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第58話 時の魔法具と晩餐会

今回は、かなり長くなってしまいました。

(分割しようと思ったのですが、キリの良いところがみつかりませんで)


主人公 → 薬師 → 主人公の視点です。

 アンベルクにおける監史ヴァーシェが、俺達の世界でいう公安とか秘密警察だとすると、巡検史イグザーは警邏を兼任する税務調査官の集団といったところだろうか。

 必然的に貴族から反感をもたれる任務の特性からか、リーダーは王家の縁者が務め、それ以外のメンバーは覆面で素顔を隠しているのだが、傍から見ると怪しげな団体サンである。

 その日、ブラーシュ男爵領を訪れた巡検史長は、国王とは従弟に当たる人物の、母方の血縁者なのだそうだ。

 国王アドモンドは、顔を引き締めれば凄みのある威厳が有り、笑えばそんなものとは無縁の、人の良いおっさんと言う、なかなかに奥深い人物だったが、ギュンターと言う巡検史長は、その小柄で痩せぎすの体格を誤魔化そうとするかのように、尊大と傲慢を絵に描いたような男だった。


「わざわざ、このような地まで足をお運び頂き、まことにありがとうございます」


 男爵夫人との会見は、その私室では無く、立て直した時に増築された広間の一つで行われた。

 露出の無い黒い服に、黒いベールで顔を覆った男爵夫人が丁寧に一礼したにも関わらず、ギュンターは横柄にも反っくり返ったような態度で応じた。


「ふん、余が自らここを訪れたのは馴れ合う為では無いぞよ。王家に連なる者としての義務を果たすためじゃ」


 どういう家柄かは知らないが、言ってみれば木っ端役人に過ぎない立場で、その一人称は何だかなぁ、とも思ったが、俺はとりあえず黙っていた。

 家臣の一員として居合わせた俺だが、領主への無礼に怒るのは別の人の役目だからだ。


「巡検史長殿。いかな陛下の名代とは言え、我らが主に対し非礼であろう!」

「トゥーラ、控えなさい」


 たまりかねた女騎士団長が激発しようとするのを、男爵夫人が身振りで押さえた。

 そんなトゥーラさんに、ギュンターは冷ややかな視線を向けた。


「ほほう、噂に聞くブラーシュ騎士団の、そなたが騎士団長か。女だてらにご苦労なことじゃの」


 かなりの美女と言えるトゥーラさんだが、巡検史長は一向に心動かした様子も無い。

 それも道理で、事前にマルタから仕入れた情報によると、ガイナス導師の『目覚めたおとこ達』の競合店にあたる、もっと退廃的な店舗の常連なのだそうだ。

 つか、巡検史を迎えるに当たって色々と準備した中で、巡検史長たるギュンターの為人も確認していたはずなのだが、男爵夫人への非礼を目の当たりにしたトゥーラさんは、自分を抑えきれなかったようだ。

 ともかく、俺の役目はギュンター以外の巡検史達を調査することだ。

 公に巡検史長とされる人物は、実は単なる飾りでしか無い。

 実際に巡検史を仕切っている人物は他におり、宮廷への報告も、その人物がキーマンとなる筈なのだ。

 取引を持ちかけるとすれば、その人物に接触する必要がある。

 そんなわけで、装備に潜ませたザガードと首筋に張り付いているガノンのコンビによる、日頃は封印している生体分析を、巡検史達を対象に開始した。


(ええと、ギュンターのおっさんを除く、総勢十名の中で……へぇ、結構年若いメンバー構成だな。ほとんどが十代後半じゃないか)


 オリヴァーさん曰く、巡検史の仕事は、学術院を卒業したばかりの年若い文官にとって、格好な実務経験の場でもあるとのことだったが、本当にそのようだ。

 俺と年齢も変わらないような、若い連中が七名もいる。

 意外なのは、そのうちの二名が女性だったことだ。

 オリヴァーさんは、学術院の上級に進むために男装せざるを得なかったという経験の持ち主である。

 つまりはそんな男尊女卑がアンベルクの慣習だったわけで、年若い女性がメンバーにいるのはおかしな話なのだ。

 しかし、そのあたりについては、とりあえず後回しだ。

 年齢的に彼ら、彼女らが巡検史達を仕切っているとは思えず、俺は残り三名に調査範囲を絞ることにした。


(三十代後半が二人で、二十代半ばが一人か)


 たぶん、三十代後半のどちらかが本命なのだろう。

 俺はそう結論を下しながらも、二十代半ばの男に関して、妙に引っかかるものを覚えた。

 それを言えば、年少組の男の中にも、似たような人物がいたわけだが――いや、これも後回しだ。

 あらためて、三十代後半の男二人に集中する。


(う~ん、二人とも文官て感じじゃ無いな。それどころか、結構な使い手だぞ、こりゃ)


 むろん、巡検史には護衛の騎士がついているのだが、二人ともそれ以上に鍛え込んだ肉体の持ち主で、エッカルトさんやヴェルナー氏を越える技量を秘めているようだった。

 それを言えば、二十代半ばの男もそんな感じである。

 俺はガノンに命じて、某スカウターのように、戦闘能力を数値化させてみた。


(ええと、エッカルトさんを百とすると、二十代半ばの男がほぼ同じで、三十代後半の二人は……どちらも二百を越えてるのか)


 そんなことを考えていた時である。

 その二百を越えているうちの一人が覆面越しに、俺に視線を向けたように思えたのだった。

 次の瞬間、俺の装備に潜んでいた〈使い魔〉達が、残らず臨戦態勢を取った。

 つまり、殺気か害意を向けてきたと言うことだろう。


(静まれ、落ち着くんだ!)


 こんな場所で連中を放つわけにも行かない。

 だが、男の放つ殺気は密度を増しているらしく、押さえつけておくのがやっとの状態だ。

 〈使い魔〉達が、言わばデフコン1に移行する寸前、男と俺の間に、トゥーラさんのしなやかな肢体が割り込んできた。

 その動きたるや静謐そのもので、その場にいた誰もが、まるで気がついていないようだ。

 ちなみに、トゥーラさんの数値は四百だったりするわけだが、そんな彼女が盾になってくれたおかげで、〈使い魔〉達もようやく落ち着きを取り戻す。

 もう一人の二百越えがギュンターに小声で何事か話しかけたのは、その時だった。

 聞き取れないほどの音量であった筈だが、むろん、ザガードの聴覚はしっかりとキャッチしている。


「ギュンター殿、男爵夫人への挨拶は、そのあたりで」


 正確には挨拶と言うよりも、ギュンターがこれまでに執行した業務の来歴自慢と、国王にいかに忠誠を尽くしてきたかを際限なく、しかも一方的に話していただけなのだが。

 ともあれ、それを切り上げたギュンターを始めとする巡検史達は、広間の正面入り口からブラーシュ側が用意した部屋へと、侍女達に案内されたのだった。

 ややあって、建材と敷物に対する驚愕の声が、次々にザガードの聴覚にキャッチされる。

 尊大な巡検史長も、ぐうの音も出ないようだ。


「いやはや、聞きしにまさる、とはこのことだな。よくもまあ、あれほど尊大で傲慢になれるものだ」


 そう言いながら男爵夫人としてギュンターに対応していた人物がカツラを取り、黒ベールを外すと、その下からオリヴァーさんの美貌が露わになった。

 結局、男爵夫人が副作用を克服するのが間に合わなかったとかで、こうして代理を務めることになったのだ。


「しかし、露出の少ない黒服にベールで顔を隠せば済むのだから、私で無くても良かっただろうに」

「いえ、仮にも臣下たる我らが、主たるクラウディア様を装うなど、恐れ多くて」


 トゥーラさんが恐縮したような表情を浮かべて言った。


「それに、我らでは貴族に相応しい、気品のある振る舞いなどは到底無理です」


 確かにトゥーラさんだと、少し動きが大振りになるかもしれない。

 角度とか、速さとか、所作の始めと終わりのちょっとしたことでしか無いのだが、それだけでもだいぶ違うのだから、不思議なものである。

 さて、会見に使った広間の控え口からトゥーラさんと共に執務室へ戻り、着替えをすませたオリヴァーさんは、香草茶の準備をしながら俺に尋ねてきた。


「連中のことは何かわかったかい?」

「それが、ちょっと変なんですよね」

「ほう?」


 興味深そうにするオリヴァーさんに、俺はザガードとガノンが分析した結果を話した。


「……と、いうわけなんです」

「ふむ。十代後半の七名は文官の卵にも思えるが、君の言う通り、その中に女子が二名もいるのは解せんな」

「年嵩の男も、コウイチ殿が言うように武官で間違いありません。ええ、あれほどの使い手は滅多にいないでしょう」


 四百を越えているトゥーラさんがそんな表現をするのは、一般論として、と言うことだろう。

 そのトゥーラさんを、参考にしたガノンの類推によれば、ブラーシュ騎士団の女性は、大半が三百五十を軽く越えているようだ。

 ちなみに、そんな女騎士団長ですらあっさりと押し倒されるということは……いや、あの漢の娘のことは深く考えないようにしよう。


「ただ……二人の年嵩のうち、殺気を飛ばして来た方もそうですが、もう一人の立ち位置も気になりました」

「と言うと?」

「あの二人は、内々の護衛ではないかと。殺気を飛ばした方は後ろにいた人物を護る位置取りでしたし、もう一人は斜め後方の人物を護るような動きでした」


 ちょっとした動作や立ち位置で、そこまで分かるのも凄いと思う。

 それはともかくとして、トゥーラさんが言う護られていた人物の位置について、ガノンの映像記録と突き合わせてみる。


「ええと、そうすると、二十代半ばの男と、年少組の一人が該当しますかね」

「年少組の? 女子の方かい」

「いえ、男の方です」

「ふむ?」


 もっと言えば、二人とも何かが引っかかる人物ではあったのだが、原因が不明なので、そこは伏せておいた。

 それと、女子の方はもう一つあったのだが、立ち入った話になるので、これも黙っておくことにした。

 何にせよ、巡検史長たるギュンターは、色々な意味で対象外だったわけだ。


「本来のキーマンを隠す為に、わざとああいう人物を代表にしているのさ。仮に『不幸な事故』で亡くなっても惜しくない人物をね」


 オリヴァーさんはあっさりと断言し、トゥーラさんも「なるほど」とうなずいている。

 俺としては、なんとなくギュンターに同情したくなってきたが、マルタの話を思い出してかぶりを振った。

 ギュンターの通う店は、カブルーンで買い付けた奴隷の少年に、非合法なサービスを強いることを売りにしているところなのだそうだ。


「厄介なところが後ろに控えているからね。師匠も迂闊に手出しできないそうよ」


 そうマルタは教えてくれたのだが、Aクラスの冒険者が手出しを控える後ろ盾となると、数えるほどしかない。

 王家にも連なるギュンターが顧客という時点で更に絞れてしまうわけだが、してみると王都って深い闇を抱えていた場所だったということになる。

 ちなみに放置するのも気分が悪いので、それを聞いた後、伝書鳩ブリフターベで美穗にチクっておいた。

 腐女子な一面のある義妹だが、それだけに、その手の連中には容赦しないだろう。

 いわゆる薄い本には、そうした分野もあると聞いているが、あくまでもフィクションとして楽しむものであって、リアルな話には鉄槌を下すことを俺は確信している。

 どこがバックについていようとも、〈光輝の勇者〉と〈疾風の勇者〉の姉妹である〈聖祈の勇者〉に対抗できる筈も無い。

 王都に戻った後、ギュンターは贔屓の店を失っただけでは済まないことに気づくだろう。

 そんなわけで、俺は脳裏において、傲慢な巡検史長を過去の人扱いとすることに決め、目下の問題に戻ることにした。


「えーと、少し様子を窺わせますか?」


 ザガードあたりを忍ばせれば、連中の会話くらいは拾える筈だ。


「やめておこう。その護衛とやらは、君の装備に潜んだ〈使い魔〉に気がつくほどに鋭い御仁のようだからね。これ以上に下手なことして、完全に信用を失えば、取引も成立しなくなる」


 ここでオリヴァーさんが口にしている取引だが、これは正確にはリクルートというべきだろうか。

 巡検史に加わり実務経験を積んでいる年若い文官の中で、宮廷の各部局に任官するのは全体の一割にも満たない。

 では残りの文官はどうするかと言うと、たいていは貴族と雇用契約を結ぶことになる。

 直属の家臣となる筆頭書記官とか紋章官となると話は別だが、平の文官は陪臣――家臣の家臣となる扱いなので、法典局の扱いも緩いのだそうだ。

 文書を扱う事務方こそ、きちんと身元を調べないといけないような気もするのだが、文民統制と言う概念の無い、この異世界であれこれ突っ込んでも始まらない。

 ともあれ、任官先の決まっていない文官にとって、巡検史とは実務経験を積む場であると共に、任官先を探す格好の機会でもあるわけだ。

 貴族側としても巡検史に対する反感はあるものの、可能であれば優秀な文官が欲しい。

 そのあたりの思惑が複雑に入り組んで、巡検史が覆面で顔を隠しているという今の形態になったそうだ。

 そして、このブラーシュ男爵領においては、文官が圧倒的に不足している。つか、一人もいない。

 今までは男爵夫人自身が、病の身体を押して、統治や運営に最低限必要な諸々を何とか回していたのだが、その男爵夫人が業務に携われないのが現状である。


「いつまでも私が手伝うと言うわけにも行かない。一人でも……いや、できれば、二人くらいは文官を回してもらわないと、そのうちに立ちゆかなくなるぞ」


 切実な表情を浮かべて、オリヴァーさんはそう言った。

 たぶん、本音としては、このままだとオリヴァーさんがなし崩し的に筆頭書記官か紋章官となる公算が大きいので、それを回避したいのだろうと思われた。



    ◇◆◇



 その夜、男爵夫人が主催する晩餐会が開かれた。

 無論、主賓は巡検史ご一同である。

 過去の苦い思い出にも繋がるので、男爵夫人を装う私としては御免被りたいところだが、相手が仮にも陛下の名代であってみれば、領主自ら饗応しないわけにも行かない。

 まぁ、アレが間に合ったとのことなので、それだけが慰めと言えるだろうか。


「遠路はるばるとお役目の為にお越し頂いた方々を、慰労致したく準備を整えました。粗餐ながら、少しでも楽しんで頂ければと思います」


 さほど遠路でも無いわけだが、これは形式というものだ。

 ともあれ、そんな私の挨拶を皮切りに、晩餐会が始まった。

 まずは、食前酒としてグラスにワインが注がれた。

 その馥郁たるブーケに、不機嫌そうにしていたギュンターも驚きの表情を隠さなかった。

 かくいう私も、つい、うっとりとしかけてしまった。

 ローラが引き連れて来た葡萄酒職人の娘は、確かな腕の持ち主に違い無かった。

 適切な素材さえ与えられれば、これほどまでに仕上げて見せるのだから。


「ほ、ほう。これは……なかなか」


 一口含んだギュンターのやせ細った顔に、更なる驚きの表情が広がった。

 口元以外を覆っているので分かりにくいが、他の巡検史も感嘆しているようだ。

 年月をかけて熟成した(・・・・・・・・・・)口当たりと味わいは、まさに逸品と呼ぶに相応しいものだったから、彼らの驚きも無理は無い。

 私にしても、これが三日前(・・・)に仕込んだものとは、とても信じられないでいる。

 続いて前菜が運ばれてきた。

 今朝がたにブラーシュ領の湖から取れた魚のスモークを薄切りにして、クリームチーズを添えた品である。

 私のレシピにあった料理ではあるが、味わいがまるで違った。


「こ、これは……」

虹鮭レーゲンボルグ!?」

「湖底の入り組んだ岩を住処としている為に、滅多に取れぬと聞いているぞ」


 巡検史達がなにやら騒いでいるようだが、どんな住処にいようとも、コウイチの角鮫もどきにかかれば関係あるものか。

 それにしても、淡泊だがしっかりと旨みのある魚だ。

 蜂蜜とビネガーを少量加えたクリームチーズとの取り合わせも絶品だ。

 コウイチは『ショーユ』があれば『サシミ』にしても良いといっていたし、事実、ビネガーとオリーブオイル、胡椒のソースをかけたカルパッチョは旨かったのだが、生魚という点でギュンターあたりが難癖をつけてきそうだったので、この調理法を選んだようだ。

 続いて出てきたのは無色透明なスープだった。

 よく朝食に出てくる品だが、これも素材が違うせいか、なかなかに新鮮な味覚である。

 特にスープに浮かんでいる透明な膜が、その香ばしさと共に口の中で溶けていく感覚も絶妙だ。

 これは大きさと均等な薄さもあるのだろう。

 分かる人間には分かると思うが、少しでも小さかったり、均一さに欠けていれば、この感覚も今ひとつとなる筈だ。


「む、むむむ」

「これは、王鳥の骨から取ったスープに……浮かんでいるのは皮の脂じゃないか!」

「王鳥の皮脂だと? 皮の裏に薄く貼っているあれか!?」

「これほどの大きさを、しかも均等にそぎ落とすなど、至難のワザだぞ」


 大鬼もどき、いや、かなり細かい作業ができるといっていたからスライムの方だろう。

 そんな調子で新しい皿が出てくるたびに、ちょっとした騒ぎになる。

 大勢で囲む庶民的なそれと違って、この手のコース料理は静かな方を好む私としては煩わしいことこの上ない。

 その騒ぎは、メインとなる厚切りのステーキが出て来た時に一つのピークを迎えた。


「うっ」

「まさか、これは」

「うむ、矢車鹿ではあろうが……」

「貴種だ。間違い無い!」


 狩りの獲物となる兎や鹿の中に、ごく希に、極めて上質の肉を持った個体が存在する。

 コウイチは、これを「シモフリ」とか呼んでいたが、脂肪が筋肉の間に細かく網の目のようになったその肉は、とろけるように美味である。

 クロルの実以上に希少なところから、貴種とか宝獣と呼ばれるのだが、このステーキは矢車鹿の貴種、それも一頭から僅かしか取れない、最も高級な部位を使っているのだ。


「つまり、希少極まる貴種を、一度に十二頭も手に入れたと言うことか!?」

「信じられん」

「どれほどの狩りの名手とて、そんな真似は無理だ」


 確かに、あの嗅覚に優れた剣牙狼もどきと言えど、貴種をかぎ当てるなどは不可能だと私も思う。

 だが、そのあたりについて、コウイチの返答は要領を得ない。

 餌がどうとか言いかけて、慌てた様子で口をつぐんでしまったのだ。

 いずれ、状況がもう少し落ち着いてから問い質すつもりだが、今はそれどころではない。


「こ、このステーキもそうだけど……」

「ええ。かかっているソースも、凄いわね」

「そうよ。香りに引きつけられるものを感じるわ」


 覆面をつけた巡検史の中で、そんな会話を交わしている二人は、声や口調からして、あきらかに若い娘だと知れた。

 コウイチが〈使い魔〉によって解析した結果が正しいことが証明されたわけだが、それにしても、彼女達の言葉は、今の私の気持ちを代弁するものであった。

 実際、貴種のステーキにかかっているソースから立ち上る香りには、凄まじいまでの吸引力があった。

 もっとも、ギュンターを始めとする男達には、そこまでの効果は無いようなので、女性にしか分からない何かがレシピにあるのだろう。

 これも後でコウイチに問い質したいところだが、なんにしても、冷めないうちに――まぁ、冷めても非常識なまでに美味い筈だが――食べた方が良い。

 私や二人の娘が率先して一口目を咀嚼したところで、ギュンター以下の面々も、恐る恐ると宝玉よりも貴重なステーキにナイフを入れた。

 晩餐会の席に沈黙が訪れたのはそれからだ。

 私にとって、ようやく好ましい状況になったわけだが、それどころではない。

 舌で感じられる天上の夢とでもいうか、あまりの美味に言葉も出ないのだ。

 噛みしめると肉汁が溢れ、口の中でとろけていく感覚は魔法のようでもある。

 いったい、いかなる火加減で焼けば、このようなことができるのだろうか。

 気がつくと、結構なボリュームのあったステーキを、瞬く間に完食してしまっていた。

 素晴らしい余韻と共に、夢うつつの状態から現実に戻ってきた私は、我を忘れてしまっていた自分にようやく気づいた。

 アンベルクでの、この手のコース料理において、女性はメインの料理を少しだけ残すのがマナーとされるのだが、私の前にある皿には見事なまでに何も残っていない。

 思わず赤面した私は、顔をベールで隠している男爵夫人の扮装に心から感謝した。

 それは巡検史の娘二人も同じ思いだったに違い無い。

 もっとも、私同様に完食した皿を前にしたギュンターは未だに夢うつつのようで、これには気づいていないようだ。

 私としても、いま少し余韻にひたっていたかったが、彼が正気に戻る前に皿を片付けさせるべく、最後のデザートを出すように身振りで合図した。

 その最後のデザートが出てきた時は、またしても一騒動が持ち上がった。

 正確に言えば、困惑の声が上がったと言うべきだろうか。


「え?」

「これって……」


 一般にコース料理のデザートで供されるのは、数少ない甘味である葡萄と決まっている。

 前菜からメインにいたるコース料理の、言葉につくせぬ素晴らしい出来から、最後を締めるのは、アンベルクでも屈指の評価を得るザイツェル子爵領産の葡萄だと思われても無理からぬところだろう。

 だが、半分にカットされた状態で皿の上に乗っているこれは、むしろ野菜として扱われることの多い品だった。


「えーと」

「生ハムを巻いて食べるあれだよなぁ」


 一般的に、味は水っぽく、果肉がやや堅いこれは、確かに塩辛い生ハムと共に食すか、スープの具やピクルスに使われるものであって、このように単品で出されることは滅多に無い。


「いやいや、ザイツェルの葡萄など、滅多に手に入るものではないからのう。とは言え、画竜点睛を欠くとはまさに言い得て妙じゃわい」


 食前酒からひたすらに圧倒され続けてきたギュンターも、最後の最後で反撃の口実を得たとばかりに、ほくそ笑んでいる。

 だが、彼らの困惑や嫌みにいちいちつきあってはいられない。

 私はスプーンを取り、その柔らかい果肉をすくうと、おもむろに口に運んだ。

 ねっとりとした食感と共に、微かな酸味をアクセントにした圧倒的な甘さが口腔に広がった。


「な、何だ、これ!?」

「こんなに柔らかくて、こんなに甘い網瓜メローネなんて初めてだ」


 私に倣い、その果肉を口にした連中が、またしても騒ぎ出す。

 ギュンターも一口食べて、絶句したようだ。

 コウイチが言うには、ちょうど手頃な耕作地が見つかったとかで、雑草もどきに品種改良させた果物を、いくつか実験的に造ったそうだが、これもその一つということになる。

 昨夜に試食した限りでは、甘酸っぱさが秀逸の赤い蘭苺エアトベレと甲乙つけがたいところで、どちらをデザートに供するかを悩んだものだ。

 もっとも、蘭苺エアトベレの方は、どうやってか嗅ぎつけたノインやシャルロッテが、男爵夫人という大義名分を押し立てて残らず持って行ってしまったので、消去法でこちらということになったわけだ。

 いや、この網瓜メローネとても、私が全力で死守しなければ人数分を確保するのは危ういところだったのだ。

 まったく、本当に子供というのは油断ならないものだ。

 もっとも、当のコウイチ自身は未だに出来に不満があるようだったが、これ以上のものを求めるのは贅沢どころか、食材に対する不遜であろう。

 ともあれ、ナプキンでベールの下の口元をぬぐいながら、私は巡検史長に問いかけた。


「粗餐ではありましたが、少しは楽しんで頂けましたでしょうか」

「む、むぅ。いや、その……」


 私の問いかけに、ギュンターもどう答えてい良いのか分からぬふうである。

 結局、全ての皿を完食したものだから、ケチをつけたくても、そうはいかないのだろう。


「おお、そうだ。その、見ての通り余はいつも食が細いのでな。これほどの量を食してしまっては、身体を壊さぬかと……」


 そんな嫌みにもならぬ言葉をひねり出すのが精一杯だったようだ。

 しかし、そんな心配は無用だろう。

 付け合わせやソースの中には、雑草もどきによる消化を助ける効果を持つ香草エキスを始めとして、色々な薬効成分が入っていた筈だ。

 つまり、本日のコース料理は、究極の美味にして、健康と美容に優れた効果をもたらす薬でもあるわけで、コウイチは「ヤクゼン」なる言葉で表現していた。

 毎日でも食べたいところだが――いや、皆でわいわい騒ぎながら食べる、庶民的な料理の方が、今の私には好ましく思える。

 さて、これで食事は済んだわけだが、お楽しみはもう一つある。


「では、お口直しに、これなどはいかがでしょう」


 私が合図すると、給仕の侍女が新しいグラスに琥珀色の液体を注いで回る。


「これ……は?」


 これも巡検史達は初めて見る筈だ。

 私にしてからが初めてなので、それも当然である。


「ブランデーと申します。いささか強い酒ですので、酒精に弱い方は遠慮されても構いません」


 そうは言ってみたが、アンベルクの人々は老若男女を問わず、一様に酒が強い。

 正確には、酒にだらしない傾向があるわけで、それは私とて例外では無い。

 実際のところは、見た事も無いブランデーを前にギュンター達も躊躇っているようなので、私が率先して口をつけたわけだが。


「ほおぅ」


 思わず感嘆の声が漏れてしまった。

 無色のホワイトブランデーも好みではあるのだが、コウイチが言うところの、本来のブランデーときたら桁外れの絶品である。

 まろやかな口当たりに、これは樽香と言うのだそうだが、鼻に抜ける素晴らしく芳醇な香り。

 少しずつ、舐めるように飲むものと聞いていたが、私はあっという間にグラスを空けてしまっていた。

 そして、巡検史達の、これが幾度目になるか、驚きと感嘆の声が次々と聞こえてきた。


「おおっ」

「ぐふうっ」

「ふわぁ」


 ギュンターもさすがに表情を変えて、叫ぶように言ってきた。


「だ、男爵夫人、こ、これは!?」

「先ほども申し上げました通り、これはブランデーと言うお酒です。皆様に一瓶ずつ用意しましたので、お部屋の方でゆるりと楽しまれて下さい」


 むろん、私も執務室に戻って、マルタやカーヤと共に、ゆっくりと楽しむつもりだ。

 かくして、男爵夫人主催の晩餐会は幕を閉じたのだった。



    ◇◆◇



 俺は酒の味など分からないが、ブランデーというものについては、がぶ飲みする類いの酒では無いくらいは知っている。

 だが、オリヴァーさんの執務室に集まった一同は、そんなお約束などそっちのけというピッチでグラスを傾け続け、ドレイグに眠らせるまでもなく、次々と轟沈していったのだ。

 つか、トゥーラさんまで一緒になって、しようがないな。

 例によって感覚の共有を遮断した〈使い魔〉に命じ、隣の部屋に用意していたベッドに酔っ払いの面々を運ばせ、諸々の世話をさせたのは言うまでも無い。


「それにしても、ローラ嬢の腕前はたいしたものだな」


 一人執務室に残った俺は、その砂時計にダイヤルがついたような魔法具を見ながら、そんな独白を口にしていた。

 時空魔法と呼ばれる魔法のうち、空間系統である転移魔法の魔法具を独自に造り出し、ノイン本人と、そのベルトを見ただけで、今度は時間系統の魔法具を造ってしまったのだ。

 魔導職人は、一般人より高い魔力を持つものの、その魔力レベルが魔道士となるには不足している人々だと聞いているが、ローラ嬢に十分な魔力があれば、希代の魔道士として名を残したかもしれない。

 限定された空間内で時間を早める魔法具の力は、試作品と言いながらも凄まじいものだった。

 水や肥料に関する試行錯誤は必要だったものの、ドレイグに品種改良させた果物が一日もかからず収穫までこぎ着けたのだから、びっくりしたとしか言いようがない。

 もっとも、その果物――メロンやイチゴを口にしたオリヴァーさん達は、もっとびっくりしたようだった。

 デザートとして用意してあったザイツェル産の葡萄を、全てワインに回してしまったほどである。

 以前、ヴァルガンがカクテルを造るに当たって、結構な種類の果実を材料にした時に気づいたわけだが、このアンベルク周辺には、俺が日本で食べたような甘い果実はあまり存在しないようなのだ。

 一番の甘味とされるザイツェル産の葡萄も、俺の水準からすると今ひとつである。


「そう言えば、日本で流通する高級フルーツも、品種改良を重ねた結果だったかな」


 高額な値段に驚き、その味わいに再び驚く外人さんの動画をネットで見た事があるが、オリヴァーさん達のリアクションも似たようなものだったわけだ。

 俺の基準で言えば、まだまだの出来なので、そこは改良を続けて行くしか無いだろう。


「驚いたと言えば、クロルの実にあんな効果があったとは知らなかったなぁ」


 最初に剣牙狼もどきが取ってきた矢車鹿の肉が霜降りだったのに驚いて、ガノンに調べさせたところ、胃の内容物にクロルの実らしきものが確認できたのが、そもそもの発端だ。

 試しに生け捕りにした矢車鹿に、クロルの実を餌として与えたところ、それが大当たりだったというわけだ。

 希少な霊薬とも言われるクロルの実は、人間と動物では効果が異なるようのだ。

 この世界における人間は大小の差はあっても全員が魔力を持つが、動物はそうでもないので、そのあたりに要因があるのかもしれない。

 ともあれ、貴種とか宝獣と言われているものの正体は、偶然にもクロルの実を食べる機会を得た獣だったということになる。

 むろん、この発見を公にするつもりは無い。

 希少この上無く、女性にとって夢の霊薬でもあるクロルの実を、よりによって動物の餌にしましたなどとは、口が裂けてもオリヴァーさんには言えない話だ。

 お詫びとして、ステーキのソースに使うことでオリヴァーさんにも還元したのだが、よく考えてみると、これもバレたら叱られるかもしれない。

 まあ、ソースなどのレシピはシェフの秘密なので、これも黙っておくことにしようと心に決めている。

 そんなことを考えていると、いつの間にか隣の部屋から戻ってきた大鬼もどきと剣牙狼もどきが、まだ中身の残っているブランデーの瓶に、未練がましい視線を向けているのに気がついた。


「まぁ、いいだろう。大目に見るよ」


 何と言ってもヴァルガンは、本日一番に活躍したシェフであり、ザガードはメインディッシュに大いに貢献したわけでもある。

 俺がそう言って許可を出すと、ヴァルガンが嬉しそうにグラスにちょこちょこと注ぎ始め、ザガードもちぎれんばかりに尻尾を振ってお相伴に預かり始めた。

 ローラ嬢の魔法具を見たヴァルガンが、それを使って、俺の記憶にあった本当のブランデーを再現したわけだが、さすがのヴァルガンも樽の木材を探すところから始めるとなると、かなりの試行錯誤を繰り返したようだ。

 そのついでに、葡萄酒の熟成もやってくれたのだから、多少のことは許すつもりだ。

 そんな二匹の元に、いつもは素知らぬふうであったローグも寄ってきて、なんと、いっしょになってブランデーをついばみ始めたではないか。


「お前、ブランデーには興味無かったんじゃないのか」


 俺の呆れたような言葉に、ローグは決まり悪そうに「ぴゅい」と鳴き、そして再びブランデーをついばみ出した。

 どうやら、蒸留しただけのホワイトブランデーはともかく、本格的に熟成したブランデーはお気に召したようだ。

 まぁ、こいつのブレスによる絶妙な火加減には、シェフであるヴァルガンも大いに助けられたところなので、これも大目に見ることにした。

 そして、ひょっとしたらと、他のガノン、ドレイグ、グロムを召喚してみると思った通りだった。

 グロムなどは装備から飛び出すと、そのまま一直線にブランデーを満たしたグラスめがけて突貫した。

 浴びるように飲むと言うが、こいつの場合はそれを見事に実践しているわけだ。

 ガノンも同様にぴょんぴょんと飛び跳ねて、その隣のグラスに入り込んだ。

 ドレイグに至っては、直接ボトルの中に触手を伸ばす有様である。


 後から思えば、この時に、お腹のポケットにある魔法陣の布では、六芒星の中央にある紋様が微かに明滅を始めていた筈なのだ。

 だが最近では、その布を取り出すことも無くなっていた俺は、全く気づきもしなかった。

 その夜、俺は半分呆れつつ、〈使い魔〉達が酒盛りをする光景に、妙にほっこりしていたのだった。


〈装魔の勇者〉NAISEIバージョンに続き、今回は料理チートに挑んで見ました。

料理と言うよりは食材チートと言うべきかも、ですが。


前回の後書きにも書きました通り、リアルの事情にて、次回は11月上旬まで未定、もしくは、不定期更新とさせて頂きます。

ご理解とご了承をお願い申し上げます。

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