真白の君と
「──────……?」
「どした律。あっち見て、こっち見て、鳥みてぇだぞ」
金曜日。休日前に浮かれる生徒で溢れるがため、基本的に不意の事故という意味での『不幸』も溢れやすい気の抜けた賑いに満ちた平日の終端。
つまり、元より学校内で僕の目が四方八方へと向きやすい日。────けれども流石に毎週、今日のように一日中ひっきりなし意識と注意を散らせたりはしない。
……さて、なんというべきか。
朝から言い知れぬ『嫌な予感』に支配されている、この胸中を。
「…………隼太、ごめん。今日は先に帰ってほしい」
「……おぉ?」
然して、僕は説明ではなく命令を友に投げた。
時は放課後。場は教室。残っているのは二人だけ……つまり、例によって完全下校時刻ギリギリまで学校に居座っていた僕と、それに付き合っていた友人と。
即ち、その状況で突然なんの説明もなく『一人で帰れ』と言い放った僕は、事実として隼太どころではない自己中気分屋の嫌な奴にしか見えないわけだが────
「わかった。また明日な」
僕を知る隼太は、嫌な顔一つ見せずに席を立つ。
立ち上がり、鞄を提げて、空いた手をヒラヒラと振り……軽い笑みを残して、なんの疑問も文句も落とさないままに教室を去っていった。
「…………ありがと」
────得難い存在だ。救われる。
さすれば、改めての礼と謝罪と……まあ、ラーメン一回分の御馳走は後日、適当な日に予定するとして。僕もまた、去った隼太に続いて席を立つ。
「さて……」
刻一刻と、胸の内。頭の奥、僕の底にて膨れ上がっていく、言い表せないほどに強烈な不快感────そして、抗いがたい酷く軽薄な使命感。
その両者が、もう間もなく臨界を迎えようとするのを感じながら。
「────キミは、本当に、一体全体なんなのかな?」
僕は、隣教室を目指して歩き出した。
◇◆◇◆◇
「…………………………はぁ」
後方窓際の席。強い風でカタカタと窓が揺れる以外、音のない空間にて。夜も間もなくの夕焼けに照らされる校庭を眺めながら、溜息をつく少女が一人。
「………………はぁ」
性懲りもなく、何度でも。────その振る舞いが相応しくないという者あらば、この眼前へと進み出よとでも言わんばかり。
堂に入った哀愁の様を漂わせる天下谷小幸が、ぽつりと。
「変わらなかった、此処でも……」
呟く声音は、落胆の色。
────別に、本当に心から『変わる』と思っていたわけではない。もしかしたらを信じていたわけではない。決して、甘く考えていたわけではない。
ただ、縋っただけ。……いいや、正しくは、縋ったフリをしてみただけ。
わかっていたから、変わるわけがないって。
知っていたから、どうにもなるわけがないって。
諦めていたから────救われていい、はずがないって。
「…………………………はぁあ……」
零れる諦念は、尽きず何度でも。慣れ親しんだ孤独を存分に活かして、誰にも聞かれたくない無様な溜息は盛大に……小幸は机の上、組んだ腕に突っ伏した。
「……帰りたくない」
呟き。それは自分のためではない願い。
「……帰らなきゃ」
呟き。それは誰のためにもならない縛り。
顔を上げ、乱れた髪を適当に整えながら、立ち上がる。
帰りたくない家に帰るために、気を紛らわせるべく……一週間と少しが経った、新たな学校生活の日々を振り返るように思い起こしながら。
「…………凄い髪の不良さんも居るし、やっぱり田舎の学校って怖いんだ……」
ひとりぼっちの、悲しい性質。
何年も前から癖になってしまった、恥ずかしい独り言を口遊みながら。
鞄を手に、教室を出ようと────
「……ぁ」
小幸が一歩を踏み出そうとしたのと、教室の扉が開かれたのが同時。
そして、何度か顔を合わせて目にした時の記憶と同じ。
なぜだか怖くなってしまうほど静かで、穏やかで、温度のない栗色の瞳を眼に湛えた────凄い髪色の不良と、真正面から目が合った瞬間。
轟と、窓の外。
これまでも強かった風が一際に強く吹き付ける気配を、意識の隅。背後からの風鳴り音で小幸が薄っすら知覚した瞬間。男子が、真っ直ぐ前へ。
歩く、のではなく。
「えっ……」
姿を見失いかけるほどの速度で、自分を目掛け走り出したことを認識した瞬間────つまりは刹那、全てに置き去りにされていた小幸の思考が、
遅れに遅れて追い付いた、全てが終わってから十数秒後のこと。
「────────…………ぇ、え、えっ」
衝撃音。破砕音。重たい音、高い音、乾いた音、いっぱい、沢山。
仰向けに押し倒された身体、見上げる天井。スラリとしているが力強い腕に庇われながらも、床に打ち付けて鈍い痛みが遅れて来た背中。
辺りに撒き散らされた大量のガラスの破片と────おそらくは、教室の窓を突き破るほどの勢いで外から飛来したと思しき、何かの看板。
「……、…………────っ……‼︎」
わからない、わからない、なにもわからない。
わからないけれど、わからないからこそ、一斉に押し寄せた緊張と恐怖が小幸の身体と思考を竦ませる。混乱と動揺が頭を満たす。
看板。
看板? 飛んできた、看板が。
風で、窓。窓が割れた。突き破って、看板が。
私の席、すぐ近く。私の席の、真隣の窓。だって、位置的に、あんな、もし、あのまま普通に歩いて、帰ろうとして、ゆっくり教室を出ようとしてたら、
きっと、私に、当たっていたような────
「────天下谷さん」
「は、ぇ……ぁ…………」
怖気が走り、残暑の熱気も関係なく身体が冷えて、呼吸がおかしくなりそうになった、その時に。真上から……本当は、他の何よりも最初から、
小幸の視界を埋めていた〝彼〟が、名前を呼んでくれた。
そう、呼んでくれた。
ちゃんと生きてるよ、大丈夫だよとでも言うように。少なくとも、混乱と恐怖に震え始めた小幸の耳には、そう聴こえるような優しい声音で。
三回だけ、顔を合わせたことのある男子。
三回とも、それぞれの状況で手を差し伸べてくれた男の子。
そして三回とも────その奇抜な姿に、小幸が怯えたヒト。
「……怪我、無いかな。大丈夫?」
そんな人が、きっと、多分、おそらく、自分を助けてくれた。
訳がわからない。けれども、
「……………………大丈夫、です」
「痛いところは?」
「……多分、ない、です」
「良かった。……ちょっと、暫く動かないでね。ガラス、危ないから」
「はい……」
なんとなく、辿り着いた思考は一つ。
私は、今、この人がいなければ死んでいたのかもしれない、と。
だから、
「ぁ、ありがっ」
「口、開けないでジッとしてて。目も閉じて、危ないから」
震える声で、お礼を言おうとしたら、にべもなく黙らされた。
「……、………………………………………………」
いや、
いや、わかる。わかるから、大人しく口も閉じたし目も閉じた。
ゆっくり動かせば痛みも無かったため、きちんと両腕で顔も覆えば……当然というか、パラパラと細かなガラス片が周囲に落ちる音。
〝彼〟が、身体を起こしたのだろう。それでもって、自分を庇ったために背中へ被っていた欠片を振り落と────いや、そうだ、なにを馬鹿なことを。
お礼を遮られた程度で、悲しくなっている場合じゃない!
「ッだ、ぁ、だ、だいじょ────」
「大丈夫。僕も怪我はしてないから」
……と、息せき切って遅過ぎる心配を向けた、もとい向けようとした結果。またしても、にべもなく淡々とした声音が小幸の焦燥に冷や水を浴びせる。
どこまでも冷静な声。どこまでも平静な声。
「目、もう開けても平気だよ」
そして、やはり淡々とした指示に小幸が瞼を持ち上げれば────
「……、………………」
映るのは、やはり奇抜な色に染まる頭の下。どこまでも穏やかな栗色の瞳。
────なんなの、この人。
助けてもらっておいて、そう思わざるを得なかった。どうやって助けたのとか、どうしてタイミング良く助けられたのとか、なんで自分の代わりに破片も何もかも被ったはずなのに、言う通り怪我の一つもせずいられたのとか。
瞬間的に、刹那的に、溢れ出す混乱と疑問と動揺が、あまりに多過ぎて。
「………………なん、で」
小幸の口から、次に零れ落ちたソレは。
「なん、で…………そんな……────髪の毛、真白に染めてるんですか……?」
この場に全くそぐわない、恩人に対して真っ先に言うべきでもない、
そして────
「…………………………は?」
小幸には、知る由もなく。意図せず。
ただ一つ、思えば名前も聞いていない〝彼〟の平静を揺るがす言葉となって。
荒れ果てた教室で起きた出会いを、彩った。
不思議になってきましたね。
面白くなってきましたね。
一週間後に、また会いましょう(暴挙)




