第51話 暴走する界樹
「ただね。治癒魔法である限り、いや、治癒魔法だからこそ、〈聖祈の勇者〉でも治せないものはあるんだ」
そんな言葉を、オリヴァーさんが悲しそうな表情で口にしたのは、雑草もどきに薬成分をラーニングさせていた時だっただろうか。
あの時、オリヴァーさんはこうも言った筈だ。
「しかし、君の〈使い魔〉なら対処は可能だ」
これは、シャルロッテちゃんに処方している薬を、ドレイグも合成できるという意味でもあったのだろう。
だが、いまや彼女の身体は、そのような対処療法ではフォローできないところまできていると、ノインは告げたのだった。
それを聞いたシャルロッテちゃんは、とくに取り乱す様子も無かった。
「人が良く陥りやすい間違いのひとつに、願望と予測を混同することがある」
シャルロッテちゃんは、不意にそんなことを言い出して、そしてクスクスと笑い始めた。
「これ、お母様が良く口にする言葉なんですよ」
確かにオリヴァーさんが言いそうな台詞である。
誰しも悲観的な将来に対しては、考えるどころか、楽観的な願望に置き換えたくなるだろう。
それが深刻なものなら、なおさらだ。
「そんなお母様も、シャルロッテのことについては、その間違いに気づかなかったみたい」
それは、気づかなかったのか、気づいていても敢えて見ないようにしていたのか、俺には分からない。
「だから、シャルロッテも調子を合わせていましたけど……やっぱり無理があったかな」
そう言うと、シャルロッテちゃんは、幼い顔には不釣り合いといっていい種類の笑みを浮かべて俺に向き直った。
「お母様は、あれで結構な寂しがり屋なんです。シャルロッテがいなくなったら、後のことはお願いします」
目の前の幼女が、そんな言葉と共に頭を下げるのを見た俺の中に沸き起こった衝動は、一言で言い表せるものではなかった。
それは切ない悲しみだったかもしれないし、理不尽な運命に対して何もできない、無力な自分自身に対する怒りだったかもしれない。
確かに、〈使い魔〉である雑草もどきは、現在では多種多様な薬を処方できる。
だが、それではシャルロッテちゃんを救うことはできない。
なにしろ、時空魔法の応用で一種の未来視が可能と思しきノインが、数日後のシャルロッテちゃんが見えないと言っているのだ。
亜空間を改変し、自身の外見年齢を一定範囲ながらも自在に操り、あまつさえ牛頭鬼のさらに上位種まで変身可能な、古代オムー文明の生き残りであるノインが、そうした虚構を口にする理由が俺には思いつかない。
現に、装備に潜ませた〈使い魔〉達の――ザガードの鋭敏な聴覚や嗅覚と、ガノンの解析能力を駆使した――言わば生体嘘発見器によってもノインが真実を語っているのはあきらかだった。
それは即ち、数日のうちに訪れるシャルロッテちゃんの死――治癒魔法も効かず、薬の補正も効果が無くなってきた、生まれつきの疾患に由来すると思われる、不可避な運命を俺に改めて認識させた。
絶望的なまでの無力感に打ちのめされ、俺は歯を食いしばり、そして、思わず呻いてしまった。
「くっ、俺には何もできないのか」
「じゃから、貴様の化身ならば……」
ノインが再び意味不明な単語を口にしかけ、そこで軽く首を傾げた。
「いや、いかな界樹の能力を以てしても、具体的にどのように癒せば良いか分からぬでは難しいか」
数千年を経たベテラン幼女は、今度はそんなことを言い出してきた。
彼女の言う界樹なる言葉は、どうやら雑草もどきを指しているようだ。
だが、この雑草もどきが合成する薬は、あくまでもオリヴァーさんの処方に基づくものであり、それ以外は一時的に麻痺させたり、眠らせたりするだけの、本来は毒であるものの威力を弱めたシロモノでしかない。
このドレイグが、あるいはとてつもない効き目のある薬を合成する能力を秘めている可能性も否定はしないが、前提として、召喚主たる俺自身が、その方面の知識をもっていることが不可欠な筈だ。
例えば、ペニシリンや抗生物質などは極めて万能的で有効な治療薬だが、正しい知識に基づかない投与は、かえって深刻な薬害をもたらしかねない。
薬と毒は表裏一体なのだ。
そして、俺は元より、ガノンでさえ、オリヴァーさんから教わった以外の、医療に関する知識は皆無である。
つまり、ドレイグがどのような対処能力を秘めていようが、シャルロッテちゃんの身体について、何が問題で、具体的にどうすれば良いのかが全く分からないのだ。
そもそも、あのオリヴァーさんですら分からなかったものが、俺やガノンに分かるわけも無い。
これが治癒魔法であれば、本人の治癒能力――元に戻ろうとする力とか、恒常性などを魔法で強力に支援する仕組みのようなので、美穗などはあまり悩むことが無いのだろう。
ただし、オリヴァーさんも言ったように、生まれつきの疾患――先天的な『異常』に対しては、治癒魔法ではどうにもならないのだ。
「ふむ。では、こうしよう」
ノインは何かを思いついたように頷き、そして、おもむろに着ていた服を脱ぎだした。
「ノインちゃん!?」
そんな妹分の唐突な行動に眼を丸くシャルロッテちゃんに向かって、全ての衣服を脱いだノインが叱咤するように言った。
「何をしておる。シャルロッテも早く脱ぐのじゃ」
「は?」
「ええい、まだるこしい」
言葉を費やす時間も惜しいとばかりに、スッポンポンな幼女はシャルロッテちゃんに襲いかかるや、その衣服を剥ぎ取り始めたのだった。
「ちょ……おま……」
俺はさすがに慌ててしまった。
そんな俺の目の前で、ノインは容赦無くシャルロッテちゃんを剥いていく。
「いや、やめてぇ」
「ええい、大人しくせぬか。そのように暴れては余計に寿命が縮むぞ」
「だ、だって……」
シャルロッテちゃんが涙目になって俺の方を見た。
はっと我に返り、上空にいたローグを還しつつ、即座に回れ右した俺の耳に、ノインの呆れたような声が入ってくる。
「コウイチには何度も見られておると聞いたぞ。恥ずかしいことなどあるまい」
いや、そんな問題じゃないし。
つか、人目の無い森の中で、裸の幼女二人といっしょにいる図など、麗香なんかに見られたら致命的である。
むろん、目撃者が麗香で無くても社会的な抹殺は免れない、どころか、それ以上にただでは済まない筈だ。
その一方で、やはり人目の無い森の中で、幼女二人から完全に眼を放すのも、それはそれで問題では無かろうか。
しばし葛藤した俺は、横目で最低限の視覚だけを確保する事で自分に折り合いをつけた。
「……と、このままでは少しまずいか」
抵抗するシャルロッテちゃんから、全ての衣服を剥ぎ取ったノインは、そう言って何かを念じたようだ。
小さな魔法陣が輝くと共に、彼女の身体が少しだけ大きくなった。
そう、シャルロッテちゃんより幼かった筈のノインだが、今では同い年くらいになっただろうか。
「うむ、誤差は少ない方が良かろう」
そう言いながら、羞恥に全身を真っ赤に染めたシャルロッテちゃんを押さえ込み、一人頷いているノインに、俺は恐る恐る声をかけた。
「あ、あの……何をやらかしてくれているんでしょうか」
「妾の身体を参考にしてもらう為に、邪魔な布きれを取っ払い、年齢を合わせただけじゃ」
「は?」
「さいわい、体格的にも差は無いし、性別も同じじゃ。比較対象としてはうってつけじゃろ? 妾とシャルロッテの体内構造を比べ、著しく異なる部分を検出するくらい、貴様のガノンや他の連中には簡単な筈じゃ。後はその部分を、界樹の能力を使って、妾に合わせて修正すれば良いのじゃ」
わかったような、わからんような説明に、俺は目を白黒させてしまったかもしれない。
「ところで、貴様。いつまで、そうやって妾とシャルロッテのヌードを見ているのじゃ」
唐突にそう言われ、いつのまにか真正面で凝視している自分に気がついた俺は、一種の恐慌状態になってしまった。
「あ、いや、その……」
「この助平めが。とっとと、魔法陣を裏返し、そのベルトをつけぬか」
立て続けの衝撃で、この時の俺は自律的な思考力を失っていたようだ。
シャルロッテちゃんの事もそうだが、清く正しくをモットーとして自分を戒めてきた俺が、こともあろうに「助平」呼ばわりされ、状況としてそれを否定できないという事実がとどめを刺したのかもしれない。
何にせよ、俺はノインに言われるがままに、お腹のポケットにあった魔法陣を内向きにした後、先ほど受け取ったベルトを腰に回したのだった。
◇◆◇
当初コウイチは誤解していたようだが、伝書鳩は魔法具の一種である。
魔法陣を描いた羊皮紙の裏側に伝言を書き込み、呪文を唱えるとこれが鳩の姿となる。
後は、あらかじめ魔法陣に登録していた相手の元へと飛んでいき、相手が受け取った段階で、元の羊皮紙へと戻る仕組みだ。
現物を初めて見たコウイチは「シキガミみたいだ」などと言っていたから、彼の世界にも同じものが存在するようだ。
ともあれ、私は諸々を書き終えた最後の伝書鳩を窓の外から放ち、ようやく一息ついた。
あれが本当の鳩ならば、途中で猛禽類や空の魔物に襲われる事もあろうが、魔法具である伝書鳩は、そうした生き物の獲物にはなりようが無い。
以前に見た〈光輝の勇者〉が操る「めーる」や「めっせーじ」には速度の点で及ぶものではないが、信頼性の面では互角の通信手段である筈だ。
ただし、やはり、即時性と言うのは重要には違い無い。
放ったばかりの伝書鳩と入れ違いになる形で、私の元へと舞い降りた別の伝書鳩が変じた羊皮紙に眼を落とし、私は脱力感に見舞われる事となった。
「う~む。間が悪いものだな」
「どうしたの?」
そう聞いてきたのは、紅茶のポッドとカップを乗せた盆を手に、台所から戻ってきたクララだった。
足に不自由なところがある筈だが、屋内での歩行はほとんど支障が無いようだ。
いや、それどころか、実に小まめで、自分の住居でも無いのに、先ほどからせっせと家事をこなしてくれている。
不器用な私や、がさつなマルタとは大違いで、エッカルトはこの点では正しい選択をしたと言えるだろう。
そのクララが淹れてくれた紅茶を口にしながら、私は先ほど到着した、伝書鳩であった羊皮紙を指し示した。
「いや、ガイナスを通して頼んであった品を急ぐようにと、先ほど伝書鳩を放ったんだが、入れ違いで、明後日にここへ来る予定の隊商に、その品を預けた旨、連絡が来たんだ」
「あらあら。まぁ、よくある話だし、大事な品だったなら、遅れると言う連絡よりも良かったんじゃないの。それで、どういう品なの?」
「あー、その……」
例の尻尾について、どうやって説明したものか、私は判断に迷った。
元女冒険者のクララだが、私やマルタと比べるべくもない、常識的といっていい女性である。
未だに眠ったままのカーヤがしていた格好――特に尻尾については「最近の若い娘は」と、心底呆れかえった様子で着替えさせていた。
引退前は〈暁の翼〉でサブリーダを務めていたわけだが、元々、別の冒険者集団所属だったのをエッカルトが引き抜いた形になったと聞いている。
つまり、ガイナスの薫陶、もしくは、その影響からは、かなり距離を置いた感性の持ち主なのだ。
逆に言えば、それゆえに、足が不自由になるような怪我を負ったということでもある。
ともあれ、正直に、その品が私とマルタが装着する「尻尾」だと教えるのは気が進まなかった。
それを知ったクララとの間柄が気まずくなるくらいは、さすがにこの私でも予想がつく。
その時。
なおも答えあぐねた私の耳に、なんだか騒がしい声が聞こえてきた。
「なんだ、あれは!?」
「お館様の方に向かっているぞ」
それは、この辺りを警護しているブラーシュ騎士団の団員達の声だと思われた。
いったい、何事が起こったのかと思う暇も無く、続けて玄関が凄まじい勢いで開かれ、二人の若い娘が、こともあろうに素っ裸で飛び込んできた。
「ま、まずいことになったのじゃ」
「お母様、早く避難を」
二人ともマルタよりも少し年下、コウイチとは同じ年齢であろうと思われた。
一人は南方系といった感じの、小麦色の肌をした活発そうな印象の綺麗な娘である。
だが、私の注意を引いたのはもう一人の方だ。
こちらの方は、私達と同じアンベルクの民に違い無い。
滅多に見ないほどの美しい娘で、形良く盛り上がった胸や、くびれて引き締まった腹部や、その他の諸々を惜しげも無く晒している。
さきほど、私を「お母様」と呼んだのは、この娘だったわけだが、何者だろうか。
――いや、その巻毛になった金髪といい、翡翠色の瞳をしたといい、その美しい顔もよく見れば面影がある。
あの子が大きくなったら、こうなるだろうという姿が、今、私の目の前にあった。
「ま、まさか……シャルロッテなのか?」
「ええ、お母様」
そう頷いた少女の表情と仕草で、私には充分だった。
確かに目の前の美しい娘は、私のシャルロッテに間違い無い。
しかし、一遍に成長したのにも驚いたが、それ以上に先ほど玄関から飛び込んできた、あの勢いのある動きはどうしたことだろう。
生まれつき心臓が弱く、同年代の子供と遊び回る事はおろか、あまり外出もしなかったシャルロッテである。
私の処方する薬で、少なくとも外見上はそんな気配は微塵も感じさせなかったわけだが、それでも、目の前にいる美しい娘の、この溢れるほどの生気とは著しい相違がある。
「ああ、もう、説明は後じゃ」
もう一人の南方系の少女がじれったそうに言った。
私の目の前にいるのがシャルロッテだとすると、こちらはノインに間違いなかろう。
「あやつが来る。妾としたことがぬかったわい。まさか、あの化身に、あのような相があったとは」
その成長した姿のノインが焦ったように振り返り、そして、観念したように低く呻った。
「間に合わなかったか」
次の瞬間、天井を突き破って現れたのは夥しい数の、それは蔓のような何かであった。
極めて短い時間、逡巡するように動きを止めた蔓のようなものは、すぐにうねうねと動き出し、今度は迷う素振りも無くクララに襲いかかった。
クララは悲鳴を上げる間も無く、その蔓のようなモノに覆われ、そして、塊となったそれが残っていた天井ごと、引き抜かれていった。
「ち、しまった。やつにしてみれば、確かにそっちを先に狙う道理じゃ」
ノインと思しき娘が舌打ちしつつ、そう言ったのが私の耳朶を震わせたようだが、私はそれを理解する余裕も無く、完全に消失した屋根の向こうに見える「それ」を唖然として見つめていた。
クララを捉えたもの以外にも、信じられないような膨大な数の、蔓のような触手が蠢き、次々と騎士団を構成する女性達を捕らえていた。
よく見ると、それらの女性の中にはマルタの姿もあった。
そして、その蠢く触手の中央にいるのは、ほっそりとした、どことなく中性的な体型をした緑色の人型だった。
「あ、あれは!?」
思わず私が口にした問いに、ノインが答えを返してきた。
「コウイチの六番目の化身にして、毒もて癒すと謳われた究極上位種。あれが界樹を召喚した〈魔を鎧いし者〉じゃ」
そして、その次にこう付け加えた。
「それにしても、コウイチが盟約を交わした『最後』の究極上位種でもある界樹が、これほどの挙に出るとは予想外じゃった」
どうやら、何かが原因でコウイチは〈魔を鎧いし者〉の力を暴走させてしまったようだ。
それも気になるが、私がもっと聞き捨てならないと感じたのは別のところだった。
〈禍神の使徒〉に対抗する勇者は七つの偉大な力に象徴される存在であり、コウイチが盟約を交わした相手も七つだったと聞いている。
だが、コウイチが盟約を交わした究極上位種なる存在――どうやら、私が〈使い魔〉だと思っていた連中のようだが、それが六番目の界樹なるアレで最後とはどういうことだ。
だとすると、彼が七番目に盟約を交わしたのは、いったい――。
「お母様!」
シャルロッテの悲鳴で我に返った私が見たものは、自分に向かって襲いかかってくる、夥しい数の触手だった。
シャルロッテに関するあれこれは伏線が弱かったかな、と反省。
次回『第52話 実装試験体十二号』は8/7 6時
7/31 感想欄でご指摘をいただきましたので、以下のように訂正いたしました。
胎内 → 体内
確かに、「胎内」ではキャラの生理年齢を考慮すると、色々と問題がありそうです。
ご指摘、ありがとうございました。




