えっ、あ、もうそんな時間ですか? ありがとうございます、でも片付けくらい自分で……」
「このくらいなんでもないよ、さあ、行こうか」
勉強道具を片付け終えたセドリックが、当然のように私の手を握り込んだ。ガゼボを出て校舎へ向かう道、その熱い体温に心臓が落ち着かない。
「……セドリック、あの、校舎内に入る前には手を離してくださいね? 誰かに見られたら困りますし」
少し身を寄せるようにしてお願いしてみたけれど、彼は前を向いたまま、繋いだ手をさらに優しく握り直した。
「気にしすぎだよ。誰も見てないから、大丈夫」
その言葉を信じた私が馬鹿だった。
校舎に入っても、彼の手は離れるどころかますますしっかりと私の掌を包み込んでいる。それどころか、すれ違う生徒たちが「えっ、あの二人……」と色めき立つのを、彼は涼風のような笑顔で完全にスルーしていた。
(誰も見てないんじゃなくて、あなたが周りを見てないだけでしょ……っ!)
抗議しようと口を開きかけた、その時。
図書室の前で、ちょうどこちらに向かって歩いてくるアリシュナ様の姿が見えた。
「あら……。セドリック、なぜ貴方がこちらに? 先ほど交代して、非番になったはずではなくて?」
足を止めたアリシュナ様の視線が、私たちの繋がれた手からセドリック様へと移る。その瞳には、隠しきれない驚きと、それ以上の「おや?」という色が混じっていた。
「ええ」
対するセドリック様は、あっさり頷く。
「その通りです」
「そう」
アリシュナ様は小さく息を吐いた。
それだけ。
それだけなのに、なぜだろう。その一言から、『あらあら、すっかり絆されてしまわれたのですね』という、全てを見透かしたような心の声が聞こえた気がした。
(違うんですアリシュナ様! いや、違わない……いえ、そうなんですけど……ああっ、もう!)
心の中で必死に弁解の言葉を並べ立てるが、自分の顔が熱くなっているのがはっきりと分かる。
手を繋ぐ事を許しておきながら今さら「嫌々です」なんて言えるはずもない。
当のセドリック様はどこ吹く風だ。
むしろ、何かおかしいことでも? と言わんばかりの涼しい顔をして、どこか満足そうですらある。
(なんでそんな、全て計画通りだと言いたげな余裕の顔なんですか……。)
私がげんなり……もとい、照れ隠しで遠い目をしていると、アリシュナ様の視線がほんの少しだけ柔らかくなった。
「リアンナ様」
「は、はい」
「……お気の毒ですわ」
「えっ」
「なんでもありません。うふふ」
優雅な微笑みと共に、楽しげに受け流された。
絶対に今、私の「攻略されっぷり」を見てお気の毒(笑)って言いましたよね!?
けれど、公爵令嬢の完璧な微笑を前に追及する勇気など、しがない平民の私にあるはずもなかった。
「殿下もカフェテリアにいらっしゃる頃でしょう。参りましょうか」
「承知いたしました」
セドリック様は即答した。
そして、当然のように。
さっきまで二人きりだった時の熱をそのまま持ち込むように。
……繋いだ手は、一向に離してくれない。
(離さないんだ……。本当に、みんなの前でもこのまま行くつもりなんだわ)
もう指摘する気力も残っていなかった。
私が照れ臭さを隠すように歩き出すと、アリシュナ様がそんな私を見て僅かに微笑む。
まるで、全力で甘えてくる大型犬にタジタジになりながらも、放り出せずに寄り添っている飼い主を見守るような、慈愛に満ちた顔だった。
……いや、待ってほしい。
飼い主は私?
そもそも、この自由奔放な騎士様(大型犬)にリードを握らされているのは、間違いなく私の方だと思うのだけれど。
そんな甘酸っぱい敗北感を頭の中でぐるぐると回しながら、私はアリシュナ様とセドリックに挟まれるようにして、殿下の待つカフェテリアへと向かったのだった。




