表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4

 日が落ちかけ闇に包まれた堂から外に出て、信は二人を相手に杖を振るい続けた。燭台は重く、競り合いは不利と見て、受け流しつつ迷わず急所を狙いに行く。一人は振り上げた隙に懐から喉に突きを入れ、仰け反った顎を強打し昏倒させた。もう一人も突きをかわすと後頭部に杖を振り下ろし、鳩尾に柄を突き入れて転がした。全身汗だくで息は荒く、手足に震えまで走る。衰えぶりに一人自嘲した。

「ないご、て」

 掠れた声が耳に障る。這いつくばった横家が、顔を必死にあげていた。

「塗職人なんか、やっちょっど。全部、嘘じゃらせんか。おはんの名前、生き様、語り方、全て偽りじゃ。なぜ許されちょる。おはんらは、賊軍じゃ」

 卑下た笑いが土に零れる。

「暴露、してやっ。おはんの正体知ったや、あん問屋の連中は、何を思」

「知っているさ」

 いまだ杖を刀として握りながら、信は言い放った。

「僕が野口の子でないことも、新選組隊士であることも。皆知っていてなお、黙って仕事を任せてくれるんだ」

 足を引きずりながら如来堂から逃げた時、招き入れ手当をしてくれたのが、塗師である野口夫妻だった。旧幕府軍が次々に処罰を受ける中、「息子が戦から帰ってきた」と匿ってくれた。塗師の仕事を仕込み、本当の息子の代わりに、自分を後継にしてくれた。その恩を、託されたものの重みを、信は決して忘れない。

「それに、君たち薩摩の人間がここで女子に狼藉を働いたと知って、僕ら会津の人間がどうして黙っていられる?」

 あの日も、攻めてきたのは薩摩兵だった。仲間の悲鳴を、命の消えた体の重みを、三郎は決して忘れない。

「もう一度言おう」

 宵闇に眼を昏く光らせて、彼は刀を上段に振りかぶった。

「ここは、会津だ」


「そこまで!」

「信さん!」

 低く鋭い声に、甲高い声が重なって響いた。ピタリと止まったその隙に、横家が這って逃げ出す。追おうとして古傷の痛みに膝をついた。その傍らを影が追い越すと、横家に追いつき蹴り倒す。縄で縛る手際を呆然とみていると、軽い足音と共にハルがふわりと横にしゃがんだ。

「信さん、大丈夫? あぁ、こんな汗だくになって!」

 当てられた手の温かさに、不思議と痛みが引いていく。

「……ハルちゃんこそ、怪我はねぇか?」

「大丈夫よ、信さんと父様のおかげ」

「……んだら、良がった」

 地面に転がっていた杖を引き寄せて立ち上がる。よろめきかけたところをハルに支えられ、礼を言って辺りを見回した。

「お父つぁんは?」

「警察を呼びに行ったわ。その人に言われて」

 示された先、男二人を縛り上げ戻ってきた影のような男に、深々と頭を下げる。

「……ご無沙汰を、しております」

 告げる声が震えていた。

「息災で何より」

「……貴方のおかげです」

 声を聞いた瞬間、一気にあの日々に立ち返った。ずっと、この人の下で、この声を聞きながら、駆け抜けてきた。

「まことを名乗るとはな」

 心なし柔らかくなった声音に思わず顔を上げると、信は困ったように笑った。

「怒られますかね?」

「いいや」

 川からの風に着物の裾をなびかせて、かつて三番隊隊長と呼ばれたその男は、宵星輝く空を見上げた。

「武士の魂を貫くんなら、誰が掲げようが勝手だと、あの人なら笑って言うだろうよ」


 二日後、庄助とハルは会津を後にした。郡山まで戻り汽車に乗ると、磐梯山は一気に遠くなった。

「次はいつ来られるかしら」

 窓辺に頬をつき、ハルは右手の中でお椀を転がす。信が塗った朱の上に松竹梅と破魔矢の会津絵が飾られた、餞別。

「あんまり何度も足を運んでは、野口さんに呆れられるぞ」

 笑いの混ざった庄助の指摘に頬を膨らませる。

『君が会津塗の中に見だものを、どうか、日本中、そっから世界中に、広めで欲しい。君はこっがら、きっとどこまでも高ぐ飛べる。そんだけの才能があり、輝きがある。世界さ知って日本さ知って、こっがらの時代を、気高く羽ばだいで生きて欲しい』

 信が、縁起物のお椀と一緒にハルに託した想い。

 彼は刹那何かを偲び、その名残を目元に残しながら、柔らかく笑って言ったのだ。

『それこそが、僕たちが抱いてきた想いを、願いを、守り繋いでいくことになるのだから』

 指先で撫でた杖の柄に小さく彫られた文字を、ハルは知らない。

「次に会うときは、父様の付き添いじゃなくて私自身が商談に行くとき、ということね」

「そうだなぁ。ま、あいつがくたばる前に行ってやれ」

「ひっどい!」

 遥か彼方の磐梯山、紅葉彩る猪苗代。その膝元に住む杖をついた塗師の男にそっと想いを馳せて、ハルは手にしたお椀の口縁に唇を寄せた。

参考文献:

・『伝統工芸の基本2 ぬりもの』伝統工芸の基本編集室/編 理論社

・『会津歴史読本』 新人物往来社

・『八重の桜』山本むつみ NHK出版

・『西郷どん!』林真理子 角川書店

・『福島県の歴史』丸井佳寿子他著 山川出版社

・『新選組全隊士徹底ガイド』前田政記 河出書房

他、会津塗白木屋漆器店、KOGEIJAPAN、会津漆器共同組合のHPなど。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 夏のいけおぢ祭りから来ました。 剛毅な少女ハル、その視点から展開される物語。 戊辰戦争で怪我をした職人信の過去そして思い。職人としての誇りと。 様々な思いが交錯する物語でした。 薩摩弁、会…
[良い点] やはり、歴史上の人物がちらりとでも顔を見せるとめちゃくちゃ興奮しますね! 信さんが、正体を見せた後のさよならのシーンで会津弁に戻り、そしてハルちゃんにだけ聞かせた言葉は標準語になっていると…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ