第21話:アフターファイブの攻防戦。 ~真犯人の特定と、逃げ場なきランチの予約~
「……ふう。やっぱり、このミスリードが効いてるわね」
パタン、と本を閉じる乾いた音が図書室に響く。
ようやく真犯人を突き止めた満足感に浸りながら、私は大きく伸びをした。窓の外は、いつの間にか紫がかった夜の帳が下り始めている。
「読み終わったのかい?」
すぐ傍らで彫像のように佇んでいたセドリック様が、待ってましたと言わんばかりに声をかけてきた。
……そういえば、ずっと待機してくださっていたんだったわ。
「ええ、おかげさまで。……それで、セドリック様。まさか読み終わるまでずっとそこにいらっしゃったのですか? 非番の時間は刻一刻と減っていますよ?」
私は手早く荷物をまとめ、立ち上がる。
今の私の脳内シェアは「読後の余韻」が30%、そして残りの70%は「悲鳴を上げている胃袋」で占められている。昼食のサンドウィッチを台無しにされた私にとって、今の最優先事項は「寮の夕食」を確実に摂取することだ。
「君が犯人を追い詰めるのに夢中だったからね。邪魔をしないように配慮した結果だよ」
セドリック様は、私の手元を譲るために空けていた距離を音もなく詰めると、断りも入れずに私の鞄をひょいと持ち上げた。
「さて、それじゃあ帰ろうか。あまりのんびりしていると、今度は夕食の時間を逃してしまうよ。……昼の二の舞は避けたいだろう?」
当然のように隣を歩き、当然のように私の鞄を持っている。その淀みのない動作に、私はつい反論のタイミングを逃してしまった。
「いえ、学園の敷地内ですし、鞄くらい自分で……」
「寮まで送るついでだ、気にしなくていい。ほら、足元が暗いから。……さあ」
そう言って彼は、空いた方の手を私の背に軽く添え、促すように歩き出した。
背中を支える彼の手のひらから、微かな体温が伝わってくる。拒絶を許さないほどスムーズで、けれど決して不快ではない、完璧な誘導。
(……おやおや? なんだか少し、距離が近くありません?)
昼間の噴水広場での揶揄い混じりの軽快さは影を潜め、今の彼はどこまでも紳士的で、それでいて隙がない。
彼が私の歩調に合わせて一歩を踏み出すたびに、まるで私のパーソナルスペースが、彼の色にじわじわと塗り替えられていくような――そんな奇妙な感覚。
「……セドリック様。今の貴方は騎士としての任務中ではなく、非番の『自由な時間』のはずでは?」
「ああ。だからこそ、俺が一番やりたいことに時間を使わせてもらっているよ。……それとも俺と一緒に帰るのが、そんなに不服かい?」
彼は少しだけ歩調を緩め、覗き込むように顔を寄せてきた。
その瞳に宿る、静かで、けれど決して逸らしてはくれないほどの熱に、私はまだ気づかない。
「不服だなんて滅相もございません。ただ、あまりに福利厚生(?)が手厚すぎて恐縮しているだけです。」
そう。非番なのに律儀に同僚(?)をエスコートしてくれるなんて、なんてホワイトな騎士様かしら。
私はそんな能天気な解釈で自分を納得させながら、静まり返った廊下を彼と共に歩き出した。
石床に響く二人の足音だけが規則正しく重なる中、セドリック様が前を見据えたまま口を開いた。
「ところでリアンナ嬢。明後日は、休みの日だよね」
私は心の中で(よし、貴重な非稼働日(休日)!)とガッツポーズを決め、一日中ベッドと親友になって体力の回復に努める予定を組んでいた。……が。
「その日の予定、俺に譲ってくれないかな。ずっと、君と街へ出る機会を窺っていたんだ」
穏やかな、けれどどこか熱を孕んだ声に、私は思わず足を止めた。
……窺っていた?
「……セドリック様? あの、以前のお食事のお誘いですけれど。私、まだちゃんとお返事をしておりませんでしたよね?」
「おや。まだ返事をもらっていないなんて、思ってもみなかったな。……あのまま、てっきり承諾してくれたものだとばかり思っていたよ」
セドリック様は立ち止まり、困ったように首を傾げて私を覗き込んだ。その確信犯的な微笑みに、私は言葉を詰まらせる。
そうなのだ。あの日、放課後の並木道で「楽しみにしてるよ」と一方的に締めくくられ、私の「ちょっと待ってください!」は夕闇に消えてしまった。結局、一言も「行きます」なんて言ってない。
「……承諾というか、反論する隙がなかっただけで。それに、その……あまりに急な話でしたし」
「それなら、今改めてお願いしてもいいかな。……君にぜひ食べてほしいと思っている、とっておきのランチがあるんだ。もう、その店も予約してある」
「え……よ、予約、ですか?」
「ああ。君が喜んでくれそうな席を、早い段階で押さえておいたんだ。……今さら、無下に断ったりはしないだろう?」
彼はふわりと目を細める。
予約してある。その一言の破壊力は凄まじかった。
(……予約。それはつまり、今私がここで断れば、その『とっておきの席』が空席になり、お店の方にも多大なるご迷惑がかかるということ……!)
前世の社畜精神が、キャンセルの罪悪感に警鐘を鳴らす。
しかも、この完璧な騎士様が「君のために」と用意した予約を、この私が台無しにするなど、平穏なモブ生活に最もふさわしくない「角が立つ行為」ではないかしら。
「……予約までされていらっしゃるのでしたら、仕方がありませんね。……分かりました。お受けいたします」
私が溜息混じりに、けれど「美味しいもの」への期待を隠しきれずに頷くと、セドリック様は満足そうに喉を鳴らした。
「ありがとう。ようやく君を誘い出せると思うと、俺の方が楽しみで仕方ないんだ」
「ランチ……。夜ではなく、お昼どき、ということでしょうか?」
「ああ。せっかくの休日だ、最初から最後まで俺が君を独占……、いや、責任を持ってエスコートさせてもらいたい」
(今、さらっと物騒な単語が聞こえた気がしたけれど、彼の微笑みがあまりに完璧すぎて、私の耳の錯覚だと思い直すことにした。)
「では、昼前に寮まで迎えに行くよ。……逃がさないように、最高のプランを用意しておくからね」
最後の一言が、冗談めかして、けれどどこか本気を含んで夜の空気に溶けた。
私は「逃がさない(=最高の料理を逃させない)」という意味だと脳内変換し、明後日の絶品ランチに思いを馳せながら、静まり返った夜道を彼と共に歩き出した。
寮の入口が見えてくる 。
私の鞄を返してくれる彼の指先が、ほんの少しだけ長く私の手に触れていたことにも、私は気づかない振りをすることにした。……つもりだった。
「……では、また明後日に。おやすみ、リアンナ嬢」
「あ、は、はい! お、おやすみなさいませ! セドリック様!」
自分でも驚くほど裏返った声が出てしまい、私は慌てて口を押さえた。
平静を装っていたはずの仮面が音、たった数秒の指先の熱に耐えきれず、を立てて剥がれ落ちていく。視線をどこに置いていいか分からず、私は泳ぎまくる目を必死に地面へと落とした。
そんな私の分かりやすすぎる反応を、セドリック様は見逃してはくれなかった。
「ふっ……」
頭上から、低く、愉悦を孕んだような笑い声が降ってくる。
驚いて顔を上げると、そこにはいつもの完璧な騎士の微笑みではなく、獲物を追い詰めた猟師が浮かべるような、酷く満足げで……それでいて蕩けるほど甘い笑みを浮かべたセドリック様がいた。
「そんなに顔を赤くされると、明後日がますます待ち遠しくなるな。……それじゃあ、また」
彼は私の動揺をこれ以上ないほど楽しむように、最後にもう一度だけ私の頭を優しく撫でると、軽やかな足取りで夜の闇へと消えていった。




