第59話 いにしえの条項
書き溜めた分を推敲する時間がありましたので、少し悩みましたが、そのまま更新します。
主人公 → 薬師 → 主人公 の視点です。
繰り返すようだが、俺は酒の味など分からない。
ただ、久門の父さんと、そして母さんが意外に酒好きだったので、知識だけはそこそこある。
それによれば、ブランデーは大雑把に熟成期間によって等級が区分けされているらしい。
晩餐会で出したものは五年程度熟成させた二つ星級、つまり、四年熟成の一つ星級よりは上だが、全体では下から二番目のグレードだ。
いわゆるナポレオンと呼ばれるグレードは、メーカーごとに異なるが、最低でも七年から三十年は熟成させたブランデーの総称となる。
その上にあるXOクラスなどは五十年以上を熟成に要するものもあるわけで、ここまでくると蒸留した本人が飲む機会など無いだろう。
むろん、そんな聞きかじりの知識を披露するような愚かな真似はしない。
絶対にオリヴァーさんやマルタ達が黙っている筈が無いのだから。
つか、俺としては、二つ星級ですらオリヴァーさん達には秘匿すべきだったと反省しているところだ。
ホワイトブランデーよりも口当たりが良いせいか、酒量は確実に三倍も増えており、晩餐会の翌日など揃いも揃って二日酔いに呻吟していたのだから。
もっとも、巡検史側も事情は同様で、お互いの申し合わせで各種精査は翌々日の今日となった次第なのだ。
今頃は別の広間で巡検史達が行っている帳簿や資料の精査に、男爵夫人に扮装したオリヴァーさんが武官筆頭の女騎士団長トゥーラさん、文官筆頭代理のヴェルナー氏と共に立ち会っている筈である。
何にしても、これ以上に彼女達の肝臓に負担をかけるようなものを提供するわけにはいかない。
「とはいうものの……だな」
一人で居残ったオリヴァーさんの執務室で、書類の片付けをする手をしばし止め、俺はいっしょに手伝っている大鬼もどきを見やった。
ヴァルガンを筆頭に〈使い魔〉達が望むというのであれば、話は別だ。
こいつらには色々と世話になってるわけだし、魔力が対価になっているとはいうものの、それ以外に報償があっても良いのではなかろうか。
そんなわけで、俺はエクストラクラスと言われる七〇年もののブランデーを製造すること自体は――オリヴァーさん達には内緒であれば――構わないと思っている。
もっとも、これは『時の魔法具』があっても簡単な話では無い。
樽に詰めたブランデーは「天使の取り分」とか「天使の分け前」と呼ばれる、熟成中に水分とアルコール分が蒸発する不可避と言ってよい現象で目減りしてしまう。
おおよそ、数年ごとに減少した樽の中身を別の樽に移し替えるなどの手間がかかるし、蒸留する段階で目減りすることを考慮した量を造らなければならない。
単純計算で言うと、二〇年の熟成で百個の樽を得るには最初に千樽を用意する必要があるそうだから、七〇年分の熟成ともなれば、万単位からの樽が必要となるわけだ。
そんな量を置く場所を確保するだけでもひと苦労である。
樽熟成もやり過ぎると、樽からしみ出し過ぎた諸々の成分でドロドロになるので、止めるタイミングを計らなければならない。
「ま、無理、というわけじゃないか」
俺が語りかけると、ヴァルガンも「がう」とうなずいている。
まず仕込みの量だが、例の蒸留施設が醸造する設備込みで、そろそろ稼働する頃だし、原料であるダンクマール産の葡萄も、大量に売れ残っているのを二束三文で購入済みだ。
従って、一万樽くらいは問題無いだろう。
むろん、内緒で造るとすれば、それだけの樽を密かに貯蔵する場所が必要になるわけだが、これは亜空間〈ビブリオ〉をあてれば問題無い筈だ。
なにしろ、迷宮であった頃より規模は縮小しているものの、一万の樽を置いても、一パーセントにも満たないほど広大なスペースがあるのだ。
最後に残る樽の移し替えだが、これも〈ビブリオ〉で解決できる案件だ。
この俺の自由意志で物品の出し入れが可能な亜空間は、転移する対象や位置座標も任意に設定できる。
まず空の樽を〈ビブリオ〉に転移させ、その中に移し替える中身だけを転移させるなどすれば、それで作業は完了だ。
「うん。アイテムボックス代わり、とか思っていたけど、結構、幅広い応用ができそうだな」
むろん、アイテムボックスとしての用途も広がっている。
例の『時の魔法具』と名付けた試作品だが、ブランデーや品種改良した果物の為に時間を早める使い方をした場合、一方ではどこかの時間経過を遅滞させてバランスを取らなければならない。
魔道理論とかの原理には詳しくないが、そういうものなのだそうだ。
そこで、俺は時間遅延の対象を〈ビブリオ〉のある区域に設定している。
おかげで収穫したフルーツに、その他〈クロルの実〉や貴種の肉を含む諸々は、新鮮な状態のままに保存しておけるので、まさに一石二鳥である。
ちなみに、〈ビブリオ〉を共有するに当たって、プライバシーの尊重からノインと俺は各々に専用領域を設定している。
ノインの専用領域に俺はアクセスできないし、逆もまたしかりだ。
つまり、いかな元祖魔改造幼女といえど、メロンやイチゴのつまみ食いはできないのだ。
先ほどもオリヴァーさんの留守を狙って、幼女コンビが訪れたのだが、ノインの「全て寄越すのじゃ」との要望を一蹴したところ、こんな提案をしてきた。
「ほれ、妾の専用領域を解放するから、貴様も解放しろ。な?」
そう言って、さっさと専用領域のアクセス権に俺の個体情報を登録したようである。
何とも食い意地の張った話だが、晩餐会で使用した各種食材は、交渉上の最重要戦略物資と位置づけたオリヴァーさんから、特に幼女コンビに渡さぬよう厳命を受けている。
一方的に〈ビブリオ〉のアクセス権を追加で渡されたところで、首を縦に振るわけにもいかず、ノインは「ぐぬぬぬ」と口惜しがっていた。
そこへいくと、シャルロッテちゃんはしたたかなものだ。
ぎゅっと抱きついてきて、俺のお腹に頬ずりしながら「ねぇ、お願い」と上目使いに甘えてくるので、俺としても、ぐらり、とくる。
オリヴァーさんからきつく念を押されていなければ、あっさりと屈服していただろう。
恐ろしい子である。
しかし、よくよく思い起こせば、こんな振る舞いをするような子供でも無かったはずだ。
誰かの真似をしているにしても、オリヴァーさんはこうした『女の武器』を使わないし、マルタやカーヤも、どちらかというとストレートなキャラなので、この手の駆け引きは苦手の筈だ。
いったい、誰からこんな手練手管を教わったのか聞いてみたら、意外な回答がかえってきた。
「ローラちゃん」
「ロ、ローラ……ちゃん!?」
よりにもよって、あの『漢の娘』をちゃんづけで呼ぶとは、なかなかの大物である。
どうも、男爵夫人用の魔法具を設計する時に面識を持ち、意気投合したようだ。
ともあれ、上から目線で「あるだけ全部」を要求するノインと違って、シャルロッテちゃんは「余ってる分でいいから」などと節制をもったおねだりをしてくるので、多少は融通を利かようという気にもなる。
そんなわけで、味には問題無いが色や形が不出来なイチゴやメロンなどを、内緒ということで渡してしまった。
幼女コンビは大喜びで持って帰ったわけだが、男爵夫人とも分け合うのだから、オリヴァーさんにバレたとしても、そんなに怒られないだろう。
まぁ、そもそもバレるようなヘマはしないし。
俺はなにくわぬ顔を浮かべ、書類の片付けを続けたのだった。
◇◆◇
巡検史の精査への立ち会いからコウイチを外したのは、私としては当然の判断だ。
何しろ、あの若者ときたら、よくよく隠し事が出来ない性格らしく、心の動きが直ぐに顔に出てしまう。
もっとも、私も見て見ぬ振りをしているので、一向に本人には自覚が無いようだ。
確かに正直であることは一種の美徳だとも思うのだが、さすがにこうした精査の場で巡検史を相手にする局面においては、弱点以外の何ものでも無い。
大半が文官の卵と言えども、学術院では討論の技術を通して徴税官に必要な諸々をきっちりと叩き込まれている。
そこで教鞭をとっていた私でも、油断ならないと認めた猛者は少なくない。
これは書類と数字を武器とした、文官にとっての戦場でもある。
特に今回の巡検史が派遣されたのも、見違えるようになったキロヴォフラート城下の噂を耳にした財務卿からの強い要請だと、これはヴェルナー卿からの情報だ。
かの〈禍神の使徒〉との戦いに向けて、当初の想定よりも戦費が膨大となることが見込まれており、それを補填する為に、取れるところから取り立てたいと言う気持ちは分からないでも無い。
おそらくは、ギュンター自身も、かなりの追徴税を徴収する意気込みで乗り込んできたのだろう。
だが、ブラーシュ領の財政は、これから立て直すところなのだ。
あのホワイトブランデーだけでも産業としては充分と考えていたが、熟成したブランデーや、新たに生み出された奇跡のような果実類を産出することで、ブラーシュ男爵領は経済的に飛躍的な発展を遂げるだろう。
かの〈光輝の勇者〉は、光属性魔法の新たな使用方法を示し、情報伝達において革新をもたらしたと言われている。
だが、〈装魔の勇者〉は、それを凌駕する可能性を秘めていると言えよう。
資質の限定された、光属性魔法ありきという『めーる』や『めっせーじ』に比べ、ブランデー造りは施設とノウハウがあれば余人でも可能だし、果実類は種と耕作地さえあれば済む。
晩餐会で供したそれらは魔法具によって時間を早めたわけだが、つまりは時間さえ与えられれば、そのような魔法具は不要なのだ。
そう、問題は時間なのだ。
今のブラーシュ領は、金の卵を産む鵞鳥の、その雛のようなものだ。
ゆくゆくは毎日のように金の卵を産み、その富はアンベルク全体を潤すであろう。
だが、そこまでもっていくには、どうしても時間がかかる。
当然、相応の投資だって必要だ。
現段階で莫大な追徴税を払ってしまえば、それらの可能性を潰してしまうことにもなるのだ。
「晩餐会にて、あれらを振る舞いましたのも、それをご理解頂きたかったからです。何とぞ、ご考慮いただけませんでしょうか」
充分に理を尽くした筈だが、そんな私の言葉を、ギュンターは鼻をくくったような態度で一蹴した。
「話にならんの。金の卵云々などと、おかしな話を持ち出しおって。鵞鳥が、そのようなモノを産んだ事例など聞いた事もないわ」
どうやら、王家にも連なる巡検史長殿は、寓話の類いには疎くあられるようだ。
一般的な教養レベルの言い回しが通じないとは、なかなか厄介な御仁だ。
そう言えば、コウイチが以前にこんなことを言っていた。
「うちの母さんが商談か何かで『微力を尽くします』と言ったら、『微力しか尽くさんのか』と本気で怒り出した大企業の管理職がいたそうで。地位と教養は別物だと、母さんも嘆いていましたね」
その『微力を尽くす』とは、自分の力量はわずかであるが、全力を注ぐと言う意味らしい。
アンベルクには無い言い回しではあるものの、話の流れや文脈で察することはできるのではないかと思わないでも無い。
ともあれ、もう少し直裁的な比喩に切り替え、あらためて訴えることにした。
「巡検史長。我がブラーシュ領は、言うなれば芽を出したばかりの小麦のようなものです。季節が来れば、多くの実りある穂をつけるでしょう。ですから……」
「ふん。芽しか無いというのであれば、その芽を摘んでいくしかないではないか」
ギュンターはきっぱりと言ってのけた。
「ブラーシュ領は法に定められた納税を、この十数年は果たしておらぬ。そのゆえをもって、我ら巡検史が派遣されたのじゃ。相応の覚悟をもっていただこうか」
「ですが、納税については法の弾力的な運用が認められるのが不文律でしょうに」
「男爵夫人。勘違いしておるようじゃから言っておくぞ。法の解釈は陛下の承認を経て、法典局が行うもの。我ら巡検史は法に則り執行するのみじゃ」
ギュンターが口にしているのは、確かに正論には違い無い。
何人かの巡検史も同調するように、うなずいている。
だが、何のために定められた法かと言う点が、すっぽりと抜け落ちていると見える。
税収の額よりも、法に定められた徴税の有無に重きを置くところなど、アンベルク宮廷の文官は形式至上主義に毒されているようだ。
私はこの時点で、アンベルク宮廷と歩調を合わせるのは無理だと結論づけた。
(可能であれば、一致協力して〈禍神の使徒〉に対したかったが……これは独自に動いた方がよさそうだな)
空前の大軍勢となる〈七大の騎士団〉ではあるが、この分だと、その大兵力も活かせるかどうか怪しいものだ。
(ふむ。〈七大の騎士団〉とは独立した、八番目の騎士団か。コウイチの能力を発揮するにも、その方が良いだろう)
そうなると、〈灰の騎士団〉と言う、今ひとつ締まらない名称になるだろうか。
ある意味、コウイチには相応しいような気もするが、とりあえず、名称やその他は後回しだ。
巡検史長殿が法に基づくと主張されるのであれば、私としても、そのように対応させてもらうまでだ。
私が合図すると、ヴェルナー卿がいくつかの資料と一つの文書を巡検史長ギュンターに差し出した。
「ん? なんじゃ、これ……は……!?」
ギュンターの顔色が変わった。
「む、むむむ。そうなると、あと五年は免税となる? そんな莫迦な」
そのギュンターが唸りながら幾度も見返しているのは、先代が神殿に寄進した財の、その評価金額を示した帳簿と、そして、もうひとつ。
二百年前に宮廷と神殿が交わした密約に基づき、発布された条項の文書だ。
学術院の書庫に同じものがあるが、この城の地下室にも、当時の国王が印を押し、各貴族家に通達された正式文書が残っていたのである。
「こ、こんな条項が残っておったのか」
それは一言でいうと、神殿に財を寄進した場合、その評価額に応じた期間において税を免除する旨を示した文書である。
こちらの試算では、五年と少しくらいだから、尊大で横柄なギュンターも、実務能力はそこそこあるようだ。
決して少なくない分量の、帳簿や数字を即時に理解したところからも、それが窺える。
今でこそ、国家体制側の一部とも言える神殿だが、治癒職ギルドと呼ばれた黎明期から現在に至るまでには、その独立性を保つために宮廷側との色々な暗闘や駆け引きがあったのだ。
私が巡検史に提示したのは、その時代に発布された条項の一つだ。
今もアンベルクの中心にある巨大な礼拝堂を始めとする各種施設は、その当時に建造されたものだが、費用については全て寄進で賄われている。
即ち、国家からの支援は皆無だったという点が神殿の独立性を担保している形になっているが、事実は少し異なる。
確かに当時のアンベルク宮廷は、国庫の中身を費やすことこそしなかったが、そうした神殿への寄進に対して免税措置をとったのだ。
最終的に納めた額で言えば、国庫へ納税するのとさしたる差違はなかったので、国庫を経由しなかっただけということになる。
だが、当時は免税という言葉に錯覚して、かなりの貴族達や大商人達がこぞって神殿に寄進を申し出たようだ。
「ああ、わかります。俺達の世界でも『二十人に一人は無料』なんていうセールス文句がヒットしたケースがありますもんね。実際には五パーセント引きなんで、一割引よりお得でもないんですけど、錯覚って怖いですよね」
などと、それを聞いたコウイチは、聞き慣れない単語や単位混じりに評していた。
まあ、百分率なる概念は興味深かったし、割合を示すには、なかなかに有効だと思ったので、トビアス学術院長に、学術院でも採用する勧告を伝書鳩で知らせたわけだが。
そんなことを考えていると、しきりに唸っていたギュンターが、不意に笑い出した。
「くははは。ブラーシュ男爵家は武人と聞くが、策もなかなかのものじゃて。いやいや、危うくしてやられるところじゃった」
巡検史長は勝ち誇ったような表情で、免税条項が記述された文書の、その部分を指し示した。
視野が狭く、考え方が偏ってはいても、そこに気づくとは、ギュンターが有能な官吏であるのは間違い無いようだ。
あるいは、傲慢で不遜な態度は、一種の目眩ましなのかもしれない。
「この条項については、期間を限定する旨があるではないか。ふむ、発布が二百年前となれば、とっくに無効となっておろう」
「巡検史長殿の言われるとおり、確かに期間を限定する旨、記載がありますねぇ」
未だに笑顔のままでいるギュンターに合わせるかのように、柔やかな笑みを浮かべたヴェルナー卿がうなずいた。
そして、ひとつの質問を投げかける。
「それで、具体的にはいつまでと、その期間を定めているのでしょう?」
途端にギュンターの笑顔が凍り付いた。
慌てて文書を見返している巡検史長の様子を見て、ヴェルナー卿は私に向かって軽く肩を竦めて見せた。
必死で文書をめくるギュンターには気の毒な話だが、その期間限定とする免税条項には、肝心な期間について記された文書は無い。
念の為、晩餐会の当日に、ヴェルナー卿が王都まで早馬で赴き、法典局の記録を調べたのだ。
それによれば、この条項については、期間を限定する旨だけが発表されているだけで、いつまでを期間とするか、具体的な日にちはどこにも明記されていないのだ。
ついでに言えば、この条項を無効とする宣旨も皆無である。
従って、明文上で解釈するならば、この条項は今なお有効ということになる。
勇者召喚に関する古文書調査の中で、たまたま見つけたこの条項について、私としては混乱の元となると思い、特に報告もせずに見て見ぬ振りをしたのだが、こうまで事情が変わっては最大限に活用するより他はない。
「そうしますと、先代男爵が神殿へ寄進した財の額から言えば……そう、巡検史長殿の言われる通り、あと五年ほどは、我がブラーシュ領には免税措置が認められますか」
内心は呆れかえってるだろうが、そんな素振りは皆無のヴェルナー卿がそう言うと、ギュンターが目を剥いて喚き散らした。
「な、何を言うか。こんな二百年前の条項など、とっくに無効に決まっておろうが!!」
「巡検史長殿。ご自身で言われた通り、貴方にそのような権限はありませんよ。巡検史は法に照らし合わせて判断し、執行する権利はありますがね。たしかに、法そのものを云々するのは、法典局が陛下の承認を得て行うものですな」
「よ、余は、陛下の名代なるぞ」
「名代なればこそ、越権行為にはご注意あられたい」
「ぐぬぬ」
普段の柔やかな表情のままで、辛辣に追い詰めていくのだから、このヴェルナー卿も侮りがたい男だ。
だが、そろそろ頃合いだろう。
「書記官代行。そのあたりで」
「ですが……」
「巡検史長殿もお役目なのです。このまま手ぶらで帰るわけにもいかないでしょう」
「はぁ」
ヴェルナー卿が引き下がったところで、無表情のままでいるトゥーラから、一つの目録を受け取った私は、それをギュンターに差し出した。
「こ、これは!?」
「免税の権利は、それとして。アンベルクが国を挙げて〈禍神の使徒〉を迎え撃つにあたり、我がブラーシュ男爵家も何も出さぬというわけにもいきますまい」
「むむ、金尾狐、黒曜貂の毛皮に、マギ樹か」
「腕の良い冒険者――フィンレイが、たまさかに訪れて、これらを置いてくれました」
「おお、あの者か。な、なるほど。それで……」
「おかげで、この城下も見違えるように整備できたのですが、いささか余ってしまいまして」
「つ、つまり、これを宮廷へ寄付されると」
「ええ」
Sクラス冒険者として、その名を宮廷にも知られるフィンレイは、また、気まぐれな性格でも有名だ。
ぶらりと、ブラーシュ領に現れても、さほど不自然な話ではない。
金銭にも執着しないところも知られており、希少で高価な素材を平然と振る舞うので、伝承にいう幸運を運ぶ妖精にも例えられることがある。
要するに、私としては貧乏と目されていたブラーシュ男爵領が、分不相応とも見える財を得た状況を、気まぐれなSクラス冒険者フィンレイによるものと納得してもらうのが狙いだったのだ。
同時に免税措置の条項を押したてて、それ以上の関与を防ぐ狙いもある。
その条項にしても、無効とする根拠を明確に示せぬのと同程度に、百年以上に渡って適用事例が無い以上、じつは有効性にも疑問符がつく。
ただし、巡検史が寄付と引き替えに、それを受け入れるのならば話は別だ。
条項の有効性を裏付ける、立派な判例のできあがりである。
陛下の名代が認めた明確な適用事例であって、法典局も認めざるを得ないだろう。
手ぶらで帰るよりはマシと、ギュンターがこちらの条件を受け入れ、文書に署名した時には、顔を覆った黒ベールに二度目の感謝を捧げた。
さもなければ、してやったりとした表情を隠せなかったであろうから。
まぁ、このあたりは、私もコウイチのことは言えないだろうか。
ともあれ、この条項を無効とする宣旨が下されても、ブラーシュ領に限って言えば、あと五年は免税されるということだ。
神殿に多くを奪われることとなった先代の男爵も、これで少しは浮かばれるのかもしれない。
◇◆◇
執務室に戻ってきたオリヴァーさんは、男爵夫人の扮装から着替えながら、実に晴れ晴れとした表情を見せていた。
「やれやれ、巡検史長殿がやっとお帰りになったぞ。これで、肩の荷が半分は下りたな」
いや、それは喜ばしいのだが、俺の目の前で着替えないで欲しいものだ。
何度言っても、これが直らないので、俺としては匙を投げている昨今である。
「うん、お気に入りを身につけたい気分だ。ええと、コウイチ、あれはどこにしまったかな」
だから、そんな格好で床に置いた荷物を探すんじゃありません。
高々と掲げられた、艶やかで肌色な桃に視線を向けないようにしつつ、俺はヴァルガンに世話を命じた。
ちなみに、帰ったのは巡検史長だけで、マギ樹の運搬の手配などを理由に、他の巡検史はまだ残っているそうだ。
そんなオリヴァーさんの身支度が整ったところで、扉をノックする音がした。
入室してきたヴェルナー氏は、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「残った巡検史の中から、少し話をさせて欲しいと言ってきた者がおります」
「ほう、あっちから接触してきたか。まぁ、ヴェルナー卿で対応して頂いて構わないぞ」
「それが……『男爵夫人に扮していた人物』をご指名でしてね」
「おや? 見抜かれていたか。さすがは巡検史に選ばれただけはあるな」
「適当に誤魔化しましたが、厄介なことになりませんか」
「表沙汰にするなら、巡検史長もいた精査の場で指摘しただろうからね。このタイミングということは、問題にするつもりは無いと言う意思表示さ」
そう言ったオリヴァーさんは、今度は俺も連れて、その話し合いの場に赴くことを決めたのだった。
謁見とか精査とかに使った広間よりは小さな、会議室のような部屋で待っていると、残っている十名のうち六名の巡検史が覆面をした姿を現した。
「ああ、やはり、そうか」
その中の一人が、オリヴァーさんを認めると一歩進み出た。
〈使い魔〉の生体分析によれば、二十代半ばの男という結論が出た人物だったが、確かに、その発せられた声も若々しい。
もっと言えば、何か気になるものがあった人物でもあったわけだが、それが何であったか、俺はようやく気づいたのだった。
(この人、生体的特徴がオリヴァーさんと似ているんだ)
俺がそう思った瞬間、その人物は覆面を取り外し、素顔を露わにしたのだった。
「こんなところにいたのか」
「パトリック兄様か!?」
オリヴァーさんが目を丸くしている表情など滅多に見られない。
そんなオリヴァーさんの前に、彼女と似た面影の若い男が、苦笑交じりに立っていたのだった。
次回更新は未定のままです。
ご了承下さい。
12/25追記
11月上旬で終わる予定の諸々が延長戦に入り、そうこうしているうちに年末進行になって、執筆時間がなかなかとれません。orz
そんなわけで、次回「第60話 鋼龍の騎士(仮題)」は年明け更新とさせて頂きます。
読んで頂いている方々には申し訳ありませんが、今少し、お時間を頂きますようお願い申し上げます。




