第73話 八番目の騎士団
前回に引き続き、全て宮廷魔導師の視点となります
冥獄犬や邪黒犬といった夥しい数の獣族が突撃してくる。
その後からは、上位猪鬼や大鬼といった鬼族が続く。
いずれも小鬼や犬鬼などとは比較にならぬ脅威であるが、その先頭を走る獅蠍こそが最も恐るべき魔物である。
なにしろ、巨人族に匹敵しようという大きさで、それだけでも剣や槍でどうこうできる相手ではない。
飛行する鷲獅子には及ばぬものの、その長大で強力な四肢で疾駆する速さは、他の魔物を完全に置き去りにするほどだった。
驚くほどの短時間で迫ってくる、蠍のごとき真っ赤な巨体を見やったコウタが、何かを納得したようにうなずいていた。
「通常の獣族の、三倍の速さか。さもあろう」
〈大地の勇者〉の意味不明な言動はさておき、こうした巨大な魔物に備えて、剣の城塞や槍の城塞は計画されていたのだが、今はそれを言っても始まらない。
「〈緑の騎士団〉、いや、飛龍騎士団に合図を送れ」
敵の鷲獅子が壊滅した現在、コウタがいうところの『制空権』はこちら側にある。
緑と銀に輝く矢の合図を受けて、〈緑の騎士団〉麾下にある飛龍が次々に飛び立っていく。
それに気づいた獅蠍が、上空を睨んだ。
獅蠍自身に飛行能力は無いが、上級魔導師を歯牙にもかけぬ魔法の使い手でもある。
地上からでも飛龍を攻撃する手段は所持しているとみていいだろう。
「〈赤の騎士団〉に攻撃させろ」
間髪を入れず、ジークベルト将軍が次の指示を出す。
飛龍に気を取られた獅蠍に向けて、魔導師達が放つ炎槍や、魔法筒から撃ち出された火属性魔法のプロムベが一斉に浴びせられた。
だが、それらは全て、突如現れた氷の壁に遮られ、ギリギリのところで獅蠍に届かない。
獅蠍の、途方もない水属性魔法による防壁である。
上空で遊弋する飛龍と、左翼に展開する〈赤の騎士団〉を交互に睨みながら、それでも獅蠍が疾走する足を止めることはない。
「次は〈青の騎士団〉だ」
青く輝く矢が飛翔すると、〈青の騎士団〉から魔法筒が撃ち出された。
獅蠍は唸り声と共に、その方向に向けて炎の壁を生じさせ、放たれた水属性魔法は、今度は遙か手前のところで無効化されていく。
さすがに高い知能を持つだけあって、多彩で強力な魔法を駆使するだけではなく、合図の矢が放つ色を見て、どのような攻撃がくるかを読み取ったようだ。
「だが、やはり、獣の浅知恵だな」
ジークベルト将軍の低い呟きと共に、それは起こった。
なおも疾駆する獅蠍の、その足元が崩れたのだ。
信じられないほどの広範囲で発生した地面の崩落は、魔物の進路を予想して仕掛けられた大規模な落とし穴である。
広さもそうだが、深さも相当なもので、しかも底には返しのついた鋭い槍状の巨岩が仕掛けられている。
自身の重量によって、全身のいたるところを貫かれた獅蠍の、凄まじい苦痛を知らせる唸り声が、その落とし穴の底から響いてきた。
それまで振っていた黄色の旗を専任の旗手が降ろすと、今度は別の旗手が緑と青の旗を振った。
各騎士団への合図は輝く魔石の矢以外にも用意されていたのだが、獅蠍は目立つものしか注意を払わなかったのだろう。
その獅蠍が呻吟しているであろう落とし穴の上に、先ほど陽光を集める為に使った水塊が移動してきた。
ただし太陽との角度の関係で、深い底にいる獅蠍に焦点を当てる手は使えないし、どのみち光属性魔法をも駆使する獅蠍相手では通用しない。
その水塊に向けて、遊弋していた飛龍達が抱えていた袋から、何かの粉末が撒かれた。
すると透明だった水塊が、見る間に毒々しい紫と緑の入り交じった液体に変じる。
つまり、飛龍が撒いた粉末は、水に溶けることで強力な毒と酸に変じる薬剤だったのだ。
その紫色に変じた液体は、魔導の制御を解かれると、落とし穴の底で槍に縫い付けられている獅蠍めがけ、一気に落下した。
巨大な魔獣の断末魔を思わせる咆吼が響き、煙とともに、肉が焦げ、溶け落ちる異臭が漂ってきた。
「うわ、えげつない」
「さすがに、これは引くなあ」
鼻と口を押さえたユミとヒロシが辟易したような声を上げる。
おなじように口元を押さえながら、コウタが尋ねた。
「これも、将軍の身内が?」
「いや、こちらは、知り合いのAクラス冒険者だな。猛獣を狩るには落とし穴が一番だからと」
「ほう、Aクラスの。是非とも、機会があれば紹介していただきたい。騎士とは違う相手とも、一度は仕合いたいものですからな」
脳筋な武人の才と「ヲタク」なる『賢者』の資質を兼備する〈大地の勇者〉が、豪快な笑みを浮かべながらそう言ったが、その横にも逞しい体躯に上から下まで視線を走らせたジークベルト将軍は、なぜだか困ったような表情になって、珍しく言葉を濁していた。
ともあれ、これで最大の難敵たる獅蠍は完全に無力化されたはずだ。
未だに息があり、治癒魔法を試みているのは驚くべき生命力だが、全身に穿たれた傷や、酸に爛れた皮膚は、そう易々とは回復しない。
なにより、それらの傷から浸透していく毒が致命的である。
皮肉なことに獅蠍自身も蠍の毒を使う魔物だが、かのAクラス冒険者が入手したという毒鶏蛇の猛毒は、それを遙かに凌ぐ。
まさに毒をもって毒を制すのたとえどおりである。
〈聖祈の勇者〉レベルの治癒魔法でなければ、さしもの獅蠍も遠からず命が尽きるだろう。
「残るのは雑魚ばかり……とは言えんが、これだけの兵力であれば、勝てる相手だな」
そう言いながら、ジークベルト将軍は傍らにあった兜を取り上げた。
「もはや、策を弄する必要は無い。全軍にて突撃する。儂も出よう」
緒戦で鷲獅子を殲滅し、敵の首魁である獅蠍を無力化して、士気はいやが上にも高まっている。
この機運を逃さず、短期決戦でケリをつけようとするジークベルト将軍だが、その本音は別のところにある。
策を弄する必要が無いとは言ったが、じつのところ、これ以上は策を用いる余裕が無いと言うべきだろう。
机上ではさらなる作戦案が俎上にのぼっていたが、実際に準備できたのは先ほどの落とし穴でネタ切れなのだ。
なにしろ、〈白の騎士団〉と〈紫の騎士団〉の啀み合いで当初の計画が遅延しており、物資の補給も滞っているありさまだ。
その一方で戦闘状態に入った軍隊は、恐ろしい勢いで物資を消費する。
例えば、兵士の糧食にしても、待機時よりも量を増やさざるを得ず、魔導師も魔力回復用ポーションを、文字通り湯水のごとく使う。
そうしてはじめて、軍隊は万全の力を発揮できるのだ。
いや、〈青の騎士団〉所属の魔導師などは、それでも魔力の回復はおぼつかないかもしれない。
あの凸レンズなるものの形成には、相当な魔力を消費したであろうから。
宮廷貴族も神殿騎士も、飢えてみれば考えをあらためるかもしれないが、彼らがそのような状況にあるということは、前線の兵士はもっと悲惨な状況に陥っているはずで、さすがにそれは回避したいところだ。
ともあれ、三日後にはプレニツァからの物資が届き、一息つけるはずだが、それを無事に受領する為にも、早い段階で眼前の敵を片付ける必要がある。
そして、この状況においても、〈七大の勇者〉と私に対し、ジークベルト将軍は待機を命じた。
「ここに集った〈七大の騎士団〉の役割は、あなた方の盾たること。我らを守る為に、あなた方が動くのは本末転倒」
そう言ってレイカ達を牽制した後、そのお目付役として私を残したのだ。
「だけど、ねえ」
「うん。ぼくらが手を貸せば、死なないで済む兵士もいる筈だよな」
ジークベルト将軍以下の、参謀を含む全員が出撃すべく立ち去った後、ユミとヒロシは顔を見合わせた。
「むうう。将軍の言い分にも理はあるが……いやいや、情に流れては戦術戦略は語れぬ。しかし……」
コウタも悩ましげに頭を抱えている。
そんな中、将軍達に追い立てられた〈白の騎士団〉を含め、その全軍で突撃していく〈七大の騎士団〉の後ろ姿を見やりながら、ミホがレイカに尋ねた。
「どうするの?」
「将軍の言うとおり、私達は〈禍神の使徒〉と戦うのが本来の役割でしょう」
レイカは、いっそ冷ややかと言える口調で言い切った。
「姉さん!?」
「ただ……」
そこで〈光輝の勇者〉は、かすかに微笑んだようにも見えた。
「この魔物の軍勢は〈禍神の使徒〉が背後にいる、そうでしたね」
それは私に向けられた問いであったので、私は思わずうなずいてしまった。
「はい。その見解で、軍首脳は一致しています」
「でしたら、ここで私達が出るのは、広義の意味で〈禍神の使徒〉と戦うことと同じでしょう」
それを聞いて悩んでいた勇者の面々は、ぱっと明るい表情になった。
だが、私としては黙っているわけにはいかない。
「お待ち下さい。それは……」
「俺と〈黒の騎士団〉は、言わば独立部隊だからな。将軍の命令なんて関係ないさ」
そう言ってタケフミがさっさと出て行くと、その後をユミやヒロシ、そしてコウタまでが追いかけていった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「ぼくたちもいくよ」
「こら、置いていくな」
「あ、あの……」
慌てて止めようとする私に、レイカが柔らかい口調で言った。
「あなたはここに残って下さい。さすがに、あなたまでが命令に違反すれば、将軍の面目がたちません」
そう言い残して、二人の妹と出て行く〈光輝の勇者〉を、私としては黙って見送るしか無い。
いや、正直なところ、私としても勇者達には出てもらいたいのが本音である。
突撃していく軍勢の先陣には、私の兄弟にも等しい二人がいるのだ。
「なんにせよ、勇者達を押さえるのは、私では役者不足ということね」
誰もいなくなった最上塔から、半分残っていた〈紫の騎士団〉と共に〈七大の勇者〉が出て行くのを見送りながら、一人残された私はため息をついた。
最低限の見張りくらいは残っているはずだが、本拠地である城塞を空にするなど前代未聞であろう。
いや、動員可能な最大限の兵力を以て敵に向かうというのも、それはそれでありだったような覚えもあるが、まっとうに兵法を学んだことのない私には判断がつかない。
レイカは気遣ってくれたのかもしれないが、どちらにせよ、後でジークベルト将軍から大目玉をくらうのは確実だろう。
なんとなく、ぐったりした私の耳に、階下での喧噪が聞こえてきた。
「な、なんだ、こいつら」
「いつの間に……ぐあっ」
間違い無い。
残っている兵士達と何かが戦っているのだ。
息を潜め、得意の忍び足でこっそりと降りていくと、見張りの兵士達と夥しい数の小鬼が激しく戦っているのが見えた。
それも通常の緑色をした小鬼ではなく、赤錆の肌をした赤帽子と呼ばれる上位種である。
隠密性と俊敏性に優れた魔物だが、あんな数の接近を『遠見魔法』の使い手が見逃す筈が無い。
「まさか!?」
赤帽子を見ているうちに、私は同系色をした魔物の姿を思い浮かべた。
兵士達を圧倒しつつある赤帽子の数匹が、倉庫から治癒魔法のプロムベを運び出すのを見て、それは確信にかわった。
こいつらは獅蠍の巨体にくっついてきたに違いない。
つまり単独で突進してきたかのように見えた獅蠍の目的は、自分自身を囮にして、赤帽子達を盾の城塞に潜入させることにあったのだ。
私は急いで最上塔に戻った。
何とかして、ここからジークベルト将軍や〈七大の勇者〉に、この事態を伝えなければならない。
だが、赤帽子達の俊敏さは、私の予想以上だった。
もう落とし穴の縁まで辿り着き、〈聖祈の勇者〉が籠めた治癒魔法のプロムベを次々に投入しているではないか。
そして紫色の輝きが広大な穴に満ちた後、無傷となった獅蠍が穴の縁から這い上がってきた。
獅子のたてがみをした巨大な老人の顔がギロリとこちらを睨み、私はまともに視線を合わせてしまった。
「くふふふ。いや、ひどい目におうたものじゃわい」
耳まで裂けた口に猥雑ともいえる笑みを浮かべた獅蠍が、明確な人語を発するのを聞いて、私は危うく気絶するところだった。
人間の根源を揺さぶるような、ひどく冒涜的なものを感じたのだ。
そしてそれ以上に、巨大な猛獣にも似た魔物は、矮小な人間に過ぎない私など及びもつかぬほどの、圧倒的な迫力を発していた。
まさに獅子の前にいる子兎のような、絶望的な気分だ。
「くっ、それでも私は、アンベルクの宮廷魔導師だ!!」
自分に言い聞かせるようにして歯を食いしばり、専用騎である天馬を召喚する。
「ほう、聖獣の呼び手か。なかなかに歯ごたえがありそうじゃな」
獰猛な、それでいておぞましい知性を感じさせる声音で、獅蠍は嬉しそうに言った。
天馬に騎乗した私は、躊躇うことなく、その全力を振るうように命じた。
だが鷲獅子であれば、確実に圧倒できるであろう電撃や、風の刃を受けても、獅蠍は動じる気配すらなかった。
なんと結界すら張ることなく、天馬の攻性魔法に平然と耐えて見せたのである。
騎士団麾下の魔導師からの魔法攻撃を防いで見せたのは、あるいは、こちらの油断を誘う為だったのかもしれない。
赤帽子を潜入させたことといい、浅知恵どころか、まさに『賢者なる猛獣』と呼ぶに相応しい狡知である。
「聖獣の力とはその程度か。期待外れもいいところじゃな」
獅蠍の嘲るような声に対し、私はさらなる電撃で応えた。
たとえ通用しなくとも、これだけ派手な魔法を使えば〈七大の勇者〉も気づくはずだ。
「言っておくのを忘れたが、この一帯は儂が光属性魔法で幻影結界を張っておるでな。外からは平穏そのものと見えておるぞ」
だが、その望みも獅蠍の一言で雲散霧消することとなった。
「なん……ですって」
「さて、今度はこちらの番じゃな」
そう言った獅蠍の背後で、何かが動いた。
次の瞬間、私の専用騎たる天馬を、巨大な槍が貫いていた。
いや、それは獅蠍の、蠍の尾から射出された毒針であった。
天馬は悲鳴を上げる間も無く絶命し、そのまま地上に落ちていった。
むろん、私も一緒に落ちる筈だったが、ひょいと出された獅蠍の前足が、私を墜落死の運命から免れさせたのだ。
だがその代わり、もっとひどい運命が私を待ち構えていた。
「ほう、見ればなかなかに美しい女性じゃな」
巨大な老人の顔がニタリと笑った。
「儂がもう少し小さければ、たっぷりと相手をしてもらうとこじゃが、まあ、よいわ」
そう言いながら獅蠍は、優しいとさえいえるほどに、そっと私を地面に下ろした。
「え?」
巨大な魔物の意図が読めずに呆然としていた私は、周りを赤帽子に囲まれていることに気づくまで、少しの時間を要した。
「そいつらがお主の相手じゃ。まあ、せいぜい息のある限り、楽しむことじゃな」
「ひ……」
赤錆色の肌をした、醜悪で汚らしい小鬼の群れが、劣情を滾らせて迫ってくる。
あまりの嫌悪感に耐えきれず、私は悲鳴を上げていた。
「い、いや……いやああああ」
「おや、小さいのはいやか。では、こちらの方がよいかの」
獅蠍がそう言うと、いくつかの魔法陣が展開し、そして、上位猪鬼が次々と転移してきた。
通常の猪鬼よりも大柄で、さらに愚鈍な魔物は少し戸惑っていたようだが、私に気がつくと、昂ぶった醜悪なものを露わにし、おぞましい欲望の期待に、だらだらと涎を垂らしてきた。
あまりの絶望にも狂わなかったのは、これはむしろ不運というべきだろうか。
私はすがるような思いで盾の城塞を見つめた。
兵士達が助けにくることに一縷の望みを託したのだ。
それに応えるかのように、盾の城塞から、兵士達が姿を現した。
赤帽子に引きずられ、虫の息となった傷だらけの兵士達が。
「くひひひ」
獲物をいたぶる猫科の本性を剥き出しにした獅蠍が、嬉しくてたまらぬという笑い声をあげた。
あまりの絶望に、私は大地が揺らぐような錯覚に陥った。
「……え?」
いや、これは錯覚ではない。
何かとてつもない重量のものが、地響きを立てて近づいているのだ。
「む? なんじゃ、あれは!?」
獅蠍と鬼族の魔物達は、驚いたようにバスルへの入り口となるラゼム大峡谷の方向を見やった。
私もそちらに顔を向け、そして愕然となった。
こちらに向かって疾走してくる数体の黒い巨人と、その足元を駆ける異形の騎士達。
――後に〈鋼の騎士団〉と呼ばれる八番目の騎士団を目にした、それは最初の瞬間だった。
次回
「第74話 拳の砦(仮題)」
4/22 更新を予定しています




