第81話 「濁りし星海」
結界が砕ける寸前、リオンが動いた。淡い体を光の壁に重ね、指先で素早く式を刻んでいく。亡霊である彼の在り方そのものが壁に溶け込むと、結界の質が変わった。押し寄せた赤い火が、触れた途端、水を弾く油膜のように滑って逸れていく。「魂を、魂で受け流す結界……! 兄さん、すごい……!」。だが感嘆する間もなく、星海の奥から、それは来た。大剣を引きずり、床を割りながら歩む王。一歩ごとに、玄室の温度が、目に見えて下がっていった。
振るわれた大剣は、フィーナの光の刃と噛み合った瞬間、彼女の体ごと数歩も後ろへ押し込んだ。「重っ……!」。刃を伝って這い上がる冷気に、腕の骨が軋む。ヴェルナが横合いから槍を叩き込むが、朽ちた王衣の下の体は、半ば透けているくせに、岩のような手応えを返してきた。剣風そのものが嘆きを孕み、掠めただけで心の底が冷えていく。押される。真っ向からでは、勝てる相手ではなかった。
その死線の中で、ノアの瞳だけが、冷静に王を視ていた。視える。玉座の下、封印の亀裂から噴き出した黒い淀みが、太い一本の糸となって、王の背へと繋がっている。あれが、王を繋ぐ糸。淀みは今この瞬間も、あの糸を通って王へ注ぎ込まれ続けているのだ。窓に、文字が走る。「王の背の、黒い糸。あれを断てば、少なくとも淀みの流れは止まる」。リオンの指が、宙に短く光った。「道は、僕らが開く」。星海の赤と、王の嘆きの只中へ――反撃が、始まった。




