第13話:隠しきれない職業病。 〜見やすい資料(ノート)は、有能な騎士を惹きつける〜
教師の落ち着いた声が教室を満たし、粛々と授業が始まった。
本来なら、ここで私は「ただの背景」として平穏なひとときを過ごすはずだったのだけれど。
前方では、今朝の一件以来、アリシュナ様に対して明らかに「これまでとは違う視線」を向けている殿下。対するアリシュナ様はといえば、教本を凝視したまま微動だにせず授業を受けている。……けれど。
(……アリシュナ様、絶対無理してる。あの隙のない背筋、前世で「プレゼン資料の致命的な誤植に本番直前で気づいたけど、何食わぬ顔でアドリブで乗り切ろうとしている」時の私の、あの必死な背中と同じだもの……)
今朝、回廊で彼女の「隠れた優しさ」を私が全力で暴露してしまったせいで、彼女は殿下の前でこれ以上ないほど狼狽えていた。あんな見事なキャラ崩壊、前世の厳しい上司たちを含めてもそう拝めるものじゃない。
(……あぁ、関わらない、関わらない。有能な上司の鉄壁のキャラを粉砕しちゃったんだとしても、今はただの背景、有給消化中のモブに徹するのよ……)
視線を落とすと、視界の端に王太子専属騎士の姿が映った。セドリック様は授業開始と共に音もなく下がり、一番後ろの私の席の、すぐ斜め後ろに位置取っていた。……騎士としての定位置がそこなのだろうか、すぐ背後に立たれるのはさすがに気になる。
後ろが気になる気持ちを切り替えて、目の前の羊皮紙に意識を全集中させることにした。
(よし……前世の私、降りてきなさい……!)
私の前世は、ブラック企業で鍛え上げられた社畜。たとえ記憶を失って「伯爵令嬢としての常識」が抜け落ちていても、骨の髄まで染み付いた資料作成スキルだけは、意識せずとも勝手に稼働を始めてしまう。
羽ペンがさらさらと、淀みなく紙の上を滑る。
『大陸地政学:第4章・通商路の歴史』
・課題:山脈越えの輸送コスト増
・解決策:
① 宿場町の整備(短期)
② トンネル掘削の検討(長期・予算要確認)
・懸念点:
→ 隣国との関税交渉が難航中(※要ウォッチ)
(ふふっ、これよ。この「構造化されたドキュメント」こそが、私の魂の安らぎ……!)
(……あぁ、でもやっぱり、エクセルが恋しいわ。これ、オートフィルタで絞り込みたいし、予算の項目には関数を入れて自動計算させたい。セルの結合はしないから、せめて格子状の罫線だけでも引かせてくれないかしら……!)
つい楽しくなってしまい、筆が加速する。手書きで「神エクセル」ならぬ「手書きの神ノート」を作成し、一目で「物流のボトルネック」がわかるようになったところで……ふと、背後から音もなく「圧」が忍び寄ってきた。
(……え、なに。なんか変なこと書いた!? いや、物流の合理化案を自分なりに纏めただけよね!?)
すぐ斜め後ろに控えているクラウス様の視線が、私の手元を真上から射抜いているのが気配でわかる。微動だにせず、獲物を狙う鷹のように私の書き込みを覗き込んでいた。
午前の講義の終わりを告げる鐘が鳴り、先生が教室を去った、その刹那
セドリック様は、私の机にスッと影を落とした。
「……リアンナ嬢。その、表みたいな書き方。……いいですね、これ、かなり纏まってて見やすい」
「え、あ、あはは。えっと、適当に思いついたというか……記憶喪失の勢いというか……」
思わず誤魔化そうとした私に、セドリック様は少しだけ目を細めて、ひょいと私の手元にある神に指をかけた。
「これが適当? 嘘が下手だな。……これ、ちょっと貸してくれませんか? 殿下が公務の報告書が読みづらいと仰っていて、最近ずっと機嫌がよろしくないんですよね、これを殿下に見せれば改善策が見つかるかもしれない。護衛してる私たちとしても、主君がイライラしてない方が助かるんで」
「えっ、貸すんですか!? いや、でも、ただの落書きですし……」
「落書きにしては出来すぎかと思いますが。まぁ、悪いようにはしないので、ね?」
「現場の苦労」を分かってくれと言わんばかりの説得力がある。
(……うっ。この「上司の機嫌取りのために、ちょっとその資料貸してよ」っていう、現場担当者特有の切実なノリ……。まぁ、貸すくらいならいっか。減るもんじゃないし。サクッと貸して、お昼休みに入らせてもらおう!)
「……分かりました。お役に立てるなら、どうぞ」
「助かります。書き方のコツとかは、また改めて」
とても爽やかな笑顔で微笑むセドリック様。
(……「改めて」? まぁ、そのうち適当に解説すればいいわよね。今はとりあえず、教室から脱出して、食堂へ逃げ込むのが先決!)
私は引きつった笑顔を浮かべながら、机の上を片付けて立ち上がる。
(よーし、午前中の業務(授業)終了! あとは美味しいランチを食べて、午後の授業は「背景」の解像度をもっと上げて過ごしましょう。……デザート、プリンあるといいなぁ……!)
すっかりお口がプリン・モードになった私は、意気揚々と食堂へ向かって歩き出すのだった。




