第4話
翌日、目覚めた時、天井が違うことに気づいた。
ここはどこだ。ああそうか、異世界に来たのか。
体を起こした瞬間、違和感が走った。
軽い。妙に軽い。ベッドから出て、洗面台の鏡を見た。
「お前、誰だ」
かつての面影は微塵もない。鏡に映る男は、完全に別人だった。整った顔立ち、澄んだ瞳。どこかの王子かと思わせるほどの「美形」に変貌していた。
「これが……俺? マジかよ……」
顔を洗い、何度も鏡を見直した。信じられない。
その時、扉をノックする音がした。
「悠真さん、いらっしゃいますか?」
リリアの声だ。扉を開けると、リリアが困ったような表情で立っていた。
「リリアさん、どうしました?」
「あの……祖母が朝から『悠真、悠真』って……」
リリアは首を傾げながら続ける。
「それと、時々『ファイヤー』とも言うんです」
(げっ!)
俺の顔が一気に熱くなった。昨日、魔法ではしゃいでいた姿をマーサさんが覚えていたのか。
「悠真さん? 顔が赤いですけど……」
「な、なんでもないです!」
「それで……その……」
リリアは話題を変えてくれた。優しい子だ。
「昨日のお礼もまだでしたし、お昼でもいかがですか? 祖母も喜ぶと思うので」
「は、はい! 喜んで!」
リリアの家への道中、気になっていたことを聞いてみた。
「そういえば昨日のグレイウルフですが、よく村まで来るんですか?」
「いえ、珍しいことです」
リリアが首を振る。
「普段はここまで人里に近づきません。昨日は商人の方が逃げ切れなかったみたいで」
「そうですか」
歩きながら、別のことを聞いてみた。
「大変ですよね、介護は」
「カイゴ?」
「あ、えーと……お世話のことです」
リリアの表情が曇る。
「祖母が『家に帰る』って言い出すと、止めるのが大変で……」
「それは帰宅願望といって、よくあることなんです」
俺は優しく説明する。
「『ここがあなたの家よ』って否定すると、余計に混乱されます」
「じゃあ、どうすれば?」
「否定せずに、一旦受け入れるんです。『そうですね、でも今は遅いから明日にしましょう』とか、話題を変えることで、帰宅願望から意識をそらすんです」
「なるほど……」
リリアは真剣な表情で聞いている。
「それから、マーサさんのペースに合わせることも大切です。急かすと不安になります」
「確かに、急かすと怒ることがあって……」
「あとは、日中の活動を増やすことも大切です。疲れれば夜もよく眠れますし」
「日中の活動を増やす、ですか……」 リリアが考え込んだ。
「難しく考えなくて大丈夫ですよ。家の中で出来ることから始めましょう。例えば、一緒に料理をしたり、昔の話を聞いたり」
「昔の話?」
「回想法といって、過去の楽しい思い出を話すことで、脳が活性化するんです」
「悠真さんって、詳しいんですね」
リリアが不思議そうに俺を見つめる。
見つめ返すと、彼女は「もうすぐ、家です」と足早に歩き出した。
すぐに、リリアの家が見えてきた。村の中でも比較的大きな二階建ての木造家屋だった。庭には花が植えられ、丁寧に手入れされている。ふと見上げると、二階の窓からマーサが外を見ていた。俺たちに気づくと、顔がパッと明るくなった。
「悠真!」
マーサが玄関まで出てきた。
「来てくれたのね! 待っていたのよ」
「こんにちは、マーサさん。お元気そうで何よりです」
「ええ、今日はとても調子がいいの」
マーサは嬉しそうに家の中へと招き入れながら、振り返ってリリアに声をかけた。
「さあ、ちょうどいい時間だし、お昼ご飯にしましょう。リリア、準備できてる?」
「はい、今温めます」
リリアが台所へ向かう。
「手伝います」
台所に立つと、パンと野菜スープが用意されていた。
俺は少し驚いた。野菜と干し肉がきちんと柔らかく煮込まれ、パンも薄く切られている。
「リリアさん、この切り方……お肉もしっかり煮込んでありますね」
「あ、祖母が食べやすいように工夫してるんです」
「素晴らしいですね。愛情を感じます」 リリアの頬がほんのり赤くなった。
「でも、パンはどうしても硬いままで……」 リリアが困ったような表情を見せる。
「お肉は煮込んで柔らかくなったけど、パンは薄く切るしかなくて」
「パンは蒸すと柔らかくなりますよ」
「蒸す?」
「柔らかくする調理法です。まず蒸し器は……ありますか?」
「蒸し器というものは……聞いたことがないです」
ないのか。この世界ではまだ一般的ではないのだろう。
「それと、煮込んだお肉をパテにすると、パンに塗って一緒に食べやすくなります」
「マーサさん、よかったら一緒に作りませんか?」 俺は居間にいるマーサに声をかけた。
「まあ、私でよければ」 マーサが嬉しそうに台所に入ってきた。
「パテって何かしら?」
「お肉を潰して滑らかにして、パンに塗って食べる料理です」
三人で台所に立つ。まず、鍋に水を張り、その上に清潔な布を敷いた皿を渡し架けるように置く。即席の蒸し器の完成だ。
「スープからお肉を取り出しましょう」 俺はスープから煮込んだ肉を取り出した。
「既に柔らかいので、すぐにパテにできます」
「すり鉢はありますか?」
「はい、薬草を潰すのに使っているものが」 リリアが石のすり鉢とすりこぎを持ってきた。
「マーサさん、肉を潰すのを手伝ってもらえますか?」
「ええ、任せて」マーサがすりこぎを握る。煮込んで柔らかくなった肉は、すぐに潰れ始めた。 「こんな感じかしら?」
「完璧です!さすがマーサさん」
「スープを少し加えて、滑らかにしましょう」 煮汁を少量ずつ加えながら、練っていく。
「卵はありますか?」
「はい」とリリアが卵を取ってくる。
「マーサさん、卵を混ぜてもらえますか?」
卵を加えて混ぜ、塩で味を調える。 三人で協力して、肉の生地を小さな陶器の器に詰める。
ふと、隣に目をやった。
リリアが真剣な表情で生地を詰めている。
長いまつ毛が瞬きするたびに揺れ、すっと通った鼻筋、顎のラインがすっきりと締まり、ほつれた髪が一筋、白い頬にかかっている。
——綺麗だな。
しばらく見つめていたことに気づき、慌てて視線を手元に戻す。
俺は次の器を手に取り、作業を再開した。
やがて全ての器に生地を詰め終えた。
「パンと一緒に蒸し器で蒸しましょう」パンと器を蒸し器に入れて蓋をした。
「15分ほどで完成です」
「みんなで作ると楽しいわね」マーサが微笑んだ。表情が若返ったように見える。
やがて蒸し器から湯気が立ち上がり、甘い香りが台所を満たした。
「悠真さん、この調理法、初めて知りました」
「以前の仕事で覚えたんです。お年寄りが安全に食事を楽しめる工夫なんですよ」
「できましたよ」 パンはふっくらと柔らかくなり、パテも温まって香りが立っていた。
「まあ、美味しそう!」 マーサが食卓についた時、目を輝かせた。
俺はマーサの前に、パンとパテの器を置いた。
「パテは、パンに塗って食べるんです」 俺は小さなスプーンでパテをすくい、柔らかくなったパンに塗ってみせた。
「パンとパテを一緒に食べることで、適度な水分と柔らかさが保たれます。口の中でパサつかず、飲み込みやすくなるんです」
マーサが真似をして、パテを蒸しパンに塗る。
「こうかしら?」マーサが一口食べる。
「まあ……柔らかい。お肉の味がしっかりして、とても美味しいわ」
「マーサさんが作ったパテですからね」
「本当に美味しいわ、おばあちゃん」
「自分で作るのもいいわね」 マーサが嬉しそうに、もう一枚パンを手に取った。
「最近は何でもリリアにやってもらっていたから。でも、これなら私にもできる」
リリアが驚いたように祖母を見つめる。
「おばあちゃんが……自分で……」
「できることは自分でしていただくのも大切なんです」 俺は優しく説明した。
「食事を自分で準備する動作も、良いリハビリになりますし、何より食事が楽しくなります」
マーサは嬉しそうに、もう一枚パンを手に取り、今度は少し多めにパテを塗った。
「本当に美味しいわ」
嬉しそうに微笑むマーサを見て、リリアの目に涙が浮かんだ。
「おばあちゃんが……おばあちゃんがお肉を美味しそうに食べてる……」
「リリアさんの愛情があったからこそです。基本ができていたから、少し工夫を加えただけですよ」
食事をしながら、マーサに聞いてみた。
「マーサさんは、昔は何をされていたんですか?」
「昔? そういえば、若い頃は冒険者だったのよ」
「冒険者!」
俺は声を上げた。
「そうよ。魔法使いとしてね。でも、もう魔法なんて使えないけど」
マーサが寂しそうに手を見つめる。




