第82話 「糸を断つ代償」
作戦は単純だった。テオとリオンが魂を逸らす結界で道を割り、フィーナとヴェルナが王を引きつけ、その隙にノアが背後の糸を断つ。「……昔、よくやったんです」。テオが震える指で印を結びながら、泣き笑いのように言った。「兄さんが式を書いて、僕が唱える。子供の頃の遊びの、続きです」。リオンの指が宙を走り、光る式文を紡ぐ。テオがそれを読み上げるたび、結界は赤い濁流を左右へ割り、玄室の中央に細い一本の道が開いていった。三年の空白を、兄弟の呼吸が埋めていく。
王の正面では、二人の前衛が死力を尽くしていた。フィーナは受けずに流し、ヴェルナは突いては離れる。まともに打ち合えば、冷気に骨まで凍らされる。だが、引きつけてさえいればいい。「こっちよ、王様! 相手はこの私!」。挑発に応じて振り下ろされた大剣が、床石を粉々に砕いた。その背後を、ノアは脚の権能で駆け抜ける。開かれた道を一息に抜け、高く跳び、王の背に繋がる黒い糸へ――渾身の光の刃を、振り抜いた。
手応えは、あった。黒い糸は音もなく両断され、封印側の断端は力なく床へ落ちる。だが、王の側に残った糸は、消えなかった。それは怯えた蛇のように、しゅるりと王の体内へ逃げ込んだのだ。刹那、王の全身が黒く膨れ上がった。喉から迸ったのは、一つの声ではない。幾百の悲鳴を重ねたような絶叫だった。振り向きざまの大剣が、宙にいたノアを捉える。咄嗟に両腕を交差させ、腕の権能で受けた――が、衝撃は殺しきれず、体は床へ叩きつけられ、幾度も跳ねて転がった。
「ノア!!」。フィーナの悲鳴が遠く聞こえる。起き上がろうとした胸元で、ぴし、と嫌な音がした。見下ろせば、鋼の胸板に、蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。そしてその亀裂の奥へ、剣に宿った嘆きの冷気が糸のように忍び込み、とくとくと脈打つ本物の心臓を、そっと撫でた。心の臓が、きゅうと縮む。窓が、初めて見る警告を灯した。「心核、危険域」。駆け寄ったテオが、ミラの薬を亀裂へ押し当て、忍び込んだ冷気をじんわりと焼き払う。命は、拾った。だが顔を上げた四人の前に立っていたのは、もはや先ほどまでの王ではなかった。全身から黒い淀みを陽炎のように立ち上らせた、嘆きの化身。断ったはずの糸は王の内側に巣くい、その心を、喰らい尽くそうとしていた。




