第5話 諸橋近代美術館
翌日、朝食を簡単に済ませて温泉に浸かりにいく。
チェックアウトの時間まで1時間あまりある。
内湯には私の他にもう一人いるだけである。
のぼせない程度に湯舟に浸かる。
ご飯を食べた直後ということもあり若干の眠気に誘われる。
うとうとしてきたのを感じて風呂から上がることにした。
チェックアウトの時間を過ぎれば旅館の人に迷惑が掛かってしまう。
それに今日は行くところがあるのだ。
荷物を整えて部屋を後にした。
受付でチェックアウトをして玄関に向かう。
玄関のところに大きな赤い牛の置物があることに気が付いた。
昨日は夕方で着いた頃には疲労困憊だったので気が付いていなかった。
視界には入っていたのだろう、両手で抱えるくらいの大きさなので気が付いていなかったわけがない。
それくらい疲れていたのだと実感した。
それに比べると今は背中に翼が生えたように体が軽くなっていた。
置物の名前は赤べこというらしい。
大阪出身の私からするとどこかで聞いたことがある程度の名前でどういう物なのかはまるっきり知らない。
スマホを取り出して赤べこを検索するとどうやら幸運をもたらしてくれるものらしい。
どうして赤いのだろうか、検索結果の赤べこの由来の文章を読んでみたが赤い理由に納得がいかない。
それでもこの赤べこというやつ、かわいいではないか。
首が動くようになっているようで張り子の虎を彷彿とさせる。
どちらが先に生まれたかはこの際どうでもいい、起源勝負というのには興味がない性分である。
赤べこの置物は旅館の売店コーナーで買えるらしく、1万円ほど出せばデラックス赤べこという赤べこに千両箱など祝いグッズをてんこ盛りにした特注品も受注生産してくれるらしい。
一番大きい奴を欲しいと思ったが家に飾る場所がない。
これほどりっぱな赤べこをみると小さいものでは満足できそうにもない、しかし何か赤べこらしいものが欲しくなり踵を返して売店コーナーに足を運んだ。
福島県名物のお菓子などが並んでいる。
こういうときに職場の人にお土産を持っていくのが社会人としての礼儀なのだろうと思う。
だが職場のチームのメンバーの顔や部署のメンバーの顔を思い出すと胃が痛くなる。
仕事の資料を自宅で作成している時はそんな痛みはないのに彼ら彼女らをイメージするとせっかく温泉で出した不浄な何かがまた体内に溜まってくるような気分になる。
職場にお土産を持って行って彼らとそういう話をするのも気分が悪くなる、せっかくの旅行の思い出が汚れてしまうだろう。
普段の私は職場では仕事の話以外はしない、なので今回の私から誰かに旅行のことを言わないと誰も私が旅行をしていることなど想像すらしないだろう。
以前チームメンバーから「君って死んでも仕事してそうだよね。」と言われたことがある。
意味が分からない。死んだら仕事なんてできないだろうと思う。
どういう意図の発言なのか理解できず眉間に皺を寄せて睨みつけただけで会話はしなかった気がする。
周りから私がどういう風にみられているかと言うのはわかるというものだ。
職場へのお土産を買わないことに決めて赤べこの何かがないか探すことにした。
探してみると箸や食器が並んでいる。
一人暮らしで食器の類は揃っているのでこれ以上増やしても意味がない。
何かないだろうかと思い首をキョロキョロしてみると赤べこが描かれた栞があった。
漆でコーティングされた栞である。
全体は赤くそこに黒の線で赤べこが描かれている。
栞と聞くと紙でペラペラしているのを想像するが漆でコーティングされているため堅い。
栞は参考書を買うと必ずと言っていいほど本についてきているが特別な栞を使ってもいいかもしれない。
私はそれを1本買うことにした。
購入後ビニールをはがして資格の参考書に挟んでみる。
紙の栞と違って分厚い、ページに跡がついてしまうのではと思うほどに栞としては分厚い。
まぁいっかと思いそのままにしてカバンにしまい旅館を後にした。
外に出ると昨日から降り続いた雨がまだ止んでいなかった。
レンタカーに乗り込んで目的地の住所を入力する。
行先はダリ美術館こと、諸橋近代美術館である。
旅館は美術館に比較的近いところにしたので移動には時間がかからなかった。
磐梯という地名は初めて聞いたがどうやら冬場はスキーとかができるらしい。
車を走らせているとそういう看板が目についた。
時折視界に入る家々がどれも大きい、ここは別荘地なのだろう、しかも高級な。
こんなところにある美術館とはどういうものだろうか。
夜中に調べたことだったのでほとんどウェブサイトは見ていない。
走っている間雨は強くなるばかりでワイパーが忙しなく働いている。
まるで職場での自分を見ているようだ。
そんなことを考えていると一際立派な建物が見えてきた。
別荘と呼ぶにはあまりにも立派で宮殿と言った方がいいだろう。
これが美術館でなかったら日本は王侯貴族が支配する世界になってしまったのではないかというくらい荘厳な建物である。
東京にいると多くの美術館がある。
ビルのワンフロアを美術館にしているものや名のある建築家が手掛けた美術館などそれはそれでいいと思うのだが、この自然の中に圧倒的な存在感で建っている美術館というのも良いものだ。
雨が降りしきる中駐車場に車を停めて走って館内に入る。
建物の側にはこれまた立派な池があったが雨のせいで見栄えがよくない天気がよければ青空を反射して建物をよく引き立てていたと思う。
受付からすでに中の美術品が見えていたと記憶している。
看板に書かれた料金を支払い中に入る。
そこは大きな広間のようになっていて真ん中に彫刻関係のどっしりとして存在感のある巨大な美術品が飾られている、壁には絵画が数多く飾られていた。
中央にある作品は言わずと知れた溶けた時計である。
木の枝に垂れ下がるようにぐにゃりと曲がった時計が垂れている。
テレビや写真で見たことがあったが実物を見るとその圧倒的な存在感に思わず息を飲んでしまう。
館内は撮影自由なので私を含めて数人の観覧者はスマホやカメラでパシャパシャと写真を撮っていた。
写真にとってもこの存在感までは収めることができないのは私の腕の未熟さゆえか。
疲れた体に鞭打って途中心臓の痛みにも耐えて来たが来た甲斐があったと確信した。
私以外の人も溶けた時計に魅入られているようでその作品の前で過ごした時間が一番長かった。
他にも書きたいが記憶が朧気なのでテキトーに書いては失礼にあたる。
この辺りにしておこう。
私は十分に観覧を楽しんで美術館を後にした。
時刻は昼になろうとしていた。
今日の宿泊地は群馬県草津温泉である。
これまた事前に調べておらず福島県磐梯からどれくらい離れているかなど考えてもいなかった。
気持ち結構遠いよねと思っていた。
それでもまだ余裕があるはずだと思い福島県で一番大きな湖に行くことにした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




