第23話:街歩きは実地研修。 〜知らぬ間に結ばれた終身雇用契約と、鉄壁の口封じ〜
「……ごちそうさまでした」
なんとか、本当に何とかして、私は自分の皿のミルフィーユを完食した。
セドリック様からの「あーん(物理攻撃)」によって、私の脳内メモリは一時的にオーバーフローを起こしていたけれど、残ったリソースで必死に味わったそれは、確かに頬が落ちるような絶品だった。
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ。……さて、お腹も膨れたことだし、腹ごなしに街を歩かないかい? せっかくの休日だ、あてもなく二人でぶらぶらするのも悪くないだろう」
「あてもなく、ですか?」
彼は優雅に席を立つと、当然のように私の隣へ回り込み、エスコートの手を差し出してきた。
(……まだ続くのね、この『殺傷能力の高い休日』は! でも、中庭という名の密室から解放されるのは正直ありがたいわ。街中なら、流石にさっきみたいな物理攻撃はしてこないはず……!)
私たちはレストランを後にし、王都のメインストリートへと向かった。
馬車は近くの広場で待機させ、ここからは徒歩での移動だ。
王都の目抜き通りは、休日ということもあって活気に溢れている。
色とりどりの看板が並び、どこからか香ばしい焼きたてのパンの匂いが漂い、着飾った人々が楽しげに行き交う。
(ああ、これよこれ。この適度な雑踏……。前世の休日も、こうやって目的もなく街をぶらぶら歩くの、嫌いじゃなかったな……)
満員電車に揺られ、分刻みのスケジュールに追われていたあの頃。
唯一、誰の目も気にせず、ただの「通行人A」として街に溶け込めるあの時間は、私にとって静かな解放感を与えてくれるものだった。
(……まあ、今は隣に世界で一番通行人Aになれない男が張り付いているせいで、解放感どころか、衆人環視の公開処刑状態なんだけど!)
ふと隣を見れば、私を馬車が行き交う通りの中央側から守るように歩くセドリック様の姿。
人混みの中でも、彼の銀髪と洗練された私服姿は、まるでそこだけスポットライトが当たっているかのように浮き上がって見える。
(……やっぱり目立ってるわ。本人は涼しい顔をして、さりげなく私を安全な歩道の端へと促して歩いているけれど。これ、前世で言ったら推しが一般道に降臨レベルなのでは!?隣を歩いているのが私で本当に申し訳ない……!)
「……リアンナ嬢? 怖い顔をして、どうかした?歩くのが速すぎたかな?」
「いえ! ただ、王都の活気はすごいなと思いまして」
私は慌てて誤魔化すように、近くの露店へと視線を逸らした。
そこには、透き通ったガラス細工や、色鮮やかな刺繍のハンカチが並んでいる。
「あ、見てください。あのハンカチ、刺繍がとても細かくて素敵ですね」
「ふむ、確かに……寄ってみようか。君の瞳の色に近い糸が使われているね」
セドリック様は私の歩調に合わせ、エスコートする腕にふわりと力を込めて、自然に露店へと誘導してくれる。
ふとした拍子に、彼のジャケットの袖が私の肩に触れる。
(近い。やっぱり距離が近いのよ! 前世のブラブラ歩きはもっと孤独で自由なものだったのに! 隣から漂う清潔な香りと、時折伝わる彼の体温のせいで、全く落ち着かないんですけど……!)
気付かないふりをして歩き続ける私の耳に、ふと、少し離れたところから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「あら? あそこにいるのって……」
その声に、私の背筋が凍りつく。人混みの向こう、華やかなドレスを纏った数人の令嬢グループ。その中心にいるのは、学園でも顔の広い――いわゆる「情報通」の令嬢たちだった。
(……マズイ! 目が合う! 0.5秒後にはスキャンされるわ!)
私は反射的に、前世の「理不尽なクレーム対応」で鍛え上げた『完全無欠の営業スマイル(鉄の仮面)』を装着した。
「おや、リアンナ嬢? 急に顔つきが……」
「セドリック様、そのまま微笑んで前を向いていてください。いいですね、これは業務連絡です!」
私は一歩前に出て、非の打ち所がない完璧なカーテシーを繰り出した。
「皆様、ごきげんよう。本日はトリスタン侯爵家より承りました『学園行事に関する事前視察』の同行を終えたところなんですの。あまりに機密事項が多いため、詳しくお話しできないのが残念ですわ」
(よし、これで『デート』という単語は彼女たちの選択肢から消えたはず……!)
ところが、その瞬間だった。
「――ああ、そうだね。彼女には今日、私の特別なパートナーとして、同行をお願いしたんだ」
(……特、別な……パートナー?)
セドリック様の口から出たその単語に、私の脳が一瞬フリーズする。
(ああ、なるほど! 『プロジェクトの共同責任者』とか『仕事上の重要パートナー』って意味ね! )
私は自分に都合の良い「ビジネス翻訳」を光の速さで完了させた。そうと分かれば、ここで否定して彼の顔を潰すわけにはいかない。
「ええ、左様でございます。セドリック様の目指す理想に対し、私がその『パートナー』としてお役に立てるかどうか、本日はじっくりと見極めていただきましたの」
(よし、完璧な回答!)
ところが、私の言葉を聞いた令嬢たちの反応は、想像とは真逆のものだった。
「……あらあら、まぁまぁ……っ!」
「お役に立てるかどうかだなんて……なんて謙虚で、愛にあふれた決意表明かしら!」
(……え!? え!? え!? なんでみんなそんなに感極まってるの?)
パニックを起こし始めた私を余所に、セドリック様がふっと目を細めた。
「――おっと、すまない。一つ、お願いを忘れていたよ。今日のことは、どうかここだけの話にしておいてくれないか?」
セドリック様は、令嬢たちに向けて極上の微笑みを浮かべた。
「彼女はとても控えめな性格でね。根も葉もない噂で彼女の穏やかな生活に支障が出るようなことになれば、私は自分を許せそうにないんだ。……分かってくれるね?」
それは、王太子の懐刀である彼にしか出せない、優しくも拒絶を許さない完全なる口封じだった。
「も、もちろんですわ! お二人の静かな時間を邪魔するような真似はいたしませんわ!」
「ありがとう。……それでは、失礼するよ。ごきげんよう」
令嬢たちは風のように去っていった。あとに残されたのは、やり遂げた感でいっぱいの私と、なぜか「完勝」のオーラを纏ったセドリック様だけ。
(……ふぅ、なんとか乗り切ったわ。あんなにしっかり釘を刺してくれれば、変な噂が立つ心配もないわね。やっぱり仕事ができる男はリスク管理も完璧だわ!)
安堵の溜息を漏らす私を、セドリック様が満足げに見つめている。
「……リアンナ嬢。君がさっき、『パートナー』と言ってくれたこと、本当に嬉しかったよ。大切にするからね」
(……大切に? ああ、人材を大事にするってことね! ホワイト企業最高! よーし、明日からも平穏なモブ生活を維持するために、程よくお付き合い頑張るぞー!)
――本当の意味に気づいない。
セドリック様が釘を刺したのは「リアンナを守るため」だけではなく、「邪魔が入らない状況で、着実に彼女を逃げられない場所へ追い込むため」の布石であったということに。
そして、この先どれほど彼が情熱的に外堀を埋めようとも、仕事脳の私がそれを「手厚い労働環境の整備」だと信じて疑わないまま、真実に気づく頃にはもう、物理的にも社会的にも、絶対の後戻りができないところまで引きずり込まれているのだということも、今の私は知る由もなかった。




