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第48話 男爵領へ

薬師→主人公 の視点となります。

長くなりますが、途中で区切りがつきませんでした。

 アンベルク王都からブラーシュ男爵領までは〈黄の騎士団〉によって整備されたヴェレンカ大街道を使えば、早馬だと一日もかからず、一角獣ユニコーンであればものの数刻で往来可能と言う距離感になる。

 私達が乗っている四頭立ての馬車の場合、荷駄車を牽いていることもあり、そこまでの速度は出せないが、それでも二日程度で到着する見込みだ。

 ちなみに、現在、この馬車の客席に乗っているのは、私と娘のシャルロッテ、エッカルトの妻であるクララと、もう一人の四人だ。

 元女冒険者であったクララだが、その引退の要因となった足の負傷が完全には癒えず、歩くのは何とかなるとしても、とてもではないが馬に乗るのは難しいようだ。

 御者台に乗っているイザークについては、むろん、彼の乗れる馬が滅多にいない為で、それこそ、一角獣ユニコーン鷲馬ヒポグリフでもなければ、この巨躯には耐えられないだろう。

 イザーク以外の〈暁の翼〉の面々は各々に馬を駆り、この馬車を護衛するような位置を進んでいる。

 騎馬の経験もろくに無いと言っていたコウイチも、鞍に跨がった姿勢に若干の危なっかしいところはあるものの、きちんと馬を操り、皆に遅れること無くついているのが意外と言えば意外だった。

 ただ、コウイチの場合はなんとなくズルをしているようにも思えるのだが、いまさらでもあるし、そのあたりは大目に見ようと思っている。

 そして、このささやかな旅の集団には、いま一人の人物が騎馬で同行していた。

 エレオノーラの紹介状を持って、王都の城門で待ち受けていたヴェルナーと名乗る男がそれだ。

 おおよそエッカルトと同年代のにこやかな、より正確には、笑っている状態が地顔では無いかと思われる男だった。

 私には見覚えが無かったが、コウイチがこっそりと耳打ちしたところによると、いつぞや、飛龍騎士団が多大な犠牲を被ることとなった、四体の鷲獅子グリフォンが襲来した時に、軍務卿の傍らで参謀を務めていたようだ。

 その後、鷲獅子グリフォンの襲来を防げなかったことと、飛龍騎士団が壊滅的な被害を受けたことの責を一身に負って、地位と身分を剥奪され、投獄されたのだとコウイチは伝えてきた。

 おそらくは軍務卿に累が及ばぬように、そのような境遇を自ら受け入れたものと見受けられるが、自己保身を優先する輩ばかりのアンベルク宮殿には珍しい人材と言うことになる。

 そのような男が私達の目の前に現れたのは、間違い無く軍務卿閣下の差し回しだろう。

 どちらにせよ、このヴェルナーなる人物がただ者である筈も無い。

 あの界隈が大騒ぎになることは目に見えていたので、ガイナスの采配もあって、今日のこの日に、私達がブラーシュ男爵領へ居を移すことは極秘に進めていたはずなのだ。

 それなのに、私達の出発を知っていたかのように待ち受けていたことも、彼が油断のならない人物であることの証明と言えよう。

 ともあれ、私としてはあまり気が進まないが、エレオノーラの面目を潰すわけにもいかないと言うこともあり、こちらも知らん顔をして接することにした。

 エッカルトの見立てでは腕もたつようだし、二日の短い旅程とは言え、このヴェレンカ大街道付近にも、ここ最近では上位種の魔物が出没するとのことなので人数は多い方が良いだろう。

 ギルドが管轄する狩り場にも、犬鬼コボルトが現れるご時世で、アンベルクも警備に手が回らないのだ。

 もっとも、いかな上位種とは言え、上位猪鬼ハイ・オーク程度なら、現在では脅威にもならない。

 いや、コウイチが本来の能力を発揮すれば、鷲獅子グリフォンですら何ほどのものでもないわけだが、私が言うのは、この馬車に搭乗するもう一人の人物――シャルロッテといっしょになって、車窓から見える外の景色にいちいち歓声を上げているノインと言う幼い娘の存在だ。

 コウイチが〈ビブリオ〉から帰還した時、いっしょに連れ帰った娘で、なんと、牛頭鬼ミノタロスの正体にして、オムー文明の生き残りだと聞いた時は、私もガイナスも〈暁の翼〉の面々も、あまりのことに声も出なかった。

 だが、コウイチは嘘をつくような若者では無いし、ノインなる娘の受け答えもそれが事実であることを裏付けていた。

 少なくとも、学術院における古文書解読の第一人者を自負する私の諸々な問いに、即座に答えられる娘がただ者であるはずも無い。

 知識量で言えば、古文書全般の専門家と称する典礼局の文官程度では、この娘の足元にも及ばないだろう。

 そして彼女の身の振り方に関してコウイチから相談を受けた私は、即座にブラーシュ男爵領まで一緒に連れて行くことを決めていた。


「これが女でなければ、儂の方で何とかしてやれるがなぁ」


 とはガイナスの台詞だったが、このまま彼女を王都に置くわけにはいかないと言う点では、私と意見は一致した。

 万が一にも、宮廷や神殿に彼女の身柄を渡すわけにはいかない。

 そうなれば、どう考えても、彼女にはろくでも無い運命が待ち受けることになるのは間違い無い。

 なお、オムー文明の生き証人たる彼女と引き替える形で、迷宮〈ビブリオ〉が消失したことを聞いたガイナスは、さすがに少し考え込んではいたが、結局はあっさりと割り切ったようだった。


「ま、古文書の存在自体よりも、それがあると宮廷側が思っている事が重要じゃでな。ギルド側でも完全には管理できぬと言うことで、隠し札の中でも持て余しておったシロモノじゃったから、ある意味、重荷がなくなってせいせいしたわい。むしろ、古文書なるものの実体が、落書きや与太話とバレぬうちに隠滅できたわけじゃし、そちらの方が良かったのやもしれん」


 個人的には、オムー文明における落書きや与太話こそ、学術的にも貴重だと思わないでも無いが、それはともかく、実に太っ腹というか、これこそがおとこと言うものなのかもしれない。

 あるいは、ノインの存在こそが、今後における冒険者ギルドの隠し札と言うことにもなるのだろうか。

 そのノインだが、コウイチにねだって〈使い魔〉をせしめたシャルロッテが、馬車の中で、大鬼もどきにおままごとの相手をさせたり、剣牙狼もどきの尾にリボンを結んで玩具にしているのを見て、ひどく驚いたようだ。


神鬼デモノス皇獣カイザティーアを……何と言う剛胆な娘か」


 私としては、彼女がその小さななりに、不釣り合いなどと言う表現では追いつかないほどの巨大な斧を軽々と振り回し、王都を出て早々に遭遇した十数匹にも及ぶ猪鬼オークの群れを次々と一撃で両断したことの方が驚きだった。


「ふん、この程度の魔物なら、このままでも充分じゃ」


 いったいどこから取りだしたかも分からぬ長大な斧を、猪鬼オーク達の死骸共々再びどこかへ仕舞い、勝ち誇った声でそう言ったノインだが、そんな彼女も、〈使い魔〉を平然として遊び道具にするシャルロッテには一目置いたようだ。

 それはつまり、シャルロッテの母親である私にも重きをおいてくれたようで、これは何かと助かる話でもあった。

 何しろこの娘ときたら、当初は服を着せられるのをひどく嫌がったのだ。

 素裸の彼女を抱えてきたコウイチに、あらぬ疑い(?)をかけてしまったのだが、それが誤解だとする彼の主張を、ひとまずは納得する程度に手こずったのは事実である。

 いまでこそ大人しく、私に着せられるがままになったわけだが、これはシャルロッテや私に渋々と従っていると言うところだろう。

 もっとも、本人は嫌がっているとしても、大事に取っておいたシャルロッテのお古がこの上無く似合っているのも事実で、今の見栄えは実に可愛らしいと思う。

 そのシャルロッテだが、自分より小さなノインに対して姉のような気分になっているのか、何くれと無く世話を焼いている。

 そして、ある事情で王都から出たことの無かったシャルロッテもそうだが、ノインも〈ビブリオ〉以外には何かの施設に閉じ込められていたとかで、外の世界が珍しくてしょうがないようだ。

 仲良く交互に車窓の外を指さして、あれこれと語らっている二人を見ると、思わず頬が綻んでしまう。

 それはいっしょにいるクララも同じ思いのようで、微笑んでいる彼女と目が合い、つい、お互いに噴き出してしまった。

 何にせよ、コウイチの帰還から出発までの時間が短かったので、あまり詳しいことは聞けていないのだが、今夜あたりにでもノインと色々と話をしようと思っている。



    ◇◆◇



 何と言うか、実に慌ただしい話だった。

 迷宮〈ビブリオ〉から帰還したと思ったら、オリヴァーさんを始めとする面々が顔を揃えていて、そのまま王都を出ると言うことになっていたのだから。

 もっとも、既に〈黒の騎士団〉の襲撃があったことを考えると、そうも言っていられない。拙速は遅功に勝るというやつだ。

 俺自身の荷物は背嚢一つに収まる程度のものを入れっぱなしにしていたので、その意味では身軽なものではあった。

 ちなみに、義妹達に一言も断らずに王都を出ることになった点は、特に心配はしていない。

 先日に宮殿で話をした際にも、この世界をもっと知る為に王都の外にも出る旨は伝えていたこともあり、そもそも麗香や鈴音もプレニツァ王国まで出かけたりしてるし、美穗も同様に時折は国外まで出かけていることがあるようなのだ。

 義妹達がそれなのに、兄が何時までも王都周辺に引きこもってはイケナイと思う。

 何より、麗香はいつでも俺の位置を捕捉できるようなので、どこにいようとも音信不通になるなどと言うことは無い筈だ。

 神殿や〈黒の騎士団〉への対処などは、麗香達に相談しても良かったかなと、いまさらに思うところもある。

 とは言え、面倒ごとに義妹達を巻き込むのも気が引けるし、これはこれで、ある意味では正しかったのかもしれない。

 そんなことをつらつらと考えていると、傍らを進んでいたマルタが馬を寄せてきた。


「騎馬の経験が無いといってた割には、ずいぶんと手慣れたものねぇ」

「あー、経験はともかく、教わってはいるんだ」


 現在進行形で、という言葉を省略して俺はそう答えた。

 剣牙狼もどきはシャルロッテちゃんにキープされてしまったが、以前に乗った驢馬イーゼルとは違い、ギルドから借り受けた馬は、いちおう乗馬用として躾けられている。

 だから、うなじに張り付いたガノンの指示通りに手綱や鐙を操作すれば、扱うのはそれほど難しいわけでは無い。

 鞍を太腿で挟むようにするとかバランスの取り方など、リアルな感覚込みで情報が来るのは、それこそ手取り足取りで教わっているようなものだ。

 このガノンの分析能力と、それを感覚的にフィードバックする能力を駆使すれば、各方面における達人の動きをトレースするのも何とかなりそうだ。

 もっとも、そのように動かすには相応の鍛錬が必要なケースもあるわけだが、現在のペースで騎乗するだけであれば、カンニング混じりな付け焼き刃でも充分と言えた。

 なんにせよ、あの〈ビブリオ〉から戻った時に、ガノンとの共有能力も色々とレベルアップしたようなのだが、その理由は皆目見当もつかない。

 そして能力と言えば、これはレベルアップと言えるかどうか微妙なものがもう一つある。

 冒険者ギルドの隠し札である迷宮ダンジョンとしての〈ビブリオ〉は消失したのだが、あの亜空間自体が無くなったわけでは無い。

 例えば、実装試験体アオスフューラーの九号、つまり、認識番号をとってノインと名のることにした例の幼女だが、彼女は再起動した亜空間〈ビブリオ〉に自由にアクセスができる。

 具体的には、生命体以外のものを〈ビブリオ〉に送り込んだり、逆に、それを取り寄せたりができるのだ。

 先刻に遭遇した猪鬼オークの群れに対峙した時も、亜空間に置いていた長大な斧を取り寄せたり、魔物を退治した後はその死骸もろとも亜空間に仕舞ったりしたわけだ。

 そして、その〈ビブリオ〉に同調設定された俺も、同じことが可能なのだ。

 無限大とはいかないし規模を縮小したようではあるが、それでも、かなりの広大な容積を持つ亜空間を、物品の保管場所として自在に使える。

 要するに、これってアイテムボックスじゃね、と思う次第だ。

 迷宮ダンジョンを踏破してお宝をゲットすると言う王道パターンとは少しズレるが、ノインを連れ帰ったことを除いても、あの探索クエスト自体はまるきりの無駄にはならなかったようだ。

 再びそんな考えに沈んでいると、先頭を行くエッカルトさんから、小休止を告げる声が聞こえてきた。


 降りた馬を適当な木に繋ぎ、軽く背伸びをしていると、後ろからシャルロッテちゃんの弾んだ声が聞こえてきた。


「ほら、見て見て~」


 振り返ると、そこには実に可愛らしい存在があった。

 兎の耳がついた耳当てに、モフモフな手袋と長靴。

 なんとシャルロッテちゃんが、花柄刺繍のワンピースに加えてケモミミな格好をしているではないか。


「可愛いでしょ」


 その場でくるりと回ってみせるシャルロッテちゃんに熱心に頷いていると、ノインの手を引いたオリヴァーさんが苦笑しながら歩いてきた。


「私がうたた寝した隙に、二人して荷物をあさって見つけてしまったのだ。まったく、子供は油断ならんもんだな。まぁ、いくら何でも『これ』は小さすぎたので、シャルロッテにくれてしまうことにしたよ」

「いやあ、実に可愛いと思いますよ」

「や、やはり、こういうのは好きなのか?」


 オリヴァーさんが、急に真剣な表情になって尋ねてきた。

 近くにいたマルタとカーヤも、固唾を飲んで俺の応えを待っているようだ。

 その態度に若干の違和感を覚えつつも、俺は素直に頷いた。


「ええ、好きか嫌いかで言うと、好きですね。ただ……」


 ニコニコと微笑んで、もう一回くるりとターンするシャルロッテちゃんを見ながら、俺は何かが欠けていることに気がついた。

 モフモフ中のモフモフにして、キングおぶモフモフと言うべき肝心なものが無い。


「う~ん、尻尾が無いのは残念かな。それがあれば完璧だったのに」


 俺が何の気無しにそう言った途端、その場の雰囲気が瞬時に凍り付いた。

 正確には、居合わせた中の三名が、それぞれに絶望、愕然、驚倒と言った三様のオーラをブリザードのような強烈さで放ったのだ。


「シ、シャルロッテに……し、尻尾を望むのか」


 咄嗟にシャルロッテちゃんを庇うように抱えたオリヴァーさんが、蒼白になって言う。

 その美しい唇が紫色になり、驚愕に見開かれた綺麗な眼に怯えの色が浮かんでいるのは尋常ではない。

 一方のシャルロッテちゃんは、きょとんとして俺を見つめている。

 たぶん、俺も同じ表情になっている筈だ。


「あ、あの、どうしたんですか?」


 俺が近づこうとすると、シャルロッテちゃんを抱えたままオリヴァーさんが後ずさり、マルタとカーヤがその前に立ちふさがった。


「あんな年端もいかない子供に、なんてことを……」

「同感です。いくら何でも、ひどすぎます」


 二人とも、信じられないと言う表情を浮かべ、口々に俺を非難してきた。


「え? ええ!?」


 この世界では、ケモミミな格好における肉球手袋や長靴は良くても、尻尾はタブーなのか?

 俺は慌ててガノンに検索させたが、焦った反応しか返ってこない。

 つまり、常日頃からローグやザガード経由で各方面の情報を収集している筈のガノンも、全く知らない事実があったと言うことだ。


(ええと、パンツルックならともかく、確かにワンピースで尻尾というのは無理があるかも。いや、腰の後ろに縫い付けたり、ベルトか何かで……ひょっとして、それがとてつもなくイケナイことなのか)


 助けを求めるように周囲を見回すが、エッカルトさんは訝しげに見ているだけだし、ゴットリープなどは、女性陣から非難されている俺が悪いと決めつけているようで、冷ややかな視線を向けてくる。

 つか、きちんと自分で確認するか、双方の言い分を聞いてから判断しろや、ゴラァ。こんなんだから、痴漢冤罪や偏見とかが無くならないんだ。

 イザークは無表情で我関せずと言う態度だし、もう一人の元騎士に至っては相変わらずにこやかにしている。

 不意に殺気を感じ、咄嗟に身を沈めた瞬間、今まで俺の頭があった空間を長大な刃物が通過した。

 そして振り抜いた斧をすかさず構え直した幼女型ノインが、ジロリと俺を睨んできた。


「貴様、とんでもないことを口にしたようじゃな」

「ちょ、ちょっと待て。俺、何にもしてないぞ」

「ふん、悪は芽吹かぬうちに摘み取らねばならん。犯罪は起こってからでは取り返しがつかんのじゃ」

「いや、だって、何がどうして悪いのかがさっぱりで……」

「よいか。自覚して成す悪より、知らずして成す悪、正義の名の下に成す悪の方が罪深いと知れ」

「いちいち、ご尤もなんだが――やっぱり納得いかん」

「ええい、これ以上の問答は無用じゃ!」


 ノインが再び斧を振り回して襲いかかってきた。

 むろん、俺は逃げだした。


「うわわ、危ないだろ。つか、殺す気か」

「安心せい、峰打ちじゃ」

「その斧、両方に刃がついてるじゃないか!」


 そんな俺たちの攻防――正確には俺が一方的に逃げ回っているのを見ながら、エッカルトさんとヴェルナー元騎士が無責任な会話を交わしているのを、ザガードの聴覚が捉えていた。


「いやぁ、凄いな。あんなちっちゃな子が、あんなでけぇ斧を振り回すなんざ、こうして見ていても信じられん」

「そうですな。しかも、力任せに振り回すと言うわけでも無く、きちんと制御しているところはただ者ではありませんねぇ。あの子、何者なんです?」

「ん~、冒険者ギルドの秘蔵っ子ってところかな」


 ノインの正体は、一応は宮廷側の人間であるヴェルナー氏には内緒にすることに決めてある。


「しかし、あの子も凄いですが、コウイチと言う若者もたいしたもんです。見た目は危なっかしいですが、紙一重で躱してますねぇ」

「そうだな。逃げながらもノインの動きを完全に見切っているみたいだな。後ろに眼があっても、ああはいかないぜ」

「ふむ。員数外の八人目と言う話でしたが、これは宮殿も判断を誤ったかもしれません」


 上空に放ったローグの視認能力で、ノインの予備動作は丸わかりである。

 長大な斧という得物は破壊力こそ絶大だが、動き自体は単純でトリッキーな要素は皆無と言うこともあり、ガノンに未来予測をさせるのは難しい話では無い。

 とは言え、身体能力に雲泥の差があるので、ギリギリで躱すのがやっとなのだが。


「ええい、こんな余計なものがなければ……」


 ノインが苛立たしそうに、時折、着衣に手をかける。

 その気になれば、引き裂いてしまうのも簡単だっただろうが、シャルロッテちゃんが大事にしていたものを粗雑に扱わない程度の分別はあるようだ。


「それにしても、二人ともたいした持久力です。あれだけの運動量なのに、疲弊する気配も無いとは」


 ザガードの聴覚がヴェルナー氏の感心するような呟きを拾った。

 ノインは時空魔法によって自分の身体を制御する能力があり、今はつるぺたな幼女だが、その気になれば美穗クラスのダイナマイツボディーを誇示する年齢まで自身を変えられる。

 おそらくは、その応用によって無限の回復力を持っているようなのだ。

 一方の俺はと言えば、これはもう、あからさまなドーピングだ。

 装備に潜り込んだドレイグが、内部のあちこちで点滴のように触手を突き刺し、疲労物質を取る一方で栄養補給をしているような状態にある。

 むろん、望ましい話では無いが、緊急避難としてはやむを得ない。

 それにしても、ノインのやつもいい加減にしてくれないかな。

 俺は微かな既視感を覚えると共に、この不毛な鬼ごっこに少しうんざりしてきた。

 いかな幼女とは言え、それを数千年も続けているようなベテラン相手に、いつまでも一方的にされているほど、俺は人間ができていない。

 そろそろ反撃に移ることを決めようとした時、上空のローグから警告が発せられた。

 新たな魔物が出現したのだ。


 突如として至近の地中から現れた大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースは、一応は昆虫型の多足類――ムカデとかゲジゲジに分類される魔物である。

 うねるようにざわざわと蠢く節足や、ぬらぬらと油塗れのような外殻は、人間にとって非常に生理的嫌悪を催す存在だ。

 とりわけ全長七メートルに及ぶ細長い巨体の先頭には、青銅色の巨大な老人の顔が有り、これが一種の擬態だと分かっていても対峙する者の戦意を著しく低下させる。

 現に、女性陣はどん引きだし、ノインに至っては「足が多いのはいやじゃ~。気色悪いのじゃ~」と、泣きながらシャルロッテちゃんにすがりついている。

 一番の戦力と考えていたんだが、これは計算外だったかな。

 そのシャルロッテちゃんは、少し涙目にはなっているものの、口元をきっと引き締めて、自分より小さなノインを護るように抱きかかえている。

 その二人をさらに抱きかかえたオリヴァーさんも、その美しい顔を若干引きつらせていた。


「う~む。噂には聞いていたが、じつに気味の悪い魔物だな」

「本来は山間部に出没する魔物なんだけどねぇ」


 オリヴァーさんに応えたのは、その傍らで腰の剣に手をかけて自然体で構えているクララさんだ。

 エッカルトさんの奥さんで、足を悪くして冒険者を引退したそうだが、なかなか綺麗な人だと思う。

 こんな時だが、俺としてはエッカルトさんに対する評価を、少し下方向に修正せざるを得ない。

 リア充と言う点を加味すれば、当然の話である。


「このヴェレンカ大街道を始め、あちらこちらの街道を拡大する為とは言え、山林を切り開いたり、地形を変えたりしているそうだからな。その弊害ということか」


 そんなオリヴァーさんの嘆息混じりの声を聞いて、俺は田原を心の中で罵った。

 あの脳筋め、インフラを整備するのは良いが、もう少し環境への配慮ってものを考えろ。


「女性陣は後方で援護だ。クララはオリヴァー達を頼む。俺たちは前へ出るぞ」


 エッカルトさんはそう言って、大剣を振りかざして走り出した。

 借りた馬は軍用訓練は受けていないので、騎馬で突撃と言うわけにはいかないようだ。

 エッカルトさんの後にイザークの巨体が続き、ゴットリープが後を追う。

 元騎士のヴェルナー氏は魔法筒マギス・ロアと槍を抱えて、三人の前衛より少し控えた位置取りをするようだ。


「この!」


 弓を構えたマルタが、前衛の三人から注意を逸らす為に、立て続けに矢を放った。

 魔物を覆う外殻の節目に命中するが、今のところ効果の有無は判断ができない。

 そして、カーヤは……カーヤはどういうわけか装備を外して、衣服を脱ぎ始めた。

 下着すらも外して全裸になると、今度は背負っていた荷物から何かを取り出して、ごそごそとやっている。

 気にはなるが、構っている場合じゃない。

 俺は〈使い魔〉達を一度還すと、エッカルトさん達に合流しようとして、その場で前のめりに倒れてしまった。

 先ほどまでの、ノインとの無意味な追いかけっこで筋肉を酷使しすぎたのだ。

 ドレイグを使ったドーピングでも、こればかりは何ともならない。


「ノインのやつめ、後で覚えてろよ」


 全く建設的にもならないことを呟きつつ何とか顔を上げると、前方で火球が炸裂するのを見た。

 ヴェルナー氏が魔法筒マギス・ロアに込められた火の攻性魔法をぶっ放したのだ。

 それと呼応するかのように、反対側に回ったゴットリープが、同様の攻性魔法を封じたプロムベを投げつけたようで、もう一つの火球が炸裂する。

 ノインが振り回した斧に匹敵するサイズの戦槌をイザークが叩きつけ、エッカルトさんが大剣を振り下しながら叫ぶ。


「こいつを倒すのは無理だ。とにかく、ダメージを与えて追い払うぞ」


 そう、大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースは上位種まではいかない魔物だが、とにかく図体がでかい。

 手数が多ければ倒すのは難しくないが、この人数や装備では打撃力が不足しているのだ。

 先ほどまでにローグが見渡した限りでは、応援に駆けつけてくれそうな戦力はなさそうだった。

 いや、他に往来が無いからこそ、獲物を襲うチャンスだと大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースも判断したのかもしれない。

 ともあれ、あいつに角鮫もどきの強力な一撃を食らわしたいが、これでは遠すぎる上に狙いが付けられない。


「だ、誰か。手を貸してくれ」


 俺がそう叫ぶと「はいニャ」と言う応えがあり、次いで、結構な力強さで身体を引き上げられた。


「お待たせしましたニャ」


 肩を貸す形で俺を支え、そう言って片目を閉じて見せたのは、カーヤだった。

 いや、カーヤだと言うのはわかるんだが、なんじゃ、その格好は。

 猫耳に、肉球付きの猫手と猫足。

 何だか言葉の語尾がおかしいのは、猫っぽい口元のマスクのせいか?

 ともかく、首から提げた水筒以外は、身につけているのはそれだけなのだ。

 俺は目を逸らすのも忘れて、あっけにとられてしまった。


「ほ、ほら、尻尾もありますニャ。あたしのだけ、一足先にできてたんですニャ」


 若干顔を赤らめて言うので、つい、そちらを見ると、小ぶりな桃の割れ目越しに確かに尻尾がピコピコとうねっているのが見える。

 つか、どうやって取り付けているんだろう。

 こちらを見ているクララさんも呆然としているようだ。

 しかし、どうしてオリヴァーさんの方は親指を立てて、カーヤに向かって頷いているんだろうか?


「あ、そうですニャ。最初のキーを、魔法陣を裏返さないとですニャ」


 カーヤはそう言いながら、躊躇うことなく、空いている方の猫手を俺のお腹のポケットに突っ込んできた。


「わ、ちょ、ちょっと!?」

「あれ、これは何ですニャ? 変なモノが当たったですニャ」

「莫迦、手を突っ込み過ぎだ。そんな格好するから……いや、何でもない」


 子作り云々を迫ったくせに、こいつ、じつはよく分かっていないんじゃないか?

 ともかくも、短い時間ながら、そんなすったもんだを経て魔法陣を裏返した後、カーヤは少し考え込んでしまった。


「ええと、あとは情欲をかき立てるわけですが、どうすればいいですニャ」

「は? つか、そもそも、これは一体、何の真似……」

「あ、そう言えば、エッカルトから聞いたクララとの馴れ初めが、確か、酔って手を出したとか、そんな話だったですニャ。つまり、男は強い酒を飲むと欲情するのですニャ」


 なんですと?

 咄嗟にクララさんの方を窺ったが、その表情に特段の変化は見られない。

 さすがに、この状況では聞こえていなかったようだ。

 一瞬、こめかみに青筋が見えたような気もするが、たぶん、気のせいだろう。

 俺がそんなことを考えた時のことである。

 そのクララさん達の背後、馬たちを繋いであった地面がひび割れ、もう一匹の大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースが現れたのだ。

 俺はその時になって、この魔物は雌雄のつがいで行動する旨、冒険者ギルドの指南書ガイドブックに記載があったのを思い出した。

 赤褐色をした巨大な顔の、その老婆を思わせる造形から、こちらが雌だろうとは思われたが、今はそれどころじゃない。


「きゃあっ」

「うぉ!?」

「しまった!」

「ひぃいいいいいっ」

「ノイン!」

「ニャッ!?」


 クララさんやオリヴァーさん達が悲鳴を上げる。

 ざわざわと蠢く節足を至近距離で目の当たりにしたノインは、どうやら気を失ったようだ。

 ムカデやゲジゲジの類いが本当に苦手らしい。

 そしてほぼ同時に、カーヤが首から提げた水筒の蓋を外して俺の口に突っ込んできた。

 その水筒には、あのホワイトブランデーが入っていたのだ。

 芳香のある刺激的な液体を嚥下しながら、俺は大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースが霧のようなものを放つのを見た。

 繋いであった馬たちが、その霧を浴びて次々と泡を吹いて倒れていく。

 この魔物は雄は酸、雌は毒を、それぞれに獲物に向かって噴霧する性質があった筈だ。

 どちらにせよ、そんなものを至近距離で浴びせられたら、オリヴァーさん達は無事では済まない。

 その大妖蜈蚣グロス・タオゼントフースが、再び霧を放つべく口を開いた。

 俺は咄嗟に空になった水筒ごとカーヤの身体を押しやりながら、盟約の証たる銘を呼ばわった。


「出でよ、ローグ!」


 それに呼応するかのように、俺の臍下丹田から、幾度目かの馴染みとなった感覚が沸き起こったのだった。

次回『第49話 黒い薔薇』

7/18 6時予定


感想欄で落書き等も重要な資料とのご指摘を頂いておりましたので、薬師の視点に追記修正しました。

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