第6話 契約2
「え、いや、遠慮しときます……」
うさぎはぼそぼそと断った。
目の前の小学生は、瞼を二度ひくつかせてから、怒りを抑え込むように笑った。
「あ˝?」
「い、嫌です。よく分からないし、止めときます……」
少年は勢いよくスニーカーで床を踏みつけた。うさぎは飛び上がった。
「お前、おれが魔法少女にしてやるっつーのに断んの?」
「い、い……」
「い?」
「嫌ですッ~~~~~!!! でも助けてくださいッ~~~~!!」
うさぎはわんわん泣いて、少年の足にしがみついた。少年も怖いが、廃ビルの外はもっと怖かった。せめて話が通じる相手に助けてほしかった。
「うるせー! ぴいぴい泣くんじゃねー!」
少年はうさぎを蹴って追い払った。そして、地面に転がっているうさぎを蔑んだ目で見た。
「はぁ~……つっっっまんねえヤツ。契約を断りやがった。なりたくてもなれないヤツだっていんのに、お前は断るんだ。あっそ、いいよ。じゃあ、お前の枠を他の女に譲るから」と言ってスマホを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。
「ああ、マリエ? 前言ってた件だけど。おう、1つ魔法少女の枠余ってるっつった件な。今すぐ契約すんなら行けっけど、どうする? ……お、受けたい? いいぜ、やる気のある奴は大歓迎」
うさぎは目の前の通話に、慌てて声をあげた。
「え、あのちょっと待ってください……。あ、あの、あのあの、あのあのあの私、変われますか?」
「は? お前はちょっと黙ってろ」
「私変わりたいんです……! 魔法少女になれば、変われますか?」
「お前さ。馬鹿にしてんだろ」
少年は電話を保留にすると、うさぎを見下ろした。
「たとえ何になっても、お前はお前のままだよ、ビビり女。でも、そーだな……魔法少女になりゃあ、現金も彼氏も、欲しいもんなら何でも手に入る。みんなからチヤホヤされて、承認欲求は満たされまくるぜ。月イチの戦いに参加するだけで、お前の人生は薔薇色だよ」
うさぎは混乱の中、急に欲望をエサに出され戸惑った。
果たして、そんな上手い話があるものだろうか? うさぎは選択することが怖かった。何かが欲しくても、誰かに奪われるのが怖かった。そうして、これから先もずっとずっとずっと、義務と権利から逃げ続けて、人生を台無しにし続ける。
それが、今日までの藤村 兎希だった。
今日から変わろう、と決めたのに。やったことはただ友達を見捨てて逃げることだけだ。そして、今も、目の前のチャンス(?)を見送ろうとしている。
「……」
少年は、恐怖と欲望に葛藤しているうさぎを眺め、にやりと笑った。
手元のスマホはそもそも通話なんてしていなかった。あと一押しだ。そして、少年は、うさぎのスマホから垂れ下がった有名アーティストのアクリルキーホルダーに目を付けた。
「お前にやる気さえあれば、金もたらふく稼げる。月にたった数回の労働で、バイトよりも楽に稼げるぜ? 頑張りによっては、お前の好きな歌い手のライブチケットも当確する……」
うさぎは目を見開いた。
「マ、マジで……?」
「マジ。魔法少女は運が良い。実績がある。超良い席が向こうからやってくる」
「……や、やりますッ!!」うさぎは握りこぶしを振るって、声高に叫んだ。「私にやらせてくださいッ! 魔法少女ッ!」
「よっしゃ、契約成立だ。よろしくな、ビビり女」
がしり、と小学生男子の小さな指がうさぎの手を握りしめた。うさぎは少年の顔に浮かんだ邪悪な笑みを見て、自分の選択をさっそく後悔し始めていた。
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少年は満面の笑みのまま、命令した。
「よーし、じゃあ、胸張れ」
「え? はい?」
「別に変なことしやしねーよ。心臓に一番近い所を、差し出せ」少年は右手に構えた、黒いナイフをくるくる回している。
「待って、え、何ですか、それ。刺す、つもり……?」
「契約すんだから仕方ねーだろ。動くなよ、ズレたら痛ぇーぞ」
そういうと、少年はうさぎの心臓に黒いナイフを突き刺した。
「うぎゃああああああああああああッ!!!!!! 痛いッ!! 痛いッ!! し、死ぬゥーーーーッ! 刺されたッ! 刺されたァーーーーーッ!!!!」
「うっせーな……別に、なんともねーだろ」
悲鳴を上げて、地面をごろごろと転がっていたうさぎは、刺された場所を探った。
刺されたはずの黒いナイフが消えている。それどころか痛みもない。
心臓がどくどくと音を高めていき、身体が熱くなってきた。まるで新しいエンジンを載せられたみたいに、全身が火照っている。
体温がゆっくりと上昇し、先ほどまであった頭痛の不快感がぶり返してきた。うさぎはまた吐きそうになって、えずいた。
具合の悪いうさぎの顔を見て、少年が言った。
「やっべ。お前、症状出たままだったわ。つーか生身でよくそこまで耐えたな」
少年は背伸びすると、うさぎの頭に触れた。触られた部位が焼けた鉄板を当てられたみたいに熱くなっていく。
と同時に、ずっと続いていた全身の倦怠感がなくなり、頭痛も嘘みたいに消えてしまった。
「え? え? え?」
手をぱたぱたとはたきながら、少年が言った。
「ここは本来、生身の人間が居ていい場所じゃねーんだよ。迷い込んだやつらは灰吸って発症して、普通は5分と持たねー」
5分と持たない……。
うさぎは、ついさっきまで一緒に居たひなたの顔を思い出した。目と鼻と口から血を流して、それでも自分を逃がそうとしてくれた彼女……。
「あ!! ひなたちゃんッ!!」
「うっせーな、いちいち叫ぶんじゃねーよ。オトモダチはとっくに無事だよ」
そう言うと、少年は上を見上げた。そして忌々しそうに舌打ちした。
「ひなたちゃん、血を吐いてたんですけど、本当に大丈夫なんですかッ?」
「あ? おれの言うことが信じられねーのかよ? お前は自分の心配だけしてろ。魔法少女は、この空間で戦う。間違っても、戦闘中に変身は解除すんなよ。ここで生身で死んだら、現実世界でも死ぬからな」
死ぬ。
シンプルな脅威の言葉にうさぎは震えあがった。うさぎの恐れるものベスト3に入る存在が、急に視界に入り込んできた。
「死ぬ……? た、戦う……? さ、さっき簡単な労働って言ってませんでしたっけ……?」
「あ? 最初に言っただろ、月イチの戦いに参加しろって。お前、魔法少女を何だと思ってんだよ」
「し、知りませんよぉ……! もっと、人助けとか、災害救助とか、そういうのじゃないんですかぁ……!?」
少年は鼻くそをほじって、丸めて捨てた。
「そんなもん、誰が喜ぶんだよ」




