第60話 怒れる光輝の勇者と覆面巡検史の正体
諸々の事情で長い間を空けて申し訳ありません。
本日一回目の更新です。
レイカこと〈光輝の勇者〉は光を操り万軍を指揮すると言われ、〈七大の勇者〉の中でも特殊な位置にあると見なされている。
それは彼女の装備からして、一目瞭然でもあろう。他の〈勇者〉が各々の魔道属性を象徴する一色のみであるのに対し、〈光輝の勇者〉の場合は、光属性を表す白をベースとして、所々に、青、赤、黄、緑、黒、紫、銀と言った、他の七大属性と召喚魔法の象徴色を示す小さな宝石や飾りがついており、これは〈光輝の勇者〉が他の勇者と召喚術師の上位にある為だと解釈されている。
事実、レイカは勇者達の中でも指導的な立場にあり、当初は反抗的に見えた〈火炎の勇者〉も、今ではそんな素振りを見せることもない。
もっとも、〈光輝の勇者〉の立場はともかく、彼女の振るう光属性魔法それ自体は、『めーる』とか『めっせーじ』と呼ばれる、情報伝達における革新的な手法が高く評価されたものの、直接的な武力とは無縁であると見なされてきた。
だが、その評価は大きく修正を強いられることとなった。
王都を騒然とさせた一連の出来事が落ち着き、後処理を参謀達にゆだねた軍務卿は、その執務室に宮廷召喚術師たる私を招き、尋ねてきた。
「宮廷召喚術師殿は、あの三姉妹――特に〈聖祈の勇者〉と仲が良いそうだが、何か聞いていなかったか」
「ミホからは『れーざー』なるモノの話は聞いておりましたが、しかし、あれほどのものとは……」
もっと言えば『可視領域外の光』も操れる云々とのことだったが、そのあたりは理解の範疇を超えていたので口にはしなかった。
ともあれ、私としても、未だに衝撃から立ち直れていない。
伝説の彼方にしか存在しない神鋼を除けば、現在の魔導技術において最高水準の防御素材とされる聖銀鋼で造られた扉が、まるでバターのように切断されていた光景は、この眼で見ても、なお信じられないでいる。
「まぁ、〈火炎の勇者〉あたりなら同様のことが出来るやもしれんが、その場合、アンベルクの王都は灰燼と化しておろうな」
「魔術師長ドロテア殿も同じ意見でした。威力もさることながら、その集約精度は驚くべきものかと」
「まさに。あれで死者が一人もでなかったのだからな」
軍務卿たるジークハルト将軍は、そこで大きな息を吐いた。
「正直な話、〈光輝の勇者〉があれほどの戦闘能力を持っておったとは全くの予想外だったが、それ以上に、常に冷静と見えた彼女が、あのように怒気を発する一面があるとはな」
それを聞いて、私はミホの言葉を思い出す。
「レイカちゃん、子供を虐待する輩には容赦無いのよね」
何でも、コウイチからの伝書鳩で、非合法な奉仕を強いられている幼い少年達のことを伝えられたのが、そもそもの発端だそうだ。
義憤にかられたミホが〈紫の騎士団〉を動かす前に、事情を知ったレイカが、なんと単身で殴り込みをかけたのだ。
全身に青白い燐光をまとわせ、いかなる盾をも寸断する『れーざー』を放つ〈光輝の勇者〉に、いったい誰が立ち向かえようか。
かくして、カブルーンから連れてこられた奴隷の子供達は、〈光輝の勇者〉と〈聖祈の勇者〉の庇護下に置かれ、店の経営者は無論のこと、違法と知りつつ、そこを利用していた顧客に関しては監史が動くことになった。
逆に言えば、監史は、その店を放置していたことになる。
「あの、監史としても内偵は進めていたのですが、後ろ盾に前王の弟君、つまり、陛下の叔父上が加わっていたので、なかなか手が出せない状況でして……」
とは、私と共に招かれ、侍女の役割として紅茶の支度をしている、監史の一人でもあるセリアの言葉だ。
つまり、諸々の事情か何かで、監史ですら手を出せずいたところだったようだ。
そのようなしがらみとは無縁のレイカが、しかも単身で正面突破しなければ、実は何ともできなかったのだろう。
結果として〈光輝の勇者〉は、王族に対して反逆したとも言える。だが、国王陛下におかれては咎める意思は無いようだ。
それどころか、この件を奇貨として、それまで手を出しあぐねていた身内の不正を徹底糾弾する姿勢を見せたのだ。
「陛下も食えぬ御方だからな」
ジークベルト将軍は少し考え込む様子で、そう言った。
「外聞はともかくとして、これで前王の親族は弱体化し、それと引き替えに陛下の権力基盤は強固となる。言ってはなんだが、先年に崩御された前王陛下は、あまりにもお人好しであられた。平時の王としては、それでも良かったやもしれんが、今は〈禍神の使徒〉と、そして魔物の軍勢と言う難題が控えておる。連中におかしな横槍を入れられては、たまったものでは無いからの」
「今の話は聞かなかったことにしておきましょう」
と言ったのは、私とセリア以外にこの場にいた人物――学術院長トビアス卿だ。
神殿の怪しげな動きを知った私が、相談相手に選んだ二人のうちのもう一人が、この学術院長なのだ。
「ともあれ、これで〈白の騎士団〉については、少し編成を考慮せねばなりますまい――あ、いや、素人の身で余計なことを……」
「なんの、学術院長の戦史に関する豊富な知識や、それに基づくご意見には大いに助けられております。今後とも忌憚のないところを述べて頂ければありがたい」
学問の府を統べる人間が軍事に関して口を出すのは越権行為として、トビアス卿が謝罪するのへ、ジークベルト将軍は軽く手を振って応え、念を押すように付け加えた。
「繰り返しますが〈禍神の使徒〉の襲来という前人未踏の危機に対し、我らは一丸となる必要があります。いたずらに権限だの何だのに拘る場合ではありませんぞ」
先日まで〈七大の騎士団〉の編成について、貴族間、国家間の折衝をはじめとする政治的な調整で純軍事的な要因を大幅に後退させざるを得なかった軍務卿は、その時のことを思い出したのか、苦り切った表情を隠そうともしなかった。
事情を知っている学術院長の視線には、いささか同情めいたものが含まれているようだ。
当初の構想では、〈七大の勇者〉を擁するアンベルクが主体となり、つまりは、ジークベルト将軍が采配を一手にするはずだったのだ。
だが、昨日に開催された各国の代表を交えての会合で、諸国の軍勢を糾合して編成される〈七大の騎士団〉の指揮権を、一国の軍務卿が担うのはいかがなものかという意見が、よりによってアンベルク内部――正確にはマインラート宰相とディートハルト神官長から出され、状況は激変した。
当然ながら、各国の代表はこれに同調し、そうでなくとも〈白の騎士団〉や〈紫の騎士団〉について譲歩を余儀なくされ、〈黒の騎士団〉が離反した形となったジークベルト将軍は、これで他の騎士団まで統制権を制限されることとなった。
私も軍事に関しては素人ではあるが、指揮権が統一集約されておらず、協議にて作戦行動を定めるとなれば、いかに大兵力であっても「烏合の衆」とさして変わらないだろうということは想像がつく。
いや、集団として大きい分、余計に始末が悪い。
競争意識が行き過ぎて、横の連携に関する問題が無視し得ない状況にある〈七大の騎士団〉ではあるが、それでも軍務卿が手綱を締めることで何とかなるだろうと思われていたが、これでは軍としてきちんと機能するか、はなはだ疑わしいものである。
「まあ、神官長はともかく、宰相閣下におかれては、軍務卿の掌握する武力が王家の権勢を上回ることを危惧されたのやもしれませんが……」
国務卿を兼任する宰相が内政のバランスを何よりも重視するのは、ある意味ではやむを得ないかもしれない、と学術院長はため息をついた。
国王自らが司令官として出陣する、いわゆる親征のような形をとるならば話は別だったかもしれない。
だが、それでは兵を供出する諸国にとって、アンベルクの隷下にあるかのような図式が露骨となる。諸国にしてみれば許容できるものではないだろう。
今なお調整や説得の為に諸国を行脚しているエグモント外務卿からの書簡には、〈七大の勇者〉を擁するアンベルクといえども、主導するまでが限界であろう旨が記されていたそうだ。
さもなければ〈禍神の使徒〉よりも身近な脅威として、アンベルクは諸国から共通の敵と見なされ、その連合軍はアンベルクに牙をむくであろうとも。
「未確認ではありますが、〈七大の勇者〉召喚に成功したアンベルクに倣い、独自に、その、異世界からの〈勇者〉を召喚しようとする動きが見られる国家もあるとか」
紅茶を配膳しながら、侍女姿の監史であるセリアが口にした情報は、本来なら最優先での対応が必要なものであった。
だが、いやしくも宮廷召喚師である私としては、苦い笑みを浮かべざるを得ない。
「どこの国かは知りませんが、ご苦労さまとしか言えませんね。たとえ、召喚の術式が正しくとも『蝕』が過ぎた今の星辰では『門を開く』のは難しいでしょう」
そう、召喚魔法とはこの世界における構成元素でもある〈七大〉の魔法とは異なり、月や星々の力を借りて行うものだ。
加えて周期というべきものもある。
〈七大の勇者〉を召喚して、さほど年月も経過していない状況で同等以上の存在を新たに召喚できるほど、この世界の理は曖昧ではない。
「何よりも、縁を紡ぐ事ができねば無理です」
正しい術式。月や星々の力。それ以上に必要なものがある。
それは以前に召喚された勇者の遺物だ。
言ってみれば、それは〈勇者〉達の異世界へ繋がる『門』の鍵である。
これ無しではとてつもなく桁違いな――それこそ、〈勇者〉に匹敵する魔力を注がねば、かの異世界へ繋がる『門』は揺らぎもしないだろう。
「ほう、それは初耳ですな」
私が召喚魔法の秘儀であった事項――いまや隠匿しても無意味なそれを開陳すると、今なお学究の徒でもあるトビアス卿が興味津々の視線を向けてきた。
「すると、〈勇者〉の方々が所持していた品々に関する管理は、もっと厳しくしなければなりませんね」
セリアも監史らしい観点で意見を述べる。
降臨した〈勇者〉たちが所持していた品々は、今は宮殿の宝物庫に厳重に保管されているが、それでも不足していると感じたようだ。
「いえ、遺物といっても単なる所持品というわけではありません」
私が今は亡き師匠から受け継いだ「それ」は、いっぷう変わった品だった。
まず日常的な実用品ではないだろうことは見て取れた。
刃物ではあったので武器だったのかもしれないが、そちら方面の知識には疎い私でさえ、あんな武器は使いづらいと思ったものだ。
今回の〈七大の勇者〉召喚時に魔法陣の中で消え失せてしまったそれは、消滅したというより、どこかに弾き飛ばされていったという感触だった。
あるいは、探せば、どこかで見つけることもできるかもしれない。
時間と費用を度外視すれば、だ。
個人的な思いはさておき、いかに貴重な聖遺物といえど目的を達した今では、そこまでの対価を要するものでもない。
それに、なんとなくだが、再び目にすることになるだろうという予感もするので、とりあえずは優先度を下げている次第だ。
仮にあれを見つけた人物がいたとしても、私同様に戸惑うだろう。
私にしてからが、何に使えば良いのか未だにわからないでいるのだ。
あの、柄の両方に刃がある、変わった短剣は。
まあ、過ぎた話はどうでもよい。
「話を戻しますが、〈光輝の勇者〉の処遇はいかがなされるおつもりですか」
王都の治安維持は、現在まで第一騎士団の管轄であり、つまりは、軍務卿の管轄である。
いかな〈光輝の勇者〉といえども、あるいはどのような義や事情があろうとも、法の手続きによらずして行われた今回の出来事を放置するわけにもいかないだろう。
建前ではあるが、そうでなければ、王族の縁者にまで罰を与える、その大義がなりたたなくなる。
「まずは、状況が状況ゆえ、しばらくの謹慎というところだろう」
「そうですな。抒情酌量の余地は十分ですし、当人も反省しているようですから」
軍務卿は規範には厳しい方であり、学術院長もさほど甘い方ではない。だが、この件に関しては歯切れが悪い。
王都の民衆が圧倒的に彼女を支持しているとあっては、それも無理からぬ話だろう。
無論、アンベルク首脳部は箝口令を敷き、宰相閣下などは麾下に加わった〈黒の騎士団〉をも動員して情報の遮断を図ったようだ。
だが、レイカ達の方が一枚上手だった。
彼女はなんと、今回の事件について、その経緯を連ねた『めっせーじうぃんどう』を、犠牲となった子供たちの映像付きで、王都のあちらこちらに出現させたのだ。
加えて、〈聖祈の勇者〉がその内容を読み上げ、その艶のある声を〈疾風の勇者〉が風の魔法でもって王都の隅々まで届けたのだ。
ミホによれば『ますこみ』とか『ぶろーどきゃすと』とか『あなうんす』とか言うものだそうだが、情報戦における〈勇者〉三姉妹の圧倒的優位は、王族の醜聞にもつながる事件を隠蔽しようとした宰相の思惑を完璧に粉砕したのだった。
先に触れた通り、国王陛下は、その思考力の柔軟性を示し、自身の権力強化に繋げる好機と発想を転換できたのだが、老境にあるマインラート宰相はそうもいかなかったようで、この事態に憤怒の表情を隠せないでいる。
とはいえ、その怒りの矛先を〈勇者〉三姉妹に向けるわけにもいかず、最終的には、そもそもの発端となった伝書鳩の送り主に全ての原因があると見なしているようだ。
「つまり、宰相閣下の怒りは、もっぱら八人目の降臨者たるコウイチに向けられているようですよ」
紅茶を口にしながら、セリアはそう言った。
財務卿の不興を買った後は、宰相の怒りを買うとは、よくよくあの若者は世渡りと言うものが不得手らしい。
詳しい事情は不明ながら、ディートハルト神官長も彼を敵視しているので、アンベルク首脳の中で三人までもが、彼と敵対することとなったわけだ。
もっとも、アンベルク首脳陣は彼の敵ばかりではない。
「当初はオリビア絡みではあったがな。フェルナーからの報告でも興味深い人物と思えてならん」
「その〈魔を鎧う者〉ですか。私は、その古文書を目にしたことはありませんが、あのオリヴァー卿が言うのであれば……」
軍務卿はやや中立的に、学術院長は消極的ではあるものの、コウイチを擁護する立場をとっている。
正確には、擁護の対象はコウイチの保護者であるオリヴァー卿ということになるようだが、私としてはそちらの方が目的でもあるので、いっこうにかまわない。
この私のオリヴァー卿への思慕は、ミホあたりに言わせると、恋愛感情や友情というより「熱烈なファン心理」なるものに近いそうだ。
一方でマチアスなどは、私の態度は弟子に当たるコウイチに対して、いささか薄情だと評しているが、そもそも師と弟子というものは親子にも準ずる関係だ。
当初こそ、そのような感情もあったような気もしたが、あの若者が本当に『召喚師』なのかという疑念と共に、やはり、あんなに大きな息子などは御免被りたいという思いに変わってきた。
今回の件でレイカ達が保護した、幼い少年達のような年齢であれば話は別だが……いや、そんなことはどうでもよい。
大事なのは、このお二方のオリヴァー卿に対する具体的な支援内容だ。
「〈紫の騎士団〉と〈黒の騎士団〉に配置転換する筈だった息子どもを、オリビアを手伝わせることにした。ブラーシュ男爵領では、あの手の人材が欠けておろう。フェルナーは参謀としては得がたい男だが、後方支援や権謀の類いは不得手だったからな」
アンベルクにおける武人の長であるジークハルト将軍は、英雄色を好むの言葉通り五人の夫人がおり、八人もの息子がいる。
宮廷貴族の子弟にありがちな、家柄を誇るだけの連中とは一線を画している若者達で、これは軍務卿が父親としても優れた人物であることを示している。もっとも『息子に対しては』という条件に限定されることになるかもしれないが。
「得手不得手でいいますと文官もそうですな。財務卿のように安定した大きな組織でこそ手腕を発揮する者と、組織を作り上げる、言わば創造的な才の持ち主は別ですからねえ。ブラーシュ男爵領のようなところなどは、彼らにはちょうど良いやも知れません。ついで、と言ってはなんですが、二人ほどは毛色の変わった人員も加えておりますが」
どうやらブラーシュ男爵領に派遣された巡検史の一行に、学術院長は支援の為の人材を押し込んだようだ。
この二人の会話を聞いて、いくぶん不服そうに口を尖らせたのはセリアだった。
「〈黒の騎士団〉への配属が無いのでしたら、あの方は監史の方に頂きたかったですね」
そのかすかな呟きは、鋭敏な私で無ければ、聞き取ることすら難しかっただろう。
◇◆◇
その日。
キロヴォフラート城の、〈装魔の勇者〉がやらかして増築された謁見の間にて、ようやく『体調を取り戻した』という本物のブラーシュ男爵夫人に、新たに文官として加わった面々が拝謁する運びとなった。
相談役だか顧問だかの、曖昧な役職のオリヴァーさんが、感情を押し殺した顔つきで彼らを男爵夫人に紹介する。
「ここにおりますパトリック・ジークベルト以下十名が、今後、男爵夫人の官吏として力添えをさせていただきます」
筆頭のパトリックさんが膝をつき恭しく礼を取ると、他の面々もそれに倣った。
そして、パトリックさんが代表して挨拶の弁を口にする。
「我ら不肖の身でありますが、以後よろしくお願い申し上げます」
これが騎士だったら忠誠を誓う場面となるところだが、文官の場合は少し違うようだ。
騎士も文官も男爵以上の爵位継承とは縁の無い、いわゆる傍流貴族を出自とする者が大半なのだが、これが他の貴族に仕える場合の関係性が異なるとは、以前にオリヴァーさんから突発的な講義として教えられた内容だ。
直臣となる騎士の場合。
彼らは騎士爵と言う爵位を得ると共に、元の家門とは完全に縁を切り、新たな主君に仕えることとなる。
しかし、陪臣扱いとなる文官は、そのあたりが曖昧なのだそうだ。
とはいえ、仕える主君やその家門を裏切るような真似をすれば、本人への処罰もそうだが、出自たる貴族の信用はガタ落ちになり、その縁者を採用する者は皆無となる。
これは財力の無い独立貴族にとって、死を宣告されたにも等しい状態だ。
各役所は有力な宮廷貴族が独占しているし、そもそも、そうした職を得られず、かといって自身の領内で養えぬからこそ、他の家門に文官として仕えざるを得ないのだ。
そうした信用を失った貴族の子弟は、どこかのギルドに所属して平民として生きるしかない。
もっとも、職業選択の自由が少なく閉鎖的なアンベルクにあっては、よほどの技量や才能があっても、まっとうに身を立てるのはかなり難しい。
オリヴァーさんですら、諸々の事情があるとはいえ、つまるところはモグリの薬師でやっていかざるを得なかったのだから、他の凡人は推して知るべしである。
そんな事情なので、文官の忠誠心も騎士に劣るものでは無い。俺たちの世界で例えるなら、定年後や退職後も守秘義務を課され、それを遵守する公務員が一番近いのかもしれない。
ブラーシュ男爵領の主たるクラウディア・ド・ブラーシュは、そうした新しい家臣に対し、もう少し踏み込んだ関係――言わば身内として扱うことに決めたようだ。
いつもは下ろしている黒いベールを上げ、素顔を露わにしたのは、その意図を示す為だろう。
「私こそ、軍務卿ジークベルト将軍のお身内を迎えられるとは望外の喜びです。他の方々も、ようこそブラーシュ領へおいで下さいました」
噂にも名高い〈黒薔薇の男爵夫人〉の素顔を見た彼らは、驚きを隠せないようだった。
「これはこれは。かの黒薔薇が、これほどにお若く美しい方だとは」
パトリックさんの口から、つい、そのような言葉が出てきたのも無理は無い。
素顔のブラーシュ男爵夫人は十代後半から二十歳にしか見えない、おっとりとした印象の、しかし希に見るほどの美しい女性だったのだ。まさしく薔薇のような、と言う形容がぴったりだろう。
「パトリック殿、いささか不遜ですぞ」
オリヴァーさんが表情を隠したまま、他人行儀な口調で釘を刺す。
「ふん。兄様も文官ではなく、騎士として仕えれば良かったと思っているだろうな」
その直後に傍らにいた俺にしか聞こえないような小声で、オリヴァーさんが独りごちた。
パトリックさんは一見すると爽やかな好青年なんだが、じつは女性にはだらしない性格なんだとか。
高貴な女性に仕える騎士であれば、その手を取って甲にキスする機会もあり得ただろうが、文官ではそうした接触の機会は皆無だ。
「もっとも、取ったその手を握り潰されるかもしれんがな」
なおも呟くオリヴァーさんの口調に皮肉な響きが混じる。
どういう事情か不明なのだが、ブラーシュ男爵夫人は異常に力が強くなっている為、公の場では側付きの侍女として控えているシャルロッテちゃんとノインのフォローが未だに欠かせないのだそうだ。
(だけど、こうしてみる限り、そのような怪力の持ち主には見えないなあ。ひょっとしたら、脱いだら凄いんです、てなことなのかな?)
いや、義妹の美穗にも匹敵するダイナマイツなプロポーションの持ち主であることは見て取れるので、脱がなくても凄いことには変わらないだろう。
露出の少ない黒を基調としたドレスは体の線を隠すような地味な意匠と見て取れるのだが、不釣り合いなベルトが腰を締め付けているおかげで、ボン、キュ、バンなのが丸わかりだ。
「ノイン曰く、彼女の身体情報がベースだから、とかいう話だったな」
とはオリヴァーさんの言葉だが、これは記憶の欠落している俺にはさっぱり意味不明である。
ともかく、それはドレスの意匠とは趣が全く異なるベルトで、バックルに当たる場所に魔法陣が刻まれている。
稀代の魔導具職人にして、稀代な『漢の娘』たるローラ嬢の手による逸品――時空魔法の魔導具だ。
このベルトが無ければ〈黒薔薇の男爵夫人〉は、本来の肉体年齢である幼女姿に戻ってしまうのだそうだが、どういう経緯でそうなっているのかは、これまた、俺にはよくわからない。
意味不明だったり、わからなかったりが多いので、ここで、いくつかの事実を整理したい。
いや、立て続けにいろいろあり過ぎて、俺も未だに混乱しているのだ。
話は巡検史による精査の日まで遡る。
◇◆◇
身体情報の類似性については、もっと早く気づくべきだったかもしれないが、検史として訪れた人員の中に、オリヴァーさんの身内が二人もいたのには驚いた。
もっとも、以前に叱られた時に、オリヴァーさんのデータは言わば封印状態にあった為、突き合わせるのが遅れたという事情もあるわけだが。
さて、その身内の一人は言うまでも無く、オリヴァーさんの兄であるパトリックさんだ。
オリヴァーさんと似た顔立ちで、つまりは美青年と言ってもいいだろう。
元々は美穗を旗頭とする〈紫の騎士団〉に配属される予定だったらしいのだが、神殿とのあれこれで、そうもいかなくなったんだそうだ。
「実際のところ〈紫の騎士団〉は気が進まなかったんだ。なんでも、〈聖祈の勇者〉におかれては、ぼくを親衛隊に配置するつもりだったという話でね。いや、あんな魅力的な〈勇者〉の親衛隊なら、と思わなくもなかったけど、なんだか凄く違和感があってさ」
などと、本人は言っていたが、オリヴァーさんの兄だけあって、さすがに鋭いところがある。
かの親衛隊は美青年、美少年揃いだが、腐女子である美穗にとっては掛け算の対象でしかないようなのだ。
そんな感じなので、美穗がまっとうな恋愛関係を育めるか心配……いや、まだ未成年だし、お兄さんは許しませんよ、うん。
ともあれ、〈紫の騎士団〉に行く予定だったパトリックさんが、ブラーシュ男爵家に仕官先を変えるに当たり、騎士では無く文官となったのは、実家との繋がりを断つわけにはいかなかったからだろう。
久方ぶりに兄さんと再会した後、一言も発せず仏頂面のままだったオリヴァーさんの、その美しい眉が不愉快そうに寄せられたのは、そのパトリックさんの次の言葉を聞いた時だった。
「正直、文官でというのも、これまた気が進まなかったんだが、父上のいう通りにして正解だったな」
そんなオリヴァーさんに気付かす、パトリックさんは嬉々として言葉を連ねた。
「ブラーシュ騎士団の勇名は聞いていたし、女だてらの騎士と言うから、肌が荒れたり、傷だらけのがさつな女性ばかりだと思っていたけど、揃いも揃って、宮廷貴族のご令嬢がたより綺麗な肌艶をしているね。これなら王女殿下付きの親衛騎士団――白百合騎士団にも引けを取らないよ。これは嬉しい誤算だったね」
そんなことを口にするあたりは、オリヴァーさんが指摘する通りの性格だと裏付けるものがある。
ちなみに、ブラーシュ騎士団の女騎士達だが、以前はパトリックさんが想像していた通りな感じだったそうだ。
どうも〈装魔の勇者〉が何かやらかしたらしいのと、ここ最近では、騎士団への賄いで出される食材の影響で、かなり見目麗しい女性の集団になっている。
というのも、実はある事情で彼女達の魔力を底上げしなければならず、その効能を備えた材料はクロルの実しか無い。
十日に一度の割合で、スープの大鍋に微細な粉末を、それも二、三粒、入れている程度なんだが、それを食した騎士団員達の磨きのかかり方は半端ではない。
クロルの実が希少な霊薬と謳われるのも、もっともな話だ。
そのあたりの事情はさておき、もう一人のオリヴァーさんの身内だが。
ヨハンというその少年は、年齢的に俺と変わらないそうなので、つまり、オリヴァーさんの弟ということになる。
こちらはオリヴァーさんとはあまり似ている感じでは無かった。
容貌もそうだが、性格もオリヴァーさんや、そしてパトリックさんとも異質と言っていいだろう。
俺の周りには、同年代の同性がゴットリープくらいしかいなかったので、あるいは友人になれるかと思ったのだが、鈴音やイザークに匹敵する――いや、鈴音もイザークも、じつのところは表情が乏しく無口なだけで、それなりに感情は豊かだと思うのだが、このヨハンときたら、そこそこしゃべる割に、感情が一切見えないやつなのだ。
オリヴァーさんは羞恥心が理解できないということで、その方面にはかなり無頓着で平然としているところがあるが、ヨハンの場合、これが全方位に渡っていると言えばいいだろうか。
ともかく、無愛想にして無感情で、取り付く島もないという表現の、生きた見本とでもいうべきやつだ。
そして、後で知ったが、極めて危険なやつでもあった。
闇系統魔法である隠形の使い手で、ローグやザガードの感覚すらヨハンを捉えるのは難しいレベルにある。気配が皆無に近いせいで、ガノンですら察知できないのだ。
「私も言えた義理じゃないが、暗殺者の家系にでも生まれるべきだったかな」
とは、これも後で耳にしたオリヴァーさんの評である。
実の弟に対し、あるいは、ひどい言いようかもしれないが、その本人を目の当たりにすると同感せざるを得ない。
これも、元々は〈黒の騎士団〉に配属するところだったのを、〈黒の騎士団〉が軍を離反した関係で、こちらに回ってきたのだそうだ。
「軍務卿たる父上の命だ。俺にとってはどうでもいい」
とは本人の談である。
つまり、軍務卿であるジークベルト将軍には絶対服従ということのようだ。逆に言えば、それだけにしか興味や、ひょっとしたら、自分の存在意義が無いと断言しているようなもので、ある意味では気の毒なやつなのかもしれない。
さて、ヨハンやパトリックさんの父上がジークベルト将軍ということは、つまり、オリヴァーさんも……。
「すまないが、その事は記憶から削除してくれないかね。もっと大事な〈装魔の勇者〉としての記憶を忘れるくらいだから、君にはたやすいだろう」
俺の思考を読み取ったかのように、オリヴァーさんが滅多に無いほどに刺々しく言ったので、俺はそこから先の思考を停止した。
そして、オリヴァーさんは不機嫌極まり無い表情をパトリックさん達に向けた。
「あなた方もだ。軍務卿の身内を称するのはかまわないが、私を巻き込まないでもらいたい」
「いや、父上はだな……」
「くどいですぞ、パトリック卿! 私の家族は、娘のシャルロッテと、このコウイチだけだ」
吐き捨てるように言うなり、オリヴァーさんは憤然とその場を去ってしまった。
取り残されるような形となった俺は、パトリックさんとヨハンの、各々の性格に準じた視線を向けられて非常に居心地が悪かった。
「君が八人目の降臨者か。色々と聞いてはいるが……家族ってことは、その、オリビアの……」
「いや、その、家族といっても、居候というか、保護者と被保護者の関係でして」
パトリックさんが勘違いしそうだったので、慌てて状況を説明しようとした、その矢先に、別の人物が声を上げた。
「男嫌いのオリヴァーに、ずいぶんと気に入られているようじゃないか」
そう言いながら巡検史の覆面を外したのは、当然と言えば当然だが、初めて見る顔だった。
だが、その場に居合わせたトゥーラさんやフェルナー氏は驚いたような表情を浮かべていた。
「フィンレイ?」
「Sクラスが、何故ここに?」
諸国の冒険者を合わせても、数名しかいないとされるSクラスの冒険者。
そのSクラスであり、噂で耳にする程度だったフィンレイが、どういうわけか巡検史の中にいたのだった。
感想欄にて誤字のご指摘を頂きましたので、
〈禍神の使途〉→〈禍神の使徒〉
と訂正しました。
ご指摘ありがとうございました。
【追記】
感想欄にて、キャラ名ミスのご指摘を頂きましたので訂正しました。
ナイン → ノイン
ご指摘ありがとうございました。




