第28話 再出発
「おはよー」
朝の静かな教室に、誰かの挨拶が飛び交う。
月曜日がやってきた。
うさぎは土日に起こった出来事でまだ頭が痺れたようになっていて、日常にしっかりと戻ることができていなかった。
これからレベル5になるまで、あの恐ろしいクリフォトという空間に侵入し、魔法少女として戦わなくてはならない。
下手をすると命の危険がある、違法バイトのような行為に手を染めてしまっている。
うさぎは今後数カ月のことを思って気が重くなり、朝の教室の喧騒すらも耳に入ってこなかった。
「おはよ、藤村? 聞いてる?」
「え、え、えっ? あ、みよちゃん……」
みよちゃんがうさぎの席に来ていた。
金曜日の夜、みよちゃんが新しい友達たちと遊んでいるのを目撃して、その夜に疲れて適当なスタンプを返信したのが最後の会話だった。
それからすぐ後に、うさぎはコヴェナントのアプリを消すために初期化してしまったのだ。みよちゃんからどんなメッセージが来ていたかも分からない。
みよちゃんは、うさぎのスマホに目を向けた。そして、ケースが可愛らしい毛皮の兎耳を模したものに変わっていることに気付いた。
「可愛いね、それ。買ったんだ」
「あ、えっと、もらったというか、押し付けられたというか……」
「ふーん、日曜日どこか行ってたの? 親?」
みよちゃんはうさぎに尋ねた。うさぎは「あ、うん」と答えた。
「藤村さ、後でも良いんだけど、ちょっと話せる? 二人で」
「うん……」
みよちゃんは周囲を見渡した。
朝の教室はまだ人が疎らで、ホームルームまでは時間があった。
みよちゃんは「こっち来て」とうさぎを引っ張ると、人の来ない屋上へ続く階段の所まで連れて行った。
「ごめん、藤村。もしかしてアプリ消したよね。私のせい?」
みよちゃんは両手を合わせて言った。うさぎは「へっ!?」と驚いて言った。
「土曜日の夜から返事なかったじゃん。連絡先からも消えてるし。なんか、嫌なことでもあったのかなって心配してたんだよ。それで、今日話聞こうと思ったけど、なんだかぼんやりしてるし。藤村、週末に何かあった?」
「あ、いや、その……ち、違うよ! みよちゃんのせいじゃ全然ないから。安心して!」
みよちゃんはそれを聞いて、目を見開いた。それから安堵するように息を吐いた。
「あ~~~……良かったぁ~~……。え、じゃあどうして消したの? 誰かに嫌なことでもされた?」
うさぎはどう説明するべきか悩んだ。
別に魔法少女のことは口止めされていない。だが、本当に言っていいんだろうか?
守秘義務などの説明もなかった気がする。
だが、うさぎの契約相手は口約束の契約がしっかり本契約だったりと、後になってからゴチャゴチャ言ってくるタイプのパトロンなのだ。誰かに喋った時、どんなお咎めが来るか分かったものじゃない。
また、みよちゃんは厨二病とかスピとかオカルトっぽいものがあんまり好きではなかった。
真実を言ってみたところで、みよちゃんの警戒心を高めさせてしまうだけだろう。全てを説明しようとするなら、金曜日にあの廃ビルにいたことを告白することになってしまう。
その場合、みよちゃんがうさぎを置いて、新しい友達と遊んでいたことにまで言及しなくてはならないだろう。
うさぎはみよちゃんが不機嫌になるのが何より苦手だった。
聡いみよちゃんは「うさぎが廃ビルにいた」と聞くだけで、うさぎが自分たちを見た可能性にまで思い至る。
みよちゃんにしてみれば、うさぎがアプリを消すこと自体が唐突すぎて不自然なのだ。うさぎが何か大きなショックを受けたと思うに違いない。
「あ……えーと、その……」
実際は、そのショック以上の大きなショックがあった。生死を賭けた魔法少女の契約というものにぶち当たり、それを回避するための策としての初期化だったのだが……。
うさぎは頭の中でウルサに謝りながら、嘘をついた。
「すんごく粘着質で、邪智暴虐で、げぼ吐きそうなくらい最悪な男の子に、ダイレクトメッセージで一生絡まれてたの。それがもう、本当に嫌で……」
うさぎは言ってから、でも別に謝る必要ないな、と思い直した。
ウルサが最悪なガキであることは事実だし、メッセージでずっと粘着されたのも事実だ。
みよちゃんは真におぞましいものを見る表情を浮かべて、うさぎの手を取った。
「え、待って。待って。待って。なに、男?」
「うん」
「相手いくつ? タメ?」
「小学生」
みよちゃんはムンクの叫びみたいな顔になった。
*******
つまり、うさぎは土日で男子小学生に絡まれ、怪しい新作アプリゲームのテストプレイヤーになり、それが怖かったのでアプリを全消しした、ということになった。
半分以上は嘘を言っていないため、うさぎの心理的な負担はだいぶ軽くなった。
「そうなんだ。え、もう一回聞くけど、本当にその小学生男子とはもう切れてるの? 向こうはやっぱり出会い目的じゃないの?」
「ないよ! めちゃくちゃキモいこと言わないで!!」
うさぎは鳥肌が立ちっぱなしだった。みよちゃんは、真剣な表情に戻ってうさぎに言った。
「じゃあ藤村は日曜に私が送ったやつ、見てないんだね」
「え、うん。見れてない。ごめん」
「そっか。良かった。見てたとしても忘れてね」
「いや嘘じゃないよ。本当に見てないから」
「それならそれでいいから。他の人に言わないでね。絶対に」
みよちゃんはそう言って、掌を重ねて頼み込むようにお願いした。
「み、見てないし分からないし、言わないよ!」
「そうしてくれると嬉しい。お願いね。私ああいう話できるの、やっぱり藤村だけだからさ。これからも、今までみたいに仲良くしてくれる?」
「え、うん。もちろん!」
うさぎは、あまりの呆気なさに驚いた。
金曜日の夜は世界が真っ暗で、世の中には絶望しかないんだと思っていた。
しかし月曜が始まってみれば、みよちゃんはいつも通りに接してくれて、何なら以前のように関係性を紡いでくれている。
普段のうさぎだったら、金曜に見たみよちゃん達の会話で頭がいっぱいで、こんな風に気楽に話せてもいなかっただろう。
――たぶん、魔法少女コヴェナントのせいだ。
コヴェナントという大きな心労を抱えているせいで、目の前の人間関係に不安を抱く暇がないのだ。だから自分を裏切ったはずのみよちゃんを見ても、心から動揺するようなことがなかった。
「そうだ。藤村、今週の土曜って空いてるよね? 皆でカラオケ行こうよ!」
「え、あ、ごめん」うさぎは咄嗟に謝った。土曜日は既に予定が埋まっていた。みよちゃんの顔がまたムンクの叫びのように曲がった。
「は? まさか男……? 男子小学生……!?」
「違うってば……! 本当にやめてそれ」
うさぎはしかし、予定そのものを少し誇らしげに語った。
「ボ、ボランティア活動みたいなのに参加してて、他校の子と清掃の仕事があるの」
みよちゃんは少しの間、不満そうに口を尖らせた。しかし、すぐ笑顔になっていった。
「分かった。藤村も自分のやりたいこと見つかったんだ」
「え、えっと、うん、たぶん」
「じゃあ、またいろいろ教えてよ。また、夜に電話するからさ」
「……うん!」




