第47話 失われる迷宮
思えば、初めてガノンと感覚を共有したのは、閉じ込められた格好となった物置部屋の錠前を開けようとした時だった。
いま、狂戦士状態となり、こちらからの思念を全て遮断している実装試験体の心を開くのも、あるいは、それと似たようなものなのかもしれない。
俺は無殻の能力を全開にして、捕らえた聖双角の全身をあらゆる手段で走査した。
元来は不定形で、触覚以外に固有の感覚を持たない無殻だが、俺と感覚を共有したガノンには視覚や聴覚、嗅覚の概念があり、自分でも眼球を形作るなどの器用なことができる。
ただ、視覚に関してはローグの、聴覚や嗅覚に関してはザガードの、それぞれの感覚を俺経由で共有した方が効率的なので、それ以上に感覚器官を再現する必要性は感じなかったようだ。
その代わりに、俺の知識にあった超音波探査や電子顕微鏡と言う、ミクロな世界を解析することには興味を覚えたらしい。
例えば触覚について言えば、最も器用なヴァルガンを上回るまでに研ぎ澄まされているところがある。
俺の世界でも、精密部品を仕上げる職人が指先でミクロン単位の凹凸を識別できる話は聞いた事があるが、ガノンの識別能力は分子レベルだろう。
その微細極まりない触覚を使い、聖双角の体表に刺激を与え、その反応を速やかに解析していく。
アメリカのテレビドラマや日本の小説に、表情筋の微かな動きで内面を見抜く話があるが、それと同じようにして、ガノンは驚くべき速度で聖双角の体表に存在する感覚受容体を全て把握した。
聖双角という究極上位種は、不死身と言えど無神経と言うわけでも無いので、当然のことながら痛覚をはじめとする各種感覚は存在する。
無殻は外部からの刺激を全てデジタルに捉えているだけなので、痛いとか熱いと言う感じはしないのだが、聖双角の場合はその反応からすると、ちゃんと「感じて」いるようだ。
それらの感覚に刺激を送り込み、遮断された思念への突破口を見つけようと言うわけだ。
うまくいくかどうかは分からないが、聖双角を正気づかせる手がかりとしては、現状ではこれ以外にアクセスする方法が無い。
「ん~、気づかせると言えば、とりあえずはこれが定番かな」
聖双角の顔にある感覚受容体に、密接した無殻から刺激を送り込んでみる。
これで、軽く頬をはたかれた感覚が生じている筈だ。
だが、全くの無反応なので、もう少し強めの刺激を送り込む。
当人の感覚としては、かなり強くはたかれている筈だが、一向に正気に戻る気配が無い。
「気が進まないが、対象をもっと広げるか」
いわゆる弁慶の泣き所と言われる向こう脛のように、決して耐えられない痛覚を刺激してやれば、あるいは正気に戻るかもしれないと、あちこちの該当する受容体に刺激を送り込んでみたのだが、怒りを増しただけに終わったようだ。
「やっぱ、不死身ともなると、痛みに対する耐性は半端じゃないな」
次に正気に戻す定番となると、冷水をぶっかけると言うところだろうか。
無殻には冷熱を操る能力は無いが、それを感じる受容体、冷点を刺激すればいい。
いわゆる涼感素材と同様の原理で、俺は冷気を感じるように刺激を送り込んでみた。
結果から言うと、これも駄目だったわけだが。
「しょうがない。暑さとか、痒みとか、それらの組み合わせも含めて片っ端から試すしかないな」
こうなると錠前を開けると言うより、まさに暗証番号を総当たりで解こうとするハッカーのような気分である。
目まぐるしく組み合わせを変える画面をまともに見ていると、それこそ目眩がしてくるのと同様の事情で、俺はそちらをガノンに任せ、主意識を聖双角の反応に向けることにした。
このガノン・フォームでは、そうした意識の分離が可能だったりする。
そして、主意識である俺は、擬似的な視覚情報としてモニタを生成し、聖双角の反応について、憤怒の感情を除去して投影した。
今のところ、そこに移っているのは、完全な無反応を示すフラットな線だけである。
「よし、始めてくれ」
俺の指示に従い、ガノンが総当たりのアクセスを開始した。
聖双角に対し、全身隈無く刺激を送り込んだのだ。
痛点、冷点、温点は元より、経穴の観点からも、強弱の組み合わせで、部分的、もしくは複数箇所同時に刺激していく。
そんな中で、非常に微かではあるが、反応が見られたような気がした。
「ガノン、そいつだ。ええと、複数箇所か、そこに集中しろ。最初から強くすると痛点も巻き込むようだから、ゆっくりと丁寧に始めるんだ」
俺は反応を示すモニタに集中しながら、ガノンに指示を下す。
ゆっくりと順番に、あるいは複数同時にアクセスすると、だんだん反応が大きくなっていくのがわかった。
『……ヤメロ』
それは拒否反応とも言えるものだったかもしれない。
だが、明らかに憤怒以外の、これは突破口に違い無かった。
「よし、いいぞ。だんだんに強くして反復しろ。ああ、時々弱くするとかして緩急もつけた方がいいかな。とにかく単調にならないようにするんだ」
モニタの前でガッツポーズを取るような気分で、俺はガノンに指示を続けた。
『ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、やめろ』
反応が大きくなると共に、その拒否の意思表示も明確になっていく。
いや、それは単なる拒否だけでは無く、もっと複雑なものがあるようだったが、この際そこはスルーだ。
ガノンが緻密なまでの技量でアクセスを続け、ついに、そちらの反応が憤怒の感情を上回った。
「やめろっ、お願いじゃ、それ以上はやめてたもれぇええ」
切羽詰まったような悲鳴の後、一瞬の空白が有り、その反応が何かの限界値を越えたようだった。
と同時に、遮断状態にあった障壁の一部が開いた。
「今だ!」
その隙を逃すまいと俺は主意識を思念体として、そこへ無理矢理にねじ込むようにして障壁を突破する。
ついに狂戦士状態の解除に成功し、実装試験体本体の意識に接触した俺は、次の瞬間、平手打ちをくらったような衝撃を受けた。
「ええと!?」
精神世界の中、そこにいたのは俺とたいして年齢の変わらない少女の思念体だった。
つまり、これが聖双角の召喚媒体たる実装試験体なのだろう。
南方系の小麦色の肌をした、なかなか綺麗な少女だった。
そして、彼女の振り抜いた手は、先ほどの衝撃が本当の平手打ちだったことを示していた。
まぁ、思念体同士だし、感覚も無殻と同化しているので、痛くも何ともなかったわけだが。
その肌のせいでわかりにくいが、少女は顔を真っ赤にして、そして何故だか、涙を浮かべて俺を睨み付けている。
「き、貴様、何と言うことを……」
「いや、その、あれれ?」
憤怒以外の反応を引き出した筈なのに、やっぱり怒ったままと言うのはどういうことだ。
「あれほどやめろと言うたのに……しかも……無理矢理に……」
あ、やべ。今度は泣きそうだ。
つか、ガノンのやつ、どういうアクセスをやらかしたんだ?
慌てて無殻内部の記録を参照しようとした俺を、その少女は一喝した。
「もう良い! 貴様の分身たる無殻から事情は聞いたわ」
「はい?」
それって、俺をパスしてガノンと話をしたってこと?
自分の化身以外の究極上位種とも、意思交換ができるのか。
こうして、ガノン・フォームとなった現在でさえ、俺はガノンとまともに会話しているとは言いがたいのだが。
「ふん、初代の装備を受け継いだだけの貴様とは年季が違うわい」
さすがは、オリジナルの召喚媒体たる実装試験体と言うべきだろうか。
「もっとも、妾はその能力を付与されたがゆえに、単一特化型に留まっておるのじゃが」
「なるほど」
「それよりも、じゃ。分身たる無殻のしでかしたことは、貴様のしでかしたことでもある。この責任は取ってもらうぞ」
その剣幕に、俺はコクコクと頷いた。
どのみち、彼女を解放すると言うことは、彼女が馴染んだ世界を失わせると言うことでもある。
永遠に〈ビブリオ〉に留まるよりは、そちらの方が良いと言う俺の考えに迷いは無い。
しかし、見知らぬ世界と成り果てた〈ビブリオ〉の外に、彼女を一人で放り出すつもりも無い。
「どこまでできるかは不明だけど、俺なりに責任は取るつもりだよ」
新しい世界で彼女が独り立ちできるよう、全面的に支援しようと心に決めて、俺は力強く頷いた。
具体的なところは、オリヴァーさんに相談すれば、何とか良い方法を考えてくれるだろう。
俺としては、それに従って全力を尽くすだけ……。
その時、俺は自分の意識が薄れていくのを感じていた。
さすがにこれほどの長時間に渡って『といへる何とか』でいた為、そろそろ限界を迎えつつあるようだ。
いかにガノンの全面的な支援で消耗を押さえようとも、久門光一の自我意識の方が持たないのだ。
あるいは、神酒があれば、もっと持ったのかもしれないのだが。
「よかろう。盟約は成立じゃ。たとえ、貴様が忘れようとも、その魂ある限り、この盟約からは逃れられんと心せよ」
俺の言葉を聞いた実装試験体の少女が何事か言っているが、俺にはそれを理解する気力も無かった。
「触る、撫でるだけでも許しがたい、あ、あんな場所とか、こんな場所を、揉むわ、舐めるわ、しゃぶり尽くすわと、執拗なまでに好き放題しおってからに。おかげで妾も、つい不覚をとってしもうたわい。こうなれば、何が何でも責任はとってもらわねば……」
なおも少女がブツブツと呟くのを遠くに聞きながら、ついに俺は意識を失ってしまったのだった。
◇◆◇
ぺちぺちと、軽く頬を叩かれる感触を覚え、次いで、不服そうな声が鼓膜を振るわせるのを感じた。
「なんじゃ、やられたことを全て仕返してやろうと思ったが、最初のこれで目が覚めたか」
「はへ?」
「おや、しっかりとは目覚めておらんようじゃな。ふむ。ならば、次は全力で頬を張るか」
それを聞いた俺は、瞬時にして覚醒した。
「冗談じゃない。あんな剛力でやられたら、頬ごと頭が消失する!!」
俺は慌てて起き上がり、そして「あれ?」と、首を傾げた。
今しがた口走った言葉の意味が、自分でもわからないのだ。
どうやら、またしても記憶が飛んでいるようだ。
「ちっ、完全に起きよったか」
背後から聞こえた舌打ちに、驚いて振り返ると、そこには剛毛に覆われた筋肉の壁があった。
「え?」
ゆっくりと視線を上げると、俺を見下ろしていた巨大な牛頭鬼と眼があう。
「どっしぇええええ」
既視感を覚えつつ、思わず俺は悲鳴を上げてしまっていた。
反射的に逃げだそうとした俺は、しかし、雰囲気が異なることに気づいて、その場に留まった。
次の瞬間、牛頭鬼の全身を魔法陣が覆った。
三メートルの身長が縮み、全身を覆っていた剛毛が消え失せ、人間離れした逞しい身体が女性らしい曲線のそれに変わる。
またたくまに、俺の目の前にいた牛頭鬼は、最初に遭遇した時と同じ外見になっていた。
そして、片方の手でその牛頭をむしり取り、中の顔を露わにした。
「に、人間?」
そう、俺の目の前に立っていたのは、頭部をすっぽり覆う牛の仮面を右手に持った、南方系と言った容姿の少女だった。
そんな認識と同時に、俺は咄嗟に顔を横に向けた。
何しろ、右手の仮面と左手の巨大な斧、そして腰のベルト以外に、少女は何も身につけていなかったのだから。
「うん? どうした」
不審げに少女が尋ねてくるので、俺は慌てて言った。
「服、服着て、早く」
「服じゃと? 妾の身体は人間態でも完璧にして頑丈ゆえ、そんなものは不要じゃ。ほれ、よく見ればわかるじゃろう」
「いや、そういうことじゃ無くて」
微妙に話が噛み合わないところも、なんとなく既視感がある。
そういえば、オリヴァーさんに最初に会った時の、そのやりとりに似てるかもしれない。
「まぁ、良い。こんなことで時間を浪費するわけにもいかぬ。貴様の無殻、ガノンの銘で盟約を結んだ個体から事情は聞いておる。この〈ビブリオ〉が消失するまで、さほど余裕は無いぞ」
「えーと、そもそも、君は誰? 何者?」
「ああ、そうか。今の貴様は、人間態だと記憶が無いのじゃったな」
少女は少し困ったような表情を浮かべ、言葉を探しているふうであった。
「あー、この〈ビブリオ〉と共に封ぜられた、オムー文明の生き残り、と言えばわかるかの」
「オムー文明!? 〈禍神〉に滅ぼされた、あの?」
「その〈禍神〉なるものは妾も知らぬが、そのオムーで間違い無い」
遥かな超古代に滅んだ謎の魔導文明オムー。
この少女は、その生き残りか。
にわかには信じられないような話だが、そもそもが異世界に召喚されて以降が信じられないことの連続だったのだ。
それはともかく、オムー文明の時代から生きているとすると、目の前の少女は見かけ通りの年齢じゃないと言うことか。
「なんだか、失礼なことを考えておるようじゃが、この〈ビブリオ〉は時空魔法の実験施設でもあるのじゃ。通常の時間軸と切り離され、微妙に異なる時間を繰り返したによって、貴様の概念で妾の年齢を推し量るではないぞ。よいな」
その口調は穏やかだったが、眼の凄みが半端じゃない。正直、牛頭鬼の時よりも怖かった。
俺が慌ててコクコクと首を縦に振ると、少女は「わかればよろしい」と頷いた。
「ともかく、じゃ。貴様のガノンが最後のギリギリで解析した暗証番号も聞いておるゆえ、妾の方で処理は進めさせてもらうぞ」
少女はそう言うと、左手で持っていた巨大な斧をその場に突き立て、その柄に刻まれた紋様を指でなぞり始めた。
「ええと、保管対象であった石碑の素材たる神鋼を維持用の魔力に変換して……管理者に貴様を追加して同調設定、と」
何を言ってるのか、さっぱり分からない。
「規模は少し縮小してもよかろう。構造区画も単純にするか。あれだけの神鋼を変換すれば半永久的であろうが、維持に要する魔力は少ないに越したことはない」
「ええと、その、何を?」
「せっかくの亜空間ゆえ、このまま消失させるには惜しかろう。時空魔法をもってしても、一から造るのは面倒なのじゃぞ。それに、この技術は『外』では残っておらんようじゃしな」
「あの、石碑の素材をどうとか言ってたようだけど」
「試験用に持ち込んだものじゃ。いくつかはまっとうな写本もあるが、ほとんどは適当な与太話か、落書きの類いに過ぎん。そちらは魔力の材料にしてしまっても差し支えあるまい」
「なんですと!?」
冒険者ギルドが隠し札としていた古文書の正体を知った俺は、愕然としてしまった。
俺たちの世界でも、パピルスだか粘土板に書かれた古代文字を解読したら、「近頃の若い者は……」みたいな愚痴だったという話があったかな。
もっとも、これは俗説で実際にはそんな記述はなかったとも言われているが、なんにせよ、悠久の時を経た古文書だからといって、意味のある内容とは限らないわけだ。
しかし、神鋼とかって、伝説級の貴金属じゃなかったかな。
そんな素材を落書きに使うオムー文明って、凄いんだか残念なんだかよくわからないな。
「かさばるゆえ、この端末と召喚用の仮面は置いておくか。同調しておれば、いつでも取り寄せられるしな」
そんな俺には構わず、何事かを端末――長大な斧がそれらしいが、その柄に刻まれた紋様に入力したと思しき少女が、最後にひときわ大きな紋様をタップすると、そこから魔法陣が現れ、次いで迷宮全体が地震のように揺れ出した。
「ふむ、再構築が始まったか。あの暗証番号で正しかったようじゃの。貴様の無殻は、なかなかに優秀じゃわい」
「いったい、何が起こってるんだ?」
「細かい説明は後じゃ。このまま〈ビブリオ〉の再構築に巻き込まれると、意思ある生命体はとんでもない空間へ飛ばされてしまうでな。貴様がここに来た魔法具で脱出するとしよう。あ、いや……」
牛頭鬼であった少女は、そこで少し考え込む様子を見せた。
「貴様と共に脱出するとしても、今のままでは難しいか。ここの出入りに使う魔法具は、奴隷どもに定期測定か何かをさせる為のものじゃった筈。たしか、勝手に神鋼などを持ち出さぬよう、質量制限がかかっておったな」
そう呟きながら少女が腕組みすると、美穗に匹敵する量感のある胸が強調され……あ、いや、見ちゃ駄目だ。
俺も健康な男子なので、つい、視線がそこに向かってしまうのは、いかんともし難いところである。
「しょうが無い。人間態を元に戻すか」
少女はそう言うと、引き締まった腹部にあるベルトのバックル部分に手を触れた。
すると、見慣れぬ魔法陣が展開し、少女の身体が光に包まれる。
その光が消えた時、そこにいたのは、シャルロッテちゃんよりも幼い女の子だった。
見事なまでの「ぼん、きゅー、ばん」なダイナマイツボディーが、一気に「つるぺた」アーンド「下腹ぽっこん」なシルエットに変化する光景はそれだけでも驚愕に値するが、俺はむしろ先ほどの言葉の方に衝撃を受けた。
「元に……って」
「こちらが妾にとって、本来の生理年齢に合った姿になるかの。これでも時空魔法をいささか使えるゆえ、先ほどの年齢までは変えられるのじゃ。こっちは背丈が低くなって色々と不便じゃが、質量を少なくするにはやむを得ん」
そう言うと、牛頭鬼であった少女――だった幼女は、両手を俺の方に差し出した。
「ほれ、これならば、貴様が持ち込んだ荷物とは誤差の範囲じゃろう。魔法具が貴様を引き戻す時に、問題無くいっしょに戻る筈じゃ」
要するに、だっこして欲しいわけだ。
バックル部分を除いて縮んだベルトだけの裸身だが、この年齢であれば心理的抵抗はさほどでもない。
その柔らかいプニプニの身体を抱え上げ、お姫様だっこの形でホールドした数分後、転移の魔法陣が展開した。
かくして、冒険者ギルドの隠し札であった迷宮〈ビブリオ〉は消失した。
俺にとって初めての迷宮探索は、そのようにして終わったのだった。
ハーレム要員(?)と、いわゆるアイテムボックスをゲットしたようです。
次回『第48話 男爵領へ』は7/17 6時
(2時間前倒しに変更します)
その次の『第49話 黒い薔薇』は7/18 6時
連日更新となります。




