第24話:銀の鎖と不吉な刻印。 ~甘い誓約は、強力な塗り薬の香りに消えて~
「さて、次はあそこの店を覗いてみようか」
箝口令という名の防諜工作を終えたセドリック様は、何事もなかったかのようにショッピングを再開した。
先ほどまでの、周囲の空気を一瞬で掌握して黙らせるような圧倒的な手際はどこへやら。今の彼は、穏やかな微笑みを湛えた一人の紳士そのものだ。
(……相変わらず、鮮やかな手際だわ。さすがは殿下の右腕、トラブルの芽を摘むスピードが尋常じゃないわね。でも、あんなに慌てていた人たちが一瞬で落ち着くなんて、セドリック様の対人スキル、本当に底が知れないわ……)
私たちはそれから、彼が案内してくれるまま、いくつかのお店をゆっくりと見て回った。
洗練された内装の宝飾店に入ったとき、私はふと、ショーケースの隅に置かれた細身のブレスレットに目を留めた。派手さはないけれど、繊細な銀の細工がとても綺麗で、思わず足を止めて見入ってしまう。
「……気に入るものがあったかな?リアンナ嬢」
「あ、いえ! 失礼いたしました。とても素敵な細工でしたので、つい。……さあ、行きましょうか」
「気になっているものがあるんだ、それだけ購入してくるから先に外に出て待っていてもらえるだろうか」
「分かりました。それでは外でお待ちしておりますね。」
私は見ていたブレスレットを「素敵な目の保養」としてその場を後にした。
ショッピングを終える頃には、空は柔らかなオレンジ色に染まり始めていた。
「最後に、君に見せたい景色があるんだ」
そう言ってセドリック様に連れられてやってきたのは、王都を一望できる高台の広場だった。眼下に広がる街並みが夕日に照らされ、宝石を撒き散らしたように輝いている。
「綺麗ですね……」
「ああ、本当に。……こうして君と静かな時間を過ごせるなら、今日のために仕事を調整した甲斐があったというものだよ」
(……仕事を調整!? あの多忙なセドリック様が、わざわざスケジュールをこじ開けてまで……?)
セドリック様の横顔を盗み見ながら、私は純粋に感心していた。ただの「お礼」のためにこんなに時間を割いてくれるなんて。
「リアンナ嬢、これを」
不意に差し出されたのは、小さな包みだった。中から現れたのは、先ほどのお店で私が目を奪われていた、あの二連のシルバーブレスレット。中央には、私の瞳の色をした小粒の紫水晶が、夕日を受けてキラリと輝いた。
「……これを、私に?」
「さっきのお店で見ていた時、君に似合いそうだと思ってね。……つけてもいいかな?」
(まさか、私のために選んでくれていたなんて。本当にいただいてもいいんでしょうか……っ)
彼は私の返事を待たず、優しく、けれど拒めない力強さで私の手首を掴んだ。ひんやりとしたシルバーの感触が肌に触れ、カチリと小気味よい音を立てて留め具が下りる。
「ありがとうございます、セドリック様。……大切に、ずっと身につけておきますね」
「……ああ。そうしてくれると嬉しいよ。……君にとても似合っている」
セドリック様は、自分の贈ったブレスレットが私の肌に馴染んでいるのを見て、満足げに目を細めた。(……うわぁ、これほど手厚いお礼をされるなんて、この人本当にお義理堅いというか。私への期待値がめちゃくちゃ高いのかしら!?)と、別の意味でドキドキしながら視線を逸らした。
「名残惜しいけれど、そろそろ時間だね。もう陽も落ちた、これ以上遅くなって君に何かあったら困る。……送り届けるよ、リアンナ嬢」
(……あ、暗くなる前に。徹底した『リスク管理』! 本当に隙がないんだから!)
馬車は夕闇の中を滑るように進み、行きと同じく学園の停車場へと戻ってきた。セドリック様は先に降りると、当然のように手を差し伸べて私を降ろしてくれる。そのまま彼は、女子寮へと続く夜道をエスコートするように歩き出した。
「……今日は君と過ごせて、本当に楽しかった。……ありがとう、リアンナ嬢」
寮の入り口が近づき、足を止めたセドリック様が真っ直ぐに私を見つめてそう言った。
(……あ、こちらこそです! こんなに豪華な贈り物までいただいて、その上こんな風に優しく言っていただけるなんて!)
「はい。……私も、忘れられない一日になりました。本当に……」
感謝の言葉を重ねようとしたけれど、彼の瞳があまりに熱を帯びて私を射抜くものだから、続きの言葉が喉に張り付いて出てこない。私はただ、熱くなる頬を隠すように俯くのが精一杯だった。
セドリック様は満足そうに、けれどどこか名残惜しそうに目を細めた。そして、不意に私の手を取り、その甲に吸着力のある長めの口づけを落とした。
(……っ!?)
熱い唇が触れた場所から、電流が走るような衝撃が全身に走る。
(な、何今の!? 何かの挨拶!?それにしても距離感バグってない!? 圧が……美形の圧がすごすぎるわ……っ!)
「……おやすみ、リアンナ嬢。良い夢を」
夕闇に消えていく彼の銀髪を見送りながら、私は手首のシルバーのブレスレットをぎゅっと握りしめた。
(……お礼のレベルが完全に異次元だったわね。でも、明日も休みだし、今日はこの余韻に浸りながらゆっくり休むことにしましょう!)
――そう思いつつ自室へと戻り、ふぅ、と大きなため息をついて私はようやく自室の椅子に腰を下ろした。
鏡の前で髪を解きながら、今日一日の出来事を思い返す。箝口令に、ショッピング、高台からの夕日、そして……。
「……あ、そういえば」
手首でキラリと光るシルバーブレスレットに目を細め、私はふと、セドリック様が最後に口づけた自分の手の甲をまじまじと見つめた。
「……っ!? なにこれ、真っ赤じゃないの!」
腫れこそないものの、セドリック様の唇が触れていた場所には、まるで消印でも押されたかのような、鮮烈で禍々しいほどの「赤」が残っていた。
「えっ、嘘、嘘でしょ!? もしかして、あの高台にいたのは……刺された瞬間に皮膚を変色させる、新種の毒虫だったの!?」
痛みも痒みもないのが逆に不気味すぎる。あんなに長いこと熱っぽかったのは、毒が浸透してたからなのね!
「大変よ! 手の甲を恐ろしい毒虫に刺されちゃったみたい! 今すぐ、一番強くて殺菌力の高い塗り薬を持ってきてちょうだい!」
私が必死の形相で呼びつけると、駆け寄ってきた侍女も、私の手を見るなり「ひっ!」と短く悲鳴を上げた。
「まあ、大変ですわお嬢様!! なんて禍々しい赤色……! まるで呪いの刻印のようですわ! さすが王都屈指の絶景スポット、潜んでいる虫も一筋縄ではいかないのですね!」
「そうなのよ! 痛みがないのが一番怖いの。今のうちに毒を中和しないと、明後日の学校までに腕が腐り落ちちゃうかもしれないわ!」
「まあ! そんなことになっては一大事ですわ! すぐに薬箱から最強の軟膏と、清潔なガーゼを持ってまいります! お嬢様、しっかりしてくださいませ!」
慌てふためく侍女は、私の手の甲にこれでもかと薬を塗りたくり、まるで重症患者のように丁寧な手つきでガーゼを巻き付け、上敷きからリボンでガチガチに固定してくれた。
(よし……。これでひとまず、毒の拡散は防げるはず。明後日はこのガーゼを『武勲の証』だと思って登校するしかないわね!)
セドリック様が全霊を込めて刻んだ「愛の証」が、主従の懸命な「防疫措置」によって完全に封印されていく。
本人は「明日もしっかり消毒しなきゃ」と危機感を募らせ、侍女は「予備のガーゼもたっぷり用意しておきますわ!」と意気込む。
そんな嵐の予感を知る由もなく、リアンナは「次は防虫対策を万全にするわ」と心に誓い、深い眠りにつくのだった。




