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第50話 薬師の告白と六番目の化身

 ブラーシュ領を治める〈黒薔薇の男爵夫人〉は未だ独身であり、本来ならば女男爵と呼ばれてしかるべきなのだろうが、アンベルクの慣習として「男爵夫人」と呼称されるそうだ。

 それはともかく、部屋の奥に座っていたその人の外見は、まさに黒、黒、黒の一色だった。

 豊かな黒髪なのは分かるが、黒いベールを降ろし、窓もカーテンを閉じた薄暗い部屋のせいで顔までは分からない。

 上質な造りと見て取れる、首元までを覆うドレスも、肘までの手袋も全て黒く染められていた。

 平たく言うと、肌の露出を可能な限り無くした黒ずくめの衣装で、しかも、なんとなく着ぶくれしているようにも見える。


「初めて御意を得ます。ブラーシュ閣下」


 その異様とも言える部屋の主を前に、全く動じる気配を見せず、優雅に一礼するオリヴァーさんに倣い、俺も黙って頭を下げた。


「学術院始まって以来の才を謳われたオリヴァー卿に、異世界から降臨せし勇者のお仲間ですね。会えて嬉しく思います。わたしがブラーシュ男爵領の主たる、クラウディア・ド・ブラーシュです。よろしければクラウディアと呼んで下さい」


 その言葉が耳朶を打った時、俺は危うく顔を上げるところだった。

 気品を感じさせる丁寧な口調ではあったかもしれないが、ひどくしわがれていて、人間のものとも思えぬ声だったのだ。

 俺は、つい、好奇心にかられ、用心の為に装備に同化させていたローグやザガード、そしてガノンのコンビネーションからなる、以前にオリヴァーさんに叱られた後は封印していた、〈使い魔〉の鋭敏な感覚を駆使した生体分析を命令してしまったのである。

 その結果判明したことは、クラウディアなる人物は、確かに二十代半ばの女性だと言うことだ。

 更には、それ以外の事実も色々と分かってしまった。


(え? く、黒い薔薇って異名は、紋章からきたんじゃ無くて、これが由来なのか!?)


 愕然とした俺は、次の瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 俺の肩から眼だけ出したローグの視界に映った、こちらを一瞥したオリヴァーさんの目つきが、凄く怖いものだったのだ。

 密かにガクブルする俺を置いて、オリヴァーさんと男爵夫人の会話が進む。


「クラウディア様。ご多忙の中、お目通りいただき、ありがとうございます」

「いえ、到着したばかりで、お疲れのところを、わざわざ足を運んで貰ったのです。礼を言うのはこちらですよ」


 本来であれば二日かかる旅程が、どういうわけか一日もかからずに到着してしまったのだ。

 予定していた諸々の準備や段取りが間に合わず、せめて、慣習的な儀礼として、ブラーシュ男爵の庇護に入るオリヴァーさん、及び、その遠因ともなっている俺だけでも、まずは目通りすると言う次第だったようだ。

 その儀礼を済ませ、詳細な諸々を後日に改める旨を示す実務的なやり取りの後、俺たちは男爵夫人の部屋から退出した。

 そして、中に控えていた侍女の手により、扉が閉まった瞬間。

 オリヴァーさんは俺の耳をひっつかむと、そのままぐいぐいと引っ張って、憤然として先ほどの部屋へと歩き出した。

 これには控えていたトゥーラさんも呆気にとられたようだ。


「痛てて。あの、痛いんですけど」

「なんだって?」


 綺麗な眼でジロリと睨まれ、俺は言葉をのみ込んだ。


「他の連中では礼を失すると思えばこそ、君を選んだのに、よくも私を失望させてくれたな」

「…………」

「返事はどうしたのかな?」

「す、すいません。つい……」

「謝ってすむと思うかい」

「痛い、痛いって。勘弁して下さいよ」


 そんな会話をしながら、オリヴァーさんに耳を引っ張られていく俺を、トゥーラさんは何とも言えない表情で見送っていた。

 つか、案内の人を放り出して、そんなにずんずんと歩いていくのも失礼だとは思うのだが、さすがにそれを口にするどころじゃなかった。


 先ほどの部屋に戻る頃には、オリヴァーさんの頭も少し冷えたようだった。


「ふむ、まぁ、急かされたとは言え、事前に説明をしなかった私も悪かったか」

「ええと、あの人……」

「君には、いや、君の〈使い魔〉達にはどう見えた?」


 俺は、ローグの視覚が捉えた、服の隙間やベール越しに覗けた男爵夫人の肌を思い出し、思わず生唾をのみ込んだ。


「その、いわゆる黒い肌って言うのはありますけど、あれはそんなものじゃないですね。まさに闇の色っていうか。ああ、それを誤魔化す為の黒い服なんですね。それと、棘みたいなのがびっしりと生えていて……」

「そこまで見たなら、黙っていても今更だな。ここの領主たるブラーシュ男爵夫人は、皮膚の病を患っておられるんだ。特殊な皮角症とでも言えばいいのかな」


 それを聞いた俺が、最初に感じたのは疑問だった。

 病気なのはわかったが、それならばどうして治癒魔法で治してしまわないのだろう。

 先日に宮殿に行った時、〈聖祈の勇者〉である美穗は、あちこちの貴族に呼ばれて病や怪我を治して回っていると聞いたのだが。

 首を傾げている俺を見て、オリヴァーさんは深い溜息をついた。


「あれは治癒魔法では治らない。治癒魔法の根本は、言うなれば狭義の意味での状態ステータス異常の除去だからね」

「はい?」

「だから、生来の病いに対しては効かないんだ。その人間にとっては、それが生まれついての『正常』な状態なんだから」


 要するに、遺伝的な要因の病には治癒魔法が効かないと言うことなんだろうか。

 なおも首を傾げる俺に、表情を消したオリヴァーさんは、淡々と続けた。


「例えば、シャルロッテだ。あの子は生まれつき心臓が弱い。私が定期的に処方する薬で人並みには過ごせるけど、あの子の本質から言えば、それは異常な状態と言うことになる」


 その言葉を聞いた時、俺は何のことかわからなかった。


「えーと、シャルロッテちゃんがなんですって?」

「あの子は私の処方する薬無しには生きられない身体なんだ。本来であれば、とっくに死んでいる筈だと、そう言ってるんだ」


 無表情に、そして、無感動に。

 オリヴァーさんの口調はあくまでも静かだった。


「な!?」

「だから、治癒魔法なんぞはあの子にとって致命的とも言えるね。薬でもって生来の状態を、ある意味、歪めることで生き続けているんだから。それを『元通りに』戻されたら……」


 あまりのことに絶句する俺に構わず、淡々と紡がれたオリヴァーさんの言葉がふと途切れた。

 無表情、無感動を装うその下に、たやすく言葉や態度に表すことのできない膨大な感情のうねりがあるのが、俺にもはっきりとわかった。

 そう言えば、シャルロッテちゃんが、あまりはしゃぎ回ったところを見た事が無い。

 せいぜいが、例えばここに来る途中で見た、バニーな格好でのターンとか、その程度である。

 むしろ、年齢に似合わぬ大人びた態度を取っていることが多いが、それは、自分でも分かっていたせいなのだろうか。

 重苦しい沈黙の時間がややあって、そして、オリヴァーさんは何かを吹っ切るように大きな息を吐いた。


「まぁ、シャルロッテの場合は、少なくとも、私の処方薬があれば解決する話だからね」


 そう言葉を発した時には、いつものオリヴァーさんに戻っていた。


「だけど、ブラーシュ男爵夫人の場合は、気の毒だが明確な処方が無い。先代のブラーシュ男爵から依頼を受けたガイナス導師も色々と探索したけど、ついに解決方法を見つけられなかったそうだよ」


 そんな男爵夫人に対し、無神経にも〈使い魔〉を使ってあれこれと探査した俺に、オリヴァーさんは激怒したのだろう。

 だが、その激情が収まると、さすがにやり過ぎたと思ったようだ。


「ええと、つい、かっとなってしまって、その、耳を……」


 並んでベッドに腰掛ける格好となり、すまなそうな表情になったオリヴァーさんは、少し可愛いと思った。


「いえ、大丈夫ですよ」

「本当にすまなかったな。ああ、こんなに赤くなってしまって。痛かっただろ」

「こんなものは唾でも付けとけば治りますって」

「ふむ、その手もあるか。それじゃ……」


 オリヴァーさんは、いきなり俺の頭を豊かな胸元に抱き寄せた。

 唐突に幸せな感触に顔を半分埋めることになった俺は、次いで柔らかく湿ったものが耳たぶを這い回るのを感じた。

 いや、唾をつけとけばって言ったけど、そんな意味じゃ無いですから!

 だから、舐めちゃ駄目だって。それに、息を吹きかけないで。

 この部屋に来るまでの苦痛な地獄から、紆余曲折を経て、天国への階段を一気に駆け上がった俺は、勢い余って危うく昇天するところだったかもしれない。

 ともかく、先ほどまでのシリアスな雰囲気が台無しになったのは確かだった。



    ◇◆◇



「お目通りが済んだのに、一向にこちらに来る気配が無いと思っていたら。まだ日も高いと言うのに、何やってんのよ」

「ん? 単なる治療だぞ。湿布薬が手元になかったから、代替手段を行使したまでだが」


 呆れたような声を出すマルタに、オリヴァーさんがきょとんとした表情で答えている。


「あんたって、色々な方面に長じているようで、妙なところで無垢なのよねぇ」


 マルタは溜息混じりに諦めたように言った。

 そして、ちらりと俺の方を見たようだが、俺としては鼻腔の奥に感じる熱い塊を押さえるのに必死でそれどころではなかったのだ。

 そんなやり取りをしつつ、俺とオリヴァーさんは、あの部屋まで迎えにきたマルタに連れられて、城の近くに用意された、ここでの住居に行くところだった。

 男爵夫人への挨拶を予定に組み込まれていた俺は、特別に城内の一室を貸してもらったわけだが、それ以外のメンバーは、そこへと案内されたのだそうだ。

 そうしてマルタに連れて行かれたのは、ごく普通の一軒家だった。

 狭いとかみすぼらしいわけではないのだが、少なくともこれは豪邸のカテゴリには入らない筈だ。

 王都での住まいに比べれば、数段上とは言うものの、仮にも領主のお声掛かりで用意された家にしては質素に過ぎると言えよう。

 もっとも、キロヴォフラート城自体もそれほど大きなものでは無い。

 つい、国王の居城であるアンベルク宮殿と比べてしまうが、それを差し引いても、男爵領はあまり豊かとは言えなさそうだった。

 そんな思いが顔に出てしまったらしく、オリヴァーさんが男爵領のことを説明してくれた。


「どちらかというと、武に偏っている土地柄かな。鉱山とかがあるわけでも無し、狩猟以外にこれといった産業も無いのは、なまじ王都に近いだけに、目端の利く者はそっちへ行ってしまうからだね」

「確かに、上空から見ても耕作地とかも少なかったし、寂れた領地って感じだったわ」


 マルタが同意するように言う。

 事実、上空に放ったローグの視覚情報もそれを裏付けていたわけだが、俺はふと引っかかるものを感じた。


(マルタのやつ、いま、上空から見たとか言ってなかったか?)


 その疑問を口にする前に、目的地である一軒家の玄関が開き、シャルロッテちゃんとノインが飛び出してきた。


「お帰り~」

「お帰りなさい、なのじゃ」


 子供達はものの数時間で自宅として馴染んでしまったらしい。

 俺達は半ば苦笑しながら「ただいま」と答えたのだった。

 その家にいたのは、子供達以外は、どういう経緯なのか眠っている様子のカーヤと、そしてクララさんだけだった。

 エッカルトさん達男性陣は、男爵領の冒険者ギルド支部まで出かけているらしい。

 ついでに、そこで宿の手配をするそうで、確かにオリヴァー一家と〈暁の翼〉、そして元騎士の全員が寝泊まりできるほどのスペースはなさそうだ。

 まぁ、エッカルトさん夫婦とゴッドリープ、イザーク、そしてヴェルナー氏は、ガイナス導師が話をつけた時には予定になかった面々なので、それも仕方の無い話なのだが。

 つか、この機会に俺もそろそろ、女性だけの家から独り立ちしようとか考えたのだが、いつぞや、似たような話をした時の、オリヴァーさんやシャルロッテちゃんの悲しそうな顔を思い出し、それはやめておくことにした。

 それはともかく、飛び出してきたノインとシャルロッテちゃんは、それぞれに俺の手を引いておねだりを始めた。


「散歩につれてけ、なのじゃ」

「お散歩、お散歩」


 マルタが俺たちを迎えに出ている間、すっかりと退屈したらしい。

 治安などに問題は無い筈だが、それでも子供達だけで見知らぬ土地を行かせるわけにはいかないと、クララさんが足止めしていたようなのだ。

 そのクララさんは足が良くないし、カーヤは目が覚めないので、俺たちがやってくるのを待ちかねていたのだろう。


「ふむ、コウイチが一緒なら問題無いだろう。私とマルタは、伝書鳩ブリフ・ターベで送る王都のガイナス導師や職人宛の文を書かねばならんからな。とにかく、気を付けて行っておいで。ああ、走ったりするんじゃ無いぞ」


 末尾の言葉はシャルロッテちゃんに向けられたものと思われたが、ともかく、そんなオリヴァーさん達に見送られ、俺と二人の幼女は散歩に出かけることになった。


 どこに行くと言う当ても無い、文字通りの散歩だったはずだが、ノインは明確な意図があるようだった。


「こっち、こっちなのじゃ」


 と、ぐいぐいと引っ張ってくる。

 俺もシャルロッテちゃんも特に反対する理由もなかったから、それに従っていたのだが、やがて険しい森の中に入り、なおも奥を目指していることに気づき、俺はノインを止めることにした。


「ちょ、ちょっと待て。これ以上進むのは、さすがにまずいぞ。道が分からなくなって帰れなくなる」

「ふふん。貴様の〈使い魔〉どもがいれば、そんなことはないじゃろう。とは言え、ここまでくれば、まぁ、人目も無いし、充分じゃろう」


 周囲を軽く見回して、そんな言葉を口にするノインだった。

 やはり、意図的に人目の無い場所へと誘導していたようだ。

 そして、その目的は直ぐに明らかになる。ノインがシャルロッテちゃんにこう言ったのだ。


「おぬし、自分の身体のことはわかっておるな」


 その唐突な問いに、さすがにシャルロッテちゃんも即答できなかったようだが、しばらくして、ゆっくりとうなずいた。


「はい。お母様が時折に処方して下さる薬が無ければ、シャルロッテは生きてはいなかったでしょう」

「そうか。じゃが、妾の見るところ、その薬での補正も、そろそろ限界のようじゃの」

「な、なんだって!?」


 そのノインの台詞に俺は愕然としたわけだが、当のシャルロッテちゃんは寂しそうに微笑んだだけだった。


「そうですね。最近では、薬を飲んだ翌日でも、少し胸苦しい時があります」

「さもあろう。実を言えば、妾は時空魔法の応用で、その人間が数年後にはどのような成長を遂げるか、見ることができるのじゃ。これは、対象が年少の者限定にはなるわけじゃが……」


 ここで、ノインは少し躊躇ったようにも見えた。


「どうやっても、おぬしのそれが、数年後どころか数日後としても見えなんだ」


 つまり、シャルロッテちゃんの寿命は、あと数日も無いと言うことになる。

 俺は、立て続けに受けた大きな衝撃を、急速に理不尽な怒りへと転換してしまったようだ。

 ガノンを呼び出し、ぷるぷると震えるスライムを握り潰さんばかりにして詰問した。


「お前、俺たちの体調をモニタしていた筈だよな。なんで今まで黙っていた!」

「そのガノンを攻めるのは筋違いじゃ。妾の見るところ、何かしらの制約に縛られていたようじゃしの」


 そうだ。

 プライバシー保護を名分に、詳細なモニタリングを禁止させたのは俺自身だ。


「それに、いかな無殻ウーエントとは言え、明確な指標無しには個人差なのか、異常なのかの判別はつくまいよ」


 確かに俺たちの世界でも、心電図やらX線写真やらの詳細なデータを得ることができたとして、医療の知識の無い人間が、それから何かを読み解くことは不可能だろう。

 それはそうなのだが、理性で納得しても、だからといって感情的に収まるものでもない。

 俺はつい、怒りの矛先をノインに向けてしまった。


「お前、よくそんなに平気でいられるな」

「妾とて、シャルロッテが、このまま夭折するのを座視するつもりは無い。じゃが、妾の聖双角セラピスではどうにもならぬ。あれは戦闘以外には能が無いからの」


 俺の怒りをあっさりといなすように、ノインは言葉を紡いだ。


「ただし、貴様の化身アバタルならば、それが可能じゃ」

「俺の……何だって?」


 その耳慣れない言葉に、俺は思わず聞き返した。


「むぅ、記憶が無いのじゃったな。ええい、面倒な……あ、そうじゃ」


 ノインは何かを思いついた様子で、その小さい手をかざした。

 次の瞬間、そこに現れたのは、あの亜空間で、彼女が唯一身につけていたベルトだった。

 そして、俺の手の中にあるガノンが、それを欲しているのが伝わってきた。


「本来であれば、貴様には専用に調整した品が必要じゃろうが、まぁ、無殻ウーエントとアレだけならば、これでも代行が可能じゃろ」

「アレ?」

「貴様にとっては、六番目の化身(ゼクス・アバタル)になるかの。『ドレイグ』の銘で盟約を結んだ界樹ユグドルじゃ」


 そう言って、ノインは、手にしたそれを放って寄越してきたのだった。

感想欄でご指摘のありました通り、当初の黒薔薇さんは、導師関係の褐色&薔薇系なムキムキマッチョで書いてましたが、さすがに考え直して全面的に修正しました。

そんな事情で、今回『六つ目』はタイトルと台詞だけと相成りました。

変身は次回の冒頭です。


次回『第51話 暴走する界樹』 7/31 6時


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