10 恋の病
それから数日後。
「本日はお会い出来ないそうです。」
クレアの声が、扉越しに静かに響いた。
シャーロットは部屋の中で、ぎゅっとスカートを握りしめる。
(また……逃げてしまった)
理由はもちろん――ナトゥー。
一度ならず二度までも。
やはり、顔を合わせる勇気が出なかった。
「申し訳ございません。お嬢様は体調が優れず……。」
外ではクレアが丁寧に頭を下げている気配。
「……そうか。」
低い声。
「無理はさせられないからな。」
そして足音が、遠ざかっていく。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
会いたかったはずなのに。
どうして、こんなことをしているのだろう。
※※※
その夜――公爵邸。
「ウィリアム様、少しお休みになられては?」
セレルの声にも、彼は首を振った。
「いや……大したことはない。」
だが机の上の書類は、一向に進んでいない。
ペンを持つ手が、何度も止まる。
(……最近、ずっとこの調子だ)
思い浮かぶのは、ただ一人。
――シャーロット。
夜会の後から一度も会えていない。
「体調不良、か……。」
信じたい。
だが、どこか引っかかる。
前回も同じだった。
曖昧な理由。
調べても、何の情報も得られなかった。
はぐらかされたような違和感。
(……避けられているのか?)
その考えがよぎった瞬間。
胸が、鋭く痛んだ。
「情けないな……。」
たった一人の令嬢に会えないだけで、
こんなにも思考が乱されるなど。
熱はない。
だが身体は重く、思考も鈍い。
――そして何より、彼女のことばかり考えている。
翌日。
シャーロットのもとへ知らせが届く。
【ウィリアム様が体調を崩されております。】
「え……?」
思わず声が漏れる。
胸が、強く締めつけられた。
昨日のことが頭を巡る。
会えたはずなのに、会わなかった自分。
「クレア……私、会いに行くべきかしら……」
(でも……まだ匂いが残っているはず……)
最も大切なところで、
すべてを台無しにしてしまいそうな自分が怖い。
「お嬢様。後悔だけは、なさらないように。」
その一言で、決意は固まった。
「……クレア、準備を手伝って。」
シャーロットは、これ以上ないほどの【完全武装】で公爵邸へ向かうことにした。
髪にはほのかな香油。
口にはハーブ。
ドレスには内側から香りを纏わせる。
(……臭くない。はず)
その必死さを、クレアは誰より理解し応援していた。
公爵邸。
出迎えたセレルと侍女たちは、一瞬目を見張る。
――気迫が違う。
「ウィリアム様、お見舞いの方をお通ししても?」
「ああ……通してくれ……。」
弱々しい声。
扉が開く。
一歩、足を踏み入れた瞬間――
シャーロットは息をのんだ。
ベッドに横たわるウィリアム。
いつもの気配はなく、どこか遠くを見るような目。
(……こんなに弱って……)
胸が痛む。
「ウィリアム様……」
そっと呼びかける。
だが――
彼はゆっくりと視線を向け、
わずかに、微笑んだ。
「……なんだ。幻覚か。」
「え……?」
「ずいぶん都合のいい幻だな。」
かすれた声。
「会いたいと願えば、こうして現れるとは……」
その言葉に、シャーロットの胸が強く揺れる。
「ウィリアム様、私は――」
言いかけた言葉を遮るように、
彼は続けた。
「君と思い合えたと……そう思ったのは……私の勘違いだったのかもしれないな。」
静かに、目を伏せる。
「……少し、期待しすぎたらしい。」
そのまま、力が抜けるように顔を背けた。
――まるで、もう何も望まないかのように。
「……っ」
シャーロットの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(私が……)
(私が、この人をこんなふうにした……?)
唯一、自分を肯定してくれた人。
健康美を褒めてくれた人。
食べることを、愛していいと教えてくれた人。
その人を――
自分の“隠し事”で傷つけている。
(……もう、隠せない)
小さく拳を握る。
(逃げちゃだめ)
ゆっくりと、息を吸う。
「ウィリアム様。」
今度は、はっきりと。
震えながらも、まっすぐに。
「私……お話ししたいことがあります。」




