第82話 白亜の街
主人公 → 薬師の視点となります。
「なんじゃ、貴様は。邪魔をするな!」
美しい顔に憤怒の表情を浮かべ、水天女が咆吼する。
やっぱり、美人が怒ると怖いものだ。
「くっ、ローグフォームかドラグナーフォームで、真龍の威ってやつを見せるか」
「今の水天女では、余計に混乱するだけでしょう」
俺は交戦を回避する手段を提示してみたが、グランボルグに一蹴された。
まあ、そんなことだろうとは思っていたが。
そんな俺に向かって、水天女の邪眼とも言うべき、石化の魔力が放たれた。
あれをまともにくらえば、いかなヴァルナフォームといえども、大海魔と同じ運命を辿ることになる。すなわち、全エネルギーが枯渇し、完全停止状態とやらになるのだ。
対抗手段としては、それを上回るエネルギーをぶつけてやるしかない。
俺は迫り来る魔力に向けて、右腕に装着した『銃』の引き金を引いた。
術式が刻まれた撃鉄が、対となる術式の紋様を強打する。そういう仕組みなのだが、そのデザインからハサミをガチンと閉じたようにしか見えない。
だが、威力は本物で、照準を合わせた狙点に巨大な魔法陣が展開し、爆発的な力場が形成され、結果として凄まじい衝撃波が発生した。
以前、犬鬼達を相手にした時も、ザガードフォームによる高速移動で衝撃波を発生させ、大半を蹴散らしたわけだが、空気よりも粘性が高い水中で発生する衝撃波の威力は、その比では無い。
信じられないほどの圧力が生じ、さらに、その圧力はとてつもない高熱を生む。
それはプラズマ発光が生じるほどのものであった。
俺達の世界に存在する、体長わずか数センチメートルのテッポウエビ。
これは大小非対称のハサミを持ち、その大きい方のハサミを凄まじい力で閉じることによって衝撃波を発生させ、極めて微細な規模であるが、プラズマの閃光と、四千度を超える高温を生じさせると言う、じつにとんでもない生物である。
ヴァルナフォームの化身となった俺が専用武器で引き起こしたのは、それより遙かに大きな、桁違いな規模の爆発だった。
むろん、誘起されるエネルギー量も半端なものではない。
石化の魔法を吹き飛ばしたのはもちろん、水天女も無事では済まなかったようだ。
「とは言え、気を失っているだけのようです。止めを刺すなら好機ですが?」
「莫迦いうな」
仮にもアハトの分身体でもあるのだ。
殺してしまえば、かなり面倒な話になる。
それに、中身が百頭龍、もしくは、その変成体だとしても、人間の意識を留めている存在を手にかけるのは、かなり抵抗がある。
これが外道な輩というのなら、そのハードルも少し低くなる可能性もあるが、知る限りの経緯から言っても、この水天女に罪は無いと思うのだ。
「ですが、眼を覚ませば厄介なことになりますぞ。制御されていない状態での、この能力は脅威です」
「……さしあたり、眼を覚まさないようにするか」
神酒の効果が残り少ないこともあって、俺はヴァルナフォームを解除し、さらにはグランボルグフォームからドレイグフォームへと変化した。
そして、触手を伸ばし、特殊な睡眠薬を水天女に注入する。
これは中和薬を投入しない限り目が覚めることは無いシロモノで、人体に害は無いように調整してはいるが、百頭龍を封印した実装試験体という、極めてイレギュラーな存在に、どこまで効果、もしくは、悪影響があるかは未知数だ。
しかし、他に妥当な無力化手段が思いつかないので、その辺りは目をつぶることにした。
少なくとも致命的なものにはならないだろうし、何かあれば界樹の能力で対処できる。
ついでに葉と蔓を組み合わせた水着まがいのものをこしらえ、魔力の鎧も消え失せた裸身に着せることにした。
ドレイグフォームには、まともな視力が無い――サーモグラフ的な情報を意識内で視覚情報に組み替えているだけなので、この作業はスムーズにできた。
三度グロムフォームに戻った俺は、水天女をそっと抱きかかえると、穏やかな速度でオリヴァーさん達の元へと、水中を進み始めたのだった。
◇◆◇
眼を覚ますと記憶が飛んでいるのには慣れたつもりだが、さすがに今の状況にはパニックを起こしかけてしまった。
見たことも無い白い大きな部屋で寝ていたのは、まあ、よしとしよう。
しかし、俺にまとわりついている、大量の肉布団には愕然とせざるを得ない。
いつぞやも似たような経験があったわけだが、ブラーシュ騎士団の女性騎士が加わってボリュームアップしているし、股間を枕にしているのがシャルロッテちゃんだけではなくノインもだし、しかも、二人とも十代後半でメロン級な姿なのだ。
女性騎士の中には寝相が悪く、とんでもない光景を展開している人もいる。
俺は躊躇うこと無く、ドレイグとヴァルガンを呼び出した。
ドレイグには、女性の方々に、もう少し眠ってもらうだけの処置を施させ、ヴァルガンには器用さを活かして、俺に絡みついているオリヴァーさんを始めとする各位の手や足や諸々を何とかして貰う。
「ふう、やれやれ」
なんとか、その部屋を出た俺は溜息をついた。
ひどい目に遭った――と言うとまるきりの嘘になるが、健康な成年男子としては、克己心を試される機会は少ない方がありがたい。
俺達が寝ていた部屋からベランダのような場所に出た。
「うわあ」
目の前に広がる光景に、俺は思わず歓声を上げた。
そこには白一色で構成された町並みが広がっていたのだ。
ちらほらと青の装飾がなされており、ネットで見たギリシャのミコノス島――白亜の島と名高い観光地を思わせる光景である。
人の姿は皆無ではあるものの、全体として荒廃した印象は無い。
上を見上げると空が無く、柔らな光源に覆われているようだ。
俺は周囲を見回し、思わず独りごちた。
「それにしても……ここはどこだ?」
ちなみに「独りごちた」というのは独り言の古語表現である。
亡くなった父さんの蔵書に小さい頃から親しんだ影響か、「益体もない」「圭角が多い」とかの古い言い回しが身についてしまって、時折、コミュニケーションに齟齬がでてくる。
このあたりが軽いコミュ障の原因なのかもしれない。
それはともかく、自分のいる場所がどこなのか見当もつかないのは落ち着かない話だ。
「水中都市の中じゃよ」
不意に、横合いから声をかけられ、びっくりしてしまった。
そこにいたのは、ここの光景とマッチするような白いトーガ姿の老人、あのダンガーと名乗った人物――正確には、その思念体だった。
「地上の方に行くかと思えば、こちらに直接来るとはのう。まあ、繋がっておるわけじゃから大差はないがの」
「こ、この……」
もう一度会ったら、いろいろと言ってやろうと思っていたのだが、言うことがあり過ぎて咄嗟に出てこない。
「ま、言いたいこともあるじゃろうが……まずは、これか」
ダンガー老人が何かをしたようだった。
と当時に、記憶が――大海魔達に立ち向かう為にグロムフォームに変化して以降の、水天女との対峙などの諸々が脳裏に溢れてくる。
「これは……」
「都度毎に解除せにゃならんし、時間が経過したものは無理じゃが、一両日くらいまでなら、おぬしにかけられた機密保持の処置を何とかすることはできるぞ」
慣れたとはいうものの、また、オリヴァーさんが保証し、安心させてくれているわけではあるが、一定期間の記憶が無い、不安な心情というのは、他の人間にはなかなか理解して貰えるものではない。
俺の中でのダンガー老人の評価は急上昇した。
それにしても、我ながらとんでもないことをやらかしているものである。
「これが……〈装魔の勇者〉としての俺なのか」
「どうじゃな。他にも、おぬしにとって有益と思える提案がある。おぬしさえ良ければ、それを提供しよう。ただし――」
そこまで言ったダンガー老人は、魔王の異名に相応しい笑みを浮かべた。
「無償というわけにはいかんぞ」
「取引、ということなら、私が代わりに伺おうか」
急に割り込んできた声に、ダンガー老人がギョッとした様子で振り返った。
そこには腕組みしたオリヴァーさんが立っていた。
俺もダンガー老人同様に目を剥いたのだが、そんな俺に、オリヴァーさんが意味ありげに笑ってみせた。
「驚いたかい? これでも薬師の端くれだよ。眠り薬の類いは、私には効かないよ」
「そうじゃありません!!」
俺が唖然とした理由はオリヴァーさんの格好にあった。
一種の貫頭衣なのだろうが、身体の前後だけを覆う布地をいくつかの紐だけで繋げている意匠で、つまり、綺麗な肩から形の良い足までの、下着を着けていない肌色な側面が剥き出しなのだ。
両サイドに肩までのスリットがあるチャイナドレスみたいなものと言うべきだろうか。
加えて布の幅も十分では無く、豊かな胸の先端はかろうじてカバーしているものの、けっこう横からはみ出しており、腰から下は更に布地の幅が狭いので、きわどいことこの上ない。
「な、なんつー格好をしてるんですか」
「アハトから借用したんだ。なんでも、ここでの普段着だそうだ」
俺の、なかば抗議混じりの声に対し、オリヴァーさんはあっけらかんと返した。
「まあ、水魔法の結界が破られた場合を想定すると、こっちの方がいいのかもしれないね。水を吸った着衣は動きを著しく阻害するものだし、その点、これなら直ぐに脱衣できる」
そういうオリヴァーさんの表情を見て、俺は説得を諦めた。
合理的(?)な理由に納得し、気に入ってしまえば、何を言っても無駄なのは、これまでの付き合いで、いやというほどわかっている。
正直、目の保養ではあるのだが、いや、ここまでくると目の毒である。
これ以上、俺の克己心をゴリゴリと削っていくのは、勘弁してほしい。
「ったく、どこのどいつだよ、あんな服を考えたやつは」
「あー、ワシじゃが」
小さく毒づいた独り言へ、思わぬところから返答があった。
思わず見返した俺の目付きに、ダンガー老人は慌てたように言い訳し始めた。
「ここには、魚人や妖魚らの護手を除くと、アハトの分身体しかおらんせいか、ワシが来た時は、外に出る時の防護服を除いて着衣の習慣すら無かったのじゃ」
防護服というのは、どうやら、あのダイビングスーツもどきを指しているらしい。
そう言えば、水天女も服を着てなかったな。
「分身体を造る時に邪魔と言う事情もあったようじゃが、もともと、そのあたりに頓着する性格でもなかったようだしの」
出会った頃のノインも、窮屈とか何とか言って、服を着るのをひどく嫌がっていたっけ。
しかるべき教育とか躾が無いと、羞恥心なんかは育たない……いや、オリヴァーさんを見てると、一概には言えないか。
つか、マルタやカーヤ、ブラーシュ騎士団のお姉さん達も、そのあたりの感覚は少しおかしいよな。
まともなのはシャルロッテちゃんだけの筈なんだが、最近はノインあたりの影響を受けてるような感じで心配になってきている。
「枯れ果てた老骨にとっても、眼福どころではなかったのでな。なだめすかして、何とかしたのじゃが、さすがに服飾は専門外でのう」
最終的に量産可能で、かつ、アハトの納得する機能性をもつデザインとして、こうなったというわけらしい。
しかし、オムー文明の活きた遺跡だというのに、まともな衣服すらないのだろうか。
「言うなれば実験施設じゃからの。内実はだいぶ偏っておる。まあ、日用的なものが無い代わりに、結構面白いものがあるのじゃがの」
ダンガー老人の、この言葉にオリヴァーさんが食いついてきた。
「ほほう、それは何かな、ご老人」
「さ、先ほども言うたが、何から何まで無償というわけにはいかんのう」
「ふむ? 有償といっても金銭というわけでは無さそうですな。条件を提示いただけますか」
「こ、これ、距離が近い……」
ぐいぐい押してくるオリヴァーさんに対し、ダンガー老人はなんだか腰が引けてる印象がある。
よく見ると、顔も真っ赤にしつつ視線を逸らしているようで、その実、オリヴァーさんの胸元を始めとするあれこれを、ちらちらと横目で見ている。
(ひょっとして、女性に免疫が無いとか? まさかな)
仮にも魔王と謳われた人物である。
そういや俺達の世界では、三十歳まで清い身を保ったら魔法使いになれるとか、そんな都市伝説(?)があったかな。
(そうすると、魔王クラスになるには……いや、その前に妖精だったか)
俺が、そんなくだらないことを考えている間に、オリヴァーさんとダンガー老人との交渉が成立したようだった。
「では約定したぞ」
そう言い残すと、ダンガー老人の思念体は消え失せた。
意識を留めた魔結晶とやらに還ったのだろう。
◇◆◇
あのダンガーなる老人との交渉では、そこそこに有利な条件で取引を結べたと言えるだろう。
召喚術師のしての知識や力量も、かなりのものと見受けられ、あるいは、アンベルク宮廷召喚術師であるエレオノーラを凌ぐかもしれない。
(コウイチにも有益な存在となるだろうな)
軽く背伸びをしながら、そう思ったのだが、さほど間違っていないはずだ。
かつてAクラス冒険者のガイナスが喝破した通り、日常においては〈使い魔〉以外には何の取り柄も無かった若者である。
これまでも魔力の著しい枯渇や、装備を使えない条件におかれたことがあり、つまりは〈使い魔〉が召喚できない状態は、今後も考えられるわけだ。
従って、コウイチ自身の能力を底上げすることは〈装魔の勇者〉としても必至の命題といえよう。
さいわいにして、諸々の知識に関しては私が折に触れて講義することで支援できる。
武については、エッカルトや、何より〈闘奴の武王〉ミロンの存在が大きかったようだ。
自分では気づいていないようだが、身のこなしや足運びが以前とは見違えるようになっている。
おそらくは、感覚の共有による飛龍もどきの視力やスライムもどきの解析能力で、無意識のうちに「見て覚える」状態になっているのだろう。
むろん、見るだけでは駄目で、相応に鍛えないといけない筈なのだが、身体能力は〈装魔の勇者〉に変化する毎に向上しているように見える。
本人曰く「レベルアップ」しているのだそうだが、おそらくは、あの灰色の装備によるものかもしれない。
まあ、気を抜いた状態だと、ずいぶんとグダグダなのだが、その辺りは目を瞑ろうと思う。
そんなわけで、学術的な知識と武闘に関しては何とかなっているのだが、召喚術師としての諸々については私としても手のうちようがなかったので、今回のダンガーからも申し入れは望むところだったわけだ。
ただし、ダンガーの提示した条件を達成するのに、コウイチの協力は不可欠である。
「あー、コウイチ」
「なんでしょう?」
私が話しかけると、当の本人はそっぽを向いた状態で返事してくる。
さすがに、これは礼を失していないだろうか。
あのダンガーも、どういうわけか私を直視しないで、ちらちらと横目で見るという、じつに無礼極まりない態度だったのだが、それをコウイチにも許すほど私は無原則に寛大では無い。
私は両手を伸ばすとコウイチの顔をがっちりと捕まえ、無理矢理に正面を向かせた。
「人が話しかけている時は、きちんとこちらを見たまえ」
一瞬、下を向いたようなコウイチの視線が、慌てたように私の顔に戻ってくる。
「あ、あの、背伸びした時、ちょっとズレて……」
「君こそ話をずらすんじゃない」
私はぴしゃりと叱りつけたが、躾とかは後回しだ。私が来た時に、コウイチがダンガーと何を話していたのかを聞き出す必要がある。
いや、その前に、一応は確認しておくか。
「それで、今回はどこまで覚えているかな?」
これまでにも、この若者は〈装魔の勇者〉としての力を振るった前後の記憶を失っているので、そこを補完しておかないと会話が成り立たない。
この記憶の喪失は、〈勇者〉としての能力を制御しきれず、振り回されている結果であり、これまでの経緯から生物の根源にも関わるもののひとつである情欲というキーこそが、その対策だろうと確信している。
今回は数で押すという戦略を、さらに大幅にしてみたのだが、どうだったのだろうか。
「ええと、水天女をアハト達に渡したところまで、ですかね」
「水天女?」
「はい。ダンガーが召喚した百頭龍を、制御の為に融合させたアハトの分身体にグランボルグが名付けました」
それらの内容も興味深くはあったが、それもよりも私の意識を占めたのは、コウイチが〈装魔の勇者〉の化身から戻り、気を失うまでの経緯を覚えていたことだ。
「やった、やったぞ!!」
やはり数なのか、あるいは寝相が悪かった女騎士が展開した光景によるものかは、更なる調査や確認が必要だが、その突破口が見えたのだ。
私は思わず、両手で押さえていたコウイチの頭を胸に抱きかかえ、喜びのあまり小躍りした。
「オリヴァーさん、当たってる、ズレてる、見えるから!!」
何事かを抗議するようなコウイチの声も、全く気にならなかったのだった。
次回
『第83話 魔王転生』
来週はお休みして
11/17 0時更新予定
→ 本業が多忙でしたので、一日遅れの 11/18 0時辺りに変更します。 m(__)m




