第74話 「灰原の境」
翌日の夕刻、四人は灰色の霧の壁の手前に立った。見渡す限りの平原を乳白色の濃霧が呑み込み、その中から、風に乗って、すすり泣きのような音が絶え間なく漏れてくる。霧の際には、身を寄せ合うような小さな集落があった。柵は幾重にも補強され、家々の壁には魔除けの札がびっしりと貼られている。
集落に残っていたのは、老人ばかりの数世帯だけだった。囲炉裏端で、一人の老婆が語ってくれた。「灰原はな、三百年前の大戦で、十万からの兵が死んだ土地じゃ。死人が歩くのは、昔からのこと。じゃが、霧の中から出てくることだけは、なかった」。老婆の目が、翳る。「それが……そう、ふた月ばかり前からかの。霧が、じわじわと広がり始めた。夜ごと、死人が外まで歩いてくる。若い者は、皆、西へ逃げたよ」。ノアとテオは目を見交わした。封印を解くたびに、残る封印が騒ぎ出す。旅の始まりから続く、あの律動だった。
テオが、意を決したように尋ねた。「あの……三年前、ここを若い学者が通りませんでしたか。眼鏡をかけた、僕と似た顔の」。老婆は少年の顔をしげしげと見つめ、ああ、と息を吐いた。「覚えとるよ。優しい若者じゃった。三日ほどここに泊まって、霧のことを、飽きもせず調べておった」。そして、彼女は付け加えた。「発つ前の晩に、言うておったよ。――言い伝えには、大きな間違いがある気がするのです。それを、確かめに行きます、とな。それきり、戻っては来なんだが」。テオの拳が、膝の上で固く握られた。兄は、何かに気づいていた。この封印の――いや、七つの封印すべての、何かに。
その夜、見張りに立ったノアは、霧の壁を見つめていた。新しい瞳には、視えていた。霧の奥、平原の全域に、無数の青白い糸が漂っている。死者たちを縛る、あの楔の火から伸びた糸。そのすべてが、川の流れのように、平原の中心の一点へと吸い込まれていた。糸の集まる先に、何かがいる。すべての死者を繋ぎ止める、嘆きの主が。




