揺れた夜、明けた朝
──────山中の朝は、基本的に静かで涼やかだ。
街から少しの距離にあって、人や車の通る音はなく。屋内に居て耳へ届くのは、風の強い日に揺れる木々や葉のざわめき、そして鳥の唄い声くらいなもの。
だから、
「…………………………」
目覚めてすぐ、自分の息遣いが静謐の中で際立つ。布団の柔らかさと温もりの中で、ぼんやりした寝起きの意識でも考え事が冴える……気が、しないでもない。
……斯くして、
「────……え? というか、どういうこと?」
夜が明けて、朝。
いろいろあって、アレコレあって、説教をされて、心の揺れを自覚して……というよりも、揺れる意味を自覚して、祖母に『ただいま』を言って、夕飯を食べて、お風呂に入って、疲れ切った心身に引き摺られるまま布団に入り────
「あの人、動物と話したの? 帰れって言ったら、帰ったよね……???」
そして今、困惑のまま盛大かつ迫真の独り言。
ショックの連続、思考容量超過、的確に図星を突かれる形での説教、そして例によって澄まし顔での卑怯連打……そのせいで、すっぽ抜けていた。
何よりも先、一番にツッコミを入れるべき〝不思議〟をスルーしていた。
即ち────芳野律人は昨日、どうやって小幸の〝不幸〟を追い返したのか?
単なる偶然、あるいは熊の気まぐれとは思えない。驚いて、怯えて、正直それどころではなかったものの、微かに覚えている彼の様子が証拠だ。
なんの動揺も、していなかった。あんな、小幸のことを頭から食べてしまえそうな猛獣を前にして、欠片も恐れる素振りを見せていなかった。
……つまるところ、
「…………………………なんなの、あの人ぉ……!」
────確定だ。
〝不幸〟の足音が聞こえる、どころの話ではない。あの妙なところばかり抜けている澄まし顔お人好し天然ヒーローこと芳野律人は、まだ小幸の知らない何かを。
まだ見ぬ〝不思議〟を、秘めているのだ。
◇◆◇◆◇
──────山中の朝は、基本的に静かで涼やかだ。
しかしながら、
「芳野君っ!」
あくまでも『基本的に』と前置くように、静謐にも例外がままあるようで。
「………………おはよう?」
「ぁ、おはようございます」
土曜から明けて、日曜朝七時。
天下谷宅に転がり込む前ならば、既に一人で街へ出ていた頃合いの休日二日目。とはいえ現最優先護衛対象の疲労具合も考え、そもそも今日は予定ナシの予定。
ゆえに、出掛けるどころか出掛ける支度さえもしないまま、果たして何年ぶりか。目を開けてから一時間近くもボケッとしていたのだが……。
「っ、ではなく……! いえ、おはようございます、ですけどっ!」
「うん、おはよう」
突如襲来、朝に眩しい真っ白け。
僕が偉そうな説教を垂れてからというもの、昨夜は終始しおらしい……というか、何やら僕をチラチラ見ながら若干の距離を空けていた天下谷さんが────
「じゃ、なくてぇっ……‼︎」
なんというか、凄く元気。
何をそんなに息せき切っていらっしゃるのか、重ねて出掛ける支度などしていない……つまり、寝巻の高校ジャージ姿でボケッと出迎えた僕相手に、玄関にて。
「昨日のアレ、なんだったんですか……!? クマさんに、なにしたんですっ!」
「クマさん……」
気付いているのか、意識が及んでいるのか否か、同ジャンルの格好で捲し立ててくるもので────とまあ、こちらとしては何と返すべきか。
昨日、慣れない外出から大きめの〝不幸〟が立て続き、更にゴチャゴチャ説教まで聞かされてソレどころではなかったのだろうことは察している。
然らば、今日に繰り越すことも予想はしていた。
であるからして、別に驚きはしないし『答え』も当たり触りのないものを用意している。……していたのだが、流石の僕も順序を間違えたりはしない。
今、この状況で、僕が返すべき『気遣い』は一つだろうと。
「えーと……天下谷さん?」
「なんですか! 言っておきますけど、誤魔化しで簡単に納得なんか────」
僕は、新鮮な光景を少々の罪悪感と共に眺めながら。
「私服は無くても、流石にパジャマは持ってたんだね」
「────────……ぇ」
「女の子って感じで、とてもいいと思うよ。…………つまり、その」
「…………、……」
見る見るうちに朱に染まっていく、彼女の頬や首筋から目を背けながら。
「……男子に披露するのは、控えた方がいいんじゃないかと────」
「ッッ……着替えるの忘れてたんですぅッ……──────!!!」
シンプルながらも、やや生地が薄めで、大層かわいらしい、明るい水色。
即ち────僕の寝巻と同カテゴリもとい用途は同じなれど、見栄えも魅力も危うさも桁違いな装いを指摘した瞬間。天下谷さんは、朝から元気一杯。
恥の悲鳴を棚引かせながら、一目散に蔵部屋から撤退していった。
さあ、楽しい楽しい、お家デ……平和(願望)な日曜日の始まりだ。




