第七章 父親を選ぶ
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根に膨らみができてから、結の日常は二つに分かれた。
一つは、本土での生活。
出版社の仕事。下宿での夜。図書館への往来。変わらない東京の日常。
もう一つは、島での生活。
毎朝地下に降りて、根の先を確認する。畑の様子を見る。果樹園の木の育ちを確かめる。マユと共に過ごす。そして夜、囲炉裏の前で記録帳を書く。
二つの生活が、自然に重なっていた。
不自然さはなかった。
ポータルがあるから、どちらへも瞬時に行き来できた。東京で目が覚めて、島で朝食を取ることもできた。島で夕方を過ごして、東京の下宿で眠ることもできた。
どちらが本当の生活か、という問いは意味をなさなかった。
どちらも、本当だった。
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根の先の膨らみは、週を追うごとに大きくなった。
二週目。米粒から、小豆ほどの大きさになった。
三週目。丸みが増した。薄い膜の中に、微かな形の予感があった。
四週目。
結が地下に降りた朝、いつもと違うものがあった。
膨らみが、少し大きくなっていた。それだけではなかった。膜の中に、細かい動きがあった。
規則的な動きだった。
一定のリズムで、繰り返していた。
結は顔を近づけて、それを見た。
心臓だと、すぐに分かった。
図書館で読んだ本に書いてあった。四週頃、心臓が動き始める、と。
こんなに小さいのに、心臓があった。
こんなに小さいのに、すでに動いていた。
結は根の先の膨らみを、しばらく見た。
屈んだまま、動けなかった。
鼓動が見えていた。
肉眼では見えないくらい小さかったが、異能で感じると、確かに動いていた。
一定のリズムで、休まずに動いていた。
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地上に戻ると、マユが扉の前にいた。
毎朝そこにいた。
「心臓が動いていました」
結が言った。
マユが顔を上げた。丸い目が、結を見た。
「四週です。予定通りです」
マユから、温かい感触が伝わってきた。
結はそれを受け取って、少し目を伏せた。
心臓が動いていた。
その事実が、地下にいる間よりも、地上に出てから重くなってきた。
一定のリズムで、あの小さな膨らみの中で、誰かの心臓が動いている。
誰かの、という言葉が、初めて浮かんだ。
まだ形もない。名前もない。性別も分からない。
でも、誰かの心臓が動いている。
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その日の夜、囲炉裏の前で、結は長い時間考えた。
炎を見ながら、考えたことがあった。
次の子の父親を、そろそろ決める必要があった。
最初の子は、まだ四週だった。産まれるまでに六ヶ月以上ある。その間に、次の父親を選んでおく必要があった。一年に一人、交互に産む計画だったから、最初の子が産まれてから間をおかずに次を宿す必要がある。
でも、それより先に考えなければならないことがあった。
父親の選び方について、もう一度整理したかった。
記録帳を開いた。
最初に書いた条件を読んだ。
> *健康であること。*
> *知性があること。*
> *致命的な遺伝的疾患がないこと。*
> *本人が気づかない形で行うこと。*
四つの条件。
最初に書いた時と、今とで、考えが変わったことがあった。
四番目の条件についてだった。
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本人が気づかない形で行うこと。
これが正しいかどうかを、ずっと考えていた。
相手は知らない。自分に子供がいることを、永遠に知らない。
それでいいのか。
結は記録帳を持ったまま、炎を見た。
知らせるべきか。
知らせれば、全てが変わる。島のことを話さなければならない。話せば、その人の人生が変わる。変えてしまうことへの責任が生じる。
知らせなければ、相手の人生は変わらない。でも自分の中に、後ろめたさが残る。
後ろめたさと、責任。
どちらが重いか。
答えを出そうとして、出なかった。
どちらも重かった。
でも、どちらかを選ばなければならなかった。
結はしばらく炎を見てから、記録帳に書いた。
> *知らせない。*
> *ただし、血筋の記録には必ず残す。*
> *子供が大きくなった時、父親が誰かは教える。*
> *それが、私にできる誠意の全てだ。*
書いてから、読み返した。
自分への言い訳のように見えた。
でも、これ以上の答えが出なかった。
炎が、揺れた。
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翌日から、次の父親の候補を探し始めた。
探す、という行為が、結には慣れなかった。
人を評価する、という行為が好きではなかった。この人はいい、この人は違う、と判断することが。
でも、しなければならなかった。
子供を百人産む計画だった。百人の父親が必要だった。同じ父親を使うことはしないと決めていた。血筋の多様性のためだった。
百人。
百人の、それぞれ違う男性を、百年かけて選ぶ。
気が遠くなる数ではなかった。一年に一人だから、一年に一人選べばいい。今は二人目を選べばいいだけだった。
でも、基準が必要だった。
毎回、一から考えていては時間がかかった。
結は記録帳に、選ぶための基準を書き直した。
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> *父親の条件(改訂版)*
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> *一、健康な体を持つこと。*
> *慢性的な疾患がなく、日常生活に支障がないこと。*
>
> *二、知性があること。*
> *学歴ではなく、物事を考える力があること。*
> *本を読む人が望ましい。*
>
> *三、性質が穏やかであること。*
> *暴力的な気質を持たないこと。*
> *怒鳴る人、威圧する人は避ける。*
>
> *四、手仕事が丁寧な人。*
> *物の扱い方に、その人の性質が出ると思うから。*
>
> *五、できれば、異なる職業の人を選ぶ。*
> *子供たちの血に、様々な性質が混じるように。*
書き終えて、読み返した。
四番目が、自分らしいと思った。
手仕事が丁寧な人。
図書館の司書を最初に選んだのも、本の扱い方が丁寧だったからだった。物を大切に扱う人は、人も大切に扱う可能性が高いと、結は思っていた。
証明できることではなかった。
でも、そう思った。
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二人目の候補を探すために、東京を歩いた。
仕事の帰り道、いつもと違う道を歩いた。
下宿への近道ではなく、遠回りの道を選んだ。
人の多い通りではなく、職人の多い路地を歩いた。
神田の裏通り。
小さな工房が並んでいた。
箪笥を作る職人。本の装丁をする職人。印章を彫る職人。
結は歩きながら、それとなく見た。
急がなかった。今日決める必要はなかった。見るだけでよかった。
印章店の前を通った時、中から音がした。
彫る音だった。
細かく、丁寧な音だった。
立ち止まって、中を見た。
老人が一人、小さな作業台の前に座っていた。老人の手が、細い彫刻刀を持って、小さな石を削っていた。
老人だった。
六十代か、それ以上か。
候補にはならなかった。条件の一つに、健康な体、があった。老人でもそれを満たすかもしれなかったが、子供に渡す血として、年齢が若い方が望ましいと思っていた。
でも、見てしまった。
その手の動きを。
細かく、丁寧に、一刻みずつ彫る手を。
老人は結が見ているのに気づいていなかった。ただ、石と向き合っていた。他のことは何もなかった。石と、手と、音だけがそこにあった。
結はしばらく見てから、また歩き始めた。
職人の路地を抜けて、川沿いに出た。
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三日後。
出版社の近くの書店で、二人目の候補を見つけた。
三十代前半の男性だった。
背が高くて、細かった。眼鏡はかけていなかった。本を選んでいた。棚の前で、背表紙を読んで、一冊取り出して、少し読んで、また戻した。それを繰り返していた。
選び方が、丁寧だった。
急いでいなかった。
一冊一冊を、ちゃんと確かめていた。
結は棚の反対側から、その人を見た。
顔は見えにくかった。でも、手が見えた。
本を持つ手が、丁寧だった。
司書と同じだった。本を乱暴に扱わない人だった。
その人が一冊決めて、棚から抜いた。背表紙を見た。表紙を確かめた。それから、開いた。
開き方が丁寧だった。
本の背を無理に開かないように、そっと開いた。
それを見て、結は決めた。
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レジに向かうその人の後ろを、結はゆっくりと歩いた。
距離は一メートルほどあった。
その人がレジで本を渡した瞬間に、異能を動かした。
慎重に。ごく微かに。指先一本分にも満たない量で。
血が来た。
その人は何も気づかなかった。
本の代金を払って、包んでもらって、書店を出ていった。
結は棚の前で、何でもいいから本を一冊取って、同じようにレジに向かった。
本の代金を払いながら、手の中にある血を感じた。
温度はなかった。見えなかった。でも、確かにあった。
「申し訳ありません」
店を出て、路地に入ってから、小声で言った。
「でも、大切にします」
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島に帰って、記録帳に書いた。
> *二人目の父親、決定。*
> *書店で本を選んでいた人。職業は不明。*
> *本の扱い方が丁寧だった。*
> *手が、丁寧だった。*
それだけ書いた。
名前は書けなかった。知らなかったから。
知らなくていいと思っていた。
でも、書けないことが少し引っかかった。
何も知らない人から、血をもらっている。名前も知らない。何をしている人かも知らない。どこに住んでいるかも知らない。
でも、その人の血が、これから自分の子供の半分になる。
結は記録帳を閉じて、炎を見た。
罪悪感、という言葉が浮かんだ。
それを認めることが、少し難しかった。
でも、認めなければならないと思った。
記録帳を開いて、一行書いた。
> *後ろめたさはある。それでも続ける。*
書いてから、ペンを置いた。
マユが傍にいた。
炎を見ていた。
マユから何も伝わってこなかった。
ただ、一緒にいた。
それが、今の結には必要なものだった。
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三人目の候補を探す前に、結は立ち止まった。
少し、考え方を変えようと思った。
毎回、街を歩いて偶然見つける方法は、非効率だった。百人を選ぶためには、もっと体系的に考える必要があった。
記録帳を開いた。
職業の多様性を考えた。
司書。書店の客。それ以外に、どんな職業の人がいるか。
書き出した。
> *医者。教師。農夫。漁師。職人。商人。*
> *役人。軍人。僧侶。芸術家。音楽家。*
> *研究者。技術者。*
書きながら、考えた。
百年間という長さを考えた。
最初の二十五年は、大正末期から昭和初期になる。その後、昭和が続く。百年後は、二十一世紀になる。
時代が変わる。職業が変わる。社会が変わる。
百年後の子供たちが生きる世界は、今とは全く違うはずだった。
だから、父親の選び方も、時代に合わせて変えていかなければならないかもしれなかった。
でも今は、今の時代の中で選ぶしかなかった。
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三人目は、四ヶ月後に決まった。
最初の子が産まれる二ヶ月前のことだった。
きっかけは、仕事だった。
出版社に原稿を持ち込んできた男性がいた。
三十代前半。農業の技術書を書いた人だった。
結は直接会ったわけではなかった。廊下ですれ違っただけだった。
でも、その人が上司に原稿を渡す場面を、偶然見た。
渡し方が、丁寧だった。
両手で、慎重に渡した。
原稿を書いた人の、原稿への向き合い方だと思った。何ヶ月もかけて書いたものを、こうして両手で渡す。
農業の技術書を書く人だった。
土と向き合う人が、文字と向き合った。
その血が子供に渡れば、どんな性質が現れるだろうと思った。
廊下ですれ違う瞬間に、異能を動かした。
ごく微かに。気づかれないように。
「申し訳ありません。大切にします」
その人が廊下を曲がって見えなくなってから、小声で言った。
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最初の子が産まれる一週間前、結は記録帳を開いた。
父親の記録のページを読み返した。
一人目。図書館の司書。本の扱い方が丁寧だった人。
二人目。書店で本を選んでいた人。本の開き方が丁寧だった人。
三人目。農業の技術書を書いた人。原稿の渡し方が丁寧だった人。
三人とも、丁寧な人だった。
偶然ではなかった。
結は自分が、丁寧さを持つ人を選んでいることに気づいていた。意識していなかったわけではなかった。でも、こうして並べると、はっきりした。
丁寧さが、結の中で何かを占めていた。
なぜだろうと思った。
炎を見ながら考えた。
丁寧さ、とは何か。
物を大切に扱うことだった。時間をかけることだった。急がないことだった。
自分が好きなものを、結は考えた。
白湯を一杯飲む朝。本を一頁ずつ読む夜。畑の土に手を入れる感触。母体樹の幹に手を当てる温かさ。
全部、丁寧なことだった。
急がないことだった。
そうか、と思った。
自分が好きなものを、子供たちにも渡したいのかもしれなかった。
意識していなかった。でも、そうだったかもしれなかった。
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その夜、マユが結の隣に座っていた。
炎を見ていた。
結はマユを見た。
フワフワした体が、炎の光を受けて、橙色に見えていた。
「マユ」
呼んだ。
マユが結を見た。
「あなたに頼みたいことがあります」
マユは首を傾けた。
「私が本土に出ている間、地下の様子を確認してください。入ることはできませんが、扉の近くで、根の感触を感じてください。何か変だと思ったら、私に知らせてください」
マユから何かが伝わってきた。
分かった、という感触だった。
それと、もう一つ。
任せて、という感触が、混じっていた。
結はそれを受け取って、少し目を細めた。
「よろしくお願いします」
マユが頭を下げた。
小さく、ゆっくりと。
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翌朝から、マユは毎朝、地下への扉の前に座るようになった。
結が島にいる日は、一緒に降りることはできなかった。でも、扉の前で待っていた。
結が本土に出ている日は、扉の前で一日中、静かに座っていた。
何かを感じ取ろうとするように。
耳を澄ませるように。
結が島に帰ると、マユは必ず報告した。
言葉ではなかった。感触だった。
*異常なし。*
そういう感触が、マユから伝わってきた。
毎日、それだけが伝わってきた。
結はそれを受け取るたびに、短く言った。
「ありがとう」
マユは頭を下げた。
それが、毎日の習慣になった。
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最初の子が産まれる三日前、記録帳にこう書いた。
> *根の先の膨らみは、今日で九ヶ月と一週になる。*
> *膜の中で、よく動く。*
> *丸くなっている時間が増えた。*
> *産まれる準備をしているのかもしれない。*
それから、別のページを開いた。
白紙のページだった。
ペンを持って、少し止まった。
それから書いた。
> *名前を考える。*
女の子だと分かっていた。十二週の時に、根の先を異能で確認した時から。
女の子の名前を、考えていた。
候補はあった。
でも、決めていなかった。
産まれた顔を見てから決めたいと、思っていた。
顔を見てから、この子の名前を決める。
母が自分に名前をつけた時、そうしたのかもしれないと思った。
産まれてきた顔を見て、結、と言った。
繋ぐ、という名前を。
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三日後の朝、目が覚めた瞬間に分かった。
今日だと思った。
体で分かるものではなかった。異能で感じた。
地下で、何かが変わっていた。
結は素早く起き上がった。
縁側に出ると、マユがそこにいた。
普段は扉の前にいるはずのマユが、縁側に来ていた。
結を見て、頭を下げた。
マユから伝わってきた感触は、一言で言えばこうだった。
*早く。*
「分かっています」
結は言って、地下への入口へ向かった。
足が速くなった。
走りはしなかった。でも、いつもより速かった。
扉を開けた。
階段を降りた。
根の光が、今日は明るかった。
いつもより明るく、温かみのある光が、空間全体に満ちていた。
最後の段を降りた。
根の先を見た。
膨らみが、大きくなっていた。
薄い透明な膜の中に、羊水。
羊水の中に、丸くなった胎児が見えた。
頭があった。手があった。足があった。
動いていた。
結は膨らみの前に立った。
手が震えていた。
気づかなかった。でも、震えていた。
根と膜の繋ぎ目に、手を当てた。
ゆっくりと、丁寧に、切り離した。
膜が、やぶれた。
羊水が流れた。
小さな声が、地下空間に響いた。
結は両手を差し伸べた。
その子が、手の中に来た。
温かかった。
重かった。
泣いていた。
元気な声で、泣いていた。
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結は、その子を見た。
小さかった。
こんなに小さいものが、十月十日で産まれてくる。
泣きながら、手足を動かしていた。
顔を見た。
目は閉じていた。でも、少しだけ開いた瞬間があった。
その一瞬だけ、目が見えた。
黒かった。
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しばらくして、階段を上がった。
腕の中に、その子を抱えていた。
扉を開けると、マユがいた。
結を見て、その子を見て、また結を見た。
マユから伝わってくる感触は、言葉にすれば一つだけだった。
喜び。
純粋な、まっすぐな喜び。
結はそれを受け取りながら、広場へ向かった。
母体樹の前に立った。
腕の中の子が、少し泣き声を落ち着かせていた。
結の体温に、慣れてきたのかもしれなかった。
結は母体樹を見上げた。
「産まれました」
言った。
木は答えなかった。
でも、葉が揺れた。
風はなかった。
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その夜、囲炉裏の前で、子供を膝に乗せながら、結は記録帳を開いた。
日付を書いた。
それから書いた。
> *長女、産まれる。*
> *元気だった。泣き声が大きかった。*
> *目が黒かった。*
書いてから、次の行を考えた。
名前を書く行だった。
子供の顔を見た。
眠っていた。小さな顔で、静かに眠っていた。
産まれてきた顔を見て、名前を決める。
そう思っていた。
顔を見た。
何という名前か。
しばらく、顔を見た。
それから、ペンを動かした。
> *名前は、芽衣。*
書いてから、声に出した。
「芽衣」
その子は眠ったまま、動かなかった。
でも、名前を呼んだ瞬間、何かが確かになった気がした。
この子は、芽衣だった。
芽が出る、衣をまとう。
この島で最初に産まれた子に、ふさわしい名前だと思った。
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記録帳の最後に、もう一行書いた。
> *これで、始まった。あと九十九人。*
ペンを置いた。
炎が揺れた。
芽衣が眠っていた。
マユが傍にいた。
島が静かだった。
結は炎を見た。
長い夜だった。
でも、怖くはなかった。
やると決めたことをやめない。
母から受け継いだかもしれない、その気質が、今もここにあった。
芽衣が、小さく息をした。
規則的な、穏やかな呼吸だった。
結はその呼吸を聞きながら、炎を見ていた。
百年が、今日から始まった。
---
*第八章「根に宿る」へ続く*




