第14話:ランチタイムの攻防戦。 〜有能すぎる上司(予定)の強引な招集〜
学園のカフェテリア。
高いアーチ状の天井に、窓からは柔らかな午後の光が差し込む。そこは優雅な社交場……などではなく、私にとっては午後の英気を養うための拠点だ。
本日のメニューは「特選牛の赤ワイン煮込み」に「季節野菜のテリーヌ」。銀のトレイに載せられた料理の数々は、前世なら銀座で10,000円は下らないクオリティで、福利厚生の手厚さに震えるけれど、今の私の目的はただ一つ。
「……あった!」
「カスタードプリン」を死守した私はホールの隅に置かれた二人掛けの席へ座った。まずはスープを一口。あぁ、コンソメが五臓六腑に染み渡る……。
「――あら。そんな隅っこで食事だなんて。令嬢としての自覚が足りないのではないかしら?」
氷のように冷たい、けれど今朝の回廊で耳に焼き付いたばかりの澄んだ声。顔を上げると、そこには完璧な美貌を誇るエリシア様が、優雅な所作で私の正面に座っていた。
「ごきげんよう、アリシュナ様。……あの、私、また何か失礼なことをしてしまいましたか?」
(……自覚? あ、もしかして今、ちょっと背中丸まってたかしら。令嬢の作法は、実質的に体幹トレーニングなのよね。プリンを前にすると、つい腹筋への意識が飛んじゃうのよ)
「……貴女、午前中に何をしたの? クラウスが貴女のノートを大事そうに抱えて、殿下に報告していたわよ。殿下も『非常に興味深い、直接話を聞きたい』と仰って、私が貴女をエスコートするようにと仰せつかりましたわ。今日の放課後は生徒会室へお越しなさい。予定は空けておくことですわね」
エリシア様は扇で口元を隠し、ふん、と鼻を鳴らした。
(――え、放課後に生徒会室?それって完全なる強制残業じゃない……!)
せっかく定時で帰るつもりだったのに。私は、目の前のプリンを一口すくい、その甘さに救いを求めた。
(……待てよ。呼ばれたのはいいけど、具体的に何をどうしろとは言われてないわよね? 「話を聞きたい」なんて、一番胃に悪い案件だわ。下手に答えて「じゃあそれ君がやって」なんて丸投げされたら……! ダメよ、先手を打って、これを見れば誰でも運用できるっていう引き継ぎマニュアルの骨子くらいは用意しておかないと!)
「分かりました、放課後ですね。アリシュナ様も、もちろんそのままいらっしゃいますよね?」
「ええ、生徒会役員ですもの当然ですわ。……大体、貴方ときたら……」
ふいに、アリシュナ様が言葉を失った。
私の顔を凝視したまま、その美貌がわずかに引きつる。それは、信じられないものを見た時のような「驚き」だった。
「……リアンナ様。貴女、自分が今どのような失態を晒しているのか分かってらして?」
「へっ? 失態ですか?今、放課後に向けて不測の事態に備えたQ&Aの作成を思案していました。」
「……驚きましたわ。そんな腑抜けた顔で、あまつさえ口元に汚れを付けたまま」
アリシュナ様は深く、本当に心底疲れ果てたような「呆れ」の溜息をついた。
そして音もなく身を乗り出すと、白く細い指先で私の顎をくい、と持ち上げる。逃げ場を奪われ、至近距離で彼女の瞳と対峙させられる。
「……いい? 今の貴女は、一国の殿下にお会いする淑女としての最低限の体裁すら整っていません。……ほら、じっとしていなさい」
彼女は何も言わず、もう片方の手でハンカチを取り出すと、一切の容赦なく、私の口元をグイと拭った。布越しに伝わるその力加減は、彼女の「どうして私がこんなことを」という気持ちと、それでも放っておけない過保護さが混ざり合っている。
「……放課後、少しでもその緩んだ隙を見せたら、私が徹底的に教育し直して差し上げますわ。分かったかしら?」
冷徹な響きの中に、確かな威圧感を込めた最後の一押し。エリシア様は指を離すと、何事もなかったかのように立ち上がり、優雅なカーテシーを一つ残して去っていった。
(……ちょっと待って。お嬢様に介護されつつ、死ぬほど釘を刺されたわよ!? あの『絶対零度の微笑み』、前世のブチ切れた時の専務より威圧感あったわ……!)
私は、微かに残るアリシュナ様の高貴な香りに再び背筋の「体幹」を強制起動されながら、残りのパンを手にとった。
本当は一口で放り込みたいけれど、もし今、彼女が振り返って私の姿を見たら、今度こそ本当に「再教育」が始まってしまう。
「……ふぅ。落ち着け、私。これも一種の、ビジネス・シチュエーション……」
私は震える手でパンを小さくちぎると、最高級のコース料理を嗜むかのような優雅な所作で、しかし機械的なまでの超高速で口に運び、咀嚼した。
見た目は完璧な淑女、中身は昼休憩残り5分の社畜。
胃に流し込むスープの熱さで気合を入れ直し、私は重い腰を上げた。
(……さて。ここから「午後の授業」をこなしながら、脳内で「殿下へのプレゼン資料」を仮組みしないと。ああ、目的の見えない会議ほど胃に悪いものはないわね)
午後のチャイムが響き渡る。
睡魔を誘う歴史の講義中、私は教本の隅に、放課後の「不測の事態」に備えたQ&Aリストを必死に書き殴るのだった。




