第7話 魔法少女1
廃ビルの3階から、マーキュリーは街の様子を見下ろしていた。
傍に立ったひなたが尋ねる。
「ここって、いったい何なんですか……?」
「クリフォトだ」
「クリフォトっていうのは、何ですか?」
「それは」
マーキュリーは口元に手を当て、美しい彫刻のように動かなくなった。
何か教えてはいけない理由があって言えないのか、どう説明しようと悩んでいるのか、それとも単に知らないのか、ひなたには判別が付かなかった。
やがて、マーキュリーは瞳を冬の日の夜空のように瞬かせ、ひなたに言った。
「この空間のことだ」
「な、なるほど……!」
マーキュリーはゆっくりと頷いた。
どうやら、いまひなたが居る場所は地球のようで違う場所のようだ。
異世界なのか、別時空なのかは分からないが、その名称をクリフォト、というらしい。何処かで聞いたことのあるような気がしたが、思い出せなかった。
「それで、これはどうすれば?」
ひなたは尋ねた。
手元には、マーキュリーから渡されたスマホケースがあった。
オレンジ色をベースに、輝く日輪の文様と、揺らめく陽炎が四辺に描かれている。なかなかにハイセンスで、お嬢様学校で使うにはやや目立つデザインだ。
「それが、君の杖だ」
「杖」
「そうだ」
それきりマーキュリーは外に目を向けてしまった。
ひなたはバイトで学んだことを思い出した。いつまでも質問してばかりの指示待ち人間でいてはいけない。自分から、動けるようにしないと。
ひなたは、高校入学祝いに買ってもらった新機種スマホの初期ケースを外し、オレンジ色の新たなスマホケースを装着した。その機種専用に作られたかのようにぴったりとフィットした。
悪くない。
まるで自分の魂の形に合うかのように、スマホケースは手に馴染んだ。
「おお~」
この世界ではそれが当たり前なのか、電波はなかった。
ひなたはマーキュリーに質問しようと近づいた。
マーキュリーの視線の先には、道路の上に群がっている筋肉と爪の化け物たちの姿があった。
「もしかして、私はあれと戦うんですか?」
マーキュリーはその質問に対して、ひなたを一瞥しただけだった。
そして、彼方を見つめながら言った。
「来るぞ」
数瞬の静けさを置いて、鋼鉄を切り裂くような剣戟が遠くから聞こえてくる。そこに、リボルバーを何発も連射するような雷火の炸裂音が轟いた。
「魔法少女が、来る」
道路の向こう側から、真紅の外套を翻し、何かが高速で飛び跳ねているのが見えた。
赤ずきんのような女の子だ。
それは跳ね回りながら、信じられない速さでこちらに近づいてくる。
いったい時速にして何十キロ出ているのだろう? 決して人間の足で出せる速度ではない。それどころか一度の跳躍で、5メートル以上は飛び跳ねている。
人間ではありえない運動能力だった。
赤ずきんは公道を爆走する自動車並みの速さで、ビル壁、街灯を蹴り飛ばし、さらに加速した。そして両手に二丁拳銃を構えると、道路の先へ向かって発砲した。
静かだった廃ビルの周辺に、硝煙が漂い、火薬の炸裂音が響き渡る。
「あれが魔法少女……? 私たちも変身して、さっきの怪物と戦うんですか?」
「いいや」
マーキュリーは言った。
赤ずきんの放った銃弾は、白銀の輝きを放つ大剣によって防がれた。
銃口の先には、銀色の美しいドレスを羽織り、装飾された大剣を構えた、別の魔法少女が立っていた。
ドレスに散りばめられた宝石は雪のようで、見事な水色の髪は巻かれていた。お姫様のような格好の青い魔法少女は、その身長ほどもある大剣を肩に担ぐと、赤ずきんの魔法少女目掛けて走り出した。
驚いて開いた口のふさがらないひなたに、マーキュリーが答えた。
「君たちは、魔法少女同士で戦うんだ」
*******
「あの……なんか魔法少女さん達、お互い攻撃してるんですけど……あの! あっちの化け物を倒すんじゃないんですかッ!?」
「あん? ありゃ、フィールドに湧く野生動物みてーなもんだ。ただの人間からすりゃ脅威だが、魔法少女の敵じゃねーよ」
「ええ、でも、魔法少女は悪い奴らをやっつけるのが普通で……」
少年はため息をついて、うさぎに言った。
「お前さぁ、この時代に正義とか悪とかいっちゃうわけ? 今はマルチジャスティスの時代なんだわ、分かる?」どこから取り出したのかコーラのプルトップを開いた。「絶対的な分かりやすい悪なんてもういねーんだよ。戦うもんもいねーんだから、魔法少女同士で戦ってもらうほかねーだろ」
「ええ……」
少年はコーラを一口飲んだ。大きくげっぷすると、好きなサッカーチームでも応援するかのようなきらきらした笑顔で言った。
「まぁ、見てろよ、おれの魔法少女が勝つから」
そして、廃ビルから道路へと野次を飛ばし始めた。
「オラ―ッ! いけーッ! ぶっ殺せーッ!!」
うさぎは廃ビルの目の前で行われる、赤ずきんと大剣を持った魔法少女の戦いを目で追おうとした。
速い、速すぎる。
何が起こっているのか理解できない。
赤ずきんの方は二丁拳銃を立て続けに連射しては、大剣の接近を阻んでいる。一方で大剣の魔法少女は、銃弾を軽々しく弾きながら、だんだんと距離を詰めていく。
しかし、大剣の斬撃が届く! というタイミングで、赤ずきんは銃弾をばらまきながらその場で回転し、飛びのいて離脱するのだ。
ばら撒かれる銃弾が散弾のように、青い魔法少女のドレスを撃ち抜く。青い魔法少女は全身に銃弾を受けながら、颯爽と大剣を翻した。
ドレスには穴一つ空いておらず、血一滴と流れていない。だが、遠目にも苛立っていることは明らかだった。
「ありゃあ! まーた、外しちゃったねぇッ!」
赤ずきんが叫んだ。
青い魔法少女は答えずに、大剣を構えさらに赤ずきんへと突進する。
赤ずきんは再度、弾丸をばら撒いて離脱しようとした。
ところが、ブーメランのように投擲された大剣が、回転しながら赤ずきんの目の前に迫っていた。
「あッぶないねぇッ!!」
赤ずきんは間一髪で、銀色の円盤のように回転する大剣を避けた。そこで背を逸らしたせいで、回避の勢いが止まってしまった。
大剣を放り投げた青い魔法少女が、徒手空拳で目の前に迫ってきていた。
「……ッ!」
硝子のように美しいハイヒールの爪先が、繰り出される。
青い魔法少女は、赤ずきんの左手をリボルバーごと蹴り上げた。
赤ずきんの大口径の拳銃が、くるくると宙を舞う。
赤ずきんは歯噛みして、とっさに手を伸ばすか迷った。その迷いが彼女を救った。
青い魔法少女が、すでに手元に戻った大剣を上段に振りかぶっていたのだ。赤ずきんの手が伸びれば、それを一刀のもとに切り捨てる構えだった。
「乗らないよぉッ!」
赤ずきんは叫ぶと片手の拳銃だけで、銃弾をばらまいた。その場で回転し、さらに距離を取ろうとする。
「それ、無意味だから」
すでに、大剣を振りかぶっていた青い魔法少女が呟いた。
赤ずきんは振り下ろされた大剣の一撃をもろに受け、吹っ飛ばされた。
――うさぎたちのいる廃ビルの方角へ。
「えっ、えええええええええええッ!?」
うさぎの目の前に、赤ずきんの魔法少女が突っ込んでくる。爆音と共に、廃ビルはばらばらに崩れ、倒壊した。




