帰り道
────暫くして目を覚ました天下谷さんと、言わずもがなであろう些細な一幕。具体的には『すみません』と『気にしないで』の応酬を重ねた後。
また街中を歩きながら行き当たりばったりの平和な時間を過ごし。徐々に落ち始める陽を見ながら、さて夕飯は如何するつもりかと問うた隼太に……。
「「…………………………」」
それはまた今度の機会にと告げた僕は、夕闇の中を二人。最低限の外路灯が敷かれているだけの山中を、天下谷さんと共に。とても静かに歩いていた。
九月も半ばが過ぎ去り、流石に夏も終わりかけ。短くなり始めた日脚は夕飯時となれば沈み切るのも間近、解散してからも着々と闇が深くなりつつある。
つまるところ、
「……ぁ、あの」
「大丈夫だよ」
本日まだ〝不幸〟が訪れていない彼女にとっては、最も不安な頃合いだろう。
今日も今日とて街中は『足音』に満ち満ちていたが、天下谷小幸の元へ訪れるソレは明確に他とは音色が違う。聞き違えることは、絶対にない。
それゆえに、気付かぬ内に過ぎ去るということは、ありえない────と、
「……、………………」
先ほど、問われて保証してしまったのが脅し文句のようになってしまったのか。
いつにも増して……と言えるほど付き合いの長さはないが、知る限りよりも一層に緊張が濃い横顔。失敗したなと、僕は相変わらずの配慮下手を悔やみつつ。
「天下谷さん」
「は、はい……?」
人気はなくも、彼女だけは避けられない〝不幸〟に溢れている夜道。これまで自分ではなく他を優先してきたがゆえに、彼女が一人で歩くしかなかった夜道を。
「今日は、どうだった?」
「……ど、どうって」
隣に並んで共有しながら、当たり触りの無い話題を一つ。
けれども、今日こうして彼女を連れ出した理由の大半。その反応と成果を問うための本題を一つ投げてみれば、隣で白髪が戸惑いに揺れて。
「…………た、楽しかったです。ちゃんと」
「そっか」
鈍い僕などより余程のこと利発な天下谷さんは、不躾で端的な言葉の真意を問うまでもなく。求めるところを正しく察して、ほんの小さく頷いてくれた。
「良かった」
「っ……、…………」
そして、他者からの好意を受け取り素直に照れる。
僕には到底できないことであり、あの親友も苦手としていること。────つまり身近に存在しなかった類の反応を見て……自然と、緩む頬を自覚した。
あぁ、いい子だ。
素直で、優しく、とても可愛らしい。純粋に幸せになってほしい人、だと思う。
────だからこそ、やはり。
「……待って」
「ふぇっ」
頭の奥底で響き続ける、この『足音』が不愉快で堪らない。
足を止め、隣をゆく天下谷さんの手を掴んで同じく制しながら、山中。人が歩き車が徐行する程度は苦にならない半整備路の脇、林の奥へと視線を刺す。
「………………あ、あの……ぇ、な、なにか……?」
「…………」
然して、これで異変に気付かないわけがなく。瞬時に警戒心を一段も二段も引き上げて、恐る恐ると僕の視線を追い掛け辿った彼女は────
「……………………────ぁ」
酷く、か細い声音を零して、目を見開き固まった。
一方的に掴んだ華奢な手が力み、無意識の圧を僕の手に返す。両脚も縫い合わされたように動かず……反して、小刻みな震えと乱れ始めた呼吸が身体を揺らした。
当然の反応だろう、目が合ってしまったのだから。
真っ黒な体躯に、首元の白い三日月。
────見間違えようもない熊が、そこにいた。
怪物のような巨体というわけではない、けれども明らかな成体。
直立すれば僕らと大して変わらないであろう体長を四足で支えながら、夕闇の中でも輝く真っ黒な相貌で、直面した生き物をジッと見つめている。
……山の中とて、人里の域だ。野生動物の出没情報なんてものは当然のように市が揃えているし、天下谷さんの〝不幸〟を踏まえて僕も勿論のこと目を通した。
ここ数年、少なくとも近隣では、熊など棲息の痕跡すら上がっていないはず。
そして僕は、おおよそ十分ほど前から知っていた。
「……天下谷さん」
「……、…………、…………」
その足音が真っ直ぐ、迷うことなく、彼女の元へ歩いてきていることに。
────確定だ。
彼女の〝不幸〟は自然現象や非生物のみならず、生き物にも影響する。気まぐれで靴を咥えていくどころか、直接的な害を生じさせるであろう方向にさえも。
「…………よ、……よしの、くん」
視線は釘付け、手は硬直、脚は棒。されど声音だけは絞り出して、天下谷さんは睨み合いの最中に『意思』を示した。……そして、
その、決死の声音に含まれていた色が────
「………………………………はぁあぁあ……」
とても、とても、許せないものだったので、僕は大きな溜息を一つ。
本当に、どうかと思うよ、神様。
僕と同じだ、こんな子だからこそ、祝いと呪いを掛けたんでしょう。
だからこそ、どうかと思うよ、天下谷小幸さん。
こんな突発的で、こんな前触れもない、危機的な状況で────
「お断りだよ、ふざけんな」
「────ぇ」
察するに、逃げてと、きたものだ。
助けを求めるより先に、自分を蔑ろに、他者の無事だけ願う奴がいるかよ。
……斯くして、僕は一歩、静かに踏み出した。
勿論のこと、目前の〝不幸〟へと向けて。
「ぇ……────ちょ……ッ!!? なんッ、ダメ……‼︎」
然らば、当然のように金縛りを契り掃う天下谷さん。火事場の馬鹿力とでも言おうか、突如として細腕に宿った中々の膂力で以って僕を引き戻そうとする彼女を、
「はいはい」
「んな……ッ!?」
逆に強引に引き寄せて片腕の中に仕舞いつつ、別に自棄になって突っ込むつもりなどではないことを示すように立ち止まった────然して、正面。
これまでも、ただジッと僕たちを見ているだけだった熊に対して。
「『元居た場所に、帰ったほうがいい。ここは人の住むところだから』」
僕は、拳でも足でも手荷物でもなく、ただ真っ向から言葉を向けた。
「────……」
腕の中。お人好しの馬鹿者というか、お人好しの化物から正気を疑うばかりの視線が突き刺さっているのを感じる────が、もう今は全て無視だ。
今回は流石に、感心よりも呆れが勝ってしまったから。
……そして、
「……、…………………………………………………………へ……?」
踵を返した熊が、大人しく山の奥へと帰っていく、その後ろ姿を眺めながら。僕は『天下谷小幸を真に普通の日常へ還す』という目標の難易度認識を────
「────……今日の〝不幸〟おしまい。ほら帰るよ、天下谷さん」
「…………………………へ?」
「帰ったら、夕飯前に少し説教させてもらうから。言い訳を考えておくといい」
「……、……………………えぇ……?」
少々上方修正して改めつつ、呆ける彼女の手を引いた。
ツキノワグマは基本的には臆病な性質かつ植物食を中心とする比較的小型の熊であり、多くの場合は積極的に人間を襲う性格ではありません。
ただし不意に鉢合わせした際などは自己防衛で襲い掛かってくるケースがあり、言わずもがな大変危険なので、間違っても『お喋り』で撃退を試みてはいけません。
それはそれとして基本丁寧男子が急に口調悪くなるのは法律で禁止すよね。
夜に続く。




