第18話:淑女の嗜みと綿菓子の誘惑。 ~理想の上司と、胃に優しくない甘口騎士~
侍女に整えてもらったリボンを気にしながら、私は女子寮の玄関を出た。
王太子殿下は、毎日王宮へと戻り、深夜まで国務をこなされている。私が提案したあの仕分け用紙も、今頃は王宮のデスクで山積みの書類を捌くのに一役買っているといいのだけど。
(……本当にお役に立てているのかしら。でも、それより……)
どうしても、昨夜のセドリック様の言葉が頭から離れない。
そんな複雑な表情で並木道を歩いていると、前方の角から見慣れた華やかな人影がひょっこりと現れた。
「あら、リアンナ様! ご機嫌よう。丁度私も、これから学園へ向かうところでしたの」
輝くような金髪を揺らして歩調を合わせたのは、アリシュナ様だった。
「アリシュナ様、おはようございます。今日も良いお天気ですね」
私は努めていつも通りに微笑み、挨拶を返した。……けれど、鋭い観察眼を持つ彼女を欺くことはできなかったらしい。
「ええ、本当に。……ところでリアンナ様、なんだか顔色がよろしくないようだけれど ……健やかな身なりを保つのも、国民の上に立つ令嬢としての嗜みではなくて?」
アリシュナ様は少しだけ眉を寄せ、ツンとした口調で私をたしなめた。
「えっ? そ、そんなことは……」
「いいえ。自らの管理も疎かな者が、他者を正しく導くことなどできませんわ」
厳しい言葉。けれど、その瞳には私を気遣う確かな色が滲んでいた。
(……あ。この感じ、なんだか懐かしい……)
私は思わず足を止め、彼女を見つめた。
前世で、徹夜続きの私を「見苦しいわよ、さっさと帰って寝なさい!」と叱り飛ばしてくれた、あの有能で情の深い上司。言い方はキツいけれど、誰よりも部下の限界を察してくれていた、あの尊敬すべき背中。
(アリシュナ様……。あなた、やっぱり最高の上司だわ……!)
そう思うと、胸の奥からこみ上げてくる温かいものを抑えられず、私はふにゃりと頬を緩めてしまった。
「……ふふ。ふふふ……」
「……っ!? 何をニヤニヤ笑っていますの!? 私は真面目な話をしているんですのよ、リアンナ様!」
「ごめんなさい、アリシュナ様。誠実なご指摘、感謝いたします。……でも、やっぱりアリシュナ様は素敵だなって思って」
「な、なんて脈絡のないことを……っ。まったく、ほら、予鈴が鳴ってしまいますわよ!」
耳まで真っ赤にして歩くアリシュナ様の背中を追いかけながら、私は確信していた。
どんなにセドリック様に振り回されても、私の隣にはこんなに心強い「上司」がいるのだから、きっと大丈夫だと。
学園に到着すると、生徒会室の周辺は朝から役員たちが慌ただしく出入りしていた。
今日から王宮で実戦投入される新規定。その影響が学園の連絡網にも波及しているらしく、どこか緊迫した空気が漂っている。
「……あ、セドリック様」
人混みの向こうに、役員たちに的確な指示を出しているセドリック様の姿を見つけた。
今日の彼は王太子の専属騎士として、主君の公務を円滑に進めるための鋭い覇気を纏っている。事務処理を差配するその姿は冷徹なまでに完璧で、武官としての美しさが際立っていた。
そんな彼が、スッと私の隣に音もなく歩み寄ってきた。
私にだけ分かるようにふわりと騎士の険しさを解いて、彼はじっと私の顔を覗き込む。
「おはよう、リアンナ嬢。……ふむ、今朝の君はなんだか、いつもと違って雰囲気がふわふわしているね」
「えっ……? そ、そうですか?」
「ああ。まるで綿菓子みたいだ。……白くて柔らかそうで、なんだかとても甘そうに見える」
低く心地よい声が、耳元で密やかに響く。
役員たちには聞こえない絶妙な距離感で、彼は私を「食べ物」に例えるような、とんでもなく甘い言葉を投げかけてきた。
(……な、ななな、綿菓子!? 甘そう!?)
昨夜の「決まりね」という約束だけでも心臓が持たないのに、朝からこの破壊力。
「……っ、そんな……からかわないでくださいませ! 私はいたって真面目に登校しただけです!」
「はは、冗談だよ。……でも、そんな風にすぐ真っ赤になるところを見ると、やっぱり昨夜は僕のことで頭がいっぱいだったんじゃないかな?」
確信犯的な笑みを浮かべて、彼は私の反応を楽しんでいる。
今朝、アリシュナ様に感じた「理想の上司へのホッコリ」なんて、もうどこにも残っていない。
私は彼から目を逸らすようにして、慌てて手に持っていた鞄をぎゅっと胸元に抱え込み、熱くなった顔を隠した。けれど、鞄越しでも伝わってきそうなほど、耳の奥ではまだ彼の甘い声が熱を持って響き続けていた。




