第78話 「霧の中の再会」
テオは、駆け出していた。墓標の丘を転がるように登り、その影の、腕一本分の距離で、足が止まる。触れれば、消えてしまう気がした。三年分、輪郭の淡くなったその亡霊は――間違いなく、兄だった。「……リオン、兄さん」。亡霊は、ゆっくりと弟を見下ろした。その口が動く。だが、声は、ない。生前と同じ優しい目だけが、困ったように細められた。ノアの胸が、締めつけられる。声を持たぬまま彷徨う魂。それは、鏡に映した、自分の姿でもあった。
ノアの瞳は、もう一つのことに気づいていた。リオンの胸に、あの青い楔の火が、ない。彼を縛っているのは王の力ではなく、彼自身の――伝えられなかった、という未練だけなのだ。リオンは、ふと弟の懐の野帳に目を留め、泣き笑いのような顔をした。それから、宙に指を立てる。指先の軌跡が、霧の中に淡く光る文字を残した。「テオ。大きくなったな」。少年の目から、堰を切ったように涙が溢れた。「……っ、遅くなって、ごめん。三年も、ずっと、ここに一人で……!」。
リオンの指は、震える弟の頭を撫でる仕草をしてから、続きを綴った。彼が命を賭して確かめたことを。「玉座の王は、私を襲わなかった。ただ玉座で、待っていた。地下の最古層の碑文は言っている――封じられしは、災いに非ず、と」。テオが息を呑む。人の伝承と、真っ向から食い違う言葉。文字は続く。「帰り道、力が尽きた。伝えられぬことだけが、心残りだった。だが――急げ。ふた月前から、黒い淀みが王を蝕んでいる。王が呑まれ切れば、十万の死者は嘆きを失い、呪いの軍勢となって外へ溢れる」。麓の集落が、西の町々が、脳裏をよぎった。
伝え終えたリオンの輪郭が、ふ、と薄らいだ。未練が、解けかけている。「待って……! まだ、行かないで……!」。取りすがる弟に、亡霊の兄は首を振り、丘の向こう――青い糸の集う中心を指した。そして、最後の力を惜しむように、短く綴る。「最後まで、見届けたい。案内する」。リオンが歩き出すと、あれほど深かった霧が、その足元から、静かに割れていった。




