第97話 「黒き脈を断て」
作戦は、頂の円盤を丸ごと使う大仕事になった。ヴェルナがテオを抱えて縁から身を躍らせ、円盤の裏側へ回り込む。フィーナは命綱一本で、焼けた縁を伝い降りた。眼下は、雲海までの底なしの虚空。熱風が下から吹き上げるたび、縄が嫌な音を立てて軋む。「東の束から断つ! テオ、護りの膜を!」。黒い脈の束には、焼けた棘のような護りが張り付いていた。テオはミラの最後の丸薬を噛み砕いて魔力を繋ぎ、護りを綻ばせる。そこへヴェルナの槍が、フィーナの刃が食い込み、腕ほどもある黒脈が一本、また一本と断ち割られていった。断面から噴き出した淀みが、悲鳴に似た音を立てて虚空へ散る。
その頭上、円盤の中央で、ノアはただ一人、太陽と向き合っていた。動かない。避けない。振り下ろされる爪は眼前で軋んで止まり、吐き出された焔は体の両脇を灼いて逸れていく。だが、淀みは学んでいた。王のためらいを、力ずくでねじ伏せ始めたのだ。逸れる軌道が、少しずつ浅くなる。頬を掠めた風圧が皮膚を裂き、右肩を焔の端が舐めて、じゅ、と肉の焼ける音がした。浅いが、広い火傷。胸元では、ぴし、と護符の罅割れる音がした。心臓を庇い続けた小さな太陽が、限界を告げている。それでもノアは、一歩も退かなかった。声は出ない。ただ唇だけで、王へ語りかけ続けた。――あなたは、負けてない。
「西、断った! 残り一本!」。縁の下から、フィーナの叫びが風に千切れて届く。最後の北の束は、ひときわ太かった。護り破りが間に合わず、ヴェルナが構わず素手で膜を毟り取る。掌が、黒く灼けた。「ヴェルナ!?」「かまうな、断て!!」。フィーナの渾身の一刀が、最後の黒脈を両断した。刹那――円盤の中央で、王の胸の奥の金色の火が、堰を切ったように燃え上がった。黒い脈がのたうち、王の巨躯の内で、金と黒とが真っ向からぶつかり合う。
だが、追い詰められた淀みは、最後の賭けに出た。王の総身が黒く沸き立ち、紅蓮の瞳が、真っ直ぐにノアを捉える。神速の爪が――今度こそ、逸れずに伸びた。回避は、間に合わない。巨大な鉤爪がノアの体を鷲掴みにし、そのまま王は翼を打って、雲海の上、遥かな高みへと舞い上がった。「ノアーーッ!!」。フィーナの絶叫だけが、円盤に虚しく響いた。




