第86話 「遺された野帳」
朝日の灰原を戻った四人を、霧の際の集落で、あの老婆が呆けたような顔で迎えた。「……霧が、消えとる。生まれてこの方、初めて見る景色じゃ」。すすり泣きの絶えた静かな野を、老人たちはいつまでも眺めていた。テオは老婆の前に膝を折り、静かに告げた。「三年前の学者は……兄は、最後まで調べ抜いて、大切なことを遺してくれました。ここの死者は、皆、眠りにつきましたよ」。老婆は皺だらけの手で少年の手を包み、何度も、何度も頷いた。
その夜の焚き火で、テオは兄の野帳と地図を広げ、ふいに手を止めた。「……皆さん、これを見てください」。彼は七つの封印の位置を地図に写し取り、線で結んでいく。東の灰原、南の印、西の島、北の峰――外側の六つは、世界の中心にある最後の封印を、ほぼ等しい間合いで取り囲んでいた。「偶然じゃ、あり得ない。六つの封印は、中心のあれを――囲むように、配置されている」。フィーナが眉を寄せた。「閉じ込める、柵みたいに?」。ヴェルナが低く返す。「あるいは……守る、垣根のようにも見えるがな」。野帳の隅には、リオンの掠れた文字があった。「封印は牢ではなく、社ではないのか」。答えの出ない問いが、また一つ、火の粉と共に夜空へ昇っていった。
重くなった空気を破ったのは、フィーナだった。「ところで、ノア。窓によると次の封印は『口』なんでしょ? つまり――あんたの声、ついに聞けるわけね」。テオが目を輝かせる。「僕は、落ち着いた低い声だと思います」。「案外、間の抜けた声かもよ。日頃の行いからして」。笑い合う輪の中で、ノアは少し考え、それから窓に、ゆっくりと文字を綴った。「取り戻したら、一番最初に――皆の名前を、僕の声で、呼んでみたい」。焚き火の爆ぜる音だけが、しばらく続いた。フィーナが慌てたように顔を背ける。「……何よ、それ。反則でしょ」。その目元が赤いのを、誰も指摘しなかった。
夜明けと共に、四人は南へ発った。窓の地図で、南の印が赤く脈打ち、その傍らに新たな文字が浮かぶ。「第六の封印――守護者、ガルダ」。そして遥か南の地平は、まだ夜も明けきらぬのに、燃え残りの夕焼けのような、鈍い赤に染まっていた。




